鷺宮千夏 / 石上香苗は夜道をふたりで歩く-2
背後で、赤と青の光が入り混じって渦を巻いている。ビルとビルの間、狭い路地が、ネオンにでも照らされているように煌々と輝いている。私の目の前には、緑と赤、赤と緑と、激しく明滅する影がはっきりと映っていた。その影はにゅっと形を変えて、地面から何本もの杭のような形となってせり上がる。
その向こうに少女がいた。
黒い軍服みたいな服と帽子。右手には鎖につながれた、世界史の教科書でしか見たことのない――ギロチンの刃。
魔法少女だ。さっき私の鼻っ柱を叩いて吹っ飛ばしたのは、こいつだったのだ。彼女はざっと飛びずさって鎖を振り回すように手繰り寄せると、右手に刃を握りしめてぶらぶら揺らした。
「お前は――」
あの時、私と翼の前に現れた魔法少女だ。
「『白い刀』の魔法少女――」その声は相変らず、不気味なほど抑揚が無かった。「そのライターを返して頂きます。それはあなたが持つべきものではありません。あなたが持っているのは、とても不自然です。その姿はとても、とても――」
「これは、」うんざりした。何度、同じことを言われればいいんだろう。「これは私のもの。誰にも渡さない。あなたにも」
「いけません」
ちら、と後ろを見ようとした瞬間、また緑色の光が背中で輝いた。大きい――太陽がすぐ背後にあるようだ。地面に映る光だけで目が焼けそうになる。反面、ぞっとするほど冷たい空気が、その辺に充満していた。
影がびりびり震える――夏の太陽より強い光で生まれた影は、濃く冷たく、硬い。蛇のように地面を伸びて、魔法少女の足元へ向かう。そいつはとんと軽く地面を蹴り、軽やかに跳躍――ビルの屋上へ消えていった。
「待て!」
追いかける私のすぐ耳元を、赤い真っ直ぐな光線が通り過ぎて行った。一瞬あとに、耳が焼き切れたような痛み。
ちらり、と下を見た。三人の黒い男たちが、緑色の炎に包まれながら、ひとりの女性を――香苗さんを取り囲んでいる。彼女の周囲には、炎で描かれた円のような結界が纏わりついていた。
男のうちひとりが、こちらに銃口を向けていた。さっきの光線の正体はこれだ。
ひとり、もうひとりと私に銃口を向ける。右腕と一体化した、三角柱の武器。赤い光が強くなっていく。まるで夜空に浮かぶ飛行機の明かりだ。
「――――ぁッ!」
香苗さんが何かを叫んだ。細長い黒い棒のようなものを振り回すと、猛烈な勢いで緑色の火柱がそこに立った。視界が眩む――一瞬遅れて風が巻き起こり、私の背中をビルの屋上へ押し上げた。
よろめきながら着地。
あの少女がそこに立っていた。空に照り付ける月――影はうっすらと、アスファルトに写っていた。
「返して――」少女の手からギロチンが滑り落ちるように離れた、「返して、それはお母さんから、私がもらったもの――あなたのものじゃない――返して、返して、返して」ギロチンの刃が、ほつれたマフラーのように解けて、ねじれて、一本の剣になった。平たくて、先の潰れた黒い剣は、夜の闇に紛れるようで――長さや大きさの割に、随分重たそうに見えた。
「返して――!」
「うるさい」
魔法少女は正面から襲いかかってくる。
『お母さん』からもらったもの――この『白』のライターが?
大きく振り上げた剣を、刀で受け止める。見た目通り重い。腕が外れるかと思った。続けて二度、三度――鈍い金属音が響く。手首がじんじんと痛む。
「ぅうっ、」変な声が喉から漏れた。乱暴に左手の刀を横に払うと、切先のほうで鈍い感触があった。魔法少女のお腹の辺りに、真一文字に切り傷が浮かんでいた。その傷を見もせずに後ろへ飛びずさる彼女の足元に、ぬっと黒い影が絡みついた。足首を掴んだ真っ黒な影の腕が、そいつを地面に引っ張り込んで叩きつける。うっ、と息を吐き出す音が聞こえた。
刀を握りなおす。
ごん、と後頭部に強い衝撃。勢いのまま、地面に叩きつけられた。身体中の感覚がなくなる。遅れて、鈍い痛みが鋭い痛みに変わっていく。額から生温かい、どろっとした血が目に流れ込んできた――気持ち悪い。腕に力が入らない。額と後頭部の傷が、無理やり縫い付けられていくような強烈な違和感。傷が勝手に塞がっていくあの感覚だ。
ざりっと足音が聞こえた。
身体がぐんと勝手に引っ張られた。襟の辺りを誰かに捕まれて振り回されるように私は起き上がり、まだ感覚の戻らない足でよろめいた。
「奇妙な、魔法です。でした」
そこには奇妙な光景があった。
魔法少女がふたりいる。ひとりは平べったい重たい剣を片手に、いつの間にか影の拘束を振りほどいていた。もうひとりはギロチンの刃を手に、ぎょろぎょろした目で私を見ている。全く同じ顔。同じ姿。同じような感じ。
「それを返してもらいます」「返して」「それは私の」「私のもの」「私の」「私返して」「返し私返して返し」「て返して返して返」「して」「してしてしてしてしてしてしてしてして」「かえせかえせかえせかえ」「せかえ」「せ」
壊れた人形みたいに同じ言葉を繰り返しながら、ふたりは同時に襲いかかってくる。でも武器が違うからか、その動きはバラバラだ。ようやく足に力が入ってきて、刀を握る指先の感覚が戻ってくる。
ぞわっ、
嫌な感覚で振り返る前に頭を下げた。ぶん、と重たい塊が、さっきまで私の頭があった場所を通り過ぎて、ビルの屋上へ突き刺さった。横っ飛びに転がりながら、視界の端にちらと見える――鎖を腕に巻きつけた、同じ顔の少女。
「三人め――」
これが、この魔法少女の能力ということなのだろうか。
「逃がしません」
「活かしません」
「殺しません」
「それを返してもらいます」「それはあなたのものではない」「ありません」「返して」「返して」「返して」「返」「し」「て」
三人が襲い掛かってくる。それぞれ別々の方向から、同じ顔と姿をした人間が、全く別の挙動を見せながら、私のほうへ向かってくる。質の悪い夢でも見ているようだった。まだ頭がぼんやりする。現実のように思えないのは、それもあってのことかもしれない。
刀を握る指先に、徐々に力が戻っていく。踏ん張る脚の感覚もしっかりしていた。
襲いかかってくる三人。一番端のひとりに向かって駆け、心臓に切先を突き立てた。鈍い感触が手に返ってきたのもつかの間、ふわっとそれは消える。同時に、足の先がぴりっと痺れるような感覚。
振り返って刀を構える。
大きく、平べったい剣を振り下ろす魔法少女のすぐ横で、地面から生えてきたクリスマスツリーのような影の杭に身体を貫かれて消える分身の姿が見えた。けど、影もすぐに消えてしまう。やっぱり夜の月明りだけだと、影が薄い。表情をまったく変えないまま、何度も何度も、力任せに剣を振り下ろしてくる。
「しつっ、こい!」
左足が勝手に動いた。魔法少女の腹に、私の足の裏がめり込んで勢いよく吹き飛んだ。コンクリートの上を転がって、そいつはまた立ち上がる。
「返して――それを返して、返して、それはお母さんのものだから、返して……返して……」
目がぬらっとした、紫色に光っているように見えた。
「返して――――――――!」
ぞわぞわした風が、ビルの屋上に吹き付けた。
ギロチンを手にした魔法少女が、どこからともなく這い出てくる。同じ顔が十人、二十人……もっといる。その中心で魔法少女が蹲って、がたがた震えながら、ぶつぶつと何かを呟き続けていた。
「情けない」
「弱々しい」
「いつまでも変わらないまま」
「でも大丈夫」
「私がいる」
「私には私がついてる」
「私が守る」
「私を守る」
「返して」「返して」「返して」「返して」「返して」「返し」「返し」「返し返し返し返し返し返し返し返し返し返し返し返し返し返し返し返し返返返返返返返返返返返返返返返返返返返返返返返返返返返返返返返返返返返返返返返返返返返返返返返返返返返返返返返返返返返返返返返返返返返返返返返返返返返返返返返返返返返返返返返返返返返返返返返返返返返返返返返返返返返返返返返返返返返返返返返返返返返返返返返返返返返返返返返返返返返返返返返返返返返返返返返返返返返返返返返返返返返返返返返返返返返返返返返返返返返返――――――――」
私は刀を構えた。魔法少女たちが襲い掛かってくる。もう身体はすっかり、元の調子に戻っている。
同じことを、筋の通らないことを、いや違う。
気に入らないことを何度も言われると、いらいらするんだ。
刀がぶるっと震えて、じわじわ黒い何かが漏れ出してきた。脚に力がこもる。口元が歪んでくるのが、自分でも分かった。




