魔女の工房-2
【White】
「その後、調子はどうだい――千夏」
「ふつうです」
東さんは改まったように聞いてくるので、私もそんな風にしか返事ができない。
鉄瓶から注がれたお湯を急須に注ぎ、東さんは手際よく湯呑にそれを注ぐ。差し出されたお茶は熱くて、ふつうのお茶とは違う味がする気がした。
翼は壁に寄りかかって、黴臭い薄汚れた本をぺらぺらめくっている。
東さんはにっこり笑った。
「君のライターは、前も言った通り私の手によるものではない。どんな副作用が出てもおかしくはないからね、何かしら身体の不調に表れているならすぐに教えてほしい、と、そう思ったんだけど……」
「特にないです」
「そうか。それは何よりだ――君はどうだい、翼?」
「僕? 僕も平気だよ、ふつう」
「ふむ……そうか、それならいいんだが……」
東さんは、どこか煮え切らない態度だ。
「どうか、したんですか?」
「いや、何でもないよ。ただ、君たちはそれぞれ特殊だから――ほかの三人と比べてね。気にかけておくに越したことはないだろう?」
「大丈夫です」
この工房へやってくるのも二回目だ。
畳敷きで、ちょっぴり黴臭い。辺りには古く、黒ずんだ木の棚がいくつも並び、漆喰の壁がその隙間から覗く。部屋の中心に据えられた囲炉裏の炎が、部屋全体を温かく照らしている。
そういえば、この部屋だけじゃなく、この建物にはぜんぜん窓がない。ちょっぴり薄暗いと思ったら、そういうことなのだ。ここは妙に落ち着かない。畳の部屋の、草の匂い。囲炉裏の灰の匂い。本の隙間から匂う、黴臭い匂い。
どれもが鼻につくようで、当たり前のようにそこにある。
「それで、詳しく話を聞かせてほしいんだ。この『拳銃』で頭を撃ち抜いて、グローパーになったという男のことだ――」
「詳しく、と言われても、さっき言ったことが全てです。普通の人間に見えたけど、急にそれを取り出して、いきなり変身しました」
「何か、気になることを言っていなかったかい?」
「気になることって言われても」
「そういえば、ライターが出回ってるとか、なんとか言ってたよね。お姉ちゃん」
翼の言葉をきっかけに、次々に記憶がよみがえってくる。
「そうだ――『売人』がいるって。私と同じくらいの歳の女の子が、ライターを配って回ってるって……」
「たぶん、それが黒い魔法少女だ。リサや明日架が戦った連中だろうね」
「それから、私たちのことを『魔法少女』だと、そう呼びました。私は、自分が魔法少女だということは、東さんや、他の魔法少女以外には喋っていません。翼もそうだよね?」
「うん。大人にバレて、面倒になったら嫌だもんね」
「ということは、奴らは自分の正体を隠していないのか。なりふり構わずって感じだな」
東さんが真剣に悩んでいるのを見ながら、お茶をすすった。
「うん――そこまで必死になっているのを鑑みれば、目的は絞られてくるな。まったく、馬鹿馬鹿しいことだけれど、そう考えればつじつまは合う……」
「ご主人様」すいっとクウがやってきた。「香苗さんがお見えです」
「香苗が? いいよ、上げなさい」
クウは一礼して戻っていった。はあ、と東さんは溜息をつく。
「香苗、って?」
「君たちと同じ魔法少女だ。明日架たちと一緒に、もう三年近くも戦っている――君たちにとっては先輩ってことになるのかな」
○
現れた香苗という人は、控えめに言っても『少女』ではなかった。
長く綺麗に整えられた髪の毛と、スーツの良く似合う細い体型、もともと白い肌に浮かんだ化粧は薄く、でも丁寧に整えられている。
おとなだった。
「あら? あなたは――」奇妙な挨拶と共に、彼女は私の目を覗き込んだ。「あの時の子ね。あなたが、例の『白い魔法少女』だったなんて。明日香からよく聞いてるわ」
「あっ――!」
私は思わず、声を上げた。その柔和な微笑みと、囁くような声……覚えている。はじめて明日架と出会ったあの日、警官に声を掛けられ、交番に置き去りにされていた私に声をかけてくれた、あの女性だった。
「あのときは、ありがとうございました」
「ふふ、いいのよ。まさかあなたも魔法少女だったなんてね」彼女はまた、私ににっこり微笑みかけ、「それにそっちが『赤』の子ね? つい最近、魔法少女になったっていう――はじめまして、私の名前は、石上香苗。あなた達の先輩ってことになるわね、名実ともに」
「どうしたんだ、香苗。君が来るなんて、珍しい」
「イリス=クォーター」
その名前を聞いた瞬間に、東さんの表情が目に見えてこわばった。
「なんだと?」
「そう名乗る『魔女』と出会いました。黒い魔法少女を引き連れて、どこかへ消えてしまったけれど――」
「確かにそう名乗ったのかい?」
うなずくと、東さんはふううう、と長いため息をついた。
香苗さんは私のすぐ近くに座布団を引き寄せて座る――香水だろうか、とても上等な石鹸のような、気品のある香りがする。
「それを伝えに来たんです。聞いてなかったわ、『魔女』が敵にいるだなんて。私の魔法もまるで通用しなかった……東さんなら何か知っているのではと思って来たのだけれど、どうやらそうみたいですね?」
「イリスは、かつて私の弟子だった娘だ」
東さんはこめかみを握りつぶすほど、強く抑えつけた。
「弟子?」
「もう何百年前になるかな――私がまだロンドンにいたころ、私の弟子だった娘が名乗った魔法名がそれだ。イリス=クォーター」
「何百年って……」
「え、じゃあ東さんって……何歳?」
翼が目を丸くする。東さんは力なく笑いながら、
「私ほどの『魔女』なら、寿命を克服することくらい造作もないことだ――代償として呪いを背負えばね。イリスもそうだろう」
東さんはどんなに頑張っても、三十歳くらいにしか見えない。むしろ、若く見ようと思えばいくらでも若く見える、そんな姿をしていた。
『魔女』と言えば、昔、嫌というほど絵本で読んだイメージしかわかない。黒いトンガリ帽子に、真っ黒な外套。ねじ曲がった木の杖を持ち、しわしわで、くすんだ銀色の髪の毛を蓄えた老婆の姿だ。
「彼女は、両親から捨てられた子でね。教会の裏に捨てられて、今にも死にそうな姿だったのを、私が偶然見つけたんだ。ロンドンの冬は、人が死ぬほど凍えるからね。初めのうちはただ、衣食住の世話をするだけだったんだが、いつの間にか私のまねをして魔法の練習を始めた。才能はある子だったから、私はその芽を摘むのも忍びなくて、弟子として徹底的に鍛えた。そしてその娘は、本来の名前を封じて魔法名をつけた。それが『イリス=クォーター』――だが、そうして十五年も経った冬のある日、彼女は突然姿を消して、それきり帰ってこなかった」
「ともかく、そのイリスっていう『魔女』が敵なんですよね? 香苗さん」
「間違いないわ。明らかに私を目の敵にしていたし……何より、『黒い魔法少女』を連れていたもの」
「じゃあ、そのイリスって魔女をやっつけちゃおうよ!」
本を乱暴に閉じ、今にも走り出そうとする翼を、東さんが制した。
「落ち着くんだ。香苗――君の『炎』の魔法は、イリスに通じなかったんだろう?」
「はい」
「『魔女』の能力は、魔法少女のそれとは比べ物にならない。その気になれば一瞬で殺されてしまう。やみくもに戦っても無駄だ。だが――」東さんの表情には余裕がない。「それだけの力があって、しかも私のように活動が制限される『呪い』もないのなら、なぜ魔法少女を使う――自分でやればいいことだろうに。それとも、それほど強い力を持っていないのか……」
「東さん、落ち着いてください。いつもあなたが私たちに言っていることでしょう」
香苗さんがやんわりと諭すと、東さんは我に返ったように、湯呑のお茶を飲み干した。ふう、と小さな溜息。私と翼は顔を見合わせ、それから香苗さんとも顔を見合わせた。
「……、ともかくこれではっきりした。敵の背後にはイリスという『魔女』がいることが」
「それで、どうします?」
「魔法少女では、『魔女』に太刀打ちできない。彼女のことは私に任せて、君たちはこれまで通りの活動を続けてほしい。すなわち、グローパーを倒し、敵の魔法少女を倒す。そして、イリスに出会ったらすぐに退却する。何よりも、君たちの命が最優先だ」
みな、それぞれ頷いた。あの翼でさえ、何も言わずにそうしていた。
それだけ、東さんの言葉に力がこもっていたのだ。
「何かあれば、些細なことでもいい。私か、クウに報告するようにしなさい」
それだけ言うと、東さんはもう帰りなさいと言わんばかりに奥の部屋へ引っ込み、それきり出てこなかった。私たちは顔を見合わせ、それからおとなしく部屋を後にした。




