石上香苗は昼下がりの優雅なひと時を過ごす-2
「クウ、お待たせ」
クウは案外すぐ近くにいた。慌てたようすで振り返ると、手足をばたつかせながら私に言った。
「ちょうどいいところでした。糸は、この建物の入り口のあたりで途切れています。僕はずっと目を離さないようにしていました、間違いありません」
森の中にたたずむ開けた場所。そこは学校だった。入口である門のところに、厳かなフォントで校名が刻まれている。
「ここです。ここで突然、炎は消えました」
中からは少し、ざわざわと落ち着かない雰囲気を感じる。黒いローブの裾を、意味もなく指でつまみ上げた。
「中に、リサちゃんのほかに――誰かがいるとして、この姿を見られるのは恥ずかしいわ」この歳になって、何も知らない若い人に、コスプレ趣味の痛い人だと思われたくはない。「クウ、中に入ってリサちゃんを探してちょうだい。私は空から様子を見てみるわ。リサちゃんのこと、分かるかしら?」
「あ、はい、報告は受けてます。あの黄色い方ですよね」
いったんクウと別れ、私は伸ばしたランプの柄に腰を落として、ふわりと浮かび上がった。L字に曲がった校舎と、真新しい白線の引かれた土のグラウンド、丸い天井の体育館。何人か、敷地の中を歩いている人間の姿も見える。
「降りて行かなくて正解ね」
でも、リサちゃんの姿はない。
高度を下げ、学校の屋上に着地する。威勢よく夏の空に響く声は、グラウンドで練習している野球部のものだ。体育館の方からも、地響きのような音が聞こえる――バスケットボールの試合でもしているのだろうか。その時、私の足元にもぞもぞと動くものが見えたので、咄嗟に炎を放つ用意をした。しかし、すぐにそれをやめる。
「あなたは、さっきの?」それは、私をここまで連れてきてくれた、リボンを結い合わせたあのお人形さんだった。「やっぱり、リサちゃんはここにいるのね。案内してくれるかしら」
お人形さんは屋上から、校舎の裏手のほう――グラウンドの反対側へ飛び降りた。私もそれに習ってふわっと足先をコンクリートから離したとき、それは唐突に目に飛び込んできた。
「リサちゃん!」
彼女は力なく、私を見上げた。
「ぁ、香苗……さん」
○
「ぼ、僕が見つけたときには、もうこんなにぼろぼろで……!」
「あなたも……魔法少女ね?」
そこには、私の連れてきたクウとは別に、もう一人のクウがいた。その子は私のクウとは反対にフェミニンな印象を抱かせる、長い髪のきれいなクウだった。頭にカチューシャのように、リサちゃんの黄色いリボンを巻きつけて、お洒落を嗜んでいるようだった。
「お願い――りっちゃんを助けてあげて。わたしの持ってる魔力だけじゃ限界なの」
うなずいた。ふたりのクウがおろおろする横で、私は懐から黒いライターを取り出した。
日陰に力なく座り込み、校舎に背をもたれさせる彼女の姿は痛々しい。コスチュームの可愛らしいドレスはぼろぼろ、あちこち血に汚れ、フリルのリボンが身体じゅういたる所に巻き付いて、さながら包帯のように血がにじんでいる。
パラソルの持ち手の部分に埋め込まれている彼女のライターを見た。ほんのわずかだが、オイルは残っている。
「どう、して」
「あなたのお人形さんが、ここまで案内してくれたのよ。まずは魔力を補給しなくちゃ」
リサちゃんの黄色いライターへ魔力を注ぎ込んでいくと、彼女の服が少しずつ修繕され、滲んでいた血はきれいになくなっていく。しかし、黒いライターひとつだけでは、オイルは満タンにはならなかった。
「充分です。これで戦える」けれど、彼女の身体を覆うリボンの包帯はほどけない。「ありがとうございます、香苗さん。いつも助けられっぱなしで、ほんとうに……」
「何があったの?」
「魔法少女がいます。黒いライターを使って変身する……それと、なにか拳銃みたいなものを持っていて。それで頭を撃ち抜いたら、また姿が変わって……。体育館の中に入っていきました。中には、人が何十人もいます」
「そう――」
「私の使い魔も、傷を治すために、いったん全部『解いて』しまったから、中の様子は分かりません。直接確かめます」
「りっちゃん、無理をしては駄目!」リボンのクウが語気鋭く、「もうぼろぼろじゃない。そんなに魔力を大量に消費しては、またこの間みたいに、魔力に中てられちゃうわ」
「大丈夫。私がやらなくちゃいけないの」
そう言うとリサちゃんはパラソルを杖代わりにして地面を押し、ふわり、と月面を歩くように舞い上がって、体育館の窓の縁に軽やかに着地した。バランスを崩して倒れそうになったその時、壁からリボンがいくつも生えて、ハーネスのように彼女の身体を支える。
「どうしましょう、香苗さん」クウが私の顔色をうかがう。
「どうするも、こうするも、あんな状態のリサちゃんを放っておけないわ。私たちもなにか、手助けをしなくちゃ」
リサちゃんはふわっと風に乗って、私の目の前まで下りてきた。
「中の様子はどう?」
「あ……、」と一瞬ためらってから、「いえ、変わりありません。どこかに隠れているか、それとも、私が気を失っているあいだに、もうここを去ってしまったのか……」
黒いライターを使って変身する魔法少女の話は、東さんから聞いている。
グローパーを街じゅうに増やし、ばらまきながら、私たちと敵対する存在。
魔法少女は、グローパーを倒すことが目的のはず。仮に、黒い魔法少女たちの目的がグローパーの数を増やすことにあるとして、その先に何を目指すのだろうか。
「ひとまず、リサちゃんは無理をしないで。魔力が傷をいやすとはいえ、失った体力までは簡単には戻ってこないわ。それに、この間のように魔力に中てられる可能性もある――戦闘や無理な行動は避けて、出来ることがあれば何でも言って」
「……、ありがとうございます。でも、私だってやれます」
リサちゃんはそう言ってパラソルを閉じ、しゅるしゅると、指先から生まれたリボンをらせん状に巻きつけた。たちまち、穂先の鋭い槍へ姿を変えたそれを構え、
「私がやらなくちゃ。私が守らなくちゃいけないんです」
「りっちゃん……」
リボンのクウは泣きそうになりながらも、リサちゃんのそばを離れないでいる。
リサちゃんはずいぶん変わった。はじめて会った時は、まるで子どものように怯えて、力を満足に振るうことのできない、ただの――どこにでもいるような、ごく普通の女の子だった。この子はそれでよかったはずなのだ。でも、たまたまクウに才能を見出され、魔法少女となって、怪物と戦い、傷付き苦しい思いをして、誰にも称賛されることのない、そんな立場となってしまった。
立派だと思う。
私なんかよりずっと、しっかりした魔法少女だ。
その時、さっと嫌な視線を感じて私は振り返った。
校舎と体育館の間、人気のないこの場所に、学生と思しき男が立っていた。黒に赤のラインが入ったバスケットボールのユニフォームを着て、全身汗まみれになりながら、
「お、お前らカ、おれノ、おれたちの邪魔しテるってのは」
ぎらついた目つきで、私たちを交互に睨みつけた。
「あれは、対戦相手のチームの……」リサちゃんが目を見開く。「香苗さん、どうしよう。見られちゃった――ここは、」
「リサちゃん、目を離しては駄目」
「え、」
「感じるでしょう、あの男から吹き出す――」
ひどく腐ったような、魔力の渦。
男はポケットから何かを取り出した。それは、グローパーを倒したとき、いつもそこに残されている、黒いライターだった。
「へっへ、へへへ、へへへへへへへへへへ」舌を出して笑う。気持ち悪い――「こ、これでアイツをコロシテヤルんだ。アイツ、アイツアイツアイツ――! イマイマイマイマイマイマイマイマイマイマイマイマCい、サク、サクラ、ラライ、サクライシュンスケを……!」
「え――駿介?」
それにこたえることなく、男は躊躇なく、スイッチを押し込んだ。
「変身――」
ぎゅる。
瞬きの瞬間だった。緑色の水風船が弾けたような、音と衝撃、その程度のことが目の前で起こった。もう、あの男はいない。痕跡の一つも、残ってはいない。
「どうしたの、リサちゃん?」
「私……戻ります、確かめなくちゃ!」
すると、リサちゃんは変身を解く間もなく走り出し、体育館の中へと入り込んでいった。
「りっちゃん、待って!」
リボンのクウも後を追う。
ひとり取り残された。セミのじうじう、じうじうと鳴く声が、やけに大きく聞こえた。
「追いかけたほうがいいかしら。でも、この格好で中に入るのは……かといって変身を解いてもな。ああ、スーツで来るんじゃなかった」
「ど、どうします? 香苗さん?」
私は腕時計を見た。喫茶店を出て、もうすぐ一時間が経ちそうだ。
「戻ってもよさそうね」周囲に、グローパーのような気配はない。「リサちゃんの言っていた魔法少女のことが気になるけれど、もうここにはいないみたいだし――私たちがここに残っていても、逆に怪しまれるだけよ」
「で、でも、気配を消して、どこかに潜んでいるだけかも……」
「ええ、だからここを発つ前に、ここをきれいにしていきましょう」
ランプを傾ける。
盃になみなみと、日本酒を注ぐように――どろどろ、ぼごぼご、煮えたぎるような、沈み込むような音を立てて地面に落ちた炎は、薄い氷の膜のようになって地面に広がっていく。
クウはその様子をじっと見ていた。
「うっぷ」
クウは気分悪そうにせき込んだ。
「す、すみません。すごく濃密な魔力で……うっ」
「生まれたばかりのクウには、ちょっと刺激が強いかしら――少し離れていた方がいいかもね」
「そうさせていただきます」
クウは上空へ逃げていく。私は炎へ意識を集中した。既に炎は、この学校の敷地内ほとんどすべてに広がっている。
この炎は私の魔力がそのまま形になったもの。そして魔力とは、私の血液であり、吐く息であり、ひとつひとつが私の身体の一部でもある。地面いっぱいに広がった炎の海に、動くものは感じられない。面倒くさい、力を加減しないといけないのは実は苦手だ。ほんとうなら、この学校をまとめて消し去ってしまえば、いちいち探し出したり、魔力を細かく調節する必要もないのに。
「へえ――なんか、妙なことになってると思ったら」
という声は、頭上から降ってきた。
「あんたの魔法なんだ、それ。不思議な炎だね」
魔法少女だ。
なぜかひと目でわかった。背中から生えた黒い翼、黒く透き通った手足と巨大な鎌。そして、爛々と輝く黒い瞳――彼女はふわふわ宙に浮かんだまま、左手に持った何かを右手でむしり取りながら、もぐもぐ口へ運んでいる。
口から赤い液体が滴っていた。
「うん――そっちのクウもまあまあ、美味しいね」
「あなたかしら、リサちゃんを襲った魔法少女さんは」
「知ってる。石上香苗でしょ、あんた」彼女は襲いかかってくる気配を見せない。「母さんから聞かされてるよ。あんたと、中井明日架には気をつけろってね」
左手を丸ごと口に突っ込み、持っていたものをすべて咀嚼すると、ぺっと何かを吐き出した。落ちてきたクウの骨は、地面に広がる私の炎に触れたとたん、あとかたもなく蒸発してしまう。
「その魔法、邪魔だね。ちょうどいいや」彼女は翼を大きく広げ、両手で巨大な鎌を持つと、「ここであんたを殺す。そんで、その緑色のライターを貰おうかな」
「やってみる?」
ざっと何かが身体の中を通り過ぎた。
さっきまで頭上にいたはずの黒い魔法少女は、いつの間にか私の目の前にいた。
「えっ、」と目を丸くしている。横一文字に振り抜いた鎌の刃の部分が、丸ごとなくなっていた。
「悪いわね」私の手が、呆然とする彼女の頬に触れた瞬間、「積み重ねてきたものが違うのよ、あなたみたいな若くて生意気な娘とはね」
「ッ!」
彼女は思わず飛びずさった。そのまま地面に――私の広げた炎の膜に、うっかり足を落とした。たちまち爆発するかのような勢いで炎が細い脚を駆け上がり、全身を炎が包む。
「あ、あ、あああああああああああああああああああああああああああああああ!」
「んふ、役に立ってよかったわ。それにしても頑丈な身体ね、私の炎で消えないなんて」
緑色の炎に包まれて、彼女はもがき苦しんでいる。そのたび、地面から新しい炎が手を伸ばして、彼女をさらに包み込む。力の強いグローパー程度なら、一瞬で消滅しているところだろう。さすがは魔法少女だ。仕組みとしては、グローパーとそれほど変わらないはずなのに、
「どうしてここまで違うのかしらね」
「ああああっ! ああああ!」
乱暴に翼を振り払うと、彼女にまとわりついていた炎が消えた。それでも、髪の毛や袖や、脚にこびりついた炎は消えず、ぶすぶすと黒煙を巻き上げている。
「うう、痛い……熱い……!」
「泣いたって駄目よ」
「殺す、ころしてやる……ぜったいころす!」
目の赤い光が、炎天下でも不気味なほど輝きを増した。焼失した鎌の刃がみるみる再生し、元通りの黒い姿をさらす。
黒い翼が翻った。
大きく鎌を振りかぶり、私に真っ直ぐ向かってくる。
「はあ――」
若い女の子に手を上げるなんて、たまらなく嫌だけど――
「仕方ないわよね」
心臓がぎゅっと、冷たくなる。
指先が熱くて、震える。
炎が渦を巻いて、私の身体を包み、形を変えていく。
「――ほら、いい子でいなくちゃ。ね?」




