中井明日架は新曲のタイトルを決める-3
今日のバンドの練習は夕方からだ。夏休みはみんなそれぞれ忙しい。アルバイトや受験勉強、あるいは家族との時間。
私はひとり街を駆ける。
折り畳んで背負った銃を広げ、かすかな音に耳を澄ませる。
「どこ……?」と、思わず呟いてしまう。どこにいるかなんて、わざわざ考えるまでもない――例えるならそれは、街のあちこち、どこからともなく、無数に聞こえてくるセミの声。
私のすぐ足元からも聞こえてくる。
隣町との境の辺りからも聞こえてくる。
山手線の車両から、踏切から、駅の構内から。近くに何軒も立ち並ぶコンビニの電光掲示板の裏側から。無数に立ち並ぶ電柱から。まるでクモの巣のように張り巡らされた路地裏の、ひとつひとつから――思わず吐き気を覚え、銃を折り畳んで天を仰いだ。
これだけ雑音がひどいと、なかなか探すことができない。
「どこにいるの――リサ」
あの時見た、リボンを結わえて作られたような小人からは、間違いなくリサと同じ魔力を感じた。ベランダに残されていた、ほんの少しの破片を頼りに、魔力の届く限りの範囲でリサの足跡を辿ろうと試みたが、彼女はなかなか見つからない。代わりに、リサの魔力を分け与えて作られたような、とても小さな魔力の塊が街中いたる所に点在していた。
あのリボンの小人を、リサは街中にばら撒いている。
十や二十ではない。ひょっとすると五百、六百もの数がいるかもしれない。ハンドベルのように、からから、きらきらした音がそこら中から聴こえてくる。音も音量もほぼ均一なものが、一斉に、あちこちで鳴り響いている。
聴こえてしまうのが逆に恨めしかった。まるで拷問だ。気が狂いそうになる。
「明日架ちゃん」振り返るとクウがひとり、私のすぐ後ろでくるくる飛び回っていた。「だいじょうぶ? 気分が悪そうだけれど」
「別に、平気。それよりも――」
そのクウは少し様子が違っていた。身にまとった洋服の首元にチョーカーのように、黄色いフリルのリボンが巻き付いている。
「そのリボンは、リサの?」
「あ、うん、そうだよ。かわいいでしょ」クウは自慢げに見せびらかすように胸を張った。ちりちりん、と風鈴のような音がする――よく見ると首元には小さな銀色の鈴がついていた。「リサちゃんがさっき、これをくれたの。身に着けてると、なんだか力が湧いてくるような気がするんだ。リサちゃんはお守りだって言ってたけど……」
「リサはどこ?」
「リサちゃんを探してるの?」
クウが私の肩に乗るのを待って私は駆け出した。
「そこを右。リサちゃん、今日はずっと街に出てるって言ってた」
「魔法少女が自分の魔力で、『使い魔』を造り出すなんて……」
聞いたことがない。私はともかく、香苗さんでもそんなことができるかどうかは怪しい。
東さんのように、永い年月を生きた『魔女』のような存在でなければ、自分自身の魔力から新しい生命を造り出し、自分の身体から切り離して活動させることなんて不可能だ。ましてリサは、ついこの間魔法少女になったばかりのはずだ。この短期間でそこまでの力を身に着けられるとは考えにくい。
「ちょっと、そのリボンを貸して」
「いいけど、あんまり乱暴には扱わないでよ」
中くらいの背のビル、その屋上に立てられた看板の裏に隠れて、クウから受け取ったリボンを手に取った。小さなクウが身に着けていたチョーカーだけあって、ピンキーリングくらいの大きさに感じられる。
確かにリサの魔力を感じる。これはただの布と糸で作られたリボンではない。そっとクウに返すと、また首に丁寧に巻きつけながら、
「このリボンはリサちゃんと繋がってるって、リサちゃんは言ってた。だからなんとなく、リサちゃんのいる場所が分かるの」
「なんだか……嫌な予感がする……」
「嫌な予感?」
私はまた駆け出した。肩から飛ばされるナビに従って、ビルからビルへ、電柱から電柱へ。目の前にひときわ背の高い高層ビルが現れた。足先に力を集中すると、びりっとするような感覚――思い切り蹴り飛ばして身体がふわりと浮き上がる。まだ、身体が少し痺れている。
突然それが視界に飛び込んできた。
ビルを追い越し、平らなコンクリートの屋上が視界に収まったとき、そこに黒く膨れ上がった風船のような何かが弾けた。中から現れたのは、巨大なクジャクのような何かだった。マットブラックに染められた身体のあちこちに、電子基板のような赤、緑、青、黄色、紫、白――けれど、その瞳だけ真っ赤に爛々と輝いている。
すっと両足で人間のように立ち上がり、煌びやかに羽を広げる。
「グローパーだ!」クウが叫んだ。
言われるまでもなく背中の銃を広げ、空中で引き金を放つ。魔力の炸裂する音が二回、三回――弾丸がグローパーの広げた羽を砕き、青い光を放つ。
そいつが私を見た。
ビルの縁に着地した私に向かって、大きく腕と一体化した翼を広げ、威嚇するように叫び声を挙げる。見れば見るほど、グロテスクな外見だ。クジャクのようにきれいなのに、二本脚があって、腕があって、まるで人間にむりやり皮をかぶせて美しい鳥に仕上げようとしたようだ。
続けざまに弾丸を放つ。稲妻のように光を迸らせながら、グローパーの脆そうな身体を砕いていく。破片があちこちに散らばり、悲鳴を上げる。グローパーが動いた。太く筋肉が隆起した脚で地面を蹴り、こちらに襲いかかってくる。瞬時に銃を折り畳み、銃床の部分で頭部を打ち付ける。
きりもみしながら吹き飛んでいくそいつに、振り抜いた銃をその勢いのままで展開し、狙いを定める。放たれた弾丸が、まだ地面に着地する前のグローパーに着弾し、閃光に包まれて、もう何も残らない。
残ったのは、中身のたっぷり詰まった黒いライターだけだ。
「まだ強くなる前のグローパーで良かった。最近は妙なやつも多いから――」
「さすがですね」
その声は、クウのものではなかった。
振り返った。ビルの屋上の片隅に佇んでいたのは、真っ黒なアシンメトリーのセーラー服に身をやつした魔法少女だった。左半身を機械に覆われ、目を細めて微笑む。
あの時戦った魔法少女だ。
「あのグローパーをすぐに倒してしまうなんて。やっぱりあなたは、危険で邪魔な方ですわ、中井明日架さん」
言葉を交わす必要もない。
放たれた弾丸は、機械に覆われた左脚で蹴り飛ばされ、たちまち霧散させられる。続けざまに何度も放った弾丸を猫のような動きですべて躱したその後も、彼女が襲い掛かってくる様子はない。
「しつこい、な」念のために銃を真っ直ぐ地面に突き立てながら、「何のために私を襲う? 私がいると困る、あなたの目的はいったい何?」
「ふふ」
ただ笑った。
彼女は懐から何かを取り出した。身構える――意識は足元と耳に集中させる。あの時――前に新宿で戦ったときは、この魔法少女にはもうひとりの仲間がいた。けれど、周囲にはその反応はない。
彼女が取りだしたのは銃だった。
小さなピストル――いや、そう見えるだけだった。長いノズル状の銃身と引鉄、まるでキャンプの時に使うターボ・ライターのような形のそれを、彼女は左手でゆっくり取り出して、自分の胸に押し当てた。
ドラマでしか見たことがない。
まるでこれから、自殺でもするようなポーズ。
「重奏」
身体が真っ黒な炎に包まれた。
それを片手で振り払って現れたとき、目を疑った。赤いラインの入った黒いセーラー服。膝上までのスカート。真っ赤なリボン。その脚を覆うロング・ブーツには、まるで血管が這っているようなグロテスクな赤い紐がグルグルと巻き付いていた。
「ふう――ようやくまともな姿になれた」シャワーを浴びたあとのように、髪を手で梳きながら、「こんな面白いものがあることを黙っているなんて。揺もひとが悪いわ、さて……中井明日架さん」
その瞳は真っ赤に爛々と光っている。
まるで――グローパーのように。
「手加減無しですわ。今度はあなたの身体を、丸ごと吹き飛ばしてあげます」
深く身を沈め、軽く地面を蹴った、と思ったとき、既に私は背中からビルの縁に叩きつけられていた。その衝撃で我に返る。続いて走る激痛、そして奇妙な浮遊感――吹き飛んだ私の身体はコンクリートを砕き、そのまま宙に放り出されていた。
それに気が付いた瞬間に腹部に何かが突き刺さった。あの少女の鋭い爪先が、落下していく私の身体をさらに加速させる。
薄らいでいく視界に、近付いてくる地面が見える。
「まずい……!」歩道は通行人であふれている。
舌を噛みそうになるのを必死に耐えながら銃を広げ、真横へ引き金を引く。落下の速度はそのままに、身体がビルの壁面へ吸い寄せられる。地上はもう目と鼻の先、というところでコンクリートの壁面に爪先を付けた。
身体が磁石のように壁面に吸い付く。こういうビルは大概、鉄筋コンクリート造になっているはず――その読みは当たったみたいだ。電気の魔法を応用すれば、身体に磁力を纏わせるくらいは造作もない。身体に流れる電気の刺激に身体を痺れさせながら、頭上を見上げる。あの少女はいない。
悲鳴は足元から聞こえた。
下を見る。私の激突するはずだった地面の辺りに、黒い岩の巨人がそびえ立っていた。グローパーだ。通行人が悲鳴を上げながら、クモの子を散らすように逃げまどっていく。
「さあ、中井明日架さん」グローパーの真横に佇むあの少女が叫ぶ。「早くしないと、多くの人が犠牲になってしまいますよ? アメリカン・ヒーローごっこはやめて、降りてきてはいかがです?」
「あいつ……!」
言われるまでもない。グローパーが通行人に拳を振り上げる瞬間に私は壁を蹴って飛び降りながら、銃口を向けた。引鉄を引くと、その反動と落下の勢いが反発しあって私の身体を叩く。グローパーの身体を弾丸が砕いた三秒後、私は地面に足をつけた。
強い衝撃。
「その変身――」地面に立てた銃に蹴りを受け止められ、目を見開いている少女に私は言った。「どういう理屈か知らないけど、素人が私に勝てると思わないで」
そのまま指に引っ掛けた引鉄を引く。
地面に向けた銃口から放たれた弾丸が衝撃となって、少女の身体を叩いた。
私は銃を両手に構えて、正面から向かい合う。
「あなたとは違う。戦う理由も、戦い続ける意志も、戦ってきた時間も――」
ふふ、と彼女は笑った。
「残念ですが、ここまでのようですね」
その少女の頭上に、小さな影が差した。
次の瞬間、そこに何かがすさまじい勢いで落下する。粉塵を巻き上げ、一瞬だけ視界がくらむ。それが晴れたとき、もうそこに黒い少女はいない。
代わりにそこにいたのは――黄色いドレスに身をやつした、高いヒールの少女だった。
「リサ……!」
彼女は驚いたように私を見て、それから屈託なく微笑んだ。
「大丈夫ですか――明日架さん」




