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L-cone  作者: 王生らてぃ
第二章
37/93

【Prologue】天沼揺 / 鳴海みなと / 鳴海みらいは家族のために労働する

   【Purple】




 はい、これをどうぞ。



 ご存知ないですか?



 さいきん、この辺りで噂くらい、聞いたことがあるでしょう。



 …………

 あなたはどうしてこんなところにいるんですか?



 答える必要はないって?



 では、これもどうぞ――いえ、あなたのその服の胸ポケットの辺り。きっとこの銘柄の煙草がお好きなのでしょう。この辺りにいる方は、だいたいそうです。



 ライターがない?



 では、こちらをどうぞ。舶来品なんです。日本のものより、ずっと質が良くて長持ちしますよ。



 あなたはどうしてここに?



 …………

 仕事をしているけれど、家に住めないほど貧しいから?



 そのお金で日々、暮らしている。ここに住んでいれば、家賃を取られることもない、と。



 でも、ここは――



 電車のガード下なんて、ずっとこんな場所にいたら、耳がおかしくなりそうです。



 でも、雨風に晒されるよりずっとまし……ですか。



 もっともです。



 それは差し上げます。



 そのライターは、中に特別な植物のオイルが混じっているんです。



 …………

 良い香りがするでしょう?



 ……どうして泣いているんです?



 煙草なんて久し振りで、こんなにうまいものだったか……って?



 ふふ……



 今は、思う存分堪能してください。



 え?



 私は誰かって……そんなこと、どうだっていいでしょ?



 …………

 名前、ですか。



 天沼揺(あまぬまよう)



 気に入っているんです、この名前は。『お母さん』につけてもらったものだから……



 では、私はこれで。

 また、会えるといいですね……






   ○



   【Black/O】




 はい、これ、あげるよ。



 知ってるでしょ? 使うと一気にトんじゃえるっていうライター。



 知らない?

 遅れてるね。SNSとか見てる?



 ……

 別に怪しい薬じゃないよ。非合法とか、脱法ドラッグとかでもない。

 まあ、アロマキャンドルみたいなもんだと思って。

 中に黒い、どろどろしたモンが詰まってるでしょ。これ。

 これが、あの……なんだ。

 植物の種やら、根っこをくったくたに煮詰めて、炭化させたもので……



 とにかく買えよ。

 どうせ、職にもつかずふらふらしてるんでしょ?



 そんな目で見ないでよ。

 私も似たようなもんだよ。中学生に見えるでしょ? 歳はそんなもんだけど、学校にも通ってないし、親もいない。家族もいない。

 これ売って稼いでんの。

 あ……家族はいるか。双子の妹がひとり。



 あんたもネットカフェとかふらふらしてるクチでしょ。目と格好と匂いで分かるよ。あんたクサイもん。

 たまには湯船につかったら?



 そんなあんたにこれあげるよ。

 本当は、あんたには買えないような金額のものなんだよ。でも、あんたは一見さんってやつなんでしょ?

 千円でいいよ。

 騙されたと思って買ってみなって。

 千円以上の価値があるから。



 …………

 もう、何もあげないよ、私は。

 そんな目で見たってだめ。

 うぜーな。とっとと消えろ。

 ま、また会えたら言ってよ。次は安くするからさ。






   ○



   【Black/L】




 ふふ……あなた、とっても良かったです。

 こういうの慣れてらっしゃるの?

 わたし?

 わたしのことはいいじゃないですか。あなたのお話が聴きたいの。



 …………

 そう。

 どうりで良い身なりの方だと思いました。

 それで、こういうことをしていらっしゃるの?



 …………

 ふふ。隠しても分かりますよ、あなたの左の薬指のアザ。

 奥さんがいらっしゃるのでしょう?

 まあ、娘さんも?

 ちょうど私と同じくらいって?

 わたし十四ですよ。



 ……

 そうは見えない? もっと大人びて見える?

 ふふ。ふふふ。

 いえ、お気になさらないで……わたしは好きでやってるんです。



 わたしには親がいないんです。

 ええ。そう。双子の姉がひとりだけ……

 学校に通ったこともないんです。

 これでお金を稼いでいるんです。あなたのように、わたしを買ってくれる人から……

 だって、殿方というものは、こうすると喜ぶんでしょう?



 …………

 そんな悲しそうな顔をなさらないで。

 いいんですよ。あなたは、わたしに溺れて下されば……

 そんな気分じゃない?

 ふふ。では、今日はお開きにしましょうか。充分、楽しみましたわ。



 では、お別れのしるしにこちらをどうぞ。

 ライターです。

 あなたの髪の毛、ちゃんと洗ってらっしゃるけど、煙草の香りがしますわ。

 贈り物にライターなんて、気取ってますか? こんな小さな娘が。



 不思議な香りがするでしょう。

 特別なライターなんですよ。

 アロマオイルが中に詰まっていて……とっても香りのよい炎が出るんです。

 また、寂しい気分になったら、その炎で煙草をお吸いになってください。



 それでもわたしを忘れられなかったら……



 ふふ、そんなことがあれば嬉しいですけれど。

 あなたもお着替えになってはいかがですか?

 いつまでも裸のままだと。風邪をひいてしまいますよ。






   ○



   【Purple】




「揺」



 街をふらついていると、不意に声を掛けられて振りかえる。



「どうしたの、クウ」

「イリス様が呼んでいる。今日はもういいから帰ってきて、工房に顔を出しなさいと」

「わかった」



 お母さんがそういう時は、きまって私に大事な話があるときだ。私は鞄の蓋をしっかり締めて、駆け出した。このスニーカーは、お母さんからもらったお小遣いで買った大切な宝物だ。私は白より黒が好きだったので黒いものを買った。まるで、自分が浮いているように軽やかに走れるのだ。



 大通りを抜けて、商店街のアーケードを真っ直ぐ抜けると、背の低い雑居ビルの立ち並ぶ迷路のような場所が見える。そのビルとビルの間の湿った道を縫うように進み、一番奥の、錆びついた扉を開く。しっかり扉を閉めると階段を降り、地下の広い部屋に辿りつく。



 元は、人が集まってビリヤードやダーツをして遊ぶ場所だったらしい。でも、コンクリートの壁には明らかに人間の血液のようなシミがついていたり、拳銃の弾痕が残っていたりして、すごく、雰囲気がある。

 地下のその部屋から、更に地下へ続く扉を開く。ほとんど垂直に切り立った梯子のような階段を降りて、見えてくる扉。



 こんこん、とノックをすると、



「入りなさい」



 という声が聴こえた。



「失礼します」






 真っ暗な部屋。

 一面に雑多に積み上げられた本。事務机の上の燭台に照らされたお母さんの顔が、そこに浮かんでいた。お母さんはフラスコに白濁した液体を注ぎながら、私に微笑んだ。



「おかえりなさい、揺。今日もよくやってくれたわ」

「ありがとうございます」



 フラスコの中には、なみなみと注がれた透明の液体に、一本のハトの羽根が浮かんでいる。傍らに置かれた、黒ずんでひび割れだらけのビーカーに入れられた白濁した液体を数滴注ぎ込むと、今度は本と本に挟まれて自律していた試験管を指先でつまみ、中に入っていた赤黒い液体を数滴落とした。最後にポケットから取り出した葉っぱを指で千切り、ぱらぱらとふりかけて、コルクの栓をする。



燃えろ(KpBng)



 どこからともなく現れた小さな火が、フラスコの下で燃え続ける。

 お母さんは立ち上がると、指を鳴らした。本の隙間から、すっとクウが現れる。



「あとは任せるわ、クウ。火加減を見ていてちょうだい」

「はい。わかりました」



 うやうやしい言葉。クウは言われたとおりに、フラスコの周りに浮遊している。

 母さんは立ち上がって私を抱擁すると、すぐに腕をほどいて、じっと私の目を覗き込んだ。



「揺――あなた達は本当によくやってくれているわ。ありがとう。私のために、ここまでしてくれて」

「当然のことをしただけです」

「私のような『魔女』の娘でも――」その言葉を出すとき、決まって母さんは悲しそうな顔をする。「人間のように育ててあげたかった。学校に通わせて、同じ年の友だちを作らせてあげたかったのよ。でも、それはできなくなってしまった。それもこれも全て、あの忌々しい女のせい……!」

「お母さん。今の私たちの生き方は、私たちが自分で選んだことです」

「でも……私はあなた達を苦しめている……現に、こうしてあの女と同じことをしてる」



 お母さんは私の手を取って、子どものようにわんわん泣いた。

 私はそんな時、お母さんの頭を抱いて、そっと胸に抱いてやるのだ。

 私よりずっと長生きしているはずなのに、お母さんはいつまでも子どもだ。



「どうしたの、揺」お母さんは私のことをじっと、その灰色の瞳で睨みつけた。「どうして笑っているの? そんなに私がおかしいの? おかしい? おかしい? 嫌いにならないで、私のことを嫌いにならないで。お願いだから置いていかないで」

「そんなことしません。お母さん」

「よかったぁ」



 すっかり上機嫌になって立ち上がると、素肌にまとったルームワンピースを翻して、本の隙間に挟まっていたスマートフォンを取りだした。細い指先で画面をスイスイ操作し、空いた左手の指を前歯で甘噛みしながら、



「『世界塗り替え(AlOrTWd)』は、相変わらずうまく機能してくれているみたいね。ほんとうに便利だわ、このインターネットというものは――私が生まれた時代からは考えられない。こんな小さな機械で、この街中の人間の思考を丸ごと操作できるなんてね」






 二週間ほど前になる。

 私たちが街中にグローパーを巻き散らした、あの事件のあと――お母さんの作った魔法を元に、みなとが作ったあるデータが、世界中のネットに流れた。



 それはたった六秒ほどの映像。

 何てことない、架空の企業の宣伝映像に見えるが、実は特有の色彩と音楽によって、人間の記憶を改竄する効果がある。SNSや動画投稿サイト、パブリック・ビューイングなど、あらゆる場所で流されたこの映像を、この街のほとんどの人間が目にしている。

 たったそれだけで、誰も、何もかもを忘れてしまっている。あの日起こった事件を。

 あの時消えた建物も、あの時傷ついた街も、あの時死んだ人間も――

 誰も、何も覚えていない。私たち以外は。



「たかが電子情報だから、耐性のある人間には通用しないんだけどね。充分でしょう――ほんとうにあなた達はよくやってくれたわ」

「ありがとうございます」

「街の魔力もじゅうぶん。しばらくこのままでも満足よ。だけど」と、お母さんはそこで目を細めて、小さな犬歯をのぞかせた。「だんだん、飽きてきちゃった。そろそろ新しい味がほしいところね」

「新しい味……」

「揺。あなたにこれを預けておくわ」



 引き出しから取りだしたそれを、お母さんは私にそっと手渡した。

 見慣れた形のライター。でもケースは透明で、中の液体には色がついていない。向こう側の景色が、ほんの少し、レンズを通したように歪んで見える。



「きれいな人間から錬成した魔力を充填しているわ。以前に作った試作品とは比べ物にならない性能を発揮できるはず。あの女の作ったものより、ずっと強力な魔力を放出できるようになるわ。あなたがふさわしいと思った、そのように使いなさい。あなた自身が使ってもいい。あるいは、みなとかみらいに渡してもいいわ」

「でも、これは貴重なものでは?」

「だからよ、揺。あなたが使うのが、一番いいと思うもの」



 お母さんは最後に私の頬にそっと指を這わせて、軽くおでこにキスを残していった。



「少し外に出るわ。ずっとこもっていたから、お腹が空いちゃった」



 それだけ言い残してお母さんは出て行った。

 フラスコのそばで火の番をしているクウは、何も言わずにそれを見送る。私はひとり取り残された。片手には、透明な液体の詰まった、透明なライターが握られている。






「ああ、やっぱり戻ってたのね」



 上の階に戻ると、みらいが私ににっこり微笑んだ。

 その横で、みなとがダーツの矢を持って、円盤とにらめっこしている。すでにその中心には、矢が一本突き刺さっていた。



「今日の買い出しを賭けて勝負しているところなの。揺も混ざる?」



 私は首を振った。みらいがつまらなそうに鼻を鳴らし、みなとの様子を見ている。

 みなとはにべもなく、左手の矢を放つ。ゆるやかな放物線を描いて――円盤の中心に突き刺さる。みらいは軽く拍手をして、それからソファに頬杖をついた。



「つまんない。みなとちゃんがいっつも勝っちゃうんだもん」



 彼女は手近にあった雑誌を広げて読み始める。

 みらいとみなとは双子の姉妹だ。顔立ちはそっくりでも、ほかが何もかも違う。みらいは髪が長くて、少し背が低く、胸やお尻が大きい。みなとは髪を短く切っていて、背が高く、引き締まった身体をしている。性格などもっと似ても似つかない。彼女たちは互いに反目しあっていて、依存しあっている。それぞれ傷付けあい、憎みあっているのに、互いに存在していないとそれぞれの存在を保てない。

 まるで魔法少女とグローパーのよう。



「じろじろ見ないで。集中できないから」



 みなとは誰に言うでもなくそう言うと、三本目の矢を軽くほうった。今度もまた、円盤の中心に突き刺さる。私は無視して、部屋の奥にある給湯室に向かう。大量に、乱雑に積み上げられたミネラルウォーターのペットボトルを手に取って、少しだけ口に含む。最近水が美味しい。食べ物の味がだんだん、薄くなっていきているような気がする。



「ちょっと出てくる」



 とか、そういうことをふたりに言い残して私は部屋を出た。背後からみらいが、「だったら買い出しもお願いしていいかしら?」と、軽やかに言う。階段をのぼり、夜の闇が辺りを包む街へ踏み出した。

 ぬらっとした、鈍い熱気。

 ぎらぎら光る電飾の明かり。

 私は夜の街がすきだ。お母さんの匂いが、まだかすかに残っている。東京の夜は美しい。遠くから、電車の音が聞こえる。いつか私も乗ってみたい。大通りに歩み出て、いろいろな人とすれ違う。みんながほんの一瞬だけ私のことを見る。



 ひゅっと口笛を鳴らすと、どこからともなく小さなクウが、光の尾を引いてやってくる。こいつはついこの間生まれた、幼いクウだ。私の言うことをよく聞いてくれる。



「どうしたの、揺ちゃん」

「頼みがあるの。クウならできる?」

「できるよ、なんでも言って」

「新しい魔法少女を探してほしいの。それだけの素質を持った、人間の女の子を――ひとりだけ」

「え? いいけど、どうして?」

「お母さんのために――」



 たまには、美味しいものを食べさせてあげたいと思う。

 そう思うのは、きっと親孝行だ。

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