【Epilogue】魔法少女たちの夏の始まり
【White】
それを見たとき、私はひとりだった。
大和と映画を見た帰り道。あたりはすっかり暗くなって、新宿の夜の光が辺りを照らしているとき――たまたま、今日グローパーと戦った場所を通りがかった。その時は大和も一緒で、何気なくふたりで歩いているはずだった。
一瞬だけ私は見たのだ。
あの場所に佇む――真っ白な貴婦人の姿を。彼女はその場に立ち尽くして両手を広げ、大きく息を吸い込み――恍惚とした表情を浮かべたかと思うと、長い裾をアスファルトに引きずりながらその場を立ち去っていく。
一瞬だけ目が見えた。
灰色の目が。
こんなに暗いのに、どうして私は彼女の目を見ることができたのか。それは彼女の身体にぴったりと張り付くような、光のヴェールのような……
「千夏?」
気が付くと、私はうっかり立ち止まっていた。大和が鞄の中をまさぐりながら、私に駆け寄ってくる。
「どうしたの? 急に立ち止まって」
「ううん、なんでもない」
「急がないと、ライブの開場時間に間に合わなくなっちゃうよ」
いったい何だったのだろうか。
たった一瞬だけ、その姿を見たのに――なぜか彼女の姿は、強烈に脳裏に焼き付いたのだ。
○
【Yellow】
「りっちゃん、今日はもう休んだ方がいいわ」
東さんの工房へ行くと、がっちり鍵が閉じられていて、中に入ることすらできなかった。私は自宅まで戻ってから部屋にこもって、何も食べず飲まずでベッドに横になり、やることもなくスマートフォンを眺めていた。
『バイトお疲れ!』
という、駿介からの短いメッセージ。
罪悪感と達成感が同時に襲いかかってくる。私は『ありがとう』と、ただそれだけ変身して電源を切った。
「ねえ、りっちゃん……」
「私は大丈夫。ちょっと寝られないだけ」
頭が痛い。SNSのタイムラインを見ても、動画サイトの動画を眺めても、気分が晴れるどころか、頭痛が激しくなる一方だ。私は立ち上がって、キッチンでコップに水を汲み、ぐいっと飲み干した。
家族はみんな寝静まっている。もう日付が変わるころだ。
再び部屋に戻って、ベッドに横になる。私にはひとつ、気になることがある。
「どうしてニュースにならないの?」
新宿で、白昼堂々、あれだけの事件があったというのに――
ニュースや新聞はおろか、SNSでも全く話題に上がっていない。
まるで、人々の記憶から、すっぽりとそれが抜け落ちてしまったかのように。
「クウ、どうしてかわかる?」
「東さんのような、とてつもなく強い魔力を持つ人間なら、人間の記憶を書き換えるなんて、やろうと思えば簡単にできると思うわ。でも、これだけの人数をいっぺんにとなると……」
「……、だよね」
明らかに不自然だ。私は不思議の国か、オズの国にでも飛ばされてきたのかも知れない。それくらい、私だけが世界から取り残されているみたいで……
考えれば考えるほど、思考が絡めとられていくようだ。
「今日は、私もここに残るわ。りっちゃん、今日はもう寝ましょう」
「わかってるよ……」
枕にぎゅっと顔を押し付ける。
分かっているのだ。そんなことは。
「こんなとき……」
こんなとき、そばにいてくれたらいいのに。それはできない。
○
【Blue】
「ひばりが突然、発作を起こした」
という話を聞いたとき――私はいてもたってもいられなくなって、彼女の眠っている部屋に駆け込んだ。
苦しそうな表情と、上気した頬。掴んだ手は生気が抜け落ちたように冷たくて、でも、額に手をやるとひどい熱だった。
東さんが彼女の上半身を持ち上げて、なにか粉薬のようなものをそっと水で流し込む。そして、氷水で冷やしたタオルを彼女の頭に乗せた。私はその間ずっと、ひばりの手を握って、祈っていた。
「お願い、ひばり……!」
お願い――
このまま目を覚まさない、なんてことにならないで。
何時間、そうしていただろうか。
ようやくひばりの発作は収まって、熱も少し下がってきた。落ち着いてきたところで気が緩んだのか、私の頭痛が激しくなり、今度は私が東さんに介抱される番だった。
新しい薬をもらい、ぬるま湯で少しずつ飲む。自力で飲めるだけ、私はまだましな方だった。少し壁にもたれかかって休んでいたら、気分もよくなってきた。
「どうしていきなり、発作なんて」
「こんなことははじめてだ。今までなかった」東さんは困惑を隠さずに、「クウから今日のことについて、出来る限りの報告は受けている。明日架と翼が相対したという魔法少女のこと……きっと、無関係ではないだろう。やはり私の仮説が正しいようだ。一刻も早く、あのライターを奪還しなくては……」
私は焦っていた。
「あいつが魔法を使うたびに、こうしてひばりが苦しむんだとしたら……」
「ひばりの身体は弱っている――何年も目を覚ましていないからね。何度も発作に耐えられる体力が残っているかどうか……」
「そんな……!」
私は立ち上がって、すぐにふらっとその場に倒れた。東さんが駆け寄ってきて、
「明日架……! 君の身体も同じだ。しばらく変身するのは控えたほうがいい」
「でも!」
「君の方が先に壊れたら、誰がひばりを取り戻す? 安心しなさい――私ができる限りのことをする。ひばりを死なせたりしない。信じてくれ」
東さんの言葉は力強くて、私を少しだけ元気づけた。
「お願いします、東さん……ひばりのことを……」
「任せなさい」
その時――
「ぁす、か……」
不意に、その声は聞こえた。
「ひばり?」
「あすか……あすかぁ……」
ひばりの口がかすかに動いて――うわごとのように、私の名を呼んだ。
飛びついて手を取った。
「ひばり! 意識が戻ったの?」
「あすか……」
けれど、最後にそう言ったきり、彼女はまた意識を閉ざしてしまった。
東さんを見た。
彼女は神妙な面持ちで頷いた。
「ひばりも戦っているんだ。彼女のライターが活性化したことで、リンクしているひばりの精神にも影響を与えたのかもしれない。もしかすると……」
「意識が戻るかも?」
「だが、それによってどうなるかは……ひばり次第、だけどね」
穏やかな表情で眠るひばりに、私はもう一度、すがるように祈った。
額と額をくっつけて、必死に念じた。
「お願い……もう一度、目を覚まして……」
○
【 】
ただいま。
「おかえりなさい、お母さん」
みなと、みらい――あなた達も帰っていたのね。
「お帰りなさい」
「おかえりなさい……」
みんな、今日はよくやってくれたわ。おかげで、この街でもう少し快適に暮らせそうよ。
「お母さんのためですから」
けれど、揺。
「はい」
あなた――
魔法を全力で使ったわね?
「……、はい」
それほど追い詰められていたということかしら。あの人も、厄介な魔法少女を集めたものだわ。
「ごめんなさい、お母さん」
いいのよ、揺。
「お母さま、次はどうするのです?」
次とは? どういうことかしら、みらい……
「まさか、これでわたしたちの出番は終わりなのですか? わたしたちを、見捨ててしまうのですか?」
クスクス。
そんな訳無いでしょう? 貴女たちはみな――私の愛する娘なのですから。
「じゃあ、次は何をすればいいの」
これまで通りです。みなと――『世界塗り替え⦆』の調子はどう?
「言われた通りに……でも、効果があるの? こんなので」
現代の人間たちは、それを目にしないことはないわ。
大丈夫……貴女たちのことを覚えているものは、この世界にはもういない。
私を除いてね。
「ありがとうございます、お母さん」
「ありがとう……」
「ありがとう、お母様」
少し休みなさい。私も、これでしばらくは満足です。
その後は――
また、新しい『お菓子』を作りましょうか。
揺。私はまた工房に戻ります。任せましたよ。
「はい、おやすみなさい、お母さん」
ええ、おやすみ――――
さて。
次はどんなものを食べようかしら…………




