新宿騒乱-4
【Yellow】
巨大なリボンの騎士が、剣を振り上げる。鋭い動きで、黒い手袋の方の身体を貫き、吹きとばす。
もう一人の蹴りが突き刺さる。でも、リボンの身体はそれをものともしない。逆に足を絡めとり、掴み上げ、地面に叩き落とした。
「すごい……!」
その時だった。
どこか遠くから、歌のようなものが聞こえてきた。力強い女性の声と、可愛らしい少女の声……ふたつがハーモニーを奏でているような……
「なんだろう、これ……」
集中が切れる。
いつまでも、聴いていたくなるような歌声だった。身体が震える。奥底から力がみなぎってくるような、この感覚。いったいなんだろう?
遠くから聴こえてくるようでもあり、近くから聴こえるようでもある。不思議な歌……
「りっちゃん! 危ない!」
というクウの声で我に返った。
唐突に頭上から、鋭い金属片のようなものが落ちてきて、リボンの騎士を真っ二つに切り裂いてしまった。遅れて、そこに舞い降りてきたのは――
「魔法少女……! いったい何人出てくるの?」
「すみませんが、あなたを構っている暇はありません」彼女は私にわざわざ恭しく一礼すると、「みらい、みなと――退却します。余裕がありません、急いでください」
素早い動きで、それぞれの腕に黒い魔法少女をふたり、がっちりと抱え込むと、そのまま飛び去って行ってしまった。
リボンが解ける。
コスチュームが光って消える。からん、とライターが落ちた。もう一滴も残っていない。
「はぁ、はぁ、はぁ、はぁ……」
「りっちゃん、大丈夫?」
「大丈夫……じゃ、ないかも」
頭ががんがんする。
壁に手をつきながら、ようやく立ち上がり、ぼろぼろになった街を見た。ライターを拾いあげ、スイッチを押してみる、かすっ、かすっ、という乾いた音がするだけで、何も反応しない。
「これじゃ、戦えない……」
「無理しないで。いったん休みましょう、もう近くにグローパーの気配はないわ」
クウの言うとおりに私は、ふらふらと歩き続ける。
「がんばったわ、りっちゃん。あなたはとてもがんばった。今日だけで、六体もグローパーをやっつけたんだもの。それに、あの魔法少女たち相手にも、立派だったわ」
「でも、街がこんなになっちゃった……どうすれば……」
「それは後回しよ。まずはあなたの身体を休めることから」
裏通りの自動販売機までやってきた。汗が止まらない――手足の先から血の気が失せたように冷たい。でも、心臓はやたらと熱くて、インフルエンザに罹ったときのようにぼうっとした気分が消えない。
制服には傷ひとつない。
私はポケットから小銭を取りだしてお茶を飲むと、ほんの少し口に含んで、すぐ飲み込んだ。お茶って、こんなにおいしくない飲み物だったっけ……
「はぁ」
自販機に背をもたれて、天を仰いだ。
こんなにいい天気なのに、夏休みの初日だというのに――気分がちっとも晴れない。
今日だけで、いったい何人がグローパーに襲われて、戦いに巻き込まれて、傷ついてしまったのだろう。それを思うと、いてもたってもいられなくて――情けなくて悔しくて、でも涙すら出てこないほど、身体は疲れ切っていた。
「りっちゃん。魔法少女の力にも限界はあるわ。あなたは自分の出来る限りのことをして、精いっぱい頑張ったじゃない……」
「でも……!」
「それ以上は、欲張りよ。自分に出来る限りのことを、目の前のことを精いっぱいやらなくちゃ。それができたから、あなたは今日、立派な魔法少女だったのよ」
クウの言葉に、嘘でも少しだけ勇気が出てきた。
すると、目の前にふわっと、黒い人影が飛び込んできた。一瞬身構えたけれど、その雰囲気に見覚えがあって、すぐ緊張が解けた。
「頑張ったわね、リサちゃん」香苗さんは私の肩に手を置くと、あの時のようにそっと私を抱きしめて、「頑張ったわ、あなたはよく頑張った。それでいいのよ」
「香苗さん……でも……!」
「余計なことを考えては駄目。確かに犠牲や被害は、たくさん出たわ。でも、あなたがいなければ、それはもっと広がっていたかもしれない。あなたがいるというだけで、それは立派なことなのよ」
香苗さんの息は上がっている。
目が血走っていて、余裕がないように見えた。
「香苗さん、どうしたの……?」
「なんでもない」彼女は私に、中身の詰まった黒いライターをみっつほど手渡して、「今日はもう変身しては駄目。騒ぎはだいぶ収まりつつある――自分の身を守ることだけ考えて、すぐに家に帰りなさい。あとは私たちに任せて」
「どこに行くの?」
「ちょっと、ね」
そのはぐらかすような言い方は、ちょっと不自然で、私の心に波風を立てた。
「またね」
香苗さんは飛び立ってしまった。
そこには、緑色のきらきらした火の粉が舞っていた。
私はペットボトルのお茶を、少しずつ、少しずつ――中身が無くなるまで飲んでから、黒いライターの中身を、自分の黄色いそれに移し替えた。
なみなみと注がれていく透明でさらさらしたオイルに比例して、私の気分は少しずつ良くなっていくような気がする。
「これって……」
「きっと魔力に中てられたんだわ」クウが私の肩でそっと囁いた。「ライターそのものに、人間にとって害になるものはないけれど、なんだって急激かつ大量に摂取すると、毒になるものよ」
「それって、どういうこと?」
「今日のりっちゃんは、これまでになく長い時間、魔法少女に変身して、そして戦っていた。たくさん魔法を使って、最後には、あんなに強い力を発揮してしまった――ライターの中身を使い切ってしまうくらいにね」無我夢中で作り出した、あのリボンの巨人を思い出す。「それが、りっちゃんの身体に急激な負荷を与えてしまったの。中毒症状みたいなものね。香苗さんが『今日はもう変身してはいけない』と言ったのも、きっとそのせいだわ。重症化しないうちに、毒気を抜いてしまった方が、あとあと尾を引かないということだと思う」
「そっか……」
ぜんぶの中身を補充しても、オイルは八割ほどしか充填できていない。
けれど、気分はだいぶ良くなった気がした。
「りっちゃん、帰りましょう。それとも……東さんのところに寄っていく?」
「……、そうしようかな」
私は一歩一歩をしっかり踏みしめながら、歩き出した。
出来るだけ真っ直ぐ、真っ直ぐ……背筋を意識して。
「きょうは、大変な一日だった」
でも、大通りに出たとたん――
あの殺伐とした戦いが嘘のように、そこには、いつも通りの喧騒が広がっていた。いつも通りの街並みが。制服を着た女子高生が騒ぎ、大学生のグループが集まって歩いている。路上でアンプを広げてライブをしている人がいる。宗教の勧誘をしている人がいる。ダンボールで寝転がるホームレスがいる。
「どういうこと……」
不気味なほど、それはいつも通りだった。
○
【White】
歌が聞こえた。
聞き覚えのある声が。
「なんだろう……?」
この、心臓をわしづかみにされるような力強さ。
覚えがある。
はじめて、大和に貸してもらった、『Pisces』のCDを聴いた時と、同じような感覚。自分の身体と、音楽が一体になるような――
けれど、その歌は風に掻き消えてしまうように、すぐ、聴こえなくなってしまった。
「気のせい……かな」
私は止まった足をまた、駆けさせた。
大和は映画館に隣接した、少し洒落たレストランのような場所の前で待っていた。
「もう、はぐれちゃうなんてひどいよ。千夏らしいっちゃらしいけど」
「ごめんね。せっかくだから、ひとりで街を歩く練習をしようと思って」
「ふふ。まあ、いいけどね」
SNSでも見ていたのだろうか、スマートフォンをしまいながら、私たちはエスカレーターに乗り込んだ。
「そういえば、今日って何かお祭りか何かだったの? なんか、街のほう、すごく騒がしかったよね」
「うん、そうみたい」
「なら、そっちに行けばよかったかな? 私、お祭りとか結構好きなんだ」
「そうそう」私は大和に伝えたかったことを思い出した。「夏祭りに行きたい」
「夏祭り?」
「なんだろう、浴衣を着て……花火大会とか……ええと、」
「いいよ、夏の思い出ってことで、行こうか。たぶん八月の終わりくらいにあると思う。宿題とかぜんぶ済ませるのが、参加条件ってことで」
「そうだね」
映画館のあるフロアに着くと、やはり、というべきか――学生たちでごった返していて、やたらとざわざわしている。チケット券売機の前には長蛇の列ができていて、見るだけで億劫になってしまうほどだった。
でかでかと浮かぶ巨大なポスターを見ながら、私たちは壁際に寄りかかって、
「どれがいい?」
「うーん」
恋愛、アクション、ホラー。アニメ映画もある。
「大和は?」
「私は……これ、とかどうかな」いつの間に持っていたのか、手元のパンフレットで指さした。それはコメディタッチの恋愛映画だった。「いちばん、ハズレじゃなさそう」
「なんか、消極的な理由だね」
「でも、反対に一番積極的に見よう! って気分になるよ」
「じゃあそれにしよう。チケットって、どうやって買うの?」
私たちは券売機に並んで、じっと自分たちの番を待つ。
周りの人間はみんな、スマートフォンの画面に見入っている。私はSNSや動画サイトを積極的に利用するわけじゃないから、何がそんなに面白いのか分からない。
「ねえ、千夏。ほんとうに何もなかったの?」
急に大和が私に囁いた。
「何もって?」
「はぐれてる間だよ。何か、あったんじゃないの?」
「いろいろあったよ。それはもう」
「いろいろって?」
「例えば……そうだ、路上ライブとか見たよ。ちょっと立ち止まって、聞き入っちゃった。新宿って路上パフォーマンスが多いって、大和が言ってたからさ」
私が思い浮かべていたのは、明日架の姿だった。
「そうなんだ」
「大和は? 待ってる間、何してたの?」
「待たせておいて、それ聞くんだ? すごい度胸だね」と言いながらも、大和はくすぐったそうに笑いながら、「クレープ食べたり、あとは本屋に入ったり、それくらいかな。言っても、一時間もなかったから、ぜんぜん待たなかったよ。千夏が街歩きに慣れてないの、知ってたのに、ぐいぐい行っちゃってごめんね」
「気にしてないよ」
「映画見て、仲直りしよう。あれやろうよ、ひとつのポップコーンをシェアするの」
「ポップコーンはうるさいから嫌だなあ」




