新宿騒乱-3
【Blue】
唐突に、それは横から吹き飛んできた。
香苗さんの全力の魔法――ビルひとつを丸ごと飲み込んで破壊してしまうほどの衝撃に身体を叩かれて、吹き飛んだ先のビルで私は呆然と立ち尽くしていたところだった。足元にヘリポートを表すマークがでかでかと浮かんでいる。
あのビルのあった方角を見る。
信じられないことに私は上のほうへ吹きとばされたらしい。さっきより明らかに高い位置に視線があった。そこに、さっきまであったはずのビルはもう無い。
ビルだけじゃない――そこにいたはずの、数多くの財産や命も、共に失われてしまっていることだろう。叫んで、暴れ出したい衝動にかられた。
香苗さんのしたことは、決して許されることじゃない。
けれど――
そう考えているさなかだった。猛烈な勢いで吹き飛んできたそいつは、ビルのフェンスを破り、コンクリートにめり込んで、金属の扉を破ってその中へと転がり込んでいった。
次に私の目の前に、真っ赤なマントを翻しながら小さな人影が現れた。
「あんたは……翼?」
「あっ。なんだっけ、あの時の」そいつは巨大な剣を、何かが吹き飛んだ先に構えながら、「邪魔しないでよ、いま、大変なんだから。なんか、ヘンな魔法少女が急に襲いかかってきたんだ。すごく、強いよ。だから邪魔しないで」
ふふん、と翼は笑っている。
ゲームをする小学生のように。
「あんた――」と、いいかけて足元の床が消えた。いや、そういう風に感じただけだ。膝から崩れ落ち、平衡感覚が消失する。心臓が激しく不規則に脈打って、突然、激しい頭痛に襲われた。
両手で頭をおさえて、その場に転がり込んだ。
とても立っていられない。まともな感覚ではいられなかった。
「こん、な、時に……!」
魔力の発作だ。
ここしばらくは、東さんの薬で抑えられていたはずなのに。視界がぐるぐるする。あらゆる音が脳の中で三百回以上は響き渡って、とてつもない騒音に変わる。
てちかちとくにみらのらのらすらきちのらてちすいかいにのなみらきちてちのちすなとにみつらなきちこちのなこちのなかららからてらかちかいすなのらのんななきちのなすなとにのなみちかかいもいもちにきちとなすなきなすなきなすなきすなきなすなきなきなすなきなとにのちにきちもちてちすなといのちにきちもちてちすな――――
すっ、と光が見えた。
新鮮な空気の味がして、汚れが吹き飛んでいくように視界が鮮明に変わる。
「もう大丈夫だよ」
翼の声がする。
差し伸べられた小さな手は、私の頭にそっと触れていて。ぼんやり光っていた。
「なにを……」
「苦しそうだったから、少し助けてあげただけ」かん、かん、と金属を叩くような音がした。翼はその音の鳴るほう――吹き飛んだ扉の方を見ながら、「魔力が足りてないみたいだね。僕の後ろで休んでいなよ。あいつは僕がやっつけるから」
その時だった。開きっぱなしの扉の方から、轟音を立てて鋭い何かが飛んできた。
ギロチンの刃。
翼は真っ赤に光る巨大な剣を片手で軽々と振り回し、それを叩き落した。鎖につながれたギロチンは、すぐに引っ込んでいく。
「――まったく、予想外です。ここまでの魔力があるとは」
その声ははっきりと聞こえて、嫌というほど脳裏にこびりついていて、何より肌に感じるこの魔力の震えが、私を立ち上がらせる。
不協和音のように、聞くに堪えない魔力の波の中にかすかに感じる――とても懐かしい感覚。忘れられるわけがない。集中すると、確かに感じられる――
「ひばり……!」
彼女の悲鳴が聞こえてくるようだった。
目の前に現れる、ギロチンを携えた魔法少女。ひばりが纏っていた、優雅で美しい紫色とは違う――いろいろな色を煮たくった末に出来上がってしまったような、汚らわしい紫色の魔力を纏った彼女が、
「中井明日架」じっとりと、私を見た。「中井、明日架――良い機会というべきでしょうか? 今日こそあなたを排除します。『お母さん』もそれを望んでいます。ので」
「お母さん?」
翼が素っ頓狂な声をあげた。
目を丸くして、目の前の少女に、無邪気に言った。
「お母さんに言われたからって、こんなことをしているの? つまんない人生だね」
あの少女の様子が変わった。
電池が切れたロボットみたいに身体を大きく震わせると、そのまま動かない。瞬き一つせず、翼を見ている。
「僕はクウからこれを貰ったおかげで変身してるけど、あのモンスターと戦ったり、悪いことをしている人をやっつけたりするのは、僕がそうしたいからしているんだ。誰かに言われたからじゃないよ。でもお前は、人に言われたからって、誰かを殺したりするんだね。僕だったらそんなのは嫌だな、ちっとも楽しくなさそうだもん」
「あああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああ――――――――!」
声にならない叫び声をあげて、そいつは襲いかかってくる。
憤怒の形相。
足はもつれて、視線が定まっていない。翼はふん、とつまらなそうに鼻を鳴らすと、
「犬みたいだなぁ」
片手で剣を振り上げ、横に払った。
夕日の沈んでいく地平線のように――元旦の朝日が昇る海岸線のように――真一文字に空間が、文字通り焼き切れた。
少女の身体が、腰のあたりで真っ二つに分かれた。
街が一瞬で静かになったように感じられた。どさっと、ギロチンの少女の亡骸だけが、そこに取り残されていた。
「そんなことで私は屈しないです」
その声は背後から聞こえた。あのギロチンの少女が、何事もなかったかのように佇んでいる。
「いえ、私たちは屈しない、はい」
同じ声が背後から聞こえた。寸分たがわず同じ姿の魔法少女がそこにもいた。
「本当はここで、この姿をさらすのは不本意です。でした」
「ですが、あなた達の脅威度を必要があります。改めるための」
「あなた達を排除する。
「排除します。する。しませない」
「排除します」
「排除」
「排除」
「排除」
「うわあ。まるでゾンビみたいだ」
翼の声は呑気だった。彼は自然に私の背中に自分の背中をくっつけて、ふらつく私の身体を支えながら死角を補う立ち位置を取った。
この広いビルの屋上に、同じ姿をした魔法少女が、十五――十六――とにかく、たくさん。
これが、この少女の魔法?
いつの間にか、身体を両断された死体は消えてしまっている。
全員がギロチンを構え、ぬらっとした視線で私たちを見ている。
翼が巨大な剣を構え、大きく振り上げた。その場に強い風が吹きつけ、天に真っ直ぐ掲げられた剣に巻き付いていくように集められていく。
「伏せて。頭隠して」
「なにをするの――」
「とにかくまとめてやっつけるんだよ!」
私の返事を待たずに翼が剣を真っ直ぐ振り下ろした。
言われたとおりに膝を屈め、頭を隠す。だから私は何が起こったかよく見えていないけれど、とにかく――雷が目の前に落ちた時のような轟音と、吹きとばされそうになる暴風が私を包んだ。
「もういいよ。大丈夫」
といわれて顔を上げたとき、魔法少女はひとりも残っていない。
「あんた……」
「翼。椎名翼! あんたじゃない、ちゃんと名前で呼んでよ」私を睨みつけながら、「明日架、っていうんだろ。呼び捨てだと気に食わない? 明日香さんって呼んだ方がいい、それとも明日架先輩がいいかな?」
「明日架でいい」
私はもう翼の方を見ていない。
周囲に感じるこの魔力……いくら耳を塞いでも響いてくる、パブリック・ビューイングの騒音に似ていた。
「あなた達を排除する」
「ここで排除する」
「します」
「するんです」
次々に現れる、ギロチンの魔法少女たち。
「まだ来るの?」
翼がうんざり、という風に肩を落とした。しかし、すぐに襲いかかってくる気配はない。
「翼。どうしてあいつと戦っていたの?」
あれだけの魔法を行使した後だというのに、翼はけろっとしていた。
「どうしてって言われても、向こうから急に襲いかかってきたんだ。今日は終業式だから、学校が早く終わって……それで、下校しているときに、あいつらを見つけたんだ」
「グローパー、ね」
「倒して回っているうちに、だんだん街のほうに来ちゃって……そしたら急に、あの魔法少女が襲い掛かってきた。で、思い切り吹きとばしちゃったから、追いかけてきたんだよ。そしたら明日架がいたんだ」
「こんな風に」私は周囲を見回して、「何人も出てきたりは、した?」
「ううん」
なぜかは分からないが、あの少女は自分の魔法をひた隠しておきたいらしい。
それを、ここで見せてきた。よほど余裕がないのかもしれない。それだけ私か、あるいは翼が危険視されているということだろう。しかし、厄介なのに変わりはない。
「協力して。翼」今度は私が、翼に背中を預ける番だった。「この魔法少女だけじゃない。いま、この街にいるグローパーも、まとめて倒す。力を貸して」
「そんなことできるの? 僕でも出来ないのに」
「ふたりで力を合わせればできる」
「どうやって?」
魔法少女の数は増え続ける。三十、四十じゃきかない――向こうも本気ということだろうか。これじゃあ、どこに本物がいるのかもわからない。
ぶっつけ本番でも、やるしかない。
マイクを地面に突き立てる。翼の心臓の鼓動と、魔力の波が伝わってきた。ハイビートでアップテンポな、アニメの主題歌のような力が伝わる。私に聞こえるなら、翼にも、同じものが聞こえているはず……
「聞こえる?」
「うん。これは……」
「翼、音楽は好き? 歌ったり、楽器を演奏するのは」
「嫌いじゃないよ。それとこれと、どう関係があるの?」
「ふたりで、いまから一曲、演奏してみましょう」翼の困惑する表情が見えるようだった。でも私は振り返らない――合わせた背中から、心臓の鼓動を感じる。「もちろん、ただ歌って踊るだけじゃない。あいつらをまとめてやっつけるために、必要なこと。わかるかな」
「わかんないよ。大人なんだから、もっと具体的に指示してよ」
「じゃあ、私が歌う。翼はそれに合わせて、リズムを取って。カスタネットを叩いたり、手拍子したりするように。その代わり、なにを使ってもいい。その大きな剣でも、手でも足でも」
ぴりぴりと背中がしびれる。
ギロチンを携えた魔法少女が、ゆっくりと近付いてくる。
「OK?」
「やってみるよ」
「じゃあ、始めるよ。合図にのって、せーの、」
1、2、3、4――――




