新宿騒乱-1
【Yellow】
「ごめん、ちょっと!」
「は?」
「急に呼び出されちゃった! バイト先の人! 先に帰ってて! また埋め合わせするから」
「お、おい!」
と、うろたえる駿介を尻目に私は駆け出していた。
『新宿の中心街。歌舞伎町近く。グローパー大群』
という、短いメッセージ。送り主は香苗さんだった。私はとにかく、ひと目につかない場所を探して駆け出していた。
『すぐいきます』
短く返信する。
学校の通りを抜け、商店街をくぐり、その脇へ――ここ最近歩き回ったおかげで、裏通り、人気のない所なら熟知している。しばらく行くと公園が見えてくる。大きな木がたくさん立っている、その一本――春はあんなにきれいな花を実らせていた桜の木の下。
ここに入れば、ちょうど正面以外の場所からは完全に死角になる。
そこには私が望んでいた通りの待ち人がいた。人ではないけれど……
「ここに来ると思ったわ、りっちゃん!」
「どうなってるの? こんな昼間から、グローパーが……しかも新宿って!」
「わたしにも分からないの。どうしてこんなことになっているのか……いま、この街じゅうの魔法少女がそこに集まっているらしいわ。でも、とても足りないって」
「変身」
息を潜めながら、静かにライターのスイッチを押す。もどかしくてすぐに飛びだして、電柱を蹴った。
「新宿駅は……確かあっちだ」
「急ぎましょう。みんなもう戦っているはず……!」
言われるまでもない。
せっかくの夏休み初日だったのに――なんて愚痴っている暇もない。そんな余裕がない。家の屋根を蹴って、山手線の線路の上を追い越し、更に駆ける。
パラソルを握りなおして、しっかりビルの屋上を蹴る。
だんだん、私の耳にも聞こえてきた。悲鳴、咆哮、破壊音。
「あそこ!」
ビルの屋上が不自然に真っ赤に染まっている。一瞬、あの清涼飲料水の看板かな――と、思うくらいに鮮やかな。その中心にぽっつりと佇む、黒い人間のような影。
思わずリボンをほどいた。それを電信柱に括りつけ、ハンモックのように袋状に編む。そこに持たれて、口に手をおさえて必死に吐き気に堪えた。ここまで臭気が漂ってくる様だ。一度見てしまったそれは、目を閉じるたびにフラッシュバックして、こびりついて離れない。
「ひどい……!」
「……、へたれてる場合じゃないわ。犠牲者が増える前に、あのグローパーをやっつけるのよ」
「ごめん……あと少しだけ……」
深呼吸をする。じりじりと照り付ける日差しが、私の胃の中を熱して、ひっくり返そうと躍起になる。
頬を叩いた。
悲鳴が聞こえる。そうだ――私は、こういうもののために魔法少女になったんじゃ、なかったのか。
「行くよ、クウ」
「りっちゃん……!」
私は駆け出した。
ハンモック代わりにしていたリボンをパラソルに巻き付け、らせん状の槍に変えて。ビルを蹴り、壁を蹴り、駆け出す。
「やああああああああ!」
グローパーが振り返った矢先に、脳天にその切先を突っ込んだ。
「ううううううう……あああああああああ!」
もっと奥に突っ込む。頭蓋に亀裂が入り、くぐもった叫びが私の身体を振動させた。もっと、もっと……このまま心臓を貫く勢いで!
無我夢中だった。周囲に漂う、異様な臭気。
気にしない。
気にしない、気にしない、気にしない!
「早く……死んでええええ」
お腹に何かが突き刺さった。
見ない。熱い。痛い。でも真ん中の辺りだけ異様に冷たい……気にしない!
そのうち、がくっと私の身体が落ちた。
グローパーの身体が真っ二つに裂けて、黒い液体が流れ出す。私のお腹に突き刺さっていた腕も、ひび割れた頭も――風と一緒に塵になって、消えていった。
あとに残されたのは、黒いライターだけ。
膝から力が抜けて、へたり込みそうになるのを、パラソルを杖代わりにして堪える。
「だめだ……こんな程度で崩れちゃだめだ」
「りっちゃん……」
お腹の傷が、ビデオの逆再生のようにふさがって元通りになっていく。
黒いライターを拾い上げ、中身を自分のそれに移し替えた。まだ、ざわざわとした騒ぎが聞こえる。私のいるビルの、すぐ真下のほう。
「行くよ」
「りっちゃん、無理はしないで、戦うためには……」
「いいの、やらなきゃ、魔法少女だから戦わなきゃ。戦えない人たちの代わりに、みんなを守らなきゃ」
飛び降りる。
パラソルを広げて、おとぎ話のようにふわふわとゆっくり降下していく。
そこで私を見上げたのは、さっきと似たような赤い目をした、金属質の怪物。
○
【Blue】
出会い頭に、覗きこんできたグローパーの頭を撃ち抜く。
魔力にはまだ余裕がある。足元に伝わってくる波――グローパーの数はまだまだ減る気配がない。
「この街の、どこにこれだけの数が……!」
おかしい。
これまでグローパーは突発的に現れるばかりだった。それを、私たちが見つけて倒す。その繰り返し。これだけの数が一挙に、それもこの場所にまとめて現れるなんて――
いや、そんなはずはない。
「ここだけに現れるわけがない……!」
まずい。この新宿以外に、別の場所でもし、同じようにグローパーが大量に出現し、暴れ回っているとしたら? いま、この場所には私と千夏、香苗さんがいる。リサも向かってきている。
自由に動けるのは――
翼しかいない。あの赤くて小さい、魔法少女だけだ。
グローパーの雄叫びで我に返る。すぐ目の前に迫ってきていたそいつを、やみくもに引いた引鉄が粉砕した。
振り返る。
千夏の周囲は、真っ黒に染まっていた。グローパーから漏れ出した魔力が形になったもの。彼女以外に、動くものはない。辺りに漂う異臭は、たぶん――
彼女は立ち尽くしていた。
目を閉じている。
微笑んでいる。
まるで、懐かしい故郷の土でも踏んだみたいに。
「千夏」彼女は目を開いただけで、こっちを見ようとしない。「私は行く。ここは任せる」
彼女は答えなかったけれど、私は跳んだ。
身体がびりっと震える。ビルを超え、壁を蹴って、四方を壁に囲まれた立体駐車場のてっぺんへ。
マイクを突き立て、息を大きく吸い込んだ。
街じゅうのノイズにも負けない。この広さにも騒音にも負けない。
今までで一番大きな声を出すつもりで――!
「AAAAAAAAAhhhhhhhhhhhh――――――――!」
○
【White】
思わず耳を塞ぎたくなるほどの大音声が、背骨を叩いた。
遥か高く、はるか遠くからそれは聞こえてくる。
どこかで聞いたようなその声……
そうだ、この叫び声は。いつも電車の中で、ヘッドホン越しに聞いている声……?
「まさか、ね」
周囲の建物がびりびり震える。
あちこちに落とされた黒い液体が、磁力を帯びたようにうねり、波打った。それは突然震えだしたかと思うと、ばちっと感電したような音を立てて弾け跳び、消える。
明日架の声に震えるのは、私や建物だけじゃない。私の影もそうだった。大きく揺らめき、小刻みに震え、青い電気のような光がばちばち閃いた。
「ッ!」
頭の中に一瞬、強い衝撃が走った。脳と頭蓋骨の隙間に、なにか金属の棒を突っ込まれたような――
「 」
「――、……、…………?」
「 」
「 」
「 」
「 」
「――――」
「……は……べつな……」
「……くらな……あぶ……せきに……」
「かんけ……」
「きみは……なつ……」
ぶつっと、ヘッドホンのプラグを引き抜くみたいに唐突に切れた。
「今のは……」
――しんと静かになった。耳がおかしくなったのかと思った。
影は元通りになっている。
周囲に、何の気配も感じない。かえって不気味な、この感じ。
私は軽く壁を蹴って、ビルの屋上に飛び乗った。グローパーの姿はない。あれだけ聞こえていた悲鳴や騒音は、嘘だったように消えてしまっている。
どこに行ってしまったんだろう。
壁を下り、もとの地下駐車場へ。鞄はちゃんと、そのままの状態でそこにあった。変身を解き、スマートフォンで時間を確認する。十三時五十分――急いでいけば、映画館での待ち合わせには間に合いそうだ。
大和からメッセージの返信が届いている。
『了解! 迷ったら連絡してね!』
急がなくちゃ。
私は鞄を手に駐車場を出て、静かになった街へ出た。野次馬はすっかり消えて失せたと思っていたのに、ちょっと大通りに出ればもう、いつも通りの都会が広がっている。
不思議だった。
「でも、映画が中止にならなそうでよかった」
私は駆け出した。
人混みは少し薄くなっていて、小走りくらいがちょうどいい。




