表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
L-cone  作者: 王生らてぃ
第一章
27/93

鷺宮千夏 / 中井明日架の夏休み-1

   【White】




 終業式は退屈だけれど、校長先生の講和にはためになることもある。私が通っている中学校の校長先生はクリスチャンの女の人で、こういう式典の時はいつも聖書のことを喋る。先生は人に話を聞かせるのがとても上手だ。これを聞かずに寝ているのは、ちょっともったいないと思う。



 いちいち詳しいことまで覚えてないけれど、今日の話は「麦の種をまく人」の話だった。私はこの話を聞きながら、周りのクラスメイト達の表情を見た。退屈そうに欠伸をしている男子、いらいらと貧乏ゆすりをしている女子、既に半分眠っている生徒……話を聞いているのは、たぶん半分もいない。

 つまりそういう話だった。

 蒔いた種は、かたい地面に落ちてすぐに枯れたり、あるいは鳥に食べられたり、他の植物に遮られたりして、健康に育つものはほとんどない。例え健康に育ったとしても、その中には毒が混じっていたりもする。

 私はどれだろう。



「校長先生の話、難しくてよくわからないけど、面白いね」

「千夏って、そういうところ、真面目だよね」



 通知表と期末テストを鞄に詰め込んで、私は大和といっしょに街へ足を運んでいた。部活の忙しいあれこれがひと段落したころらしく、数日の間は休みをもらえているらしい。しかし、下旬に入るとまた練習が忙しくなるのだそうだ。



 それにしても蒸し暑い……

 コンクリートの街に、ゆらゆら陽炎が立ちのぼっている。ギラギラ光る太陽が、私の身体を内側から熱しているような、この嫌な感じ。私はもっと涼しい季節が好きだった。何もしていなくても、汗がだらだら流れてくる。

 大和は汗がよく似合う。少しだけ焼けた肌がそう見せるのだろうか。腕や足は引き締まって、皮膚の下の筋肉の強さを表しているようだった。



「真面目ってなんだろう」

「誰も校長先生の退屈な話なんて、ちゃんと聞いてないよ。でも、千夏は相槌まで打ちながら、興味津々って感じでさ。クリスチャンなの?」

「ちがうよ」



 誰かのお墓参りをしたことはない。したくても出来ない。

 お父さんのお墓は――どこかにはあるんだろうけど、私はそれを知らない。

 でも私は聖書を直接読んだことはないし、毎週日曜日の朝に教会に行くような習慣もない。



「それじゃあ、他のクラスの人たちは、校長先生が話している間は何をしているの?」

「私は、次のことを考えてる」

「次のことって?」

「これが終わったらどうしようかな、ってこと。終業式が終わったら、ロングホームルームが終わったら……」

「それじゃあ、今は」遠くで電車の警笛が聞こえる。「家に帰ったらどうしようって、そう思っているの?」

「千夏は目の前のことに一生懸命だってことだよ。私は集中力がなくて、あきっぽいから、いつも次のことばっかり考えてる。ここじゃないことのこと」



 大和の話はちょっぴり哲学めいていて、頭がこんがらがりそうになる。



「それで、今日はどこに行こうか?」

「取りあえず……」と、私は目の前のチェーンの喫茶店を指さして、「あそこで休んでいこう。暑い……冷たいコーヒーが飲みたい」

「賛成」






 冷房の効いた店内は、老若男女を問わずごった返していて、喫煙席のすぐ近くの二人掛けの席だけが空いていた。私はアイスコーヒーを頼み、大和はアイスティーとチョコレートケーキを注文した。



「やっぱり、混んでるね。座れてラッキー」

「今日から夏休みだからね。一口食べる?」大和が差し出したフォークの先に乗ったケーキを、そっと口に入れて咀嚼する。「夏休みかあ。部活も、宿題も忙しいし、ちっとも休めそうにないな。だから、今日ぐらいは思いっきり遊びたい。千夏、付き合ってくれる?」

「もちろん。どこに行くの?」



 大和はフォークを口にくわえたまま、両手で鞄をまさぐると水色のノートを取り出した。そこにはこう書かれていた、『映画館』『喫茶店巡り』『古本屋巡り』『CDショップ』→『ライブハウス』。



「ライブハウスは確定なんだね?」

「うん、十九時から。そんなに大きいライブじゃないし、入場料も安いよ。『Pisces』のライブに行く前に、ウォーミングアップってことで。でも、そこまでどう時間を潰すのか、決めかねてるんだよね。千夏がこれと思ったものにする」

「じゃあ……」



 私はたっぷり悩んで、直感で決めることにした。



「映画館にしようかな。何を見るの?」

「映画館に行って、それを決めるんだよ」



 ノートをいそいそとしまい込むと、ストローで一気にアイスティーを吸いあげ、ケーキもひとくちに全部食べてしまった。



「じゃあ、行こう、さっそく」

「待って、待って」



 コーヒーはまだ半分も減っていない。半ば腰を浮かせていた大和を落ち着かせて、私は溜息をついた。



「もうちょっと、ゆっくりしていこうよ。せっかくだし」



 大和はしぶしぶ、と言った感じで、また椅子にゆっくり座った。




   ○



   【Blue】




「あら、明日架じゃない」



 ちょっと休憩をしようと立ち寄った喫茶店の出入り口にいたのは、すごく小さなノートパソコンを開きながらコーヒーを飲んでいる、スーツ姿の香苗さんだった。今日が終業式だということをすっかり忘れていて、バンドの練習を夕方に設定してしまったせいで、ひどく時間が空いてしまった。暇つぶしと思って入った喫茶店も混みあっていて、同じように終業式を迎えた学生たちでごった返していた。



「よかったら、一緒に座る?」

「……じゃあ、そうします」



 私は手早くアイスコーヒーを注文すると、隣の席に座っているライムグリーンのネクタイのサラリーマンに邪魔にならないよう、そっとギターを自分にもたれさせた。香苗さんは、ふふ、と目を細めて微笑むと、パソコンのキーを叩き続ける。



「そうか、今日から夏休みの学生が多いのね。それで混んでるわけ」



 ひとり言のようなその言葉に、なんと返せばよいか分からなかった。香苗さんは相変らず、パソコンの画面に目を向けたままだ。私は居心地悪くストローに口をつけた。



「香苗さんは、今日も仕事?」

「そうよ。社会人だもの。学生みたいに、長い夏休みがあるわけじゃないのよ」

「どうして、今の仕事を選んだの?」

「なぜ? そんなことを聞いて、明日架はどうするつもり?」



 なぜだろう。

 自分でもよくわからない。けど、脳裏にずっとこびりついているのは、秋良たちと交わしたあのやり取り。そして、結局一度もうまくいっていないセッション。一番盛り上がるはずの、Cメロのフレーズ。

 すると、香苗さんは私のギターをちらりと見て、



「そうか。もう高三なのね、明日架は。将来のことでなにか、悩んだりしているの?」



 うなずくと、香苗さんはパソコンをぱたりと閉じた。



「別に深く考える必要なんてないわ、まだ若いんだから。自分の好きなことをやっているほうがよほど有意義だと、私は思うけど」

「それじゃあ、香苗さんのやりたいことって何なの」

「お金」と、そこでコーヒーを少しだけすすりながら、「うちは親が両方、早いうちに死んでるの。ろくに貯金もなかったから、奨学金を借りて大学まで通って、少しでも給料の良い会社に入って、あちこちから借りたお金を返し続けている。そうするしかなかったの、自分の努力や気持ちではどうしようもないこと」

「それで幸せ?」

「今の生活にはまあまあ満足している。でも、明日架はもっと幸せだと思うわよ、だって、自分が無心になって打ち込めることがあるんでしょ?」

「でも、これで生きていけるわけじゃない……香苗さんみたいに、ちゃんとお金を稼いで、ひとりで生活できるようにならないと……」

「それは駄目よ。生きる目的と手段をはき違えては」



 厳しい口調でその言葉が飛んできた。



「明日架が音楽を続けたいなら、そうすればいい。それが、自分にとって本当に好きなことなら、結果はついてくる。私と違ってあなたは恵まれているんだから」

「恵まれてなんか……」

「あなたは普通に高校に通って普通に暮らしてる。両親もまだ健康で、きちんと働いている。だからこそ、将来の選択肢が多く、迷う自由があるんでしょう?」香苗さんは怒っているというより、少しだけ悲しそうだった。「私は、自分が可能な範囲で精いっぱい努力したわ。勉強してちゃんといい大学にも行けた。寝る間も惜しんでアルバイトして、生活費の足しにして……就職活動だって、周りの誰より必死にやった。今の会社に入社してからは、必死にそこで働いた。今でこそ、少し余裕も出てきたけれど、それは努力を続けた結果よ。毎月、ちょっとずつでも借りたお金を返して、きちんと年金だって払ってる。でも、明日架の努力は……あなたがほんとうにやりたいことに対して努力するべきよ。私の場合は、たまたまそれが『お金』だったという、それだけのこと。でも明日架はそうじゃないんじゃないかしら?」



 こんなに長く香苗さんと話したのは、ひょっとしたら初めてかも知れない。

 はじめて香苗さんと会った時のことを、ぼんやりと思い出していた。



「でも、どうすればいいの?」

「さあ……私は芸術には詳しくないから、何とも言えないけれど……」香苗さんは少しそっぽを向きながら、「バイトしながら、会社に勤めながら……いくらでもやりようはあると思う。あなたはまだ高校生だから、世の中のことがそんなに見えていないだけ。私たちは同じ、魔法少女だけど――」その言葉を言うときだけ、ちょっと声をひそめた。

「人生の先輩として、アドバイスよ。人生は意外となるようになるってこと」



 香苗さんはいそいそと鞄にパソコンをしまうと、

「またね」

 と、私の肩を叩いて軽快に立ち去った。

 スーツのよく似合う長い脚。こつこつと、硬い音を立てるヒール。

 私とは何もかも違う。ブレザーのネクタイを意味もなく触りながら、またストローに口をつけた。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ