井荻リサ / 石上香苗 / ■■■■■
香苗さんの黒いローブと、先の尖った円錐状の帽子は真っ黒で、闇に紛れてしまいそうになる。それを照らしているのは周囲の月明りと、ビルの屋上の所々で燃えている緑色の光だ。
「たまたま、このビルの中でグローパーを見つけたの。排気ダクトの中へ逃げていったから、追いかけてここまで……でも、リサちゃんが無事でよかったわ」
「追いかけてって……」私は停止している室外機の中を覗き込む。「この中を? どうやって?」
香苗さんはふと、ローブの中に隠し持つようにしていたそれを見せた。アンティーク調のデザインと、中で煌々と燃える緑色の炎。その根元にはライターが埋め込まれている。
「ランプですか?」
「長く魔法少女でいると、こういうこともできるのよ」
ふいに周囲が緑色に輝いた。香苗さんの輪郭が融けて、鳥のような、龍のような――蛇のような、そういうデザインの生きた炎へ変わる。けれど、すぐにそれはぎゅっと凝縮されて、もとの香苗さんの姿に戻った。
「私の魔法は、この『炎を操ること』」香苗さんは知った風に言いながら、中で炎が燃えているはずのランプを手で撫でるようにして、「魔法というのは、その人間が秘める力が発現したもの……だと、私は考えている。魂みたいなものね。この炎が、私の魂がカタチになったものだとしたら……自分自身をこれに変えることだってできる」
分かるような、分からないような理屈だった。あまりに現実離れしすぎていて……魂とか、魔法とか……
「って、私も魔法少女だ」
「もう夜も遅いわ。リサちゃんは学生なんでしょう? 早く帰りなさい」
「ありがとうございます。でも、私はこれから、東さんのところに行かなくちゃ」
「そう……」
ここで、香苗さんは迷うようなそぶりを見せた。
「香苗さん?」
「いえ、何でもないわ。そういうことなら、気を付けてね。私もそろそろ帰って……そうね、ご飯にしなくちゃ」
「まだ、食べてないんですか?」
「ダイエット中なのよ。でも、今日は特別。リサちゃんも気を付けなさい、二十代になると、お肌も体調も、お腹周りも……」
「き、気を付けます」
「冗談よ。リサちゃんはスタイルいいから、食べ過ぎないようにね」
そう言って香苗さんは長いローブの裾を引きずるようにして屋上の端へ行くと、
「またね」
そのまま飛び降りた。
慌てて見下ろしたとき、その姿はすでになかった。けれど、ビルの壁の辺りで、ちらちらと緑色の火の粉が散っているような……そんな気がした。
「なんとか、一件落着ね、りっちゃん」
「そうだね……早く東さんのところに行こう」
私もビルの壁をしっかり蹴ると、次のビルへと飛び移っていく。
「でも、こんなに遅い時間になっちゃって、東さんも寝てるんじゃない?」
「それはないわ。東さんは『眠ることができない』の」
「それも……『魔女』の呪いってやつ?」
「そうよ。それでも無事でいられるのは……それと引き換えに手に入れた、いくつもの魔法のおかげ。東さんは眠らなくても平気だけど、どうしたって眠ることはできないの」
私は夜空を駆ける。東さんの工房に辿り着くころには、月が高く昇っていて、そろそろ日付が変わりそうな頃だった。住宅街はひっそりと静まり返っていて、わずかな足音も響いてしまいそうになる。
人気のつかない路地に飛び込んで、クウをポケットから放した。
「ここまでくれば、もう大丈夫かな」
「ありがとう、りっちゃん。送ってくれて」
「いいよ。私も、あちこち飛び回りたい気分だったし」
「じゃあね。おやすみなさい」
いそいそと飛んで行くクウを見送ってから、私はまた夜景を眺めて、元来た場所を帰っていく。秘密だとか、約束だとか、そういうことを考えなくていいように。
街は静かになることなく、ずっと光っているし、ずっと騒がしいままだ。私はそれらを尻目に、ビルからビルへ、屋根から屋根へ跳んで行った。元通り部屋に戻ったとき、私はへとへとになっていた。ベッドに倒れこむと、すぐに眠りに落ちてしまった。
「今日はいろいろなことがあって……」
最後に、駿介の顔が浮かんだ。
「疲れたあ」
○
【■■■■■】
「は、早く……早くくれよ! 金なら持ってきてるじゃないか! な、なん、な、なんでくれないんだよぉ!」
人間はみにくい。
大人はみにくい。
男はみにくい。
「お金の問題じゃないの。あんたにはこれを渡しても、意味がないんだって」
「ふ、ふざけるなよぉ……ソレが無くなったら、俺は一体どうすればいいんだ! クソぉ……!」
地べたにはいつくばって、涙を流し、冷や汗をだらだらかいている。
臭い。何日もずっと着続けているであろう、青い服は、もうぼろぼろで見るに堪えない。みっともなく土下座までしちゃって、私に縋り付こうとするのを爪先で蹴っ飛ばす。
「しつけーな。だめったらだめだよ、そういう命令なの」
「なぁっ、お、おおッ!」と、やにわに男は立ち上がり、「し、下手に出れば、いい気になりやがって! お、お、お、女だからってなああああああああ」
いくら拳を振り上げたって、こんな男に殴られるほど、ヤワじゃない。軽く身をよじって躱すと、情けなく足をもつれさせ、どすんと倒れた。
ああ――
本当にみっともない。みっともない、みっともない。
正視にたえない。
男はまた立ち上がって、よろけながら、私の肩につかみかかろうと両腕を振り上げていた。私はポケットからそれを取り出し、男に見せる。
「これでしょ、欲しいのは」
「ああ――それ! それだよ! おぉ……よこせ、よこせええええええ!」
笑っているやら、泣いているやら。
自分も同じ生きものだとは信じられない。
渡すふりをして、スイッチを入れる。
「変身」
「あらあら、みなとちゃんったら」
聞き飽きた声に振り返ると、そこには私と同じ顔が立っていた。私と同じ背格好、だけど、モノトーンのワンピースから覗く胸や腰のラインは、あちらの方がやや女性らしい。
「またやっちゃったの?」
「そっちこそ」
「ふふ――今日は忙しかったわ。『お客さん』が五人もいたんだから。駄目よみなとちゃん、ちゃんと言われた分は、働かなくっちゃ」
「仕方ないでしょ――こいつが」
こいつ――だったものは、もう姿かたちをとどめていない。
原形を失って、肉と内臓と血があちこちにまき散らされている。ペンキやスプレーで書かれた落書きと、同じレベルにあった。
「それでも駄目よ。わたしたちのお仕事はライターをたくさんの人に配ることであって、むやみやたらに頭数を減らしては、駄目」
「うぜーなぁ」
「なに、その言い方は」
「みらいとは違うんだよ。みっともない、こんな連中に頭下げて、猫かぶって、媚び売って……」
「わたしは楽しいからやってるのよ。みなとちゃんが楽しいから、こうやったのと同じ」
「一緒にするんじゃねえ!」
不意にみらいの身体から黒いオーラが爆発した。私の振り上げた手が分厚い氷の壁のようなものにぶつかって、鈍い音がビルやアパートの壁に反射して響く。
「もう、もったいないじゃない、みなとちゃんったら」
みらいの姿はさっきまでのワンピースから変わっていた。左右非対称の歪なセーラー服姿で、私のことをじろっとにらんでいる。
「このライターは消耗品なのよ? それに売り物。わたしたちは哀れな『マッチ売りの少女』とは違うの。無駄遣いして怒られるのは、わたしとみなとちゃん、両方なのよ?」
「ごめん」
みらいは私に抱擁した。私もそれを返した。お互いの身体はひんやり冷たいけれど、心臓の内側からとてつもない熱があふれてくるようだった。
「さあ、分かったら変身を解いて」言われたとおりにした。「もうこれはわたしたちのものにしちゃいましょう」
「わかった」
「こんなところにいましたか」
見上げると、ビルの屋上から私たちを見下ろしていた少女が、ため息混じりに鼻を鳴らした。
「そろそろ帰りますよ。『お母さん』から、なにかお話があるそうです」
「お話だって。怒られるのかな、私たち」
「そうしたら、わたしがみなとちゃんといっしょに怒られてあげる。大丈夫よ」
「うん――そうだね」




