井荻リサの新しい放課後-2
身体がかあっと熱くなる。
自分の身体をしめつける制服がほどけるような感覚。その後、やわらかくて温かいものに身体が包まれていく。それは全部、一瞬のうちに終わる。気が付くと私は、魔法少女に変身している。
ライターを握っていた手には、フリルのパラソル。
腰には黄色いスカート。服のあちこちに結びつけられたリボン。白いストッキングと、ちょっと高いヒールの靴。まるで御伽噺に出てくる小さなプリンセスみたい、子どものころに私が夢見ていたような――それは、世のだいたいの女の子が通るであろう道だと思っている。
これはコスプレなんかじゃない。高いヒールでも私はバランスを崩したりしない。
グローパーが爪を振り上げて襲い掛かってくる。閉じたパラソルで受け止める。私にはやすやすと、それができる。周囲の古いビルが揺れ、地響きが鳴る。でも、私は冷静なまま、目の前にいる怪物から目を逸らさない。
これが、魔法少女の力――
怪物が急に何かに足を取られ、前のめりに倒れ込む。その右足には、白のフリルがあしらわれた黄色いリボンが絡みついていた。アスファルトを貫いて真っ直ぐ伸びていくタンポポのよう。
手に持ったパラソルを振り上げる。私の身体に巻き付いたリボンが解けて空に舞い上がると、それは螺旋を描いてくるくる旋回し、閉じられた私のパラソルに絡みつく。
それはドリルのような形をした、巨大な槍だった。
グローパーが咆哮した。大きく拳を振り上げると、自分の右足に向かって振り下ろす。花瓶が割れるように足が砕け、ふらふらとよろめきながら、また私に向かってきた。
「りっちゃんっ……!」ポケットの中でクウが呻く。
「大丈夫――だいじょうぶ、だいじょうぶ」
深呼吸。赤い目がやけに視界に焼き付く。
残った左足で跳躍し、私に手を伸ばす。パラソルに力を込めて、手首の辺りに突き刺した。グローパーの腕が砕けて、ガラス片と化す。
そいつは空中で動きをとめた。
ビルの壁、アスファルトの地面、コンクリートの塀、電線、電柱――いたるところから伸びたリボンがあらゆる場所にまとわりつき、グローパーの動きをとめた。完全に拘束され身動きの取れないそいつの下に潜り込む。
心臓にパラソルの先端を突き当てる。
ひっと、息をのむような声が聴こえた。それはひょっとして、消滅することに対するグローパーの恐れだったのかもしれない――でも私はためらわない。もう一度だけ、深呼吸をする。
心臓を貫いた。
冬の朝に薄く氷の張った水たまりを踏んだ時のような、軽い感触。
黒いライターが、地面に落ちた。狭い道に吹いた風。そこにはもう、何も残っていない。
「はああ」
どっと溜息が漏れるのと同時に、汗が滝のように流れてきた。
「りっちゃん、お疲れ様」
「ありがとう」中身が半分くらいしか詰まっていないライターを拾い上げながら、「なんとか、なったね」
心臓がどきどきしている。それまでどれだけ暴れても平気だったはずの高いヒールが、急に不安定なものに感じて私はよろめいた。
「だいじょうぶ?」
「平気なんだけど、やっぱり――慣れないね。こういうのは」
「仕方ないわ。りっちゃんは少し前まで、普通の女の子だったんだもの」
「そう、だね」
私が魔法少女になったからと言って、私が普通の女の子ではなくなったのか、と聞かれたら――
少し自信がない。
私は既に知ってしまった。グローパーのこと、この街のこと、魔法少女のこと。
「でも、やらなきゃ」
それで、みんなのためになるんだから。
東さんに教わった通りに、パラソルの根元に埋め込まれた『黄』色のライターの蓋を開く。そして、黒いライターの中身をそこに注いでいく。黒い炭のような、ゼリー状の物体は、私のライターの中に注がれるとたちまち透明でさらさらした、油のような質感へ変化する。全て注ぎ終わったとき、黒い方のライターは勝手に砕けて、風に消えていく。
「これで任務完了、って感じ?」
「そうね」クウはほっと溜息をついた。「近くにグローパーの気配はない――いったん変身を解きましょう。余計な魔力を消費しないようにね」
「そうだね。了解」
ライターのスイッチをもう一度押し込むと、身体がほどけていくような奇妙な感覚。次の瞬間には、私は元の制服姿に戻っている。
「ふう」
ようやく人心地付いた感じだ。
いつも硬くて、靴擦れしやすいローファーが心地よい履物だと思うのは、きっとこの瞬間くらいのものだろうな。
「おい、リサ!」
ようやく元の鼓動を取り戻した心臓が、縮み上がるような思いがした。
クウがあわてて私の背後に隠れる。
「やっぱりリサだ、どうしたんだ? こんなところで」
駿介がスポーツバッグを肩から斜めに掛けて、私に手を振っている。
どうしてこんな人気のない場所に?
家は逆方向のはずなのに――私は咄嗟に手に握っていたライターをポケットにしまい込んだ。ぎこちない足が、彼の方に向く。
「ど、どうしたの? わざわざこっちに来るなんて、珍しいじゃん」
「リサこそ。こんなところで何してたんだ?」
どきっとした。
「べ、別に、何ってわけじゃ……ないけど、駿介こそどうしたのさ」
「ああ、今日はたまたま部活が早く終わったから……すぐそこに美味いラーメン屋があるから、一度行ってみたくてさ。美味かったよ」
「そ、そうなんだ」
クウはポケットの中で、もぞもぞ身をよじっていた。
駿介は何も知らない。クウのこと、グローパーのこと、魔法少女のこと――
「具合でも悪いのか?」
いつの間にか目の前に駿介がいて、ひっと妙な声が漏れた。
額に手が触れる。
大きな手だった。ごつごつして、厚い手。小さいころとは違う。
「熱は……ないみたいだけど。最近、急に暑くなってきたよな。体調崩したりしないようにな。リサ、風邪ひきやすいんだから」
「それは……昔の話でしょ」
駿介は踵を返して歩き出した。何も言わない。何も言われなくても、私もそれについていく。
私にだけ聞こえるクウの溜息と、風の音が混じった。
うまくごまかせたみたい――駿介にだけは、口が裂けてもこのことは言えない。
「恥ずかしすぎる……」
「なんだって?」
「なんでもないよ」
大通りまで戻ってくると、いつもの時間なのに、少しだけ周りは明るい。日照時間が長くなっているのだ。もうすぐ夏休みだからか、時どきすれ違う学生たちはみな、浮足立っている。
駿介は練習のことについていろいろ話している。新しいシューズがどうとか、日本のナントカいうプロ選手が凄いとか……でも、私はバスケのことは何も知らない。でも、適当に相槌を打っているだけでも、心地よいリズムがある。
私たちはそういうものなのだ。
小さいころからずっと一緒だったから、互いに考えていることはなんとなくわかる。
「そういえば、最近はぜんぜん聞かないね。通り魔のニュース」
私は思い切って切り出してみた。駿介は一瞬だけ嫌そうな顔をしたけど、すぐに頷いた。
「もう逮捕されたのかもな」
「そうだといいね」
「でも、先輩の行方はまだ、分かってない」
通り魔に襲われたという、駿介の部活の先輩のこと。
学校でも、ぜんぜん話題にならない。あれ以来――あれとはつまり――ポケットの中に入っているものが少し揺れたような気がした――学校の端々で聞こえてくるうわさ話にも、自然と耳が向く。ある時はお手洗いで、ある時は廊下で、ある時は下駄箱の並ぶ玄関ホールで……もちろん、教室でだってそうだ。誰かが行方不明になったり、事件に巻き込まれたなんて話は、ぜんぜん聞かない。
「ねえ、その……」もぞもぞ、ポケットの中でクウが身をよじった。「その、行方不明になった人って、どんな人?」
「どんなって……?」
「例えば、どのあたりに住んでて……どういう性格で、普段の様子は……とか」
赤信号で立ち止まる。
駿介は不思議そうな顔をしていた。
「そんなこと聞いて、どうするんだよ」
「別に、どうってわけじゃないよ。気になるだけ」
「リサまで危ない目に遭ったら、どうするんだ。出来るだけ、いつも通りに暮らしているべきだって」
「そうだけど、駿介も言ってたでしょ。許せないって」
ぐっと駿介は黙ってしまった。小さいころからの癖だ――言い返せないと、ううん、と猫のように喉を鳴らす。
「相談してよ。も……もちろん、私にも何かできるわけじゃないけどさ、駿介がひとりで抱え込むことじゃ……ないと……思うよ」
「りっちゃんっ、そのへんに……」
クウがたまりかねて囁いたその声は、青信号の足音と、「とおりゃんせ」のメロディーに掻き消えて、駿介には聞こえていないみたいだった。
「分かったよ。ごめん」
駿介はこっちを見ないまま、前を見て歩きながら呟いた。
「いいよ。駿介に無理してほしくないだけ。大会も近いんでしょ? 余計な心配事とか抱え込んだままじゃ、プレーに集中できないんじゃない?」
「分かったって。これからはちゃんと相談するよ」
「約束ね?」
「約束するよ」
約束は絶対だ。
これは私たちの間の、ぜったいに破れないルールだ。
でも――
「その代わり、リサも危ない目に遭ったりするなよ。これも約束だ」
思わず立ち止まって、言葉に詰まった。
駿介も立ち止まる。私たちの周りを歩いていたサラリーマンが、迷惑そうに舌打ちをして通り過ぎていく。
「リサ?」
危ない目に遭ったりしない。
それは出来ない。なぜならすでに、私はそっち側に片足を踏み入れている。
どうしよう――
「大丈夫か、リサ? やっぱりどこか、調子が悪いんじゃ……」
それは――
約束できない。私は魔法少女だからだ。
駿介や、私たちの周りを歩いている普通の人たち。この人たちを守るために、私は魔法少女になった。クウといっしょに戦っている。
それは命懸けだ。
はじめて魔法少女になった日のことを思い出す。あの時、私は間違いなく死にかけた。明日架さんや、香苗さんが助けてくれなかったら、きっと私はここにはいない。いろいろな人を悲しませている。
でも、それでみんなのことを守れるなら――そう思っていた。
クウがもぞもぞしている。ほんの少しだけ。
「えと……、」
言ってしまおうか。あの事を。
駿介になら……
別に隠すように言われているわけじゃない。ただ、駿介と約束することはできない。魔法少女であるかぎりは……
「その……あのね?」
「おう」
「私さ……実は……」
クウが身を縮めて固まるのが分かった。
心臓が高鳴っている。
もしかしてこれって……




