井荻リサの新しい放課後-1
【Yellow】
「リサ、最近付き合い悪くね?」
クラスメイトのひとりが、ぼそっと、聞こえるかどうかも怪しい音量でつぶやいた。
もう夏休みも近いので、徐々にクラスには浮ついた雰囲気が流れ始めている。けれど女子高生の間では、暑い、汗が、化粧が、というネガティブな話題で持ちきりだ。
「そ、そうかな?」
「最近すぐ帰ってるし、メッセージの返信も遅いし」
「ごめん、ちょっと……」私は口をつぐんだ。まさか、放課後は魔法少女になって、グローパーという怪物と戦っているんです、とは言えない。「ちょっと……ちょっと、その……アレだよ」
「ちょっと何?」
「いいじゃん、言ってみなよ。なにか悩み事?」
こういう時、お世辞でも聞き返すのが女子というものだ。
女子、女子……そうだ。ナイスな切り返しを思いついた。
「ちょっと、新しいバイト、始めたんだ!」
「バイトぉ? どこで」
「新宿……とか」
みんなが顔を見合わせている。
「どんなバイト?」
「普通のだよ。でも接客とかじゃなくて、どっちかっていうと、そう……事務系な感じ」
本当は全然嘘だ。どっちかというと体育会系だ。倉庫作業のバイトとか言った方が、まだ真実に近い。
「ふうん……」そして女子は嘘に厳しい。「ま、いいんじゃね。もうすぐ夏休みだし、遊ぶのにお金いるし……ってか、何するにもお金いるか」
「リサ、今度みんなでご飯いったときは奢ってよね」
「それナイスアイデア!」
「いいねー!」
「焼き肉でしょ、焼き肉!」
「ええー! ちょ、ちょっとそれは……」
「なんだよ、バイトしてるんだからそれくらい出せるでしょ」
「ななちゃんだってバイトしてるじゃん? あの、アイスクリーム屋」
「もうやめたっつーの。上司のセクハラがひどくてさー」
「えーっ」「サイテー」「訴えたら?」
「いやいや、訴えても、しょせんJKの訴えでしょ? 別に証拠があるわけじゃないし、向こうの方が社会的にも立場は上だし。余計な厄介ごと、しょい込みたくないみたいな」
「あーっ、でも分かるなあ、それ」眼鏡をかけたその子は、喫茶店でバイトをしている子だ。「わたしもよく、お客さんとか、オーナーとかにお尻とか肩とか触られるもん。でも、言い出せないよね、ああいう場だとさ。お客さんだし、オーナーだし……雰囲気があるから」
「ふうん」
「リサも気をつけなよ。最近はそういうの、厳しい所も多いみたいだけどさ」
「大丈夫」
私は鞄を掴んで、放課後のチャイムと同時に教室を出た。
「私の職場、女性しかいないからさ」
なにせ、私は魔法少女なのだ。
スカートのポケットに入っている、この『黄』色のライター。
私は努めて、路地や裏通り、住宅街の影といった、人の目の届きにくい場所を選んで帰るようにしていた。こうすればクラスメイトたちに私の姿を見られる可能性は低くなるし、「通り魔」に近付くチャンスも増える。そう考えたのだ。
幸いにして――
私には、もしものときのための力がある。
この辺りは団地が多く、小学校が近いので、よくランドセルを背負った子どもたちを目にする。近くの公園で、子どもたちが鬼ごっこをして遊んでいる。児童館では子どもたちが将棋やオセロをして、時間を潰している。
「最近の小学生は……」ランドセルの色がめちゃめちゃだ。長い黒髪の女の子は黒。カーゴパンツのよく似合うやんちゃな男の子四人組は、水色、黒、赤、茶色。あっちの女の子ふたり組は、朱色と水色。
私は小学校のころ、ずっと赤いランドセルだった。周りの子も半分くらい赤いランドセルだったし、色が水色や黒だからといっていじめられたりもしていなかった。でも男の子はだいたい黒や紺だった気がする。
最近は子どもの自主性とか、そういうのが重んじられるらしい。男が黒、女が赤というのはもはや古い考え方なのだろう。
普段は通らない道を歩いていると、意外とたくさんの発見がある。
木が多いこと。
公園がたくさんあること。
子どもたちが走り回っていること。
そして、あの怪物――グローパーが現れるのは、街の大通りや駅の近く、再開発の進む駅前の近くなどに集中しているということだ。住宅街や、お年寄りの姿が目立つような公園の近くには、なかなか現れない。
魔法少女の力を手に入れて一週間ほど経つと、世の中の見え方、歩き方は、だんだん変わってくる。もう、今まで通りの高校生としての生活には戻れそうもない――だからといって、女子高生ではなくなる、というわけではないけど。
「おうい、りっちゃん」
私のことを「りっちゃん」と呼ぶのは、小学校の頃にたまたま仲がよく、そのまま転校して行ってしまったクラスメイトの手島さん以外には、ひとりしかいない。
クウはすいっと上空から桜の花びらのように、私の肩に降りてきた。このクウは、たびたび私の前に現れては、いつも行動を共にしてくれる。前髪が斜めに切られていて、長い後ろ髪をツインテールにしている。何度も顔を合わせるうちに顔見知りみたいな感じになって、今では私のことを「りっちゃん」と、気さくにあだ名で呼んでくれる。
「どうだった?」
「今日も、特に被害はないみたい。平和でよきことね、りっちゃんは?」
「私も。見つからない」
児童館の通りを抜けて、公園の角を曲がる。そこからは住宅街の、大きな自動車一台分くらいの道がしばらく続く。クウは私の周囲をくるくる飛び回りながら、
「私は、あの大きな駅のこっち側をよく飛び回っているけれど、グローパーに出会うことはほとんどなかったわ。それはとてもよきことよね?」
「そうだね」
いたって街は平穏そのものだ。けれど、SNSを見ていると、今でもたまに通り魔の話を見る。私は考えていたのだ――通り魔とグローパーには、なにか関係があるのではないかと。ポケットの中に入っているライターを握りしめる。
「クウ、何か知らない?」
私は通り魔のこと、それについて私が考えていることを話した。クウは、ひらひらと不規則に私の周囲を飛び回っている。
「どうかしら。グローパーは確かに人を襲うけれど、そんな話は聞いたことがないわ」
「私の考え過ぎかな?」
「いえ、そうとも言い切れないのだけれど――東さんから話を聞いているから」このクウはほかのクウと違って、東さんのことを「ご主人様」とは呼ばない。「これまでグローパーというのは、だいたいが知恵や自我を持たずに暴走するだけの怪物だったの。ところが最近、言葉を話したり、明らかに自我を持ったように振る舞ったりする、これまでとは違ったグローパーが現れるようになった。それは、ここ最近になって唐突に、よ。東さんの作ったライターではない、偽物のライターで変身する魔法少女が現れるようになってから」
「偽物のライター?」
「そう。りっちゃんの持ってるそれは、東さんが作った本物。ライターの作り方は、東さんしか知らないの。でも最近、よく似た偽物を使って変身する魔法少女がいる。そいつがひばりちゃんから紫色のライターを奪って、暴れて回っているの。これはよくないことよね」
「暴れるっていうのは……」私は思いつく限りの言葉で、「グローパーと、同じように? 人間を襲ったり……」
「それがそうでもないみたい。その魔法少女たちも、りっちゃんたちと同じようにグローパーを倒しているらしいの。でも、その子たちはグローパーをあちこちに落として回ってる」
「落とす?」
その問いにクウは答えなかった。代わりにぴりっとした表情でその場に制止し、私のことを制した。
「りっちゃん、気を付けて――近いわ。よくないわ」
「うん」
それは私のすぐ目の前に、落ちてきた。
どずん、と音を立てて。住宅街のすぐ近く、四階建てのアパートの屋上から。長い四本脚と鋭い爪、真っ赤に光る瞳。まるで猿みたいだった。
その心臓の辺りには、黒い色をしたライターが、突き刺さるようにして埋め込まれている。その周囲には血管のようなものが葉脈状に浮き出て、どくん、どくんと脈打っている。
ポケットからライターを取り出したとき、私の足が少し震えていることに気付く。怪物は私のことを睥睨している。
私はまだ、怖い。
当たり前だと思う。魔法少女に変身して、街の人々を襲う怪物と戦い、やっつけるなんていう非日常、怖くないわけがない。あの鋭い爪で肌を切り裂かれたりしたら、きっと痛い。血がたくさん出る。傷つく。
その鋭い爪を振り上げて、私を挑発するように両の後ろ脚で立ち上がった。
「りっちゃん!」
「大丈夫」それはほとんど、自分に言い聞かせた言葉だった。「大丈夫……戦うんだ」
自分で選んだことだから。
「変身っ!」
ライターのスイッチを入れるとき、自然とそんな声が出た――
アニメの見過ぎだろうか。
でもこれくらいでちょうどいい。私が向かうのは非日常なのだ。




