喫茶店と猫
市内を二分する大きな川の西側、歴史ある白壁の蔵が立ち並ぶ古めかしい街の一角。
赤茶けた木造の、二階建ての建物の中には、とある喫茶店があった。
喫茶猫の舌。
名物はぬるいオリジナルブレンドと、これ又ぬるいホットサンドだ。店の名に恥じぬ、猫舌には嬉しいメニューの数々。
店内にはどこで仕入れたのか、今昔様々な猫の置物が飾られている。ここに来る客の大半が、じっと見つめられているようで気味が悪いとこぼすのも頷ける。
佐倉寧子は古びたカウンターでぬるいホットミルクをすすりながら、テロリストが学校を占拠して、休校になればいいのに、と思った。
さりとて、テレビに映るのははいつもと変わらぬ平和な日常ばかり。ドラマチックでセンセーショナルな出来事は、寧子の世界には訪れることはないのだった。
「ショウヘイ、おかわり」
寧子はすっかり空になったマグカップを差し出す。ショウヘイ、この店の主人、寧子の叔父である佐倉翔平はため息をつきマグカップを受け取る。
「あのね、寧子ちゃん。マスターだから、ここでは、一応。それが嫌なら、せめて翔平お兄ちゃんと呼びなさい」
しかし寧子はふい、とそっぽを向き、足下でじゃれつく二匹に手をのばす。
「ライン、バックおはよう」
寧子が呼びかけると、二匹はめいめいに、にゃーと答える。それから、床に置かれた餌を食べ始めた。
翔平は諦めた様子で、寧子の隣りにどかっと座り、自分の淹れたブレンドコーヒーを飲みながらテレビを見始める。
「へぇ、アヒルの親子の大移動だって。可愛いなぁ」
翔平があまりにものんきな声で牧歌的な話題を口に出すものだから、寧子はうなだれた。
「あのね、ショウヘイ君。あんまりのんきなことを言って、僕の優雅なひとときをブチ壊すのはやめてくれないかな」
「えぇ〜、そんなにのんきだったかな?」
翔平はぶぅたれる。その姿すらのんきである。
「のんきものんき。世界中ののんきを集めても、今の君には到底及ばないくらいのんきだ!」
寧子の中でのんきがゲシュタルト崩壊を起こしていると、ぴろん、と携帯電話の電子音がなった。
「寧子ちゃん、メールするような友達いたんだ?」
翔平が真面目な顔で問う。先ほどの仕返しだろう。失礼な奴だ、と寧子は思ったが、
「どうせどっかのダイレクトメールだろう」
としか返せないのが悔しい。
まごついた様子で携帯を確認すると、どうしたことかクラスメイトからの着信である。
翔平曰く、友達いない歴ならベテランの域に達していると称される寧子にとっては驚天動地の出来事であったが、真に驚くべきはその内容である。
『鮫島京子は呪われたな女。近づくな』
どうやらチェーンメールのようだ。追伸に、『五人以上に同じ内容のものを送らないと呪われる』とかかれていた。
はて、と寧子は考える。
鮫島といえば寧子のクラス内カーストでは上位の人間のはずだった。寧子は人の顔を覚えるのがすこぶる苦手だったが、鮫島ばかりは知っている。
地元の名家の一人娘。
学業優秀。
運動神経抜群。
そしてなにより、一度見れば忘れられない容姿。
思い浮かぶのは、彼女が取り巻き数人を引き連れている姿ばかり。なにせ名家の娘である。おこぼれを頂戴しようとする輩がごまんといる。
そんな彼女を妬む者が流したものであろうが、しかし、寧子にまで流れて来るといういうことは、相当数の人間がこれをばらまき続けているということだ。
彼女がそれを許すだろうか?
彼女の取り巻きがこれを放置するだろうか?
湧き上がる疑問。
だが寧子の頭の中にはとある悩みが横たわっていた。
「五人も、どうやって、送ればいいのだ......」