003 神は信仰によってのみ救われる
ダンボールのような味がするコッペパンを水で流し込み、イツキは人心地つく。幸い、水は見た目通りただの水だった。
壁に背をつけ座り、足を投げ出す格好で、目の前の祭壇を見る。空になったジョッキは脇に置いた。
「信仰心マイナス三◯◯かぁー」
ゲームだったら即リセットだとイツキはぼやき、そしていや、逆に燃えるかと、考え直す。伊達に二十年もこのゲームをやってはいない。セーブデータの一つは十八年物だ。なぜ二十年じゃないかというと、当時小学生だったイツキがルールも良く分からないま無茶苦茶に遊んだ結果だった。ゲームオーバーになったり、詰んだり、飽きてやり直したりと、その度に世界は創り直された。
十八年続いた世界がある。
『世界創世記』というゲーム、実は放っておいても勝手に状況は変化していく。人口が増え、争いが起こり、国が栄え、滅び、嘆願が寄せられ、溜まった嘆願から、気になったものに対し、奇跡を行使して問題を解決するというのが最近のイツキの遊び方だった。あまり時間を使えないイツキにとって、良い息抜きになっていた。
『世界創世記』マニアと言っても過言ではない彼が気づいた事は二つある。
一つ目、ゲームとは違う要素。
作中、この『ほこら』に奇跡を行使するということはできなかった。気付いていないだけで、他にも違う要素があるかもしれないと心に留める。
二つ目、使える奇跡の多さ。
ゲーム開幕直後に使える奇跡はコスト0で使える五つ。
『清貧の糧』、『清貧の盃』、『清貧の衣』、『清貧の癒やし』、『神の声』
糧や杯と同種の衣と癒やし。神の声は対象地域に、声を届ける物。といってもゲーム内で何かそれによって伝える事ができるという訳ではない。神の存在を知らせる程度だ。それにより信仰心を上げる。
それ以上は、レベル――神位が上がるにつれ増える仕組みなのだが、どういう訳か全奇跡が開放状態となっている。……もっとも、信仰心が足りず使えはしないが。
これからどうしようか。イツキは考える。
相変わらず壁の幾何学模様は光を放っている。外を見れば相変わらず鬱蒼とした森が葉擦れの音を立てている。
ネクタイを緩める手が止まった。
ネクタイをドアノブに引っ掛け首を釣る方法が脳裏に浮かんだのだ。まるで汚らわしいものの様にイツキはネクタイを首から抜き、部屋の片隅へ投げ捨てる。
――電車のヘッドライト、人々の悲鳴。
記憶がフラッシュバックし、イツキを襲う。ガタガタと体が震え、汗が吹き出した。
なんて恐ろしい事をしてしまったのだろう。そんな後悔がイツキを苛んだ。
体を抱き寄せ膝に頭を埋めた。
尺取り虫。そう揶揄される事もある標準よりも長い手足が折りたたまれる。
「母さん、俺……ごめん」
グレースーツに水滴が落ちた。胎児の様にまるまり、眠りに落ちた。
はっと目を覚ます。無理な姿勢でいたせいか、痛む体の筋を伸ばし、外を見ると陽が落ちようと、空が赤く染まっていた。睡眠をとったお陰か、熱病のようにに襲ってきた恐怖と後悔はなりをひそめていた。
柔和な見た目によく人は騙されるが、基本タフなのだ。切り替えも早い。それはイツキが自分なりに誇れる一面だった。
『ほこら』に扉はない。
日暮れの光と相まって、視界を通さない森が途端、何か忌まわしきもののように思えてきた。
祭壇に再び手をかざす。今度はキーワードがなくとも、起動した。
何か使えるものはないか? 記憶と照合しながら、イツキは項目を辿る。
『比類なき聖域』『勇者選定』『神聖武器製造』……どれもこれも使えない。全て信仰心マイナス三◯◯の文字が邪魔をしていた。
熟慮の末、『清貧の衣』で創りだした大量の布を山積みにして、入り口の前にバリケードとして置くことに決めた。熊のような大型猛獣や、魔獣――いるのだこの世界には――に対してはいささか心もとない対応だが、致し方なかった。
布に水をかけて重量を増すという事も考えたが、万が一の際、例えば山火事など、袋小路の『ほこら』に閉じ込められる愚を犯す気にはなれなかった。
入り口に布の山を作る頃にはすっかり陽は暮れ、夜の帳が辺りを包む。
いい加減スーツでいることに疲れたイツキは、余った一枚を手に取る。木綿で折られた、丸首の貫頭衣。染色もなにもない。本当に最低限の装いだ。
悩む。着替えた方が楽ではあるが、有事の際、むき出しになるであろう腕や、足元が頼りなく思えた。だがいたずらに疲労を蓄積する行為が、賢いとも思えなかった。結論として、貫頭衣に革靴というなんともファッションセンスに欠けた男ができあがる。
このままではいずれ詰む。そんな焦燥感がイツキの胸を焦がした。死にそこねた分際だが、今は死にたくはなかった。苦しんで死ぬのは嫌だ。我儘を言えば食糧事情も改善したい。その為には――。
「信仰心をあげないと」
イツキは再び祭壇に向かい合う。
手っ取り早く信仰心を上げるには嘆願を叶える事が近道だった。