6
名称の変更
王立魔導騎士団→王立討伐騎士団
アーシブルの国土の北半分に覆い被さるほど広大な「魔の森」は、無数の魔物が蔓延っている。放っておくと、増えすぎた魔物は森からあふれ出して集落に襲来するものだから、人々は森へ踏み込んで魔物を倒さなければならなかった。
最も魔物の脅威に警戒しなければならないのは森に面する領地であるが、彼らはアーシブルを守る防護壁としての役割を果たしている。その重大な役目を担った十八の領主たちは「辺境伯」の地位を授かり、様々な手腕をもって強固な護りを築いていた。
アーシブルの北東部に位置するマイヤーズ辺境伯領では、依頼や懸賞金の掛かった魔物を狩る事で金を得る「冒険者」たちと綿密な連携を図る事で、その被害を最小限に抑えている。
マイヤーズには、十九もの冒険者ギルドが点在し、各地から実力ある冒険者らが集った。
マイヤーズ領から東に、間に二つの領地をはさんだクービック辺境伯領から訪れた青年、ユグル・ヴォーセットもその一人だ。
幼い頃から冒険者になるのが夢だったユグルは、街一番の剣と精霊魔法の使い手として成長した。そして、自分の実力を試すためにマイヤーズ領まで足を運んでいた。
マイヤーズ領で最も有名なギルドといえば、一番魔の森に近い街フヨールにある「蒼穹の魂」だろう。自由な気風でありながら冒険者は完全実力派揃いで、数々の名高いパーティーが名を馳せている。冒険者を目指す者なら、誰もが憧れるギルドだと言われている。ユグルの目的のギルドもそこだった。
「これで登録手続きは終わりです。今日は森に入られるんですか?」
「八時にノーマンさんと待ち合わせです」
数々の試験を突破して蒼穹の魂の一員となったユグルは、誇らしげに頷く。
この間B級ハルピュイアを討伐したパーティーの司令塔であるノーマンが教官につくと聞いて、受付をしていたマリーは安堵の笑みを浮かべた。
蒼穹の魂では、冒険者としての経験が浅い新人を支援する仕組みの一つとして、熟練冒険者による支援を受けることが可能だ。
魔の森での鉄則や魔物の倒し方などを、実地訓練として教える場合が多い。新人たちはこの期間を通じて、冒険者としての在り方を学ぶのだ。
「ノーマンさんなら安心ですね。その装備、彼のアドバイスですか?」
魔の森に行く冒険者なら、アーマー・プレートを装着している者が大半だ。防御力が高いだけでなく、魔物が金属を苦手とするためでもある。
だが、新人冒険者が全てを揃えるのは金銭的にも安全的にも厳しい。整備にも手間と金がかかる。だから、絶対に守らなければならない胸、腰、首の最小限の防具を身に付け、必要最低限の装備を整えるのが普通だ。
「はい。僕は防御が下手だから、万一の為にちゃんとした防具を身に付けた方が良いって言われました」
確かに、ユグルは胸当とタセットに加えて、肩当と脛当も装着している。新人にしては重装な方だが、柔らかな物腰に反して筋肉質な長身に恵まれたユグルに見合っていた。
「ユグルさんなら大丈夫です。蒼穹の魂の登用試験に合格したのですから、自信を持ってください」
「ありがとうございます。それじゃ、お仕事頑張ってくださいね!」
マリーに手を振って、カウンターを去ろうと後ろを振り向いたユグルはギョッと目を見開いた。混雑を避けて朝一番にギルドへ来たが、ほんの一瞬の間にカウンター前は人でごった返していた。
蒼穹の魂の拠点は、フヨールの中でも魔の森に寄った位置にある。建物の中央は三階分が吹き抜けになっていて、玄関の正面に受付カウンターが設けられていた。右側には依頼の貼り付けられたボードが壁に掛けられ、その反対側には酒場と食事場を融合させたパブが運営されている。二階はギルドマスターの書斎や応接間、三階は資料室という造りだ。
ノーマンとの待ち合わせは一階の中央付近と決めていたが、カウンターに並ぶ人込みがその場所を覆いつくしている。
ユグルは仕方なしに、壁際に寄って人々の波が過ぎるのを待つことにした。
(あの人の胸当かっこいいなぁ。うわ、あんな大剣よく持てるよ)
冒険者たちの観察をしながら、ユグルは舌を巻く。各地から実力者が集うギルドだけあって、蒼穹の魂には重厚な装備を身に付けた冒険者たちで溢れていた。
一人ひとり眺めているうちに、隣の領地まで名前を轟かせるような有名なパーティーも目に飛び込んでくる。
(あ、あの人たち、この前A級キマイラを討伐した「フリック」じゃないか!あっちは「風のリング」、あの赤い装備は「スカーレット」かな)
憧れの冒険者たちと同じ舞台に立てたことに、今更だが興奮が駆け巡った。
これから自分も仲間を見つけて、実績を上げていくんだ。
漠然としていたビジョンが鮮明になってくのを実感したユグルは、歓喜に手を震わせた。
ふと、視界の端にプラチナブロンドが過る。いつの間にか隣にやってきた少年が、壁をジッと見つめていた。
(こんな所で何やってんだ?)
少年の視線を辿ると、壁はよく見れば掲示板だった。依頼が書かれた紙は上の部分に数枚しか貼られていなかったので、来た時には気がつかなかった。
少年は、掲示板の上部に留められている紙を引き剥がそうと手を伸ばすが、如何せんユグルの肩ほどの身長しかないものだから、手が届かない。
少年は腰に装飾品のような剣を佩いているものの、防具は胸当だけだ。しかも、ユグルが鍛錬の時に着るような、白のシャツに濃紺色の上着、黒のズボンにロングブーツしか身につけていない。
(もしかしたら、新人冒険者かな?僕と同じだ)
そう考えると妙に親近感が湧いたユグルは、思わず少年に歩み寄って代わりに紙を取った。
「えっ」
眼下の少年から驚きの声が上がる。まだ声変わりのしていない高めの声音が、心地よく耳を掠めた。
「はい、これ。取りたかったんでしょ?」
紙に書かれた内容をよく見ないまま、ユグルは少年に差し出した。が、その親切に気付いた少年がこちら側を向いた瞬間、ユグルは言葉を失った。
吊り気味になった大きな深緑の瞳に整った鼻筋、形の良い唇が、完璧な配置で収まっており、短いプラチナブロンドが透けるように白い頬へさらりと流れて揺れた。
女性的な美しさを持っていながら、強い意志を内に宿した眼差しは女性のものとは全く違う。
凛々しい女性なのか、優美さを持った男性なのか。ユグルが判断に困っている間に、少年は物寂しげな笑みを浮かべながら「ありがとう」と小さく礼を言うと、背を向けて歩き出してしまった。
「まっ……」
「よっ、おはようさん」
咄嗟に少年を呼び止めようとしたユグルの肩を、後ろから叩く者がいた。
八時に待ち合わせをしていたノーマンだ。集合場所は未だに人でごった返しているのを見て、壁際に避難しているところを発見したのだ。
「あ、おはようございます」
ノーマンに一瞬気を取られていたユグルは、少年を見失ってしまったと焦りを浮かべる。
だが、慌てて視線を巡らせようとする前に、ギルドの空気がおかしい事に気がつく。喧騒に包まれていた建物内は嘘のように静まり返り、人々の視線は一か所に集まっていた。
そう、先ほどまでユグルの目の前にいた、あの少年である。彼が一歩進むたびに、周りにいる冒険者たちは横に捌けて前を譲った。まるで引き潮のように、カウンターまでの道のりが開ける。
「ああ、高雅の蒼穹、今日はお出ましじゃねぇか」
ノーマンは表情を硬くしながら、ぼそりと呟いた。
高雅の蒼穹エレガンス・ファーマメント。
マイヤーズ領フヨールから遠く離れた街で生まれ育ったユグルも、二年ほど前からその名前を聞くようになった。
だが、その冒険者に関する噂話は、伝説の聖獣ペガサスを連れているだとかS級の魔物を一人で倒したとか、そんな突拍子もないものばかりだ。容姿にしても、小さな子どもだとか女のような美男子だとかで定まっていない。そんな荒唐無稽な話を、本気にする人など誰もいなかった。
しかしながら、ここの冒険者たちが彼に向ける視線には、嘲笑や揶揄といったものはない。むしろ、得体の知れない物を恐れるかのように畏怖し、自分には到底及ばない世界にいることを羨むような、そんな感情で溢れている。
「高雅の蒼穹って……」
カウンターまで一直線に歩いていく小さな背中を追いながら、ユグルは尋ねた。高雅の蒼穹に関する話は人々が面白がって吹聴した噂だと思っていたが、少なくとも「小さな子供のよう」「女のような美青年」という点においては的を射ている。
「あの人はマジで化け物だぜ。男か女か分かんねぇ顔してんのに、S級の魔物を一人で倒してきやがる」
「S、級?」
そんな馬鹿な、とユグルは目を見開いた。
アーシブルでは、凶暴さや知能の高さなどを踏まえて魔物を等級別に振り分けている。危険度の一番低いF級は新人冒険者でも対峙できるが、ランクが上がるにつれて魔物は脅威を増す。S級となれば、大規模な討伐作戦を設置して綿密な計画を練らなければならない段階である。
超大物を一人で狩ってくることは恒例になっており、それを成し遂げても平然としている様子に人々は畏れを抱くという。そもそも、魔の森に単独で挑むこと自体が異常としか言いようがないのである。森の入り口付近ならばともかく、深層に潜るとなると、一流の冒険者であっても少なくとも五人でパーティーを組むのが常識的だ。
「A級なんて、もうこのギルドじゃあ珍しくない。まあ、ペガサスが道をウロウロしてんのに比べりゃあ、何てことはないけどな」
「ペガ、サス?」
ユグルはさっきから驚きっぱなしだった。ペガサスは、両翼を持つ純白の馬として物語のなかによく出てくる聖獣だ。
だが、ノーマンは真面目な顔で聖獣の名前を出す。高雅の蒼穹が聖獣ペガサスを連れているという噂は、本当だったのだ。それだけではない、人々が噂話だと嘲笑していたこと全てが事実だった。
「何だあ?しばらく前に随分と噂になっただろう?」
「いや、ただの噂話かなと」
「まあ、話がぶっ飛びすぎて信じられないのも無理はないけどな」
ノーマンから直接聞いてもなお、ユグルは半信半疑だった。あの細腕で剣を振るうところなど、想像もできない。
「もはや違う次元にいるんだと割り切ったほうがいい。あの人も、俺たちとは関わりたくないから、ああして一人で行動してるんだろ」
そう言って肩を竦める。
かの冒険者は避けていく人々を気にする素振りもみせず、依頼を申請するなり颯爽と出口に向かって歩き出した。
彼がユグルの前を通り過ぎていったとき、その表情に浮かんでいるのは完全な無だった。容姿も相まって、まるで人形が歩いていると勘違いしてしまいそうなほど、人間味を感じない。
「あいつは俺たちとは違う次元にいるんだと割り切った方がいい」
ノーマンの言葉が、ユグルの頭の中を駆け巡る。彼が自分に礼を言ったときの物寂し
げな表情を思い出して、胸が締め付けられるように痛んだ。
(割り切るだなんて……)
俺たちとは関わりたくないから、とノーマンは言っていたが、ユグルにはそうは思えなかった。むしろ、周囲から距離を置かれることを切なく感じているような、努めて無を保っているような、そんな気がしてならない。
開け放たれた大扉の向こうで、両翼を広げたペガサスとともに彼が飛び去るのを呆然と眺めながら、ユグルは口を引き結ぶ。
何故かは分からない。だが、もう一度だけ彼に会いたかった。