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先にアーシブルへ渡るという光の精霊たちと別れた後、残った精霊に導かれるまま森の中を進み、港町アイシンへと続く街道へたどり着いた。ここまで来てしまえば、アイシンまでは目と鼻の先だ。道なりに歩いていると、背後から馬の嗎と馬車の回転する乾いた音が迫ってくることに気がつき、脇に逸れる。

 歩いているのは大きな街道だが、初めて通りかかった荷馬車だ。


「こりゃあ驚いた。お前さん、こんな所で何しているんだ」


 そのまま通り過ぎるかと思ったが、ガタイのいい中年の御者は手綱を引いて馬車を止めた。

 突然話しかけられたことに身を固くするが、彼に害意があるなら精霊が反応するはずだと肩の力を抜く。


「アイシンまで行こうと思いまして」


「お前さんみたいな身なりの良い嬢さんが、一人でか?」


 彼は顎に濃く生えた髭を撫でつけながら、眉根をぐっと寄せた。

 そう言われて、自分の格好を改めて見下ろす。黒い外套を纏っているだけだが、確かに日々手入れを欠かさなかった髪は艶やかだし、働いた経験のない手は白くて綺麗なままだ。貴族かどうかはともかく、育ちが良いことは一目瞭然だった。


「アーシブルに行きたいのです。アイシンからなら出航しているでしょう?」


「ああ、月に二回だけ船が来てはいるが……」


 それを聞いてほっと息を吐く。国交断絶なんてものになっていたら目も当てられない。精霊と一緒でも、さすがに海を泳いで渡るわけにはいかないから。

だが、続けられた言葉にガクンと肩を落とす。


「あそこは、最近ちょっとばかり治安が良くない。悪いことは言わんから、従者を連れて出直しな」


連れて歩ける従者などいるわけがない。私にはもう何の身分もないのに、纏わりついて離れない貴族としての自分が歯痒かった。

だが、彼の案じることも重々理解できる。悪党にとっては私の事情など関係がない。身分があってもなくても、今の私は「金を持っていそう」な対象に見えるのだから。

 それでも、いくら治安が悪くともアイシンを避けるわけにはいかない。


「アイシンは大規模な港町のはずです。多少治安が悪くとも、憲兵が取り締まっているはずでしょう」


「そりゃあ憲兵はいるさ。だが、そういう問題じゃあないんだよ」


 一歩も引こうとしない私を、彼は困ったように見据える。しばらく逡巡した後、御者台の座る位置をずらして、空いた隣を指差した。


「俺もアイシンに向かう途中だ、ついでに乗りな。まあ、直ぐ着いちまうだろうけどな」


「ほら」とでもいうように手を差し伸べる彼に、私は身を固くした。


(……何を企んでいるの)


親切を装って誘拐するつもりか。追い剥ぎか、それとも身代金目当てか……

平静を装って、内心では彼の打算を必死になって推し量っていると、(フェイ)と名前を呼ぶ声に私はハッとなった。そうだ、精霊は……

私の耳に届くのは、普段通りの、天気のことや他の精霊のことなど取り止めもない言葉ばかりだった。

特に反応していない。それはつまり、彼の行動は心からの善意ということを意味していた。


 (そんなもの、あるはずがないわ)


 人が何の打算もなく行動するはずがない。必ず裏があるはずだ。

そう頭から決め込んでいる一方で、精霊の反応を疑うことができないでいる。矛盾の狭間で揺れ動き、貴族らの私欲に塗れた、あの歪んだ笑みが脳裏を過ぎる。

 ふと、視線を上げた。差し伸べた手を引っ込めて、決まりの悪そうに頭を掻くこの人は、本当にあの貴族連中と一緒だろうか。いや、違う。

 精霊が反応せずとも、人々の害意を見抜くことには長けていた。そうでなければ、貴族の世界では生き延びられなかった。

 私は自分の目を信じて、彼の好意を受け取る覚悟を決めた。 マントが翻ってしまわないように注意しながら御者台へ上がる。


「ありがとうございます」


「俺はサムロ・ジュシクってんだ。穀物なんかを売るしがない商人さ。短い旅路だが、よろしくな」


 サムロ・ジュシュクと名乗った彼に、私はどう返せば良いのか迷った。もちろんエレイン・オスローゼなんて名乗れないが、慣れ親しんだ「フェイ」という名前を他人に知られてよいものか悩んでしまう。ハウゼントでは精霊名を晒すことは精霊への冒涜とされていたからだ。

 だが、この剣が入っていたガラスに箱に彫られた「センシオ・トルン・コンバーテ」の名前を思い出す。ハウゼント王国の始まりである彼だって、精霊名を使っていたのだ。今のハウゼントの常識なんて関係ないと言わんばかりに、私は堂々と名乗った。


「フェイ・コンバーテです。こちらこそ、御迷惑をおかけします」


私が腰を落ち着けたのを確認すると、サムロは鞭を鳴らして荷馬車を走らせた。


「で、なんだっけか。あーそうだ、アイシンの治安の話だったな」


 途端に神妙な顔つきになったサムロに、私は固唾を呑んだ。サムロは「何から話そうか」と髭を撫でつけながら暫く沈黙した後、ぽつりぽつりと語り出した。


「一昔前までは、あそこは交易も漁業も盛んだったらしい。市場や祭りなんかが開かれて、結構賑わっていたって話だ。だが、俺があそこで商売を始めたころから、段々住人が減り始めたんだ。なんでも、町の様子を見てもっと搾り取れると思った領主サマが、税の徴収を増やしたんだとさ」


 アイシンは確かジーケード侯爵領で、二十年前から熱心な国王派であるトーマルス子爵を領主に定めている。彼は温厚そうな顔をしながら、金にがめつい嫌な貴族だった。


「若いもんたちはより高い給料を求めて出稼ぎに行っちまい、今までやってきた漁業やら交易やらは立ち行かなくなる。仕事が減れば働き手もいらなくなる。生活に困るあまり盗みを働くやつも増えて、負の連鎖は止まらずに、とうとう浮浪者やら盗人やらが集まってくるほど落ちぶれちまったってわけさ」


「そんな……」


 驚愕のあまり言葉が出なかった。どう反応すればいいのか、分からない。

 貴族だった私が「酷い」と言うのはお門違いだし、「大変ですね」の一言で片づけられるほど軽い問題ではないのだ。


「領民からたんまりと搾り取ったって、領主サマは領民に金を掛けない。治安は悪くなる一方さ。まあ、これはアイシンに限った話じゃあない。王都との交易で栄えていたユルシムじゃあ物価の急騰が起こった。裕福なやつは良いが、もともと貧しかった奴はパンの一つも買えやしねえ。農村部でも収穫量が年々減っているってのに、税で取られる分は変わらない。それじゃあ、ただでさえ少ない自分の食い分を減らすしかないってわけだ。飢饉になりかけているって話さ。まあ、挙げ始めたらキリがないがな」


 サムロの口から出るハウゼントの現状ひとつひとつが私の心を抉っていく。私はハウゼント王国の腐敗を見抜いていたつもりでいた。だが、その腐れがこれほどまで国民に甚大な影響を与えていることに気付きもしなかったのだ。

 私は所詮、搾取する側の人間として育ってきた世間知らずなに過ぎないのだと、自分自身の不甲斐無さに打ちひしがれた。


「あいつらがどんどん飢えてくのを見る度に、俺は、身を引き裂かれるような思いがするんだ。だが、いくら精霊様に祈っても、何も変わらねぇ。なぁ、お嬢さん……」


……精霊様ってのは、本当にいるんかな


続けられた言葉に、私は凍りついた。

ハウゼント王国での聖霊信仰は根深く、「精霊に愛された国」であることは国民の心の拠り所となっている。はずだった。人々の生活は、精霊の存在すら疑うほどに困窮しているのだ。


「精霊へ布施を払うために生活費を凌いでる奴はごまんといる。だが、領主の奴らは『誠意が足りない。もっと払え』なんて抜かしやがって、精霊様ってのはそんなに金の掛かるもんなのか?」


 彼らは、精霊信仰に対しても不信感を抱き始めていた。

 これまでは生活に余裕があったため多少厳しく取り立てられても、「精霊様のためなら」と気にしなかったことだろう。しかしながら、生活環境が悪化しているにも関わらず、前と同様に精霊への誠意を要求されては、不満は生まれるものだ。

 小さな綻びは修復の効かないところまで広がりつつある。


サムロはそこで一息ついた。


「悪い、つい熱くなっちまった」


 恥ずかしげに笑うサムロに、首を横に振る。


(何も、知らなかった)


精霊は、私が望めば様々な情報を集めてきてくれた。それは、貴族らの密会の会話やスキャンダルだったり、誰とどの精霊が契約したのかという情報だったりするが、基本的に精霊は人間に興味がない。人々の生活環境や財政状況など話題にすら挙げない。

 そう、私が頼まない限り。

精霊がいることで、全てを知っているつもりでいた。だが、私が知っていたのは物事のほんの一面でしかなかったのだ。

 身分も地位も失った今の私に出来ることは何もない。


……もっと早く気付いていれば

これからハウゼント王国を見捨てようとしている私がそれを口にするのは、あまりに身勝手だ。

だが、私がこれまで無駄な時間を過ごしてきたことは確かな事実だった。ハウゼント王国の歪んだ体制に嘆く暇があったなら、それが与える影響についてもっと考慮するべきだったのだ。


表情を暗くて俯いた私を見て、サムロは小さく息を吐く。


「なんでお前さんがそんな顔したんだ。ほら、もう直ぐ着くぞ」


 出立前にサムロが言ったように、旅路はあっという間だった。森から抜けた途端に視界が開け、目の前には青くきらめく海が広がっていた。嗅いだことのない独特な香りが風に乗って漂う。海を見るのは初めての経験だった。視界いっぱいに広がる青は、その果てを知らない。

 森から続く街道を道なりに進み、地面は整備された石畳へと変わった。先ほどよりも揺れは少なくなったが、町の様子を窺うのに必死だった私はしばらく気が付かなかった。

 アイシンは、想像以上に廃れていた。

 これほど大規模な港町なら、海の幸や様々な国の品々が集まった市場が賑わい、活気あふれる呼び声が飛び交うのが本来の姿のはずだ。しかしながら、通りには出店の一つもない。店や住宅など建物の老朽化が著しく、壁は薄汚れ、ガラスの割れた窓がいくつも放置されていた。長い間手が加えられていないことが、一目瞭然だった。


「ここらは労働者階級の居住地区だからな、住めりゃあそれで良いって感じだ。ほら、あの高台にある建物が見えるだろう?あれが領主の館なんだが、あの近くは領主のおこぼれを貰ってそれなりに栄えてるな」


確かに立派な城館だが、私の意識は通りすがった薄暗い裏路地や道の片隅に蹲る人々に向いていた。サムロは「ありゃあ浮浪者だな」と彼らをそう呼んだが、その姿を目にして自失呆然としていた私は上手く反応することができなかった。


「少し裏に入ればあっという間に貧困街になっちまう。近付かねえ方が身のためだぜ」


彼らの目は虚ろで生気がなく、深い闇に染まっていた。思わず注視してしまった私の元へ、精霊たちはその心を届けた。


(何でこんな目に)(お腹すいた)(もう嫌だ)


 突然にして、底深い絶望感が頭を埋め尽くした。人生に対する悲観、幸福を奪われた怨念、体を蝕む苦痛。

 あまりにも甚大な負の感情に、私の精神は大きく揺さぶられる。耐え難い責苦に苛まれるが、耳を塞いでしまいそうになるのを必死に堪えた。私は、彼らの声が聞こえぬ振りをしてはならない。それが、私にできる唯一で最後の罪滅ぼしなのだ。

必死に歯を食いしばって、一時ではあるが、彼らのすべての苦痛を受け止めた。


 ややあって馬が小さく嘶き、荷馬車の歩みが止まった。


「アーシブルに行きたいってんなら、この先にある船着き場で、鷹の紋章が入った旗を探しな。この町で唯一アーシブルと交易してる商人だ。金さえ払えば、喜んで乗せてくれるだろうよ」


 問題はその金だが、いくつかの宝石でなんとか凌げるはずだ。最悪の場合、宝石で直接交渉してもいい。

 これから積み荷を届けに回るというサムロの迷惑にならないよう、私はここで下ろしてもらうことにした。


「サムロさん、本当にありがとうございました。ですが、これほど親切にしていただいたのに、私は何もお返しすることができません」


「だから最初に言っただろう、ついでだって」


 精霊の反応の通り、何の見返りも要求しないサムロの善意に心が熱くなる。今の私では、何もできない。せめてハウゼント王国で彼の商売が上手くいきますように、と精霊に祈った。


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