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 よく、夢を見た。

 暗い森の中に一人佇む私は、気がつかない間に底無し沼へと足を踏み入れている。重い泥土は容赦なく私の身体の自由を奪い、どれだけ踠いても抜け出せない。

 やがて沼に呑み込まれた私は、光に手を伸ばすことすら叶わないまま呼吸を止めていく、そんな夢だ。いつもは、そこで目が醒める。


(フェイ、起きて)


 だが、今回は違った。鈴を転がすような精霊よりも少しだけ低く温かみのある声が、繰り返し私の名前を呼ぶ。光の届かないはずの底深い沼に光明が差し、沈んだ私を包み込んで掬い上げたのだ。


(フェイ)


「ん...」


 何度も名前が呼ばれる。ああ、起きないと。

 鉛のように重たい瞼を押しあけ、上体を起こす。数回瞬きを繰り返してから周囲に視線を巡らせると、どうやら森の中のようだ。立ち並ぶ木々が少し開けた場所で、木漏れ日が風に揺れて幻想的に煌めいている。

 地面に直接横たわっていたせいで痛む節々を伸ばしながら、体に残る気怠さを払拭した。


(ここ森の中ー)(僕たち連れてきた)

(お城からけっこう遠いの)

(海が近いよ)


 普段と変わらない精霊たちの声が言うには、ここはハウゼントの沿岸部に位置する森の中のようだ。

 そして昨夜のユージル王子から告げられた婚約破棄と謂れのない断罪、そして目配せしていた父とユージル王子の姿が脳裏に甦る。集まってきてくれた精霊に、私はあの場所からいなくなることを願った。彼らは、私をここまで連れてきてくれたのだ。

 王城から遠いと聞いて、ひとまず安堵の息をついた。恐らく王都から五日ほど掛かるこの場所なら、慌てて逃げ出す必要もない。


「あぁ、すべて終わったのね」


 王妃としての役目から解放され、その地位を狙う者に怯える日々を過ごさなくて良いのだ。喪失感に苛まれることもないが、喜びに満たされているわけでもない。自分でもよくわからなかった。


(フェイ悲しい?)(あいつら嫌い!)

(フェイ悲しませた)(ハウゼント嫌い!)


 精霊たちが私の心を汲み取って口々に心配するのを聞いて、胸が温かくなるのを感じる。自分ではあまり自覚がないが、精霊が言うならばこの胸の蟠りの原因は「悲しい」からなのだろう。だが、それもすぐに割り切ってしまえるものだった。


「私は大丈夫よ、みんな。それよりも、あの事の顛末が気になるわ。光の精霊はどうするつもりなのかしら。あなたたち、何か知っている?」


 魔物のいないハウゼントでは、精霊たちは人間と契約することにあまり乗り気ではない。力を貸す必要がないからだ。

 そのような状況下で光の精霊がアリア・カーラムと契約する理由。


(あの令嬢にそれほど利用価値があるようには思えないのだけれど……)


(はいはーい、お呼びですかー!)


 ちょうど光の精霊について考えている最中に、陽気なその声が響き渡った。相変わらずの溌剌さに、我知らず微笑んでしまう。


「久しぶりね。ちょうどよかったわ、貴方に聞きたいことがたくさんあるの」


(え、なにかあったの?)


 ……ん?


「ええと、アリア……いえ、クレメルという少女と契約したのではないの?」


(うん?誰それ)


 光の精霊はしらばくれているというより、本当に何も知らないようだ。精霊名は契約した精霊が贈るものだから、本人が知らない筈がないのだ。

 私は、昨晩の出来事を掻い摘んで説明する。アリア・カーラムという令嬢が光の精霊との契約を仄めかし実際にその力を使って見せたことを伝えると、光の精霊はそれを笑い飛ばした。


(ボクは光から生まれたから“光の”って名乗ってるだけで、ピカピカ光らせる力は持ってないよ)


 そうだった。この光の精霊が持っているのは“癒し”の力だ。靴擦れや刺繍での傷を治してもらったこともあるのに、すっかり思い違えていたようだ。


「では、別の光の精霊がいるということ?」


(うーん、どうだろう。この辺じゃ、ボクは会ったことないけどねぇ。それにピカピカするのは光の力だけじゃないよ。火のヤツらだってできるし!)


 (できるよー)(ほらー)(みてみて!)


 光の精霊の言葉に感化されて、周囲の火の精霊が気勢を上げる。小さな火花が無数に散らばり、辺りを照らした。

 確かに、夜間に光源としているのは蝋燭に灯された炎だ。

 思い返してみると、あのダンスホールはいつもより暗く、アリア・カーラムが纏っていた光は、いま火の精霊が生み出したものと酷似していた。

 さらに掘り下げて考えていくと、ユージル王子が契約しているのは火の精霊だ。精霊も契約したはいいがユージル王子に力を貸し与える気はないようで、彼は大した精霊魔法は使えない。だが、火になる前の弱い火花程度ならなんとかなるはずだ。


「彼らは光の精霊と契約したと偽ったのね」


(たぶんね)


 あくまで可能性の話だが、精霊を利用できる存在としか思っていない彼らなら、十分考えられる。まあ、それもお互い様だ。精霊も、魔物と渡り合ううえで人間に利用価値があるから、人間に力を貸し与えているに過ぎないのだから。


 いとも簡単に騙されてしまったが、権力者であるオスローゼ公爵を取り込むことで一部の貴族を黙らせ、話の論点を光の精霊から公爵令嬢である私に移したことで、人々の意識を逸らしたのだ。

 与えられた役割に文句の一つも言わず従う私は、随分と使い勝手のいい駒だったことだろう。だが、ユージル王子の婚約者エレイン・オスローゼ公爵令嬢は、もういない。

 私は、自由なのだ。


 ひとまず立ち上がり、ドレスについた土埃を払う。薄い生地を重ねた繊細な造りのドレスは所々破れていたが、もうどうでもよかった。


「これから、どうしようかしら」


 自由の身になったのはいいが、問題はそれだった。あの重圧から抜け出したい、精霊の役に立ちたいという漠然とした願いはあったものの、いざ実現してしまうと、その方法が浮かんでこない。

 だが、このまま森でじっとしている訳にはいかないことも承知している。


「少なくとも、この国から立ち去った方が賢明ね」


 国家反逆の罪を負った私をオスロ―ゼ公爵がどう利用する魂胆だったのかは分からないが、私が忽然と姿を消してしまったのは、彼らにとって完全に予想外だったはずだ。

 今頃、血眼になって私を探しているだろうか。または、既に修道院へ旅立ったことにして存在自体を抹消したかもしれない。

 どちらにせよ、ハウゼント王国に留まる選択肢はない。とはいっても、問題は何処へ、何をしに行けばいいのかである。

 ずっと王子の婚約者という役目に囚われていたせいで、やってみたいことの一つも見当たらない。治世とは無関係となった今、修めた学問は意味をなさず、嗜み程度でしかない刺繍やダンスは生活の役には立たない。すべて徒労に終わってしまった。

 八方塞がりで悩む私の元に、精霊はさまざまな案を提案する。といっても、なぜか皆同じようなことしか言わない。


(アーシブルにいこう)(海のむこうだよ)

(アーシブルすき!)


「ちょ、ちょっと待って。アーシブルって海を渡った先にある大国よね。たしか、一つの陸地そのものが一国として成っているのだったかしら」


 ハウゼントでは自国至上主義的思想が根深く、他国の情勢や文化を学ぶ機会は極端に少なかった。その中で得られた数少ない情報を思い浮かべる。

 ハウゼント王国の解釈では、アーシブルは精霊から見放された低劣な国だとされている。国の背後に、魔物が支配する森の脅威が聳え立ち、人々はいかなる時も魔物の来襲におびえて暮らさなければならない、と。

 交易の面で僅かながらハウゼント王国と関係を持っているにも関わらず、この国の人々はアーシブル王国の話題を避けるものだから、その治世や文化についてはさっぱり分からない。

 ただ、精霊たちの評判はすこぶる良好だ。彼らが「すき」と評するアーシブル王国こそ、精霊に愛されていると思えてならなかった。


(アーシブルは良いところだよ。それに、ボクたちも付いていくしね!)


 光の精霊も、アーシブル、アーシブルと口々に騒ぎ立てる精霊に賛同した。


 ……ん?

「ボク()()も、付いていく?」


 まさか、光の精霊が言うボクたちとは、この辺り一帯の精霊のことではあるまいか。


(そうさ!)(ボクも!)

(ぼくだって)(アーシブル)


 おびただしい数の精霊が一斉に声を上げる。咄嗟に耳を塞ぐが、頭に直接響く精霊の声にはまったく効果はなかった。かち割れそうになる頭を押さえて、精霊たちを落ち着かせようと声を張り上げた。


「分かった、分かったわ。一緒にアーシブルへ行きましょう?」


 私の返答に納得した精霊たちは、ひとまず散り散りになる。

 勢い任せに決断してしまったが、後悔はしていない。精霊が付いてくるという事も驚きはしたが、精霊は何ものにも縛られない自由な存在だ。私がどうこう言う問題ではないと結論付ける。


 この森を抜ければ、比較的大規模の港町アイシンがある。アーシブルとの交易は大々的に行われていないものの、定期的に行われていた。アイシンほどの港町からなら、アーシブル行の商船も出航しているはずだ。そこに紛れ込みたい。

 だが、上質な生地で仕立てられ、所々宝石が縫い込まれたこの深緑のドレスを摘まみ上げて、私は深いため息を吐いた。明らかな夜会服では、自分が貴族だと言いふらしているようなものだ。

 何よりも、三人がかりで着付けたこのドレスを一人で脱ぐ自信がない。


「出鼻を挫かれた、とはこの事ね……」


 はあ、と嘆息を零した私に、光の精霊が呼びかける。


(フェイ、ちょっとコッチに来てごらん)


 踵の高い靴で森の中を歩くのは一苦労だったが、光の精霊の声に導かれるまま進んでいくと、断崖の下にたどり着く。一瞥したところではただの岩肌に見える。

 だが、光の精霊が(土のー、ちょっと手伝って)と声をかけると、亀裂すら入っていなかった岩壁がみるみる割けていき、次の瞬間には小さな洞窟が姿を現した。

 入口は狭く屈まないと入れないが、円天井の中は案外広い造りになっている。一つの窓もない閉鎖的なこの空間は秘密基地のようで、壁を削った棚には食器や瓶が並び、ランプ、麻の袋に詰められた何か、そして寝台までが備わっている。だが、麻や寝具などは劣化が激しく、完全に解れてしまっていた。

 この洞窟の持ち主が、随分と長い間ここを訪れていないことが伺える。


「ここは……」


(ずいぶん昔に、トルンっていう人間がいたんだけど、ボクたち精霊と相性が良くてねえ。契約してたのは土のなんだけど、必要なときは喜んで力を貸したよ)


「トルン……残念だけれど、聞いたことがないわ」


(トルンは、ずっと魔物と戦っていた。あいつすごく強かったから、気付いた時にはこの辺りの魔物全部を倒しちゃってね)


 それには思い当たる節があった。ハウゼントではごく一般的な物語、全ての魔物を屠ったことで精霊から恩寵を与えられ、この国を創り上げたという伝説の勇者のことではないだろうか。

 物語の中の人ととばかり思っていた勇者が、まさか実在していたなんて。受けた衝撃は予想以上に大きく、私は阿呆のようにあんぐりと口を開けたまま暫く動けなかった。


(ここはトルンの隠れ家だった場所だよ。役に立つ物が何かしら置いてあるはずさ!)


 続いた光の精霊の言葉に我に返り、私は室内の物色を始めた。

 中身が入った麻袋に手を伸ばせば、少し触れただけでボロボロと崩れてしまう。立ちのぼった埃に咽ながら、入っていたものを探った。

 数枚の服のようなものも、麻袋と同様に繊維が剥き出しになっていて使い物にならない。短剣は錆びついていて鞘から抜けないし、小さな袋に分けてあった硬貨は見たことの無いものだった。

 土の精霊が錆を取り除いてくれた御蔭で短剣や硬貨は輝きを取り戻したが、今一番欲しているのは服だ。


「……あ、あった」


 目的のものは、崩れた袋の奥底にあった。引きずり出した黒い布は、他の衣服と違って劣化していない。その奇跡に小躍りしながら埃を立てないように広げてみる。


(うわあ、スパイダー・ギガントの糸だねぇ。トルンの愛用品だよ、それ。切れないし燃えないし濡れないからね)


 末恐ろしいほどの高性能だが、正直ただの黒い布にしか見えない。

 少し光沢のあるその生地は、広げてみれば体をすっぽりと覆ってしまえるほど大きなマントの造りをしていた。トルンという勇者からすれば膝丈ほどしかないのかもしれないが、私にとっては地面に裾が付くほどの長さだ。

 これなら、ドレスを脱ぎ捨てて下着姿になっても問題なさそうだと判断し、この重厚なドレスを脱ぎにかかる。

 時折ビリッ、という不穏な音が聞こえたが、悪戦苦闘しながらも一番上のドレスを脱ぎ去った。締め付けの強いコルセットを緩め、殆どのペチコートをずり下ろす。残ったのはドロワーズと数枚のペチコートだけだ。その上からマントを羽織り、錆びた留め具を肩口で嵌めれば、格好として違和感はない。宝石のついた靴だけが問題だが、森を裸足で歩くわけにはいかない。

 今にも外れそうな宝石だけをもぎ取って、あとでお金にでも換えようと考える。耳飾りなどの装飾品も外し、まとめてマントの内袋へ仕舞った。髪を結っているバレッタだけはどうするか逡巡するが、外して髪を解いた。

 アイシンまでは徒歩で行けるが、アーシブルに渡るのにはお金がかかる。今の私は無一文だし、いつのものか分からない硬貨に歴史的価値はあっても使い道にはならない。


(お金もない、市井での常識もない、私は本当にやっていけるのかしら)


 世の中の情勢を冷静に見極めてはいても、所詮は蝶よ花よと育てられてきた。世間知らずの貴族令嬢であることに変わりはないのだ。


(それに、アーシブルに渡るのはいいけれど、何をするかは結局決めていないのだわ)


 問題を先送りにしていただけという現実を思い出して私の気分は急降下するが、ふと洞窟の隅に置かれた細長い箱が目に留まる。硝子でできた箱のようだが、表面は黒く煤汚れていた。

 恐る恐る蓋に手を掛け汚れを払うと、表面に文字が浮かび上がる。彫刻とは違って溝はなく、硝子の中に直接彫ってあるような不思議な文字だ。


「センシオ・トルン・コンバーテ」


 それが勇者の名前であることは一目瞭然だった。高揚に心を躍らせながら、蓋を横にスライドさせる。ギリリと鈍い音を立てながら開かれた箱の中には、思わず息をのむほど美しい剣が横たわっていた。鞘部分は光沢のある黒で、見事な金の模様が象られている。

 何よりも、柄の頭にはめ込まれた宝石が形容しがたい輝きを放っていた。手の平に収まるほどの大きさに丸く加工された深紅の宝石だ。

 私は、両手で掬い上げるようにしてその剣を持ち上げた。


(これが、勇者の剣なのね。でも、驚くほど軽いわ)


 本より重いものは持ったことがないひ弱な私が、片手で持つことが出来ることに感嘆しながらも、少しだけ肩を落とす。この剣はきっと、装飾や儀式に用いるものにちがいない。そうでなければ、こんな端正な宝飾などわざわざ取り付けはしないだろう。

 それでもなお、この剣が魅せる輝きは失われていない。短剣のように錆び付いているかもしれないと思いながらも、私は柄に右手を添え鞘から剣を抜いた。

 それは杞憂に終わり、鍛え抜かれた刃渡りが鈍い光を放つ。

 模造剣などではない、正真正銘の武器だった。


(ミスリルなの)(すっごく軽い)

(でもすっごく硬い)(よく切れるよ)(絶対に折れないよ)

(トルンが使っていた剣だからね。性能は保証するよ!)

 光の精霊も言うように、これはセンシオ・トルン・コンバーテ、ハウゼント王国の初代国王の宝剣だ。私個人が持って良い代物ではないと思いつつも、その剣を手放すことができない。

 片手で上段から振り下ろし、両手に持ち替えて下袈裟に切り上げる。剣を握ったことはないというのに、まるで長い時間を共に過ごしてきたかのように私の手に馴染んだ。


(もともとその剣は精霊が贈ったものなんだ!今度はフェイが使ってよ)

(つかってー)(フェイに使ってほしいな)


 そう言われてしまえば、受け取らざるを得ない。この剣が後押しのようになって、私は心を固めた。


「決めた。私、冒険者になるわ」


 籠の鳥だった私が抱いた、唯一の望み。私を受け入れてくれた精霊たちの役に立つことだけが、長年の願いだった。ハウゼントには魔物がいないが、アーシブルにはいる。

 彼らが求めるままに、本来の役目を果たすことが出来るではないか。


 魔物の脅威と常に隣り合わせにあるというアーシブルでは、魔物を討伐することで生計を立てている職業の人たちがいると聞いたことがある。具体的な仕組みや実態は分からないが、我ながら良い思い付きだ。

 私には、精霊が付いている。精霊から贈られた武器もある。あとは、アーシブルへ向かうだけだ。



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