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「ここが、第十三団の詰所です」
訓練場を後にしてからしばらく歩き、観客席付きの訓練場を通り過ぎると、倉庫のような建物が立ち並ぶ場所へと到着した。その建物の中の最奥、焦げ茶色の重厚な扉に足を向ける。
「案内ありがとうございました。それと、訓練場を見学させてくれたことも」
彼の貴重な時間を使って、見学までさせてもらったのだ。感謝の言葉は尽きない。イズミに会釈をして、私は重々しい木の扉を開け放った。
「失礼します……?」
金の模様が施された深緑のカーペットに大理石のテーブル、座り心地の良さそうなソファーが二対、整頓された本棚、白いグランドピアノ。おまけに天井にはシャンデリアがぶら下がっている。
開いた口が塞がらないとは、まさにこのことだろう。どうせ男衆が集まる倉庫の室内なんて、散らかっているだろうと思っていた。
しかし広さはそこそこだが、この洗礼された装飾といい上等な調度品の数々といい、かつて貴族として暮らしていた頃を思い出してしまうほど豪勢な造りだ。
「はぁ、全く。ここは相変わらずだな」
私の驚きように、後ろに立っていたイズミが呆れたようにため息を吐いた。
「他の所も、このような感じではないんですか」
「いいえ、ここが異質なんです。詰所とは、騎士が集い計画を立て合う場所です。それなのに彼らときたら、討伐騎士を一体なんだと思って……」
「まぁ良いじゃねえか」
突然奥の扉から現れた男に、彼の言葉は遮られた。
「あんまり堅苦しいと出来ることも出来ないぜ。第三団のイズミ・シューテインさんよ」
「なっ、レナード・ジンクス。貴様どこから……」
「あんまり俺たちを見くびらない方がいいぜ」
レナード・ジンクスと呼ばれた彼は、甘栗色の髪を靡かせながら軽い身のこなしで近付き、イズミの耳元でそう囁いた。イズミは顔を怒りに染めてレナード・ジンクスを睨み付け、鼻息荒くその場を去ってしまう。
「調子に乗るのも大概にしろ、騎士道を外れた異端者が」
彼が最後に残したセリフに、ひとり蚊帳の外にいる私は両者の因果関係をよく呑み込めないまま、呆然と立ち尽くした。だが仲が悪いというよりも、イズミが一方的に毛嫌いしているように思えた。あんなに温厚そうな性格の彼がどうして。
「あーあ、血気盛んな奴は怖いねぇ」
荒々しく閉められた扉に、おどけたように肩を竦めるレナードの後方から影が忍び寄る。
パコッ
軽快な音とともに、丸められた雑誌がレナードの頭に命中した。犯人は鬼のような形相で腕を組んでいる、黒髪で眼鏡をかけた男だ。
「貴方という人は。あれほど他の騎士と衝突するなと言っているのに、何度説明すれば分かるんですか」
「くっそ、ニケルめ。別に俺が仕掛けたわけじゃねえ。あいつが勝手に入ってくるから用件聞いただけだっつーの」
たかが雑誌で、と思うほどにレナードは涙目になりながら頭を抱えて蹲った。そうして初めてニケルの視界に私が映る。目が合った瞬間に私は直感した。
誰かに似ていると思えば、ララサム・コロハンスだ。眼鏡の奥に隠された眼光は、ララサムに勝るとも劣らない鋭利さを秘めている。だが、全てを見透かしてやろうというララサムと違って、彼には少し迷いがあるように見えた。
「それで、この少年は何者ですか」
表情を変えないまま、ニケルはレナードへと疑念をぶつける。いい加減痛みも治まったレナードは、さりげなくニケルと距離を取りながら首を傾げた。
「知らねぇよ、シューテインの奴が置いてったんじゃねぇの。騎士見習いだろ、こいつ」
「…そうですか。総会からの呼び出しがかかりました。僕たちの任務が、正式に定められるでしょう。ノエル、レナード、後はよろしくお願いします」
「気負うなよニケル。俺たちには高雅の蒼穹が付いてんだからな」
レナードの言葉にニケルは僅かに瞳を細めて、静かに部屋を出て行った。
呆気に取られたまま、言葉を発することなく佇んでいた私は、内心では落胆の念に苛まれていた。誰も私が高雅の蒼穹と呼ばれているなどと思いもしない。見習い騎士の振りをしろというサザンの策は、実に的確だったというわけだ。何もしていないのに、皆私が見習い騎士だと疑わない。
「覇気が足りないのかな……」
私の寂しい独り言は、雅やかなこの空間に吸い込まれていった。
ノエルという騎士が後を任されたと言っても、実際に彼はただじっとソファーの上に座って顔を膝の間に埋めたままである。そして、長い沈黙の末とうとう痺れを切らしたレナードは、未だに退出しようとせず扉に張り付くように立っている私へ質問を投げかけた。
「お前、シューテインに付いている騎士見習いなんだろ?俺たちに何か用でもあるのか」
突然現れて、しかも何も言わずに佇むだけの私は不自然だろう。取り敢えず名乗ろうと口を開いた時だった。
(フェイ危ない!)(頭よけて!)(セオが来るよ!)
精霊たちの声が私の脳内に警鐘を鳴らした。
とっさに顔を左に背ける。
ボスっと鈍い音を立てて、先ほどまで顔があった先の扉に刺さった……刃渡十センチほどのナイフに、私は瞠目した。
一体、誰が。
考えるより先に身体は動かなければならなかった。奇襲の相手は、部屋の対角線から目にも留まらぬ速さで迫ってきたのだ。咄嗟に剣を抜き放ち、何とかそれを受け止めたものの、これほどの剣技の持ち主相手に二撃三撃と応戦する自信はなかった。
だが、予想外のことが起こる。
シュッという小さな摩擦音とともに、振り下ろされた襲撃犯の剣が折れてしまったのだ。正確には、切れてしまったと表現した方が正しい。切れてしまった剣を目の前に唖然と掲げながら、男は動きを止めた。この男、濃紺の制服を身に付けている正真正銘の討伐騎士だ。
「っおい、何やってんだよ、セオ!」
状況を飲み込めずにいたレナードがようやく反応を示す。ノエルも顔を上げて様子を伺っていた。彼が第十三団の騎士であることはまず間違いない。
「これ、ヒヒイロカネだよ。その剣、いったい何でできているんだ?」
背中に冷たい汗を流す私とは裏腹に、セオは飄々としていた。使い物にならない剣を迷いなく放り捨て、背中に備えていた二振りの短剣を取り出す。
しかしながら、私は剣を構えることが出来なかった。剣を人に向けるという行為は、三年前のあのトラウマを蘇らせるものなのだ。アーシブルに来たばかりの頃、実力を測るためといってジャックと模擬戦をしたが、体が震えてそれどころではなかった経験がある。
だが、セオは私に考える暇を与えてはくれなかった。
「まあいい。剣で応戦させなければいい話だから」
刹那の速さで間合いを詰め、横薙ぎの一撃を紙一重で躱したところに、次は突きの連撃。そこから息をつく間もなく、急所を狙った攻撃が次々と繰り出される。
彼は、私を仕留めるつもりでいる。命のやりとりをしているという事実に、背筋が粟立った。
だが、洗練された短剣捌きに私は避けるので精一杯だ。剣で応戦させない。その言葉の通り、余裕などなかった。
「避けてばかりいないでさ、もう少し楽しませてよ」
一旦攻撃をやめたセオは、不服そうにひらひらと短剣を振る。挑発しているのかもしれないが、私は構わず剣を鞘に収めた。これ以上、剣を持っていられなかった。
「なあセオ、一旦落ち着けって。ノエルからも言ってやれよ」
レナードも焦ったように声を荒げる。だが、セオはそれを右から左に受け流し、不敵な笑みを浮かべた。
「ちょっと黙ってろよ、レナード。いま俺が相手しているのは、高雅の蒼穹なんだからさ」
「…なっ!」
レナードは間抜けなほど、口をあんぐりと開けた。セオを止める役目など、頭から消えて無くなってしまったようだ。
私は、セオがレナードに気を取られている一瞬の隙をついて、彼を見極めようと試みた。神経を研ぎ澄ませて、単調で、流れるような精霊の声を一言一句も漏らさずに聞き取る。魔物についてはハヤテが詳しく解説してくれることが多い。だが情報収集においては、ひたすらにかき集めるしかない。そしてその中から必要な情報を見出すのだ。
精霊の言うところでは、セオが契約している精霊は風属性で、風の精霊魔法によって一つ一つの動作に加速を生み出しているようだ。当然風の精霊魔法は持続性が高いので負担は少ないが、非常に高度な技である。その制御の精密さに感嘆せざるを得ない。
私も同じような方法を使うが、精々突進の加速と跳躍、斬撃の一瞬に使うくらいで、彼ほど順応しては扱えない。制御が難しすぎるからだ。きっと、今までの攻撃は様子見だろう。あの人は、もっと速い。
それに加えて、彼には予備動作がない。だから、その攻撃を予測することができないのだ。
万事休すかと思ったが、ひとつだけ活路がある。精霊魔法を使うとき、彼らは精霊から受けた力を直接具現化させる。つまり、セオが加速する直前に、彼と契約している精霊に反応があるはずなのだ。
セオは、レナードとやり取りしている間も私から視線を外さない。私も、目を離した一瞬の隙を突かれることを恐れて、彼を見据え続けていた。だが、私はそっと目蓋を閉じて、すべての視界を遮る。
私は人と戦うことはしたくないし、そもそも彼と相見える意味がない。私に残された選択肢は、逃げるのみだ。
精霊の一瞬の揺らめきを感じ取って、後ろに大きく跳躍する。目を開けると、私が先ほどいた場所にセオが短剣を突き立てていた。先ほどまでのギリギリの躱し方ではなく、明らかに先を読んだ私の動きに、セオは煌々と瞳を輝かせた。素早いことで有名なA級マンティコアから逃げるときのように、私は室内のテーブルや壁を足掛かりにして縦横無尽に駆け回る。
セオは攻撃ごとに勢いを増しているが、私も足を止めることをしない。決着の付かない攻防がいつまで続くか、おそらく私の持久力が切れる方が早いだろう。
「もうやめませんか。私に戦う理由はありません」
一番良い解決策は、彼がこの理由のわからない攻撃をやめてくれることだ。彼だって、心から楽しんでいる訳ではなさそうだし。
セオに呼びかけてみたが、彼が攻撃の手を弱めることはなかった。
むしろ、そちらに気を取られてしまったことで、後退するうちに足を踏み外してしまう。
(っ!)
その不意を突いて、セオは目にもとまらぬ速さで短剣を振り下ろした。咄嗟に剣の鞘で受け止めるが、もう一方の短剣が振りかざされる。
これは、間に合わない。
怪我を覚悟して、私は全力で身体を右に逸らそうとした。
しかし、事態は思わぬ方向へ動く。何の前触れもなくセオがよろめいたのだ。私の首元を目掛けていた短剣が、コロリと地面へ音を立てて落ちる。
(だめだよ、セオ)
「……ノエル」
セオが苦々しげに吐き捨てる。今まで部屋の隅でうずくまっていたノエルがセオに何かをしたことは分かるが、それよりも、私は自分の耳を疑った。ノエルは口を開いていない。だが、まるで腹話術のように、その声は私の耳に届いて聞こえたのだ。
ノエルの契約している精霊の属性は風、だが、その精霊魔法の使い方が実に興味深い。
(精霊魔法で空気を震わせているのか……)
人間は、喉を震わせることによって発声している。その過程を、彼は精霊魔法で代替しているのだ。また、その力は的を絞ることができる。彼の精霊力を制御する能力の高さは、セオに引けを取らない。
私がノエルについて分析している間、セオとノエルは睨み合っていたが、セオの方が折れて剣を収めた。
「分かった、今日のところは引こう。でも、今度は俺をがっかりさせないでくれよ、高雅の蒼穹」
セオが小さくついた溜息には、明らかな失望の色があった。私に対人戦の技術を求められても困る。彼は次を望んでいるようだが、私にその気はさらさらなかった。
「ご期待に沿えなかったようですが、もう二度とあなたと剣を交えるつもりはありません。私が戦うのは、魔物だけでいい」
「それは……」
セオの瞳が、一瞬だけ揺らいだ。
私は、ようやく落ち着いて彼と真正面から向き合うことができる。
冒険者の中には、戦っていなければ呼吸をしていられないような戦闘狂がわんさかいるので、彼のことも「血の気が多いな」くらいにしか思わない。だが、何故だろう。彼には迷いと葛藤が渦巻いているように見える。
私と剣を交えることで、何かを見出すことを望んでいたような……
「これは一体何事ですか!」
そのとき、勢いよく扉が開かれた。




