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 何百もの蝋燭が灯された巨大なシャンデリアがダンスホールを明るく照らしている。等間隔で壁に掛けられたランプは半分ほどしか灯していないが、それが却って神秘的な雰囲気を生み出していた。

 テンポの良いワルツが奏でられ、参加者たちはそれぞれダンスを踊ったり社交に勤しんだりしている。

 一人で参加しているにも関わらず、次期王妃という肩書から逃げられない私は、瞬く間に貴族らに囲まれてしまう。

 その中にジーケード侯爵やトールジス伯爵など、国を代表するような貴族が含まれているものだから邪険に扱うわけにもいかず、彼らの自慢話に曖昧に微笑まなければならなかった。

 貴族の世界というのは、他者を蹴落とすための謀計や、より上位者に取り入るための媚び諂いが渦巻いている。だが、彼らがどれだけ私を害そうと画策しても、私に何らかの危険が迫ると精霊たちが一斉に騒めいて、


(フェイ気をつけて!)(フェイからはなれろー!)


 と声を上げるものだから、私を次期王妃の座から追い落すために毒を盛ったり暴漢に襲わせたりしようとする暴挙から幾度となく逃れてきた。精霊には裏表がなく、心から信用することが出来る。精霊だけが私の唯一の安らぎであり、救済だった。

 けれど、私は精霊たちが望むような働きは何一つできていない。ハウゼントには魔物がいないのだ。それでも絶対に、この恩に報いたい。何も求めずに生きてきた人生の中で、たった一つの望みだった。


 ふと演奏が止み、代わりに高々とファンファーレが鳴り響く。ハウゼント王国国王夫妻が入場する合図だった。人々は身分を問わず一斉に跪き、首を垂れる。

 私もみなと同じく床に膝をついて頭を下げる。しかし、いつまで待っても国王から声がかかることがなかった。会場は異様な騒きに包まれ、不敬とは思いつつも、何事だろうと頭を上げた。

 王座の前に立っていたのは国王夫妻ではなく、私の婚約者であるユージル・ハウゼント第一王子だった。そして彼は、一人の女性の腰を抱いていた。


(騒きの原因はこれか)


 ユージル王子は、ホールの中央に佇む私をチラリと一瞥して不快そうに顔を歪めるが、すぐに視線を逸らし徐に口を開く。


「今宵集まった皆に、私ユージル・ハウゼントは、国を代表して伝えねばならない」


 ざわざわと会場が揺れた。国王夫妻入場のファンファーレと共に第一王子が入場し、国王はいまだ姿を現さない。我が物顔で王座の前を陣取るユージル王子に不審の目を向ける者もいれば、状況を理解できず固唾を飲んで王子の言葉を待つ者もいた。


 果たして、ユージル王子が齎した衝撃は、国をも揺るがすものだった。



「先ほど、ジェイソン三世陛下が崩御した。精霊様へ祈祷するための献金を横領していた陛下は精霊のお怒りを買ったようで、先ほどから精霊の力が揺らいでいる」


 国王が崩御したという話に貴族らは多少の疑心をみせるものの、その後に続いた死因に顔を青くする。ユージル王子の言い分が本当なら、誰しもに心当たりがあるからだ。

 精霊に気を取られて、崩御という事態へ疑念を唱える貴族が現れないうちに、ユージル王子は言葉を続けた。


「だが、安心せよ。精霊様のお怒りはすぐに治った」


 そして、妙に勿体ぶった物腰で、自分の少し後ろに立っていた少女の背中を押す。


「この者は、アリア・カーラム嬢。半年前に光の精霊様の加護を受けし者だ。彼女が荒ぶる精霊様の御心を鎮め、再び国に安穏を齎してくれた」


 その言葉を聞いて、貴族らは一斉に胸をなで下ろした。

 明るい茶髪に同色の円らな瞳という実に愛らしい姿形の彼女は、間違いなくカーラム男爵家の令嬢だ。夜会で何度か見かけたことがあるが、常に誰かに媚びている印象があって、あまり好ましい女性ではない。

 それにしても、光の精霊ときたか……。


 精霊たちは(火のー)(風のー)と、それぞれが持つ精霊力の属性でお互いを呼び合っている。その中に光の話題は度々出てきたし、実際に光の精霊と言葉を交わしたこともあり、顔見知りのようなものである。 

 それまで本能で世界を動かしているに過ぎなかった精霊たちは、私たち人間と関わることで思考力や知識を手に入れるようになったという。人間と過ごす時間が長ければ長いほど、精霊は人間に感化される。

 私が知っている光の精霊は一体しかおらず、出会った精霊の中で一番はっきりした自我を持っていた。光という属性のせいか、もともと精霊というのは楽天的なものだが、また一段と陽気な精霊だ。だが、殊の外何かに縛られることを嫌い、一ヶ所に留まることすらできない性分でもある。

 そんな光の精霊が、人間と契約するなんて正直信じられない。


「我を守護し光の精霊よ、我が名はクレメル。汝この願いに応え、その力を示せ」


 再び沸き起こった騒きに、思考の沼に沈んでいた意識が引き戻される。

 何事だろうと視線をユージル王子たちの所へ戻せば、詠唱とともに現れた淡い光の玉がアリア嬢を取り巻いているではないか。光の精霊が力を貸していることは確かなようだ。


(光の精霊は何がしたいのかしら)


 ユージル王子の腹積もりは分かる。光の精霊の加護という優位点を用意したうえで国王を何らかの方法で暗殺し、精霊の怒りを買ったと言って人々の不安を煽る。

 そこで、精霊の中でも上位——人間が勝手に付けた序列では—とされる精霊の加護を受けたアリア嬢を示し、彼女を王妃の地位に据えることで精霊の怒りを治める。そして彼女が伴侶と選んだ自分が、次代の王位に就く……とでもいうところか。

 分からないのは光の精霊だ。半年前に会った時には、アリア・カーラムとの契約について一切語っておらず、周囲の精霊が騒ぐこともなかった。

 精霊たちに尋ねてもそれらしい答えは返ってこない。


 とにかく、ユージル王子は私より勝る価値をアリア嬢に見いだし、自分の地位も確固たるものにしようとしている。周囲の反応からしても、それは不首尾なく収まりそうだ。


(婚約者の役目は、これで終わりね……)


 それは、小さく安堵の息を零した瞬間だった。


(フェイ危な!)(気をつけて)(フェイを傷つけるな!)


 精霊たちが間断なく声を上げ始める。それは、命を脅かす危機をも告げ知らせてくれた時と同様で、私に災が差し迫っていることを意味していた。


「だが、まだ解決しなければならない問題が残っている。真に精霊へ許しを請うためには、我々は反逆者を断罪せねばならぬ」


 ユージル王子の刺すような視線が、私を貫いた気がした。

 屋敷で感じた嫌な予感がまざまざと呼び起こされ、ブルリと身震いする。そして、その予感は的中した。


「エレイン・オスローゼ。貴様は光の精霊の加護を受けたこのアリア・カーラム嬢に嫉妬し、彼女を排除しようとしたと報告が上がっている。アリア嬢の証言とも一致した。我が国を守護するアリア嬢を傷つける行為は彼女のみならず精霊様への冒涜でもあり、国家に対する反逆、極刑に等しい重罪だ。

 だが、貴様は貴族の端くれ、打ち首にする訳にもゆかぬ。よって、この場を持ってエレイン・オスロ―ゼの身分を剥奪し、国外追放とすることとしよう。二度と私たちの前に姿を見せるな」


「……はい?」


 あんぐりと開いた口を扇で隠すのも忘れるほど、頭の中は困惑で一杯だった。それでも、鈍った思考回路を必死に回転させて、何とか口を開く。


「どのような勘違いをなさっているのか存じ上げませんが、全く身に覚えのないことでございます。そもそも、アリア様が光の精霊から御加護を賜ったことを先ほど知ったのでございます。よもや、嫉妬など……」


 何とか形になった言葉に、みっともなく狼狽えずに済んだと安堵の息を吐くが、ユージル王子は忌々しげに眉を潜めるばかりだった。


「アリアの決定的な証言があるのだ。精霊から加護を受けられなかった心の卑しいお前とは違い、彼女は光の精霊が守護する乙女である。潔く罪を認めよ」


 結局はなんの証拠もないということではないか。それも当然、そんな事実は存在しないのだから。

 精霊と契約できなかったことを王子は仄めかしたが、まさかそれだけの理由で反逆罪の濡れ衣を着せられなければならないのか。もうユージル王子の魂胆が分からなかった。

 精霊から選ばれなかったとされる私をユージル王子が疎ましく思っていることも、いずれ婚約を解消されることも、理解していた。将来の王妃という重責を背負わされたあげくに窮屈な生活を強いられ、時には命の危険にすら晒されてきても、黙って耐えてきた。

 だから、あるべき日々を奪われたことを許す決意をし、婚約破棄後の人生に思いを馳せていたというのに。

 彼は、それすらも奪おうというのだ。


(こんな惨いことが、あってなるものか……)


 ふつふつと湧き出る怒りが、鈍った思考を拭い去った。

 歩み寄ろうともせず己の価値観ばかりを押し付けるユージル王子を憎いと思う反面で、与えられた道に甘んじてきた自分にも責任がある。

 そう、全てはハウゼント王国の歪んだ秩序が悪いのだ。人々はその歪みを正常だと思い込み、変わらず維持していくために間違いを繰り返す。


(こんな国……)


 その続きの言葉を浮かべる前に、私はふと我にかえった。

 …滅んでしまえばいい

 もし私が心からそう願えば、精霊たちは躊躇いなく叶えてしまうかもしれない。だが、本当の望みはそんな低俗なことではないのだ。

 ひとまず、この支離滅裂な事態を収拾しなければならない。こっそりと視線を巡らせれば、周囲の貴族らの反応は大きく二分されていた。

 一つは、顔色を悪くして狼狽える者たち。

 そしてもう一つは、無表情を装って傍観を決め込んだ者たち。そう、まるでこの状況を予め知っていたかのような…


(まさか!)


 胸中のざわつきは、濁流となって全身を駆け巡った。鼓動が早鐘をうち、浅い呼吸を繰り返す。


「殿下!」


 震える唇を噛みしめた私の前に踊り出たのは、父オスローゼ公爵だった。公爵ともあろうものが床に膝をつき、深く首を垂れた。


「殿下、娘は許されざる罪を犯しました。公爵家の籍からも外し、殿下との婚約も破棄させましょう。しかしながら、国外への追放だけはご容赦ください。エレインはまだ年若い娘なのでございます」


(まさか、貴方も加担していたなんて)


 彼から発せられた白々しく魂が篭っていない言葉は、呆れるほどに嘘くさい。

 父はこのまま、私と殿下との婚約を解消させる腹積もりなのだ。私の扱いに粗略だった王子に対して父が何も言わなかったのも、彼の気が他に移ったからだったのだ。

 どんな益があっての行動かは分からないが、おそらく王族の親戚という立場より勝る地位と権限をユージル王子から提示されたのだろう。長い間「出来損ないめ」と私を蔑んできたあの人のことだ。私を切り捨てることに迷いもしないだろう。


 そして私の減刑を嘆願しているのも、私にはまだ利用価値があると判断したに過ぎないのだ。

 明らかに目で会話をしている父とユージル王子を見やって、私は自嘲の笑いをこぼす。


(…馬鹿は私ね)


 もう、帰っていいだろうか?ああ、でも私には帰る場所がない。エレイン・オスローゼという人間には。


「では、代わりに何をもってして償うというのだ」


「娘を修道院へ入れるのです。精霊様への懺悔を生涯役目とすれば、罪も償えましょう」


 私の耳には、既に彼らの声は届いていなかった。

 私の激情に反応した夥しい数の精霊が集まったせいで、頭の中は精霊達の声でいっぱいだったからだ。


(フェイどうしたの)(フェイ悲しい)

(怒ってる)(憎い?)

(どうしてほしい?)


 精霊達は、私の心を素直に言葉にした。精霊たちの言う通りだ。父オスローゼ公爵の都合の良い手駒としてしか生きられなかった人生が悲しく、幸せな表情で微笑み合うユージル王子とアリア・カーラムが恨めしい。

 だが、不思議とそれ以上の感情は浮かんでこなかった。もともと、彼らに対する関心が薄かったせいかもしれない。

 私の頭の中では、これからどう行動するのが最善なのか選択を始めている。答えはすぐに導き出された。


 私が居なくなれば、私をまだ利用する腹積りのオスローゼ公爵は焦るかもしれないが、すべて丸く収まるだろう。だから、私が望むのはただ一つ。


「ここから……連れ出して」


 私は、静かに瞼を閉じた。


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