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 沈みゆく夕日が室内を照らすなか、壁に掛けられた姿見には、瞳の色に合わせた深緑のドレスを纏った自分が静かに浮かんでいる。

 亡き母から譲り受けたこのプラチナブロンドの髪は、ともすれば淡い印象を持たれがちだ。だが、目じりの上がった形の良い瞳と化粧映えのする容姿のおかげで、社交界の華に埋もれてしまうことはない。

 ドレスと同じ生地で仕立てたリボンと共に髪を高く結い上げ、念入りに化粧を施した今の自分は、まるで小さく微笑む人形のようだった。


「お嬢様、とてもお綺麗ですわ」

「今夜の一番の注目は、お嬢様で間違いございませんわね」


 湯浴みから身拵えまで始終の支度を任せた侍女らは、最後の仕上げとして耳飾りなどの装飾品を宛がいながら、興奮した様子で称賛の言葉を口にした。

 コルセットで腰回りを締め、数十枚のペチコートを重ねてスカートを膨らませるドレスがハウゼントでは主流となっているが、如何せん着付けに時間と労力がかかる。朝から三人がかりで準備を進め、完成したのは出立ギリギリの日暮れだ。


「ありがとう、お前たちのおかげよ」


 疲労の色を浮かべる侍女たちへ労いの声をかける。決まり文句のようなそれでも、彼女らは満足そうに頷くのだった。

 今夜催されるのは、ハウゼント王国建国四百年を祝う式典の前夜祭だ。王都の邸宅ではなく王宮にて開催される舞踏会には、国内の爵位を持つすべての貴族や有力な商人をはじめとし、各国からの大使が集う。

 国を代表する貴族であるオスローゼ公爵と、その娘である私ことエレイン・オスロ―ゼも、当然のことながら招待を受けている。


(夜会が中止にならないかしら)


 国王が崩御するか他国と戦争が起こるかしない限り、まず有り得ない望みが脳裏を掠めたところで、我にもなくため息を漏らした。

 この胸や腰を締め付ける窮屈なドレスも、夜会の噎せ返るような熱気も、貴族らの傲慢で独りよがりな会話も、何もかもが苦痛でしかない。

 しかし、どれだけ気が乗らなくても、私がハウゼント王国第一王子ユージル・ハウゼントの婚約者という肩書を背負っている以上は、参加を義務付けられているようなものだ。


 美しく着飾り完璧な所作を披露し、彼の隣で静かにほほ笑む。数年後には正式に立太子される彼を陰ながら支え、ゆくゆくは世継ぎを設けること。それが私に課せられた役目だった。

 オスローゼ公爵の娘として生まれ落ちた私は、五歳の時に二つ年の離れたユージル殿下と婚姻することが決められた。 


 ハウゼント王国には三百余りの貴族が存在するが、その国土の半分は国王が治める王領であり、残りの半分は貴族らが王から賜ることによって領地として認められる。王からの覚えがめでたい貴族ほど気候の優れた豊かな土地を与えられるため、貴族らは挙って国王に取り入り、結果として国王一人に権力が集中する社会体制が確立していた。

 国王から領地を拝領するのはたいてい伯爵から公爵までの上位貴族だが、その土地の地質に関わらず膨大な税を納める義務を担うため、その運営を下級貴族へ丸投げする場合が多い。そうして上級貴族らは王都に邸宅を構え、領地で得た金を使って豪遊しながら、時に国政に口を出すという日々を送っているのである。


 しかしながら、国王と一部の貴族に集中する政治的決定権を諸侯へ分散させるべきだと訴える貴族一派もいた。それが下級貴族なら、軍にまで裁量が及ぶ国王の力で排除すればいいものの、建国よりハウゼント王家を支えてきた由緒あるツイッツバーグ侯爵家が先導しているものだから、王家は対処しあぐねていた。

 更に、ツイッツバーグ家の現当主ジョセフは、その優れた手腕で領地を巨大な商業都市へと盛り上げ、ハウゼント王国の経済にとってなくてはならない存在へと地位を高めていた。ツイッツバーグ侯爵は、貴族界において大きな発言権を有していたのだ。


 そこで危機感を持ったハウゼント王家は、上位貴族の中でも最大の実権を握っているオスローゼ公爵家と縁続きになることで、現在の統治体制を維持しようとしたのだ。オスローゼ公爵もまた、非常に優秀だと噂されるユージル王子が王位を継承すると目論んだうえで、それを承諾した。

 私とユージル殿下との婚姻は、この独善的な王政を維持するための政略でしかないのである。貴族の世界ではよくあるもので、言わずとも、当人の意思は含まれていない。殿下との婚約からもうすぐ十年が経とうとしているが、彼と顔を合わせたのは両手で数えられる程度しかない。また、彼の十八歳の成人とともに正式な婚姻を結ぶ見通しであるにも関わらず、二人きりで言葉を交わしたのは昨年が初めてのことだった。


 それでも私は将来の王妃として相応しい教養を身に付けるべく、物心ついた頃から礼儀作法や人の使い方、外国語、ひいては算術や帝王学まで習うことを強いられてきた。

 そんな日々に息苦しさを感じつつも、他の貴族令嬢のように刺繍や茶会しかやることのない退屈さに比べれば、幾許かはましだった。


 しかし、実のところ私の中でのユージル王子に対する評価は地を這っている。それは、初めて個人的に膝を交えた、昨年の出来事が原因だった。

 ———たとえお前と婚約を結んでいるとしても、俺の心が手に入ると思うな。こんなふざけた婚約、解消となるのは時間の問題だろう。俺の心は、彼女の元にある……


 出会い頭に鋭い眼差しを向けられたかと思えば、ユージル殿下の口から発せられたのは、この荒唐無稽な言葉だった。どうやら殿下には意中の女性がいるらしく、私との婚約を解消して彼女と婚姻関係を結びたいらしいのだ。

 好きな相手がいるという程度で破談にできるほど、この縁談は単純なものではない。だから他の人と恋をしようとも、婚約者同士の心が通じていなくとも、この婚約が解消されることはないのだ。彼も理解しているだろうに、と最初は呆れてものも言えなかった。


 だが、よく考えてみれば、ユージル王子は非常に聡明で知略に富んでいるという噂を耳にしたことがある。もしかしたら、私との婚約を上回る価値を提示できる算段があるのだろうか。

 未来の王妃としての役割から解かれる日はそう遠くないのかもしれないと、近頃は思うようになった。


 ともかく、婚約を解消する腹積もりでいるユージル王子とそれに対して何の反論も示さない私の間には、決して埋まらない溝がある。

 正式な婚姻が刻々と迫るなか、昨年からユージル王子の公務や社交に婚約者として伴われることが増えたが、彼は私をエスコートすることに不機嫌さを隠そうともしなかった。私が招待されたパーティーに同伴を申し入れても、断られることすらあったのだ。


 建国四百年を祝う宮廷舞踏会という大舞台でありながら、今夜もユージル王子とは何の約束もしていない。このまま彼が屋敷まで迎えに来なければ、私は一人で参加しなければならなくなる。

 では、ユージル王子は一体だれを伴って出席するのだろうか……と浮かんだところで、その思考を止めた。考えなくとも答えは出ている。国の第一王子たる者が、このような重要な舞台に単身で参加するはずがないのだ。


(まあ、いいわ。一人の方が気楽ですもの)


 王家と公爵家の醜聞は、貴族らにとって恰好の餌食だ。彼らは勝手気ままに、分別無く噂話を展開していく。一人で出席すると、纏わりつく彼らの好奇の視線に耐えなければならないが、ご機嫌斜めな王子と隣り合って過ごすより幾分かはマシだった。


「さて、そろそろ出掛けようかしら」


「かしこまりました。馬車を玄関前に用意して御座います」


 辺りが薄暗くなり始めたころ。すべての支度を終えた私は、お気に入りの白のショールを羽織って憂鬱な気分のまま玄関へと足を向けた。途中で父オスローゼ公爵の書斎を通り過ぎ、そういえばここ数日間、屋敷に彼の気配を感じなかったことを思い出した。


「今夜お父様はどうなさるのか、伺っているかしら」


 私の二歩後ろに控えていた侍女に問えば、玄関で御者と話をしていた執事長のファレスが代わりに答える。


「旦那様は、三日ほど前から王宮にてお過ごしに御座います」


(何を企んでいるのかしら)


 彼はもとより、権力と地位にしか興味のない人間だ。王家の親縁という立場が欲しいがゆえに、私はユージル王子との婚約を結ばなければならないのだから。

 だが、近頃の彼の言動には違和感を抱かずにはいられなかった。

「将来の王妃として相応しく」「殿下の御心を繋ぎ留めなさい」と顔を合わせるたびに厳命した彼が、この一年ユージル王子がどれだけ私を邪険に扱おうとも、そのことについて一切触れなかったのだ。


 (……嫌な予感がするわ)


 吐く息が重苦しいのは、きっとコルセットで胸を締め付けていることだけが理由ではないだろう。不幸なことに、私の嫌な予感は外れたことがない。

 ますます落ち込んだ気分を抱きながら、私は一人で四頭立ての馬車に乗り込んだ。


「お嬢様に、精霊様のご加護があらんことを」


 玄関前に並んだ使用人らは、一糸乱れることなく一斉に頭を下げた。慣用的に口にされるこの言葉は、ハウゼントの人々にとっての最上級の祈りだった。


 どの国にも精霊に関する伝承はあるが、そのすべてに共通するのは、この世界には森羅万象に「精霊」が宿っており、彼らが世界を動かしているという理である。

 火の精霊が問えば万物を猛火と化し、風の精霊が問えばあらゆる流動を自在に綾取り、水が精霊に問えば虚空から数多の水を生み、地の精霊が問えば大地に在世する総てに恩恵を与える。

 これが精霊の偉力である。


 しかしながら、精霊の力を阻害してその理を乱す「魔物」という存在が、欲望のままにあらゆるものを貪り食らいはじめた。魔物が世界を滅ぼしてしまうことを危惧した精霊は、高い知能を持つ人類に己の力を貸し与えることにした。


「精霊に愛された国」

 ——ハウゼント王国の国民なら、誰でも知っている物語だ。

 かつて、すべての魔物を屠ったことで世界に平穏を齎し、精霊から恩寵を与えられた勇者がいた。かの者は精霊とともにハウゼント王国を築き、そこに住まう人々には限りない恩恵が与えられた。

「ハウゼントは、精霊に愛された国である」


 精霊と契約を交わしたものが世界を守護する代わりに、精霊は王国を愛で続けると言われている。即ち、魔物がその勢力を伸ばすことはなく、また天候にも恵まれ飢饉やら干ばつやらは起こらない。

 精霊と契約を交わす行為は神聖なものであり、強い信仰心と()()を示し、契約の儀式を行わなければならない。契約によってその恩恵を得られた者は精霊に選ばれた、つまり精霊に代わって国を司る役目を精霊から賜ったとされた。


「精霊様……ね」


 このような風習の中で育っていながらも、私は冷ややかにその呼び名を呟く。


 六年前、精霊と契約する儀式というものを私も受けた。

 儀式自体はそう難しいことではない。祭壇に掲げられたハウゼントにはいない筈の魔物を、短剣で突き刺す。その命が尽きた瞬間、精霊に認められた契約者は、目に見える何らかの方法で精霊から名前を与えられるとともに、その恩恵を手にするのだ。

 しかしながら、近頃では契約の儀式を行っても契約を結べない者が増え始め、儀式に捧げられた魔物の命が尽きてもなお精霊からの反応がなかった私もその一人とされた……。


 父オスローゼ公爵は「出来損ないめ」と冷たくなじり、益々厳しい教育を課せられるようになった。世間の目も非常に厳しく、私を排除して王子の婚約者に新たな令嬢を据えようとする動きも活発化した。

 だが、あの時の私はそれどころではなかった。

 私は精霊との契約を交わせなかった訳ではない。ズシリと重い短剣を握りしめ、太い鎖で雁字搦めにされた醜い生き物を突き刺したとき、私の頭の中におびただしい数の声が錯乱し始めたのだ。耳から拾う音と違い、頭に直接響くようなその声たちの正体が精霊であると気が付くのに時間はかからなかった。

 精霊たちはたいてい取り留めのないことを思い付くまま口にしている感じだが、恐る恐る話し掛けたところ、彼らは戸惑いを見せつつもごく普通に返答が返してきた。会話が成り立ったのである。


 精霊に個体と自我があることも、言葉という概念があるということも知らなかった。


 もとより、どれだけ歴史を辿っても、精霊の声を聴いたという事例は存在しないのだ。そもそも、精霊と契約することで得られる力は、周囲にそよ風を起こしたり爪の先に小さな炎を灯したりと、超自然的な現象ではあっても程度が知れている。


 一体どうして私と契約を交わした精霊にこのような力があるのか分からない。尋ねようにも、その精霊はあまりにも寡黙で、どれだけ声をかけても答えてはくれなかったのだ。


「……フェイ、か」


 ただ、一度だけその声を聴いたことがある気がする。精霊たちの言葉が聞こえるようになったのは、低く落ち着いた声が私をそう呼んだ瞬間からだった。精霊たちが私をフェイと呼ぶので、これが私の精霊名なのだと思う。

 結局、精霊の声がきこえる理由はよくわからないまま精霊と共に過ごす日々が続いた。精霊から話しかけてくることもあれば、意識を凝らしていないと聞こえない時もある。それは、精霊が個体と自我をもって行動していることの裏付けに他ならなかった。


 精霊たちと時間を共にすると、彼らの気質やその力の特性、そして人間に対して何を求めているのかがよく分かる。


 精霊とは本来そこにあるだけの存在で、精霊力を正しく巡らせ森羅万象を動かすことだけが全てだ。

 だが、世界を巡らせる力があれば、反対に世界を破綻させる力もある。

『精霊の力を阻害してその理を乱す』と言われていた魔物は、精霊の力が負の方向へと捻じ曲げられてしまったが故に生まれてしまう。魔物へと変貌した精霊は、本来の理を忘れ猛り狂う脅威となり果ててしまうのだ。

 世界を正しく導くために、精霊は魔物を排除しなければならない。だが、精霊の成れの果てである魔物は精霊と同質の力を持ち、お互いに作用し合ってしまうという欠点があった。魔物が精霊の力で討ち滅ぼされる一方で、精霊は魔物の力に引き寄せられてしまうのだ。魔物が纏う負の力に触れたら最後、精霊は歪みに取り込まれてしまう。

 そこで精霊は、同じく魔物に脅かされている人間に己の力を貸し与えた。人間を介して放たれた精霊の力は、魔物の引力に影響しなかったのだ。


 精霊にとって私たち人間は、加護や恩恵を与える存在ではなく、ただ魔物の脅威に抗うという利害の一致した取引相手のようなものだった。人々が長い間語り継いできた伝承は、殆どが人間にとって都合の良いように作り変えられたものでしかない。


 すると、私の目の前には、このハウゼント王国の歪みがありありと浮かび上がった。

 ハウゼントでは精霊と契約を交わした選ばれし者が、国の中核を担っている。しかしながら、精霊と契約する儀式を行うには多額の寄付金が必要だ。つまり、王侯貴族や商人などの富裕層に限られている。

 そして、彼らは精霊との契約者であることを嵩に着て領民から多額の金を強請し、それを自らの懐へ入れているのである。貴族や商人などの一部の特権階級が富を独占するために、精霊をダシにして人々を洗脳しているのだ。

 恩寵など存在しない。ハウゼントに天災が降りかからないのは、単に地形が恵まれているからに過ぎないのだから。


 精霊は、私に現実を見る機会を与えてくれた。精霊と時を過ごすにつれ、私の中の国に対する忠誠心や将来に対する期待は雲散霧消していくのだった。

 この国は根本から腐っている。それを根絶やしにしない限り、ハウゼントの歪みが正されることはないだろう。




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[一言] 「このまま彼が屋敷まで迎えに来なければ、私は一人で参加しなければならなくなる。」 作法について全く分かりませんが、王宮にて開催される舞踏会に一人で参加するってあり得るの?
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