3-別れ
教育隊の区隊長は三尉で、豪快な感じがした。
教育隊の教官たちは数ヶ月単位で配属され、指導期間が終わるとほとんどが元隊に戻る。
私の班長は山口県出身で、温厚で真面目そうな人柄がにじみ出ていました。彼は自分が経験した被災地救助活動の話を聞かせてくれた。
「以前、土砂の中から亡くなった老人を掘り出したことがあった。口の中は土で酷い状態。その時、私は誓った。
必ず一人でも多くの命を救うぞと。」班長はゆっくりとその体験を語りながら、涙ぐんでいた。
戦闘訓練開始。
「前へー進めー!」
教官の命令が響く。
雨上がりの戦闘訓練場は泥水だらけ、命令に従って一気に堆土へとダッシュ。
フル装備でぶつかり泥水しぶきが飛び散り全身が浴び泥だらけになる。
その瞬間、ためらう心情は吹っ飛んで爽快感に変わる。
戦闘訓練が終わると、小銃を濡らさないように両手で高く持ち上げ、そのまま琵琶湖に入る。
泥だらけで湖に入ることは快感だった。
教育隊の訓練、特にこの戦闘訓練は、一丸となって目標に向かい突き進む瞬間が堪らない感覚で私はこの戦闘訓練が一番充実していて大好きだった。
前期教育中に休暇があり、私は取締役として全員に号令をかけ、区隊長に敬礼し休暇に入り真っ黒に日焼けした私は、再会のため鹿児島へと向かいました。
「俺、必ずお前を幸せにするから、付き合い出して5年も待たせているけどもう少しだけ待っていて欲しい。約束は必ず果たすから。」
私は彼女にそう言い残し、教育隊に戻ると北海道へ向かう隊員たちの壮行会が行われ、私は後輩隊員代表に選ばれた。
目の前には数百人の先輩隊員の背中があり、壇上に向かって着席している。
そして私の後ろには数百人以上の同期と後輩生が着席している。
とにかく緊張していました。
号令で全員が起立。
先輩隊員全員が回れ右をしてこちらを振り向いて驚いた。
なんと、私の前に着席していた背中は、入隊時に指導隊員として一番お世話になった元警察官の先輩隊員でした。
私の緊張は最高潮に達し、大量の汗と高鳴る心拍数で身体が震え始めました。
私は力の限り、大声を出して祝辞を述べましたが、最後の最後に何故か自分の名前を躊躇してしまい、とっさに階級を口にしてしまいました。
しかも、2士と叫ぶつもりが、実は幹部階級である2尉と言ってしまいました。
私の下からマイクを差し出して抑えていた陸曹が舌打ちし言葉を吐いた。
「バカ。」
会場にどよめきの空気が流れ、遠くの壇上脇に整列していた幹部らの椅子から立ち上がる姿が見えた。
壮行会が終わり、私は教官室で副隊長らに怒鳴られました。
祝辞は大失敗に終った。
前期教育隊も残り僅か。
鹿児島から距離的に近いだろうと後期教育隊は山陽地方がいいだろうと決められた。
移動の日、区隊長に挨拶しようとしたが完全に無視された。
無視をされるような予感はしていた。
区隊長の態度が日増しに変わっていると感じていたからだ。
移動は新幹線で行われ、山陽地方駐屯地に到着、再び足にする新たな土地。
「ここが今日からお前らの部屋だ」
私が一番に感じた感覚は、暗い部屋と陰湿な空気感。この直感はその後に現実化して行く。
班長は1中隊から選出された私と同年齢の銃剣道の名手、田上3曹。
同期は十数名、訓練は前期とは異なり、体力を重視の普通科連隊、起床と同時に点呼、寝起きから持久走、特に銃剣道の訓練は厳しかった。
「何しとんじゃコラッ、早せやボケッ」
同期の一人は自衛隊を辞めた。
みんな必死に訓練に励み、班長の特訓は過酷だったが必死に乗り越え、ついに銃剣道の検定が始まった。
「こりゃ筋がいいわ、こりゃ10年に一人の逸材じゃないか。お前だけ2段だ」
私だけが初段検定で2段を授与された。
あっという間に後期教育は終了し、配属部隊が普通科2中隊に決定。
昭和60年も終わりが近づいていた。
正月休暇中、彼女のもとに帰ろうと連絡した。
公衆電話から「帰るよ」と伝えると、彼女から冷たい返事があり彼女は会いたくないのだと感じた。
「わかった。とりあえず向かう。ただし、二人で暮らした部屋の鍵は持っていかない。駄目ならそのまま駐屯地に戻るから、君が決めてほしい」と伝え鹿児島に向かった。
彼女に電話して到着したて伝え、2人で住んで居たアパートの前で待つ。
遠くから聞こえるバイクの音。
見慣れた赤いバイクの彼女が現れた。私は別れを告げられるだろうと覚悟した。
「何してるの?自分の家でしょ。仕事抜け出して来たんだよ。忙しいんだから早く入ってよ」と彼女は迎え入れてくれました。
部屋には懐かしい2人で飼い始めたポメラニアンとマルチーズの合いの子チビが居て涙しました。
休暇中、彼女の垂水市に住む兄にも再会し近況を報告、最後の日、彼女と二人そして犬のチビと一緒に駅に向かった。
駅のプラットホーム。
「寒いからここでいいよ」と彼女に言いました。
私は握手し、汽車に乗り込んで窓側の席に座り、出発を待ちました。チャイムが鳴り、汽車が動き出すと、帰ったはずの彼女が窓の下からいつもの笑顔で現れ、驚かせてくれた。
いつもの彼女らしい明るい見送りだった。
それが彼女との最後、永遠の別れとなった。
自衛隊へ戻り暫くした晩、清掃時間中に呼び出され
彼女からの電話だった。
「ある人から結婚を申し込まれた」と彼女は泣いていた。
私は後で電話すると、彼女へ伝え切る。
受話器を置いた後、彼女の幸せを願いながらも、心の中では違う答えを出すことができなかった自分を恨んだ。
当時は携帯電話も無し。
点呼後、駐屯地内で空いている公衆電話を探し走り回る。
深夜。
「ごめんな。付き合って5年も経つのに結局答えを出せなかった。俺が叶えられなかった幸せを彼から必ずもらうんだよ。絶対に幸せになれよ。」
心とは反対の言葉を伝え電話を切りました。
寝静まる営内(部屋)に戻り、周囲に気づかれないように毛布を被り泣いた。