空虚なる旗揚げ
一年半の準備期間を経て、ついに決戦の日が来ました。
私たち組合執行委員と労働組合の幹部は、本社の8階へと向かった。
エレベーターの扉が開くと、配送社員と見知らぬ部外者の突然の乱入に、事務社員たちは驚愕の表情を浮かべていました。
そこにいるはずの社長は不在。いたのは、緊張した面持ちの三男常務ただ一人でした。
常務一人に対し、こちらは十数名。威圧感は完璧でした。
組合幹部が労働組合の結成を淡々と通告した。
私は目的を果たすべく、常務に就業規則の提出を要求しました。
規則の原本を手に入れ、実態と照合し、後日の労使交渉で一気に改善を突きつける。それが私の描いた作戦だった。
管理担当者の元へ向かおうと席を立ったその時、組合幹部から待ったがかかりました。
「正攻法で行こう」
私は耳を疑った。
馬野ら執行委員も無反応で、誰も反論しない。この一言で、何度も会議で話し合ったこの行動は見送られ、私の特攻奇策は潰えたのです。
結果、この「正攻法」が会社側に弁護士への相談や対策を練る時間を与えてしまい、私たちの先手必勝の価値は消滅しました。
就業規則の閲覧という当然の法令遵守さえ、その後も会社は拒み続け、不法状態が継続しました。
なんの成果も得られないまま旗揚げは終わりました。
当日の夕方、会社近隣の会場で開かれた初の決起集会。
しかし、会社側の圧力に屈したのか、本社からの参加者はたった一人。
しかも、私を勧誘した張本人である保田は、当事者としての自覚もなく、ただ傍聴席に座っているだけでした。
その他力本願で依存主義な姿勢に、腹が立って仕方がなかった。
帰り際、組合幹部から広報新聞の作成を頼まれました。
私は帰宅後、一人で発足第一号の組合新聞を書き上げ、翌朝、馬野らに配布を託しました。
しかし、彼らは配布することもせず実行する行動力は微塵もありませんでした。
その後、何度も重ねた団体交渉で勝ち得たのは、健康診断の実施のみ。
それ以外の要求は一つも通りませんでした。
さらに、あんなに熱かった発起人たちは、「用事がある」と一人、また一人と交渉の席から去っていきました。
ある日、保田が「今回は行かなくていいか」と私に尋ねてきました。
「好きにしろ」
私は突き放すように答えました。
交渉を終えた晩、帰宅後に一人でパソコンに向かいました。
仕事を終え、交渉に臨み、自腹を切って新聞を制作する日々。
しかし、この夜、私は新聞を作るのを止めました。
交渉の詳細は出席した私と馬野しか分からないようにしたのです。
数日後、保田が不満をぶつけてきました。
「交渉はどうなったんだ。あんた書記長なら組合員に伝えるべきだろ」
仕事の手を止め、私は古谷田を睨みつけました。
「そんなに気になるなら、なぜお前は来なかったんだ」
「お前が好きにしろと言ったんだろうが!」
「確かにそう言ったさ。
だがな行かないと決めたのはお前自身の意志だろ。
労働組合発起前、何度も俺の部屋に来て誘っておきながら、上手くいかなくなれば他人事か?
交渉の翌日にでもどうなったか?と聞いてくるのが筋ではないのか。」
激しい口論になりました。それを横で聞いている馬野は仲裁することもなくただ動かずにいた。
保田はこの口論の翌日から会社に来なくなりそのまま辞め去りました。
即効で改善を図る構図を描いていた。しかし、口先だけで根性のない連中と手を組んだことが、私の間違いだったのです。
「真の仲間になれるかもしれない」という切実な願いはもはや消滅する運命となっていました。




