逃走 赤信号の啓示 ―― ダムからの生還
死んだら、人はどこへ行くのか。私は書店である一冊の本を手にした。
そこに書かれていたのは、衝撃的な死後の理だった。
「あの世に天国や地獄などは存在しない。
あるのは現世の生き方や心境がそのまま反映される世界だ。
自殺をすれば、死ぬ瞬間の肉体の痛みが数百年間も続くことになる」
私は魚切ダムの黒い水面を見つめた。
今、ここに身を投げれば間違いなく死ぬ。
だが、落下中に側壁に激突し、血だらけで水面に叩きつけられ、粉砕した骨が刃物となり臓器を引き裂きのたうち回るような激痛で落下していく。
体は水面に叩きつけられ、即死でなければ激痛の中最後の力を振り絞りもがきながら身体は溺死するだろう。
だが、魂は死んでも終わりではない。その孤独と激痛を、数百年も引きずることになる。
「あの世はこの世の延長。絶望で命を絶てば、絶望の世界へと行く」
「人は刃物がなくても殺せる。言葉だけで殺されることもある」
と、お袋はよく言っていた。まさに、今の私に起きている。
逃走を続けていたある日、空腹も忘れて車のハンドルを握っていた。
ふと、赤信号で車を止めた時、その光がいつもと違って見えた。不思議な感覚が沸き上がり、目の前に砂嵐のような映像が浮かぶ。
それは、文明が発達する前の、江戸時代のような風景だった。
人々は互いを思いやり、優しさの中で生きていた時代。
そこから時代が進化し、エンジンで動く物が溢れ、交通事故を防ぐために信号機が設置されていく過程が、数秒間のうちに脳裏を駆け抜けた。
映像が終わった瞬間、私は涙が溢れて止まらなくなった。
当たり前に暮らしているこの社会はこの靴も、服も、道路も、建物などすべては人間が作った世界、叡智を絞って創造した素晴らしい融合世界なのだ。
(なんて、人間は素晴らしいんだろう……)
これまで死ぬこと、人を殺すことばかり考えていた。噂に振り回され、逃げることばかりだった。
だが、生きていれば、こんな俺にも何か人の役に立つことがあるのではないか。
今、自殺や殺人をすれば、家族や中隊に多大な迷惑を残すだけだ。
「まずは、自衛隊を辞めよう。死ぬのは、その後に考えればいい」
私は、すでに休暇日数を過ぎ、逃亡者となっていた。
昨年退官した先輩に連絡を取ると、
「中隊の皆が心配している、早く戻れ」と促され、私は現職の先輩に連絡を取り、明日必ず戻ると約束した。
翌日、無断で借りていた駐車場に車を入れ、エンジンを切った瞬間だった。
暗がりに身を潜め、待機していた陸曹数名が一斉に現れた。
私はその場で身柄を確保され、自衛隊へと送還された。




