脱走兵と羨望
教育隊に来て一ヶ月ほど経った頃、新兵たちの態度に異変を感じ始めた。
明らかに私の命令を聞かなくなっていたのだ。おそらく、駐屯地に蔓延しているあの卑劣な噂が、彼らの耳にも届いたのだろう。
ある日の清掃時間前、私は全員を部屋に集めた。
「俺は、お前らが一般部隊へ配置されても恥をかかないよう、中隊から任されてここにいる。俺を嫌いなら、それで構わない。だが課業中は別だ。ここでの訓練は今後の己の糧になる。命令には従え」
腹の底から絞り出した言葉に、隊員たちの態度は少しだけ元に戻った。
しかし、自衛隊という組織に馴染めず、去っていく者もいた。中には、脱走という強硬手段に出る者もいた。
県内のある駅前で脱走兵が見つかったと連絡が入り、私は班長と二人で急行した。捜索隊に礼を告げ、肩を落とす脱走兵を連行して駐屯地へと戻る。
脱走に費やされた捜索費用は、すべて本人に請求される。その厳しい現実を前にしても、班長は「あとはお前に任せる」と言い残し、いつものように足早に帰宅してしまった。
二人きりになった室内で、私は彼に尋ねた。
「原因はなんだ?」
答えは「自衛隊が合わない」という、短く、拒絶に近いものだった。
私は彼を見つめ、思わず本音を漏らした。
「……俺は入隊して三年を過ぎたばかりだが、正直、俺も自衛官を続けるべきか悩んでいる。この先どうなるかもわからない。でも、なんとか前を向こうと思っているんだ。お前はまだ半年も経っていない。これから笑える日が来るかもしれない。もう少しだけ続けて、それから答えを出してみたらどうだ?」
彼は190cm近い恵まれた体格をしていたが、結局、翻意することなく駐屯地を去っていった。
正門を出ていく彼の後ろ姿を見送りながら、私はどうしようもない虚しさに襲われた。
(俺は、あいつの行動力が羨ましかった……)
辞めたくても、兄への想いや家族の事情に縛られ、泥沼のようなこの場所に留まり続けるしかない自分。自由を求めて外の世界へ踏み出した彼と、指導者という仮面を被って地獄に踏み止まる自分。
その対比が、あまりにも惨めで、切なかった。




