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その四・禍福は糾える縄のごとし 後編






OK落ち着け。最近は突拍子もない事が増えたからこんな予想外かつ突発的な事態には慣れているはずだ。クールで狼狽えない事こそダンディズム。

…………自分で言っててかなりムリがあるなあ。なんでこう、僕の周りには予想外の行動を取る変な人が増えていく一方なんだろう。突き刺さるように周囲から放たれる好奇の視線を無視しながら、僕はしゃがみつつ土下座している先輩に語り掛ける。


「あ、あのー、顔を上げて貰えないでしょうか。正直なにがなんだかさっぱりなんですけれど」


僕の言葉に応え、恐る恐る面を上げる先輩。よほど強く床に額を打ち付けたのだろう、可愛いおでこにうっすらと赤く打撲跡が残っている。よく見れば、ちょっと天然パーマが入っているのか軽く波打つ髪をショートに纏めた、結構可愛らしい顔立ちの女の子だ。その先輩はもの凄く申し訳なさそうな顔で僕を見上げていた。

むう、まったくもって心当たりがないぞ? そもそもこの先輩に見覚えないし、一体全体どういう事なんだろう。ともかくこのままでは埒が開かないので、先輩を立たせて場所を移動する事にする。先輩はいやしかしとかぐずっていたが、このまま土下座を続けられていたら僕が困る。半ば強引に引っ張って人気の少ない中庭へと移動、一息ついてから事情の説明を促してみた。

 

気の毒なくらい恐縮していた先輩だが、やがて意を決したように口を開く。


「あたしは三年の麗射。一応風紀委員長なんてものをやってるの。………………同時に犬派二高支部支部長なんてあほな役職にも就いてるんだけど……」

 

瞬時に僕は飛びすざり、半身になって構える。OKやんのかかかってこいやコラァ、そう口にする前に麗射先輩は泡を食った表情で懸命に手を振り、敵意がない事を必死でアピールしていた。


「ち、違うのお願い話を聞いて! 今回別に喧嘩売りに来たわけじゃないの! こないだうちのあほどもがやらかした事を謝りに来ただけなのよ!」

 

…………なんですと? 目を丸くしながら僕は警戒を解く。こ、これは今までにないアプローチの仕方だ。いままでの犬猫関係者は高圧的な態度で接してくる人間ばかりだったが、この人だけは違う。それになんというか、今までのヤツに比べると狂信的な雰囲気みたいなものが皆無と言っていい。はっきり言って一般人と何ら代わるところがない。

なんでこんな僕の周りでは貴重種な人間が、犬猫関係者なんかやってんの……って、そいやさっき言ってたな、自分の立場をあほな役職だって。つまりこの人、好き好んで犬猫関係者やってるわけじゃない?

 

どういう事だろう。流石に気になったので、詳しく話を聞いてみる事にする。

僕が話を聞く気になったと知って安堵したようで、麗射先輩はほうっと溜息を吐き、改めて話を始めた。


「じゃあ最初から説明させてもらうわ。もう大体分かってると思うけれど、うちの学校の中にかなりの割合で犬派と猫派どちらかに所属している人間が居るのよ。まあ表向きは住み分けをしていて、代々猫派が生徒会関係を、犬派が風紀委員関係を、それぞれ牛耳って頭を張っていたわけ。裏の世界では長年どろどろした争いが続いてるって言われているけれど、実際の所学生風情がそんな領域まで踏み込んでるはずもなくて、ここレベルじゃせいぜい不良の抗争程度の諍いしかなかったのよ、今までは」

 

一気に言って深く溜息。かなりのやるせなさを漂わせているこの人は、恐らくもの凄く苦労しているんだろう。そう思わせる説得力があった。


「それが過激なものに変わり始めたのがここ最近、ある人物が入学と同時に生徒会関係者となり頭角を現しだしてから。その人物ってのが現在の生徒会長、預菜振 詩亜。ひっじょ〜に認めたくない事実ではあるけれど…………このあたし、麗射 淡夢路の幼馴染よ」

 

うわ本気でいやそうな顔になったな。どういう関係なんだか知らないけれど、その幼馴染――会長に、よっぽど酷い目に遭わされていると見た。親近感湧くなあ。いやテル本人に直接酷い目に遭わされた事なんかないけど。


「あの子成績は良いけど独善的で思いこみの激しい馬鹿なのよ。その上なんか妙にカリスマみたいなものがあるから、一度暴走を始めると周りを巻き込んでとことんまで突っ走るの。そのおかげで校内の犬猫関係は状況悪化の一方通行。双方共に行動がどんどん過激になっていき始めたわけ。どちらかと言えば詩亜に率いられていた猫派の方が優勢で、犬派は後手に回っていたんだけど、あたしが詩亜を押さえられる人間だって知った犬派の連中が、拝み倒しの半ば脅迫しので無理矢理あたしを祭り上げて対抗馬に仕立て上げてくれちゃったのよ。正直やってられないって感じだけどなってしまったものはしょうがないし、あの馬鹿放っておくわけにもいかなかったから、なんとか騒ぎを沈静化させようとしていたんだけど…………今回どうにも手が回らなくて、一部の馬鹿が暴走してしまったの。おかげであなた達にはほんっっっとうに迷惑をかける事になったわ。ごめんなさい。ケルベロスのうすらトンカチどもはしっかりとちょうきょ……おほん、指導しておいたから二度とあんなあほな真似はしないと思う。それで許してとは言わないけれど、とにかく頭を下げさせて頂戴」

 

そこまで言ってまた深々と頭を下げる。僕としてはまあ、あんなあほな目に遭わないという保証があれば御の字なんだけど……いいんですかねそんなに安請け合いして。犬派はともかく猫派の人達はあの会長を筆頭にアレですが下手な小細工してケルベロスの連中とか気の短い人達刺激しませんか?

 

不安がる僕に答える麗射先輩の顔は……やっぱり不安げだった。


「う………………確かに詩亜って予想の付かない事をしでかすアレだからなあ…………昔はあむちゃんあむちゃん言って人の後ろついて回るお持ち帰りしたいくらいの可愛らしさがあったのに、どこでどー間違えたんだろ。……って、それはそれとして、確かにそういうセンもあるわよね。猫派の方はこっちでは直接手出しできないし、うちの連中でなんとか押さえるしかないか」

 

あーもー面倒くさいわね。吐き捨てるように言ってがりがりと頭を掻く麗射先輩。なんか僕余計な事を言っちゃったかな? そう問うてみたら、「いやとんでもない」と先輩は返す。


「こっちの気が回らないところを指摘してくれたんだから、むしろ有り難いわ。……どう、風紀委員やってみない? あなたみたいに腕が立ってそれなりに常識をわきまえているような人だったら大歓迎よ?」

 

気を取り直して僕に語り掛ける先輩。正直可愛くて魅力的な女性からのお誘いは心揺れるものがあるんですが……またぞろ厄介事に巻き込まれそうな気配がびんびんしますので考えさせて下さい。

 

そう言ったら先輩はすこし残念そうながらも笑顔を見せ、「そっか、まあ気が向いたらいつでも声を掛けて」と気さくに返した。うん、やっぱりいい人だこの人。だが最近はいい人だと見せかけて実はろくでなしだったりするという実例を見てきたから、素直に受け取れないけどな悲しい事に。


とにもかくにも謝罪は受けましょう。で、これからどうするつもりで? いや関わるつもりは欠片もありませんが興味本位で聞いてみますけれど。


「まずは人の色恋沙汰に首を突っ込むような馬鹿な真似を止めさせるわ。まったく、ちょっと有名人で戦力になりそうだからって本人の意思も確認せずに勝手に騒ぎまくるんだから。おまけに犬猫関係だけじゃなく便乗してあほやらかそうって連中もいたみたいだし、いい加減ここらでがつんと釘を刺しておかないとね。風紀委員としても犬猫関係者としても」

 

もしかしたら、あなたにもなにかお願いする事があるかもしれないからその時はよろしくねと先輩は話を締める。ふむ、まあ僕としてはまっとうな事なら手伝うのはやぶさかではないし、この人に貸しを作っておくのも悪くはない。とりあえずは考えておきますと返事を返しておいた。

これでひとまずはあのあほな騒動も沈静化していくのかな? そうだと有り難いんだけどね。あとはテル達の話がうまく纏まれば万々歳、僕の周りには平穏が戻ってくるってわけだ。頼むからうまくいってくれよと、そう祈らずにはいられない。


「ふっふっふっふ、見たわよ聞いたわよ。やっぱりセコイ真似してたんだ淡夢露」

 

……でもやっぱり全くの無駄になった。幸運の女神様は本気で僕の事が嫌いらしい。


突如聞こえてきた声の方を見れば、そこには猫耳猫尻尾をつけたメイド服姿の少女。

髪をツインテールに纏めたその人物は……確か家庭科室で働いていた料理研究会の一人だったはず…………待てよ、猫耳猫尻尾!? まさか、猫派か!

 

戦慄する僕と、うわっちゃあと言いながら頭を抱える麗射先輩。そんな僕らにびしすと指を突きつけて、猫耳メイドは高圧的に捲し立てる。


「東山 暢照と冬池 檸檬の間を邪魔せんと春沢 小梅なんて刺客を送り込んだうえ、東山の側近たる西之谷 夕樹をたらし込んで自らの配下に収めんとするその企み、この九江洲がしっかりばっちりと聞き届けちゃったんだから!」

 

どんなもんだいと誇らしげに胸を張る猫耳メイドだったが…………あの〜、今の話を聞いてどこをどう捻ったらそんな結論になるんでしょうか? 理解しがたい思考回路に戸惑ってどういう事だと麗射先輩に視線で問うてみたら、先輩は深い溜息と共に答えてくれた。


「あの子ね、詩亜の側近というか金魚の糞で九江洲っていうんだけど……ちょっと電波入っていて自己中で人の話を聞かない思いこみの激しい馬鹿なのよ。むやみに行動力がある分、詩亜よりもたちが悪いわ」


「こらあ! 誰が電波で詩亜会長のネコで愛人でマリア様に見られている百合の園メーカーか! そんな事…………すごくあるけどたまにはないわよ!」

 

言ってない。電波以外はひとっことも言ってない。

 

なるほど確かに真剣な馬鹿らしい。

 

その多分脳に重大な欠陥を抱えている深刻な馬鹿は、きしゃーと正しく猫が威嚇するような面相で捲し立てる。


「いつもいつもわたしを馬鹿にして! 今日という今日はもう許さないんだから! 裏切り者の西之谷ともども葬り去ってあげる!」

 

え? いつの間に僕裏切り者? 展開が急すぎるぞおい。勿論馬鹿はこっちの都合などお構いなしだ。その容姿には不似合いな凄絶な笑みを浮かべ、彼女は手を掲げ指を鳴らそうとする。


 




ぱすん。


 




鉛のような沈黙。

 

気を取り直してもう一度。


 




ぱすん。


 




…………………………。






「しくしくしくしくしく…………」

 





中庭の端の方で背中を向けてうずくまり、さめざめと泣き出す馬鹿。なんか色々と台無しだった。

どーしたもんだかとその光景を見ていたら、突然周囲の茂みや校舎の窓や渡り廊下の屋根から、大勢の人影が現れ馬鹿の周りにたかる。


「ああああ九江洲ちゃん泣かないで泣かないで、ほらほらティッシュでちーんってしてちーんって」

「ほら飴ちゃんあるよー、九江洲ちゃんの好きなソーダ味だよー」

「聞こえたから! 九江洲ちゃんの指ぱっちん、確かに心に響いたから!」

 

なんですかこのヘンな集団は。言動だけ見ているとただの学生集団なのだけど、その格好は凄まじくおかしかった。一言で言えば、全身タイツ。見ようによってはまあ、特殊部隊の服装とも取れなくはないけれど、付いてる猫耳と猫尻尾が全てを台無しにしている。アレだったらケルベロスの方がまだましだったんじゃあなかろうか。最低でもデザインの面では完全に負けだ僕的に。

着ている人間のスタイルがモロわかりという点に置いては軍配が上がるのだけれど……男が着ていたらある意味地獄だしなあ。まあこちらのメンバーもほとんどが女性のようだから助かってるけどね。

ぐずる馬鹿を何とか立ち直らせた全身タイツの集団は、そこでやっと僕らの存在を思い出したようで、慌てて馬鹿を中心に左右に展開、それぞれ思い思いにポーズを取って構える。その中央でまだ少し赤い目をした馬鹿は、腕を組んで仁王立ちになり高らかに吠えた。


「我等猫派特殊任務部隊コマンド・アタック・チーム、CAT! 義によって制裁を加えちゃうんだから!」

 

あーやっぱり猫派版ケルベロスみたいなもんか。考える事は似たようなもんだね。……って呑気に構えてないでとっとと逃げりゃあよかったかなあ。

やっちゃえという号令の元、一斉に僕らの元に殺到する全身タイツ集団――CAT。その姿を他人事のような視点で見ながら――

 

僕は盛大に溜息を吐いた。



 















どさり。鳩尾に重い一撃を食らって倒れ伏す体。

 

僅か数分で勝敗は決した。まあ結果は言うまでもない事だが――


「そ、んな……手も足も出ないなんて……」

 

勝利したのは人数に勝るCAT……ではなく、無論僕と麗射先輩のコンビ。はっきり言ってケルベロスと同レベルでしかないのなら、何人束になろうとも僕の敵じゃあない。それに麗射先輩もなかなかのものだった。積極的に襲い来る相手を攻撃する事はなかったが、まるで360度全てに視界があるように振る舞い、相手の攻撃を完全に見切ってかすらせもしない。

 

ワンサイドゲーム。そう言うに相応しい結末であった。


地に伏してぴくぴく痙攣している負け犬……負け猫ども。その中央でぼろぼろになった馬鹿がなんとか身を起こしながら呻くように言う。


「くっ…………さ、さすが【連峰中の白い悪魔】は伊達じゃないって事ね。…………それに、平気で女の子をボコるなんて……西之谷 夕樹恐るべし……」

「やかましい、寝てろ」

 

言って無造作に脳天へと踵落としを叩き込む。ふん、生憎だけど僕に喧嘩仕掛けてくるヤツぁ老若男女全て敵だ。ミリグラムの手加減もしてやるつもりはない。逆さづりにしなかっただけでも有り難く思って欲しいね。

こきりと首を鳴らして麗射先輩の様子を確認しようと彼女の方を向けば、先輩は複雑な表情で僕の方を見ていた。

なんだろうと思っていたら、先輩は気まずげに口を開く。


「いやあの、手伝ってくれたのは有り難いんだけどね…………あなたこれで完全に猫派の裏切り者――犬派って事で見られちゃうよ? 良いの?」

 

なにを今さら、だね。どっちかっていえば僕は両方に敵対していると言っていい。元々ケルベロスの連中を叩きのめしているから犬派の中にはこちらを敵視している人も多いだろうし、猫派に与しているつもりもさらさら無いのだから。先輩のおかげでどっちか一方だけ注意してればいいって状況になるならむしろ楽になったといえる。

 

そういった事を伝えたら先輩は目を丸くして、その後くすりと笑みを浮かべた。


「可愛い後輩にそこまで信頼されたんなら、期待には応えないとね。犬派の人間としては手助けできないかも知れないけれど、風紀委員長としては最大限の協力をすると約束するわ。自衛という名目なら構わない。どっちでも好きにやっちゃって」

 

頼もしいお墨付きだ。好き好んで騒ぎに首突っ込む気はないけれど、これで堂々とあほな連中をしばき回せる。

今までと変わらないじゃないかという真理をついたツッコミはやめて頂きたい。

 

ともかくこれで犬猫関係に対する心配はなくなった。ちょっかい出してくる連中は片っ端から潰してしまえば事足りるし、麗射先輩はかなり信用できるからテル達に手出しされる可能性もぐんと減り、僕らの負担も軽くなるだろう。この時は確かにそう信じられた。

 

もっとも、その考えはすぐに裏切られる事になるのだけれど。

 

…………いやこう、そんな事になるんじゃなかろうかという気はうすうすしてたけどさ。



 














鼻歌を歌いたくなるような心持ちで家庭科室に戻った僕は、ちょっとテンションを高めに維持しつつ、からからと扉を開けた。


「ふぎーーーーーーー!!!!!」

「きしゃーーーーーー!!!!!」

 

からからぴしゃん。

 

瞬時にテンションはだだ下がり。反射的に扉を閉めてしまった。

 

忘れてた、この中では只今修羅場が絶賛進行中だって事を。

いやそれだけならまだよかったんだけど、ちょっと席を外しているうちに、なんだか異空間が展開されていた。

 

ふう、と息を吐いてどうしようか考える。なんとなしに上を見上げれば、目に入るのは廊下の天井。暫くそれを眺めて僕は決断を下した。

 

よし、見なかった事にしよう。


『ちょっと待てェえええええええええ!!』

 

その場を立ち去ろうとしたら、いきなり家庭科室の扉が開いて何人かの人間が飛び出してきた。そして僕に縋り付いてくる。

メイド服や執事姿の料理研究会員、屯っていた客、そして南田とかりんと秋沼。全員が全員滝のような涙を流しながら救いを求める目で僕を見上げていた。

一体なにがあったいやなにがあったかは大体予想が付くから僕を巻き込むな。


「そ、そこをなんとか! 俺たちをいや人類を救うと思って!」

「も、もうあたしらじゃどうにもならないのよ! お願いなんとかして!」

「正直他人に檸檬の事を任せるのは業腹だがそれどころではないのだ! 貴様なら、否貴様だからこそできる!」

「君らにどうにもできなかった事が僕にできるわけないだろう! ええい放せ放せ!」

『そこをなんとか!!』

「ならないっての!!」

 

どうにか振り払って逃れようとするけどこいつらも必死だ。総員で僕を押さえにかかっている。だからムリだっつーの。

 

しかし、結局逃れる事は叶わなかった。喧嘩ならともかくこういった場合での多勢に無勢というのは徹底的に不利だ。しかもこいつら僕の微量にしか存在しない良心というやつにひしひしと訴えてきやがる。別に僕悪くないのにここで逃げたら極悪人みたいじゃないか。

ああ畜生。内心で悪態を吐きつつ、背中から刺さる期待を込めた視線に居心地の悪さを感じながら、僕は再び扉に手をかける。

可能な限り音を立てないようにし、同時に気配を殺しながら僅かに扉を開け、隙間からそっと中を覗き込む。まず目にはいるのは部屋のほぼ中央に位置するテーブル。そこには問題の三人が居座っている。席の真ん中には、最早全ての生気を使い果たし干物かミイラのごとき様相となったテルの姿。

 

その向かって右、春沢 小梅。歯をむき出しにした夜叉のごとき表情、それはいい。けどなぜか髪の毛が下から強風に煽られたかのごとく逆立ち、さらに彼女の周囲で時折高圧電流が漏電したかのようなスパークがばちばちと奔っているのはどういった事情なのだろう。なんですか彼女は凄い静電気体質だったんですか? 

 

反対側向かって左、冬池 檸檬。同じく今にも相手ののど笛を食いちぎらんとせんばかりの形相。長い黒髪がまるで自らの意志を持つかのようにうねうねわさわさと蠢き、その周囲では時折ばしんとかぱきんとかなにかが爆ぜるような音が響いているのはどういう事だ。あれか、今や常套手段となったCGばりばりの特殊効果か?

 

三人が居座るテーブルの周囲では空気が激しく渦を巻き、バックにはごごごごごだかどどどどどだかの効果音が太字のゴシックで浮かんでいた。部屋全体がびりびりと細かく振動し、時々床やら壁やらにびしりと亀裂が入っていたりしてる。

 

………………どうしろってんだあんな人外魔境。大体聞いてないぞあの二人があんな特殊スキルの持ち主だなんて。最低でも冬池に関しては耳にした憶えがねえぞと思わず咎めるような視線でかりんと秋沼を見るが、二人は途方に暮れた表情ですがるように僕を見ている。以外とかわい……じゃなかった、どうもこの反応からすると、二人にも予想外の事態だったらしい。

 むう、ちゅー事は対処法が分からないって事じゃないか。途方に暮れた僕は腕を組んで考え込む。

 

口車でなんとかできるとはとても思えない、腕力に物を言わせるのも同様。正直あの二人の間に割り込んだら瞬時で粉にされてしまいそうで怖い。となると直接接触しない方向でなんとかするしかないわけだけど…………そんな都合の良い手段なんてあるかあ?

 

テルをこの位置からなんとか復活させて二人を説得……ボツ。復活させる手段が分からないし、そもそも根本的な原因である上に口べたなテルに任せたら状況が悪化する可能性がある。

 

スプリンクラーを作動させて水ぶっかけ二人の正気を取り戻す……ボツ。スプリンクラーを作動させるほどの煙を出す前に二人に気付かれるだろうし、第一そんな事したら火事と間違えられて別な騒動を引き起こす可能性がある。

 

なにかを使って二人の意識を刈り取る。まあスタングレネードとか、何らかの薬物があれば……と、そんな都合の良い物がそこらに転がっているはずが……!

 

あった。

 

あったよ都合の良い物!

 

これぞ天啓。絶望の淵に希望を見出して、僕はにやりと嗤った。












「つー事で、とっとと出すモン出してもらおうか、あァン?」

「突然乱入してきた挙げ句人を足蹴にした第一声がそれかごめんなさい五体倒置で謝りますから足を除けていただけないでしょうか新たな感覚が目覚める前に」

 

踏み付ける足の下で戯言をほざくのは生物部部長。うむ、焦りのあまり唐突に過ぎたか。さすがに部室に突入後その場にいた全員をしばき倒すのはやりすぎたかも知れない。

昨日の事を相当根に持っているわけではありませんよええありませんともぐりぐり。


「や、やめてー! 美少年に踏みつけにされるというシチュエーションに心の中でなにかがー! う、生まれるー!!」

 

うわキモ。咄嗟に足を放し後退すると、部長はバネ仕掛けの人形のように起きあがり非難の声を上げた。


「おのれおのれ一度ならず二度までも我々に楯突くとはよほど命がいらないようだなむしろこちらが!? すんません冗談ですからバールのような物はやめて下さい」

 

最初からそんな感じで素直になっていればいいんだよ。こっちも余計な体力使わなくて済むし。用務員室から拝借してきた獲物を降ろして、土下座を続けている部長に語り掛けた。


「立場を理解して頂けたようでなにより。さ、相互理解もできたって事でよこすモンよこせや」

「い、一体なにをですか当方には見当が付きかねますってかそもそも話の流れがさっぱり読めないのですが?」

 

あ、言ってなかったっけ。いやあ失敗失敗、人間慌てていると肝心な事を忘れるね。夕樹君ちょっと反省。

というわけで改めて必要なブツを供給するように依頼してみた。そうしたら生物部部長は、以外にも素直に僕が要求したブツを快く供給してくれた。

いやあ人徳人徳。日頃の行いが良いとこういう所で得をするね。まあ生物部部長の顔がちょっと腫れ上がっていたり、僕と視線を合わせないで「おにょれ覚えておけいつか必ずぎゃふんと言わせて……」とかぶつぶつ呟いていたりするのは気のせいだろう。多分。

 

背後から刺さる敵意が籠もりまくった視線を無視して、僕は家庭科室へととって返す。不安げな表情で僕を待っていた一同に待たせたと一言だけ言って、僕は懐からブツを取出した。


「ちょ、手榴弾!? いくらなんでもそれはちょっとどうよ?」

 

ぎょっとした顔で南田が咎めるが、これは手榴弾じゃないんだよ生憎。そう言いながら僕はさらに生物部から借り受けてきた物を取出し、皆に手渡す。


「え? ガスマスク? …………あ!」

 

手榴弾っぽい物の正体を察したのだろう、かりんが声を上げた。そして即座に一歩退く。うん気持ちは分かる、なにしろ被害者だからねえ。しかし僕は躊躇しない。

総員のマスク着用を確認し、手榴弾もどきのピンを抜く。僅かなカウントの後家庭科室の扉を一瞬だけ開けて手榴弾もどきを放り込み、再び締める。本当は目張りまでしておきたいところだけどそんな余裕はないから放置。そしてそのまま暫く待つ。

 

緊迫するガスマスクを被った集団。端から見たら僕達どんな風に思われてんだろうとそろそろみんなが思い出した頃、やっとの事で窓や扉の隙間から怪しい色をしたガスが漏れだしてくる。

 

聡い人間ならもうその正体はお分かりになるだろう。そう、僕が投げ込んだのは先日生物部が使用した科学部謹製謎のガス発生装置だ。あまり気分の良い物ではないが、その効果は証明済み。しかもかりんたちの様子を見れば後遺症などが発生しない事も分かっている。自らの手を直接下さずあの人外と化した二人を無力化するにはもってこいってわけだ。

さて、そろそろ効き始めたころかな〜。頃合いを見計らって再び様子を窺おうと扉に手をかけた僕だったが、その寸前で部屋の中からぼとぼとぼとっ! となにか大きな物が天から落ちてきたような音が複数響く。

何事だ? 思わず皆の方に視線を向けるけど、当然の事ながら状況の分かる人間が居るわけがない。皆戸惑ったような視線を向けたり肩を竦めたりするだけだ。

やはり直接確認するしかないか。意を決して扉に手をかけ、そろそろと開きみんなで中を覗き込む。まず確かめたのがシュラバーズ三人の様子。気を失う前からなにも変わらず魂が抜けた状態のテル。そして互いに拳を突き出す格好で意識を失い、机に突っ伏してぴくぴく痙攣している修羅と羅刹……もとい、春沢さんと冬池。

危なかった。もうちょっと遅れていたら武力衝突で全てが灰になっていたところだ。とりあえずは一安心して胸をなで下ろし、次いで部屋の中を見回してみた。

見るからに異臭がしそうな毒々しい色のガスが充満している室内。そこに残っているのはシュラバーズ三人だけのはず…………だったのだが、なぜかそこらの床に倒れ伏している人影がある。一体何者? そしてどこから? 謎ではあるが、まずは救助活動。控えている皆を手招きし、手分けをして窓を開けて換気を行ったり気絶している人間を介抱したりする。

ややあってガスの大半が抜けたのを見計らって僕らはマスクを外す。う、まだちょっと臭うな。顔を顰めつつも介抱されている人達の顔を確認してみたら、どっかで見掛けたような面構えが。


「…………ってこれ、生徒会長じゃねえか!?」

 

白目を剥いて間抜けな顔で絶賛気絶中のカチューシャオールバックな女性は、紛う事なく我等が生徒会会長閣下。よく見てみれば、倒れていたのは生徒会室で見掛けた顔ばかり。かてて加えてご丁寧にも全員猫耳猫尻尾装着済みである。つまり生徒会役員としてではなく、二高猫派幹部として活動中だったって事か? 一体全体どういうわけだこりゃ?

 さっぱりわけが分からないまま、どこから落ちてきたんだこの人らと天井を見上げてみれば、あちこちの天板が外れぽっかりと穴が空いている。あそこから落ちてきたとしか思えないよなあこれは。

この校舎は一階建てだから穴の先には天井裏しかない。穴の先が異世界とかにでも繋がっていない限りは。ま、ふつーに考えればこの人らがもの好きにも天井裏に潜んでいて、ガスの余波を喰らって気を失い落ちてきたって事なんだろうけど…………なぜよりにもよって天井裏だ。まさか猫の気持ちに浸るために天井裏を徘徊していたとか言う、あほな理由じゃあるまいな? 案外やりかねないとちょっとだけ思っちゃったけど。


「で、西の字。どーするよコレ?」

 

途方に暮れた顔で南田が問うてくる。いや僕に聞かれてもなあ、正直どうしたもんだか。

 

とりあえず……麗射先輩でも呼んでくるか。それくらいしか思い浮かばなかった。



 














何とも言えない顔で、麗射先輩はこめかみを揉みほぐしていた。

 

目の前には気を失ったまま縛り上げられた生徒会の面々。恐らくはこのまま海に沈めても構わないかなーとか思っているのだろう。僕がそうだし。

 

なんで会長達が縛り上げられているかって? 顔見知りとは言え、天井裏に忍んでいたような怪しい人物をそのままにしておくほど僕らは不用心じゃない。職員室に突き出さなかっただけマシだと思って欲しい。

 

暫しの間頭痛を堪えていた先輩が、やっとの事で顔を上げる。なにか吹っ切れたのだろうか、その表情は妙にさばさばした笑顔だった。


「よし、今のうちに地中深く埋め立て処分しちゃおう」

「その核廃棄物的な処理方法については諸手をあげて賛成したいところですが、こんなんでも一応は生徒会要員ですしもう少し穏便にならない物でしょうか」

「んじゃあ抱かせようか、コンクリ」

「おいたしたパンチ君並にはなりましたが大して処方が変わってません」

「え〜、じゃあどうしろと?」

 

かなり本気で会長達の抹殺を考えている麗射先輩を一応窘めておく。気持ちは痛いほど分かるが流石に犯罪に手を染めようとするのを黙ってみているわけにはいかない。やるんならせめて足が付かないようにしてもらわないと。こっちにとばっちり来たら困るし。


「最低でも情状酌量の余地有りと裁判で判断してもらえる程度の工夫はしておかないといかんでしょう。最近は未成年でも容赦なく重い処罰が下りますから」

「なに真剣に怖い会話をしてんのあんたら」

 

かりんが顔を顰めてツッコむ。いや半分は冗談だから、そんな怖い顔しなくても。え? 後の半分? そいつは聞かない方が良い。

 

とかなんとかやってる間に、ううんという呻き声が上がる。どうやら会長殿がお目覚めになるようだ。

ゆるゆると目を開けて、まずは寝ぼけ眼できょときょとと周囲を見回す。数回その動作を繰り返した後やっと現状に気付いたのだろう、かっと目を見開いて会長は猛然と麗射先輩に食って掛かった。


「は、謀ったな淡夢路!」

「……あんたがその台詞を言うとなぜかとんでもなく違和感があるんだけど、まあそれはそれとしとくわ。……で、一体ここの天井裏でなにをしていらっしゃったのかしら生徒会長殿。愚昧なるこのわたくしめに是非ともお聞かせ願えませんでしょうか?」

 

絶対零度並みの冷たい視線を持って、麗射先輩は会長に問い掛ける。その視線を物ともせず、会長は胸を張ってきっぱりと言った。


「貴様と話す舌は持たんと言ったはずだ」

「言ってないわよ〜欠片も。しかもまた違和感ある台詞を」

 

びきりと額に青筋を立てて、わしっと会長の頭を掴む先輩。そのままぎりぎりとアイアンクローで締め上げる。


「頭部を破壊して、人生から失格にさせちゃおうかしら……」

「ず、頭蓋骨が、軋む!?」

 

このままだと本当に麗射先輩がブタ箱行きになってしまう。流石にそれは拙いので、なんとか彼女を会長から引きはがし、代わってなぜかこの場の代表みたいに扱われている僕が会長と話す羽目になった。納得は行かないけれど仕方がないなこりゃ。

目の前に立つ僕の姿を見て、会長は自嘲的な笑みを浮かべ言う。


「まさか君に裏切られるとはな……認めたくないものだよ、若さゆえの過ちとは」

「裏切ったもなにも、そもそも最初から仲間になった憶えはないんですがね。……まあその辺の認識の違いは後で追々という事で、ともかくなんであんたらわざわざ天井裏なんぞに潜んでたんですか? できれば真面目に答えて頂きたいんですけど」

 

それなりに誠意を込めたつもりで問い掛ける。対して会長は自虐的な笑みを浮かべたまま、静かに語り出した。


「愛する物の全てを知りたいと思うのは人の業だよ。私とて猫の引力に魂を引かれた者の一人、おもわず猫の気分に浸りたくなって屋根裏を徘徊してもおかしくは……」

「はあいストップストップ、十分に分かりましたから。ついでにおかしいですから」

 

ホントにそんなあほな理由だったのかよ! ダメだこの人ら本格的に。僕を含めた生徒会以外の全員が深く溜息、マジ犬猫関係者なんとかしないといけないんじゃないか? このままだと色々問題ありありだろう。コレは本気でこの人らのリコールを考えた方が良いかも知れない。僕と麗射先輩、そしてかりん以外のメンツはなんのこっちゃと首を捻っているが、実情を知ったら賛同するだろう。絶対。

 

しかしこれからどうしたものか。わざわざ職員室に突き出すほどのものでもないし、風紀委員会に預けるのは麗射先輩が危険すぎる。一般生徒である僕やその他の面々になにか権限があるわけでもないし、順当に考えればここで解放するべきなんだろうが、果たしてそれで良いのだろうか。最低でも僕は敵対する意志がない(味方でもないが)と理解しておいてもらわないと後々厄介な事になりそうだ。

さて、どうやってこの人達を丸め込もう。顎に手を当てて考えるがなかなか良いアイディアが浮かばない。そうやって考え込んでいて意識が削がれた。

その隙をついたように――

 

廊下側の窓ガラスが一斉に割れ、何者かが次々と飛び込んでくる。

 

何事だ!? 僕を含めた戦闘技能を持つ人間は即座に身構え、戦闘力のない南田以下料理研究会のメンバーやなぜか未だに残っていた客の面々などは一斉にカウンターの裏やテーブルの下に身を隠す。手際良いなおい。

一瞬呆れた視線を周囲に向けてから乱入者の姿を確認してみると。


「会長になにしてんのよこの愚民どもー!!」

 

仁王立ちになってこちらをびしりと指さし憤慨する馬鹿女――九江洲以下CATの皆さん。

 

いや、いいんだけどさあ今さらだし。……とりあえず頭からど派手に吹いてる血、拭いたら?


「入り口から入ってこいよ入り口から。誰が弁償すると思ってんだ」

「あの様子からするとアレか、正しく会長のネコというわけか……羨ましい」


カウンターからひょっこり首だけ出してなんか言ってる南田と秋沼。てめらは解説者的な位置に納まって出番と安全を確保するつもりだな? まあこっちにいてもらっても足手纏いだからいいけどさ。

舌打ちして意識を再び会長とCATの皆さんへ。みれば彼女らと麗射先輩がなんか言い合っているようだ。


「九江洲! ねこねこスーツもなしに!」

「会長の邪魔しないでよー!」

「とりあえずあんたら落ち着きなさい。あと九江洲、後でちょっと風紀委員室にこい」

「あ、あたしをどうする気!? 淡夢路あんたちょっとセコいよ!?」

「いまさら九江洲を取り戻そうというのか! そのわりには九江洲に冷たかったな!」

「ガラスぶち破って部屋に飛び込むようなあほに厳重注意するだけでしょうが。私あんたみたくお姉様とかにはなりたくないし」

「ひがんでる!」

「ひがまないわよっ!」

「ならば淡夢路、私の同志になれ!」

「お願いだから会話をして頂戴会話を。脈絡もなくノリと勢いで発言しないで」

「会長は格好だけじゃないんですね」

「こらそこ、今の発言のどこに目をきらきらさせて憧れる要素があるの。あんたも少しは物考えなさい」

「愚民にその才能を利用されている者がなにを言う! その才能を無駄に消費しているとなぜ気付かん!」

「あんたにだけは言われたくないわよ!!」

 

カオスだ。

 

麗射先輩の苦労がよ〜く分かった。毎回こんな調子ならそりゃ心底イヤにもなるわな。僕はがくりと肩を落す。

よく見れば彼女ら以外の猫派の連中も僕と似たり寄ったりで、ああまたかとでも言いたげなやる気のない態度で割れたガラスの後かたづけをしたり縛られてる生徒会メンバーの縄を解いたりしてる。縄を解くのは止めるべきなのかも知れなかったけど、なんかこう、もうどうでもいいやという気持ちになってきた。何しろ頂上決戦がアレだものなあ、毎回やってりゃ周りもやる気なくしてくるわ。


「アンタらも大変ねえ……」

「や、もう慣れたっす」

「自分らもこういうノリは嫌いじゃありませんし」

 

かりんなんかすっかり毒気を抜かれて世間話に興じている。流石に僕に語り掛けてくる人間はいない(あんだけ一方的に叩きのめされてそれができるんなら大したもんだ)けれど、緊迫感は欠片も残っていなかった。

会長達はともかく、こいつらに警戒する必要はないかな? そう考えて南田に声を掛けようとしたら――

 

今度は外側の窓ガラスが一斉に粉砕されて、再び何者かが部屋に飛び込んでくる。


「だから入り口から入ってこいと」

 

安全だと判断していたのかカウンターから身を出そうとしていた南田が、ぶつくさ言いながら再びカウンターの裏に引っ込む。それを尻目に僕は再び身構えた。

飛び込んできた黒い複数の人影は――


「支部長! 大丈夫で……」

「なにをやっとるかこのうすらとんかちどもがああああああ!!」     

「おぶればっ!?」

 

怒れる麗射先輩にいきなりぶちのめされた。

 

彼らの正体は言うまでもない。犬派の代表的変質者集団、ケルベロスの面々だ。どこから聞きつけてきたのかは知らないが、多分会長やCATの動きに呼応して現れたのだろう。ええい空気の読めない連中め、事態がややこしくなるじゃないか。

案の定ほっこりしていたCATの面々が、即座に反応し戦闘態勢を取る。その眼前で麗射先輩はケルベロスの一本角(まだ首がぷらんぷらんしてた)の襟首をひっつかみ、ぶんぶか振り回しながら凄味を効かせて語り掛けていた。


「挟上、毎回毎回あんたらどうしてこう空気って物が読めないわけ!? 嫌がらせね狙ってんのねOKその喧嘩買ったわよてめら一列にそこ並べ?」

「ちょ、淡夢路さん、マジ死ぬやめ……」

「何年の懲役かしら。無期くらい覚悟しておいた方がよさそうね」

「ほ、本気だああああ!?」

 

……怒れる麗射先輩の剣幕に恐れをなして、戦う前からすでに戦意を完全に喪失しているケルベロスの面々。捕まっている一本角――挟上といったか、そいつ以外は部屋の隅に固まってがたがた震えている。その様子に構えを取りながらも戸惑うCATであったが、その中央に立つ(麗射先輩の意識が削がれた途端に解放された)会長は胸を張って宣っている。


「所詮は犬派など烏合の衆か。結局は自分達の事しか考えていない。……だから抹殺すると宣言した!」

「どういうエゴよそれは!?」

 

挟上をそこらに叩き付けて、即座に会長の言葉にツッコむ先輩。獅子奮迅の大活躍だなあ。

彼女一人で騒動を沈静化できるのではという勢いではある。が、結局は一人。有象無象だけが相手ならともかく、ぶっ飛んではいるが曲者である会長が存在しているのだ、彼女が解放された以上、先輩の不利は否めない。ケルベロスはなんか役に立ちそうにないし。

やれやれ仕方がないなあ。数少ない僕の心情を理解してくれそうな人間だ、こんな所で将来を棒に振ってもらっちゃ困る。僕は麗射先輩に肩入れせんと一歩踏み出そうとした。

 

その瞬間、背後で爆発的に膨れ上がる濃厚な殺気!

 

先輩が、会長が、九江洲が、かりんが、CATとケルベロスの面々が。そして僕が。一斉に反応しその気配の持ち主の方を見る。


「ふぎいいいいいいいいい!!!!」

「きしゃああああああああ!!!!」

 

見なきゃよかった。

 

もの凄い形相で互いの両手を組み合わせ、人とは思えぬ威嚇音を上げている獣が二匹。なにが起こっているかは最早言う必要もあるまい。

 

しまった、ガスが切れたか。あほ放っておいてこちらを早々に隔離しておくべきだった。後悔するが時すでに遅し、余りの濃厚な殺気に晒されて、僕の体は硬直し言う事を聞かない。周りの連中も似たり寄ったりらしく、「私にプレッシャーをかける!?」とか「……邪気がきた!」とか呻くように言う声もする。どのみち全員なんとかできそうな状態にはないようだ。

もの凄い風前の灯火ですよ僕ら!? このままだとヤバイ。本気でヤバイ。唯一取るべき方針はこの場からの逃走。それしか生き延びる法はないとみんな分かっている。だができない。できるわけがない。蛇に睨まれたカエルに選択権がないように、僕らはただただ、暴虐なる嵐に晒されるしかないのだろうか。






「待ちたまえ淑女達よ!」


 




朗々とした声が響き渡ったのは、二匹が次のアクションに移ろうかとするその時だった。 その声は、まるで水でもぶっかけたかのようにその場に満ちていた殺気を一瞬で吹き飛ばした。僕らの硬直は解け、今にも血戦を始め出しそうだった二匹の獣は一瞬で人へと戻り、きょとんとした表情で周りを見ていた。

 

凄いなオイ!? しかし今の声、聞き覚えがあるぞ思いっきり。


「まさか、校長?」

「否! 我は二高校長渋井 勘司にあらず!」

 

呟く声に答えたのは間違いなく校長の物……だと思ったんだけど、なんか様子が変だぞ? それにさっきから声はすれども姿が見えない。一体どこからだと周囲を見回すが、校長の影も形もなかった。

と思いきや、突如床にあった整備孔の蓋ががぱんと開く。


「また出入り口は無視ですかそーですか」

「あーその……がんばれ?」

 

カウンターの裏でふて腐れる南田と、流石に哀れになったのか彼を慰める秋沼。その声を無視するかのように、整備孔からせり上がりで誰かが姿を現す。

 

隆々たる体躯に上品なスリーピースのスーツを纏い、腕組みをして堂々と立つ凛々しい姿。その頭部は、口元を大きく露出した覆面で覆われている。

 

その人物は、地上に完全な姿を現すと同時に大音声で名乗りを上げた。


「我は皆がシビれる憧れる謎の覆面紳士、マスク・ド・ダンディ! 学園の危機に応じ、今ここに推参した!」

 

ぶっちゃけマスク被った校長だった。

 

何とも言えない空気が漂う。威風堂々と部屋の中央に立つ校長に対し、どう反応したものだかと皆戸惑っているのだ。とは言えこのまま呆然としているわけにもいかない、僕は意を決して校長に声を掛ける。


「あの校長……」

「マスク・ド・ダンディである!」

「え〜っと……」

「マスク・ド・ダンディである!」

「…………………………」

「マスク・ド・ダンディ――」

「もういいです、もう分かりましたマスク・ド・ダンディ」

 

信じていた全てが裏切られたような気分になって、がっくりと肩を落す僕。本当に僕の周りってまともな人間がいないな。出家したくなってきたよ本気で。

まあ、そこら辺は後で本気で検討する事にしてだ、校長――マスク・ド・ダンディと話を進めることにする。なんにしろこの人がどういった理由でここに現れたのかを確認するのが先だ。まさかただ単に喧嘩を止めに来たというわけでもあるまい。いや確かに二高そのものが消滅しかねない気配もあったが。


「それでマスク・ド・ダンディ、一体何用でしょうか? ごらんの通りこちらは少々立て込んでいまして」

 

そう尋ねると、マスク・ド・ダンディはうむと大きく頷き答える。


「この場の諍い、ただの小競り合いであれば捨て置くつもりであったが、場合によってはこの学園全てを巻き込み滅ぼしかねないと判断した。ゆえにこのマスク・ド・ダンディ、大人げないと分かっていても介入させてもらう。無論反論等は全て却下だ。……文句等があり、なおかつこの我と内申書を恐れぬのならば、肉体言語にて語り掛けてくるがよかろう」

 

こうまで言われて不平不満を漏らす者などいるはずもなかった。なんという威圧感だ主に内申書。つーか正体明かしているようなモノなんですけどそこんとこどーですかマスク・ド・ダンディ 。

勿論そんな事実なんぞ軽く無視して、マスク・ド・ダンディは男臭いにやりとした笑いを浮かべる。そしてこの場を収め、かつ纏めて白黒をつける『手段』を皆へと提案した。


 




この時、僕が全身全霊をかけて止めていれば、後の騒ぎは起こらなかったかも知れない。

 

だが事態はブレーキの壊れたダンプカーのように止まることを知らず加速を始める。

 

そして、当然のごとく僕自身も巻き込まれていくのであった。


 




…………………………泣いて良いかな。







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