その四・禍福は糾える縄のごとし 前編
冬池 檸檬は戦っていた。むーっと唸りながら口を歪め、まなじりを上げて真正面から敵と対峙している。
春沢 小梅は戦っていた。うーっと唸りながら歯を食いしばり、半ば涙目になりながらも真正面から敵と対峙している。
二人の闘気は形を取り、それぞれフェレットと子ダヌキの形を取っている。なんでだか。
そして東山 暢照は挟まれていた。脂汗をかきながらぬぬうと唸り、必死で現状の打開策を考えている。
刃が交わされるわけではない。壮絶な撃ち合いが行われているわけでもない。怒号が飛び交う事すらない。しかし確かに――
そこは戦場だった。
「ううううう檸檬が、檸檬が汚されていくううううう」
「しかしあれだね、なんで家庭科室にバーカウンターなんてものがあんのかね?」
「うちの会長の趣味さ」
「…………料理研究会のメンツが全員ミニスカメイドと執事スタイルなのは?」
「………………うちの会長の趣味さ」
ちなみに"秋沼"はハンカチを引きちぎらんとばかりに噛み締め血涙を流し、南田はカウンターの内側で黙々とグラスを磨き、僕とかりんは全力で戦場から意識を逸らそうとしていた。 放課後の家庭科室。そこは料理研究会の活動の場となっているのだが、その内装はどう見ても大きめの喫茶店かレストランにしか見えない。そして活動している会員達も、制服やジャージではなく仕立ての良さそうな服装だ。(しかもフリルやリボンが異様に付いたものや猫耳猫尻尾が付いたものなど個人個人で微妙に違うところを見るとオーダーメイドのようである)料理研究会は園芸同好会と同様に学校から部費をもらっていないので活動の費用は生徒達の自己負担となっているはずなのだが、ここまで凝っていて大丈夫なのだろうか。
そう南田に尋ねたら、「だから商売してんのさ」という話になった。僕らは知らなかったのだがなんでも料理研究会の営業はかなり昔から行われており、教師生徒を問わず好評なのだそうで。知る人ぞ知るという話ではあるが実は学食よりも料理のレベルが高く、校内はもとより校外からも出前の要請があるという事だ。
おかげさまで商売繁盛。服くらいは用意できるようになったと南田は笑う。そっか、水道代とかガス代は学校持ちだものなあ。それだけでも随分とコストの削減になるわけだ。あとは百円ショップとかで食器とかの類を揃えれば安価でメニューを供給できる。しかも質も良いとなれば人気も出てくるのは当然。なるほど、儲けていらっしゃる方々は目の付け所が違いますな?
「くきぃ! 恨む呪う妬むそねる殺す死なすぎぎぎぎぎ……」
「てりゃ」
ごきり。
「はうっ!」
「容赦ないね夕樹。気持ちは分かるけど」
………………はあ、いい加減現実逃避も終わりにするか。丑の刻参りでもやり出しかねない秋沼を一撃で昏倒させてから、僕は渋々異様な気配を放ち他者を寄せ付けないテーブル――テル達三人が居座っている方へと向き直る。
さて、なんでこんな状況になっているのか。まずはソレを説明しなければなるまい。
先日の騒動が一応の集結を見せた後、テルと春沢さんを待たせていたままだった事に気付いた僕は、速攻で通用門の方へと直行し、マッハの速度で土下座して二人に謝り倒した。
律儀に待っていた二人は、戸惑いながらも事情を問う。正直に言って良いのだかどうだか迷ったが、言わなくて良いだろうと判断したところは適度にぼかして一通りの説明はしておいた。二人ともどういったものだか分からないと言う顔をしていたが、当然と言えば当然だろう。
さすがにこんな状況でご対面というわけにもいかず、その日はお開きという事にして後日改めてという話になった。二人ともあからさまにこのまま有耶無耶にならないかなあという顔をしていたが、いい加減ケリを付けてもらわないと周りが迷惑だ。このままだとまた厄介事が起こるような予感がひしひしとしているし、とっとと白黒つけてもらいたい。
で、翌日早朝早速"冬池"を屋上から降ろして色々と言い含め(拳骨込み)、その日のうちに再度引き合わせる話を纏めたのだ。(ちなみに秋沼と剣道部員達は放置したままだったのだが、HR前にはちゃっかり解放されていた。先生達が見かねたらしい)
場所がここ――家庭科室に変更になったのは……大した理由はない。強いて言うなら、南田に勧められたからだろう(まさかこういう本格的な営業を行っているとは思わなかったけれど)。一人でも知り合いが多い方が心強いといった考えもあったし。
ともかくこうしてお膳立てを整え、やっとの事でテルと冬池がご対面…………となった所で新たな問題が発生した。
今の今までその胸の内に恋心を秘めていたはずの伏兵、春沢さんの乱入である。
やはり長時間二人っきりにしていたのが拙かったのか、どうにも自分の本心を押さえきれない領域に足を踏み入れていたらしい。テルを前にテンパった調子で一方的になんやかんやしゃべくりまくっていた冬池がやっとの事で本題に入ろうとしたその瞬間、「ちょっと待ったー!!」と絶叫して話に割り込み、テルを挟んで冬池の真正面に居座ったのだ。
突如の事に言葉を失った冬池だったが、春沢さんがいかなる意図を持って割り込んだのか即座に感付いたのだろう、表情を厳しい物に変えて彼女を真っ向から睨め付ける。
そしてそのままにらみ合いが続いているわけだが……はてさてどうしたモンだか。下手に介入するとこっちにとばっちりが来る事は目に見えている。だからといって放っておいたら余計な面倒事が雪だるま式に増えていくような気がしてならない。確定事項を避けるかそれとも未来の暗雲の目を無視するか、実に悩みどころだねこれは。そう思い悩んでいたら、事態はいきなり動き出した。
「……なんで、今さらっ……」
火蓋を切ったのは冬池。春沢さんを睨め付けたまま、歯をぎしりと軋ませつつ呻くように言う。
次の瞬間、彼女は吠えた。
「なんで! なんで今さらそんな事! もっと前に、私が気付く前にあなたが動いていれば!」
そこで勢いが止まる。冬池は俯いて今度は悲しそうに、しかし力を込めたまま言葉を紡ぐ。
「……諦められたかも、しれないのに……」
春沢さんは退かない。涙を零しそうになりながらも毅然と、しかし以前のようにダメな空気を纏う事なく、真っ向から迎え撃つ。
「あなたこそ、いきなり割り込んできて何様のつもりですか。私は、側にいられるだけで良かった。東山さんと一緒にのんびりとした時間を過ごせていれば、それだけで良かったのに!」
激しく切り込み、そして――
「あなたのせいで、気付いちゃったじゃないですか。……東山さんが、好きだって」
血を吐くように言う。
まるで全力で真剣を振り回しているような気迫が二人から放たれている。
一言一言が、刃。それは相手を裂こうとするのと同時に己の心も切り開き晒け出さんとする、諸刃の剣。そう感じられる雰囲気だ。
空気が重い。重すぎて熱い。何一つ洒落っ気も笑いもないこの空気は正直耐え難い。家庭科室の中に居座る人間――客と店員(?)の約半分が僕と同意見のようで、さり気なく距離を取り怯えた表情で様子を窺っている。
とは言っても怖い物見たさという心境もあるのだろう。怯えた中にもどこか興味深そうな様相が見受けられる。距離を取るだけで、決して家庭科室から出ていかないのがその証拠だ。(無論残りの半分は純粋な野次馬根性で居座っている。あんな餌目の前にした犬猫みたいに目をきらきらさせていたらイヤでも分かるわな)
まあ、なんだかんだ言いながらここにいる僕だって、人の事は言えないけれどね。
「うわあ……まさか知り合いがあんな青臭い修羅場作るとは思っても見なかった」
隣でぼそりと愚痴る声。見ればかりんが砂を吐くような表情で肩を竦めていた。
あ、青臭いのねアレ。十二分に殺気立っていると言うか静かに白熱していると言うか、ともかく直で関わりたくないような空気バリバリだけど?
そう言ったら、「まあ確かに関わり合いたくはないけどさ」と前置きして、かりんはどこか遠くを見ながら言葉を紡ぐ。
「別に妊娠騒ぎでもないし刃傷ざたでもない、そもそも付き合う付き合わない以前の問題じゃないか。はっきり言って檸檬と春沢ちゃんとが空回りしてるだけだよ。肝心の東山はフリーズしたまんまで話に入れそうもない状態だし、せいぜいが互いに言いたい事を言い合うぐらいで終わるんじゃないかコレ」
案外言うだけ言ったら気が合うかもねえあの二人。かりんはそう締めて苦笑を浮かべた。
なんつーか……大人だねえかりんさんや。毒気が抜かれたような心持ちでそう言ってみたら、彼女は苦笑を浮かべたまま、意味ありげな視線を件のテーブルに向ける。
「ま、あの二人に比べりゃ経験は豊富さね。流石に自分で修羅場を演じたこたあないけどさ」
…………なんだろう。なぜかかりんの過去が凄く気になった。そう言えば僕はかりんの事をほとんど知らない。特に不便もなかったので今まで気にも留めなかったのだけれども。
やっぱり居たのかな、ほらその、彼氏とか。その事が頭をよぎった瞬間、胸のどこかがちくりと痛んだ。
…………………………まさかね?
自分自身に対し疑念を浮かべ僅かに顔を顰める。こっそりそんな事をしている合間にも、修羅場は熱く進行していった。
「東山さんの事、なにも知らない癖に」
先手、春沢さん。静かに、しかし鋭く切り込む。
「私は、ずっと東山さんの事を見てきました。最初は怖かったけど、一緒に同好会で働いて、同じ光景を見て、ちょっとした事で困ったり、悩んだり、解決できて良かったと笑い合ったり……そんな事をしているうちに、優しくて丁寧な所とか、照れ屋な所とか、人間関係なんかに対しては以外と面倒くさがりな所とか、良い所も悪い所も含めて一切合切を見て来たんです。……そんな事を何一つ知らないあなたに、いきなり好きだのなんだの言って全てを壊す資格があるとでも!?」
激情のまま迸る言葉に、同じくらいの熱さを秘めて冬池が返す。
「なにも知らないのなら、好きになっちゃいけない。誰がそんな事決めたの?」
伏せられていた目が、射抜く鋭さを持って開かれる。
「今までを知らないのなら、これから知っていけばいい。……人に言われるまで自分の心に気が付かなかった分際で、ちょっと一緒にいた時間が長いからっていい気にならないで」
返す刀は、想像以上に残酷な切れ味で春沢さんの心を刻む。
ぎしりと、空気が軋む音が聞こえたような気がした。
胃が、胃が痛くなってきましたよ? 離れている僕がこんなんなんだ、当事者はよく平気だなあ。…………あ、平気じゃないや、テルのヤツ白目剥いて口から魂吐いてる。
話題の中心のはずだというのに完全に置いてけぼりにされているテルはさておいて、女の戦いはさらに激化していく。
ざっくりと痛い所を指摘された春沢さんが一瞬仰け反る。しかし瞬時に持ち直し、強烈なカウンターを放った。
「臆病風に吹かれて逃げ出しておいて! 今さらのこのことよく顔が出せたものですね! どれだけ東山さんが心を痛めていたか……そんな事を気にも留めなかったのに!」
こんどは冬池が仰け反る。コレは痛い、何しろ彼女は周囲の人間の手助けがなければこの場に出てこられなかったかも知れないのだ。所詮自分のことしか考えられない最低の女、今のはテルの目の前でそう評されたに等しい。
ふふんなにか言い返せる事があるのか? 春沢さんの目がそう勝ち誇っているように見えた。これ以上の弱みは春沢さんにはない。この戦いの天秤は大きく傾いた……そう見えていたのだが、冬池は予想外の方向から、ある意味反則的な視点で反撃を開始した。
「………………"挟めない"くせに」
恨めしげな目で再び睨み返しつつ冬池が口にした言葉の意味を、春沢さんは一瞬理解できなかったようで、きょとんと目を丸くする。だが冬池の据えた目がどこに向けられているか分かった瞬間、顔を真っ赤に染め胸元を両手で隠すように押さえ、身をよじって後退しながらどもった声で反論する。
「な、ななななな、い、今はそんな事は関係ないでしょう!? ひ、人の身体的特徴を揶揄するのはマナー違反だと思います!」
ここでやっと、僕も彼女たちがなんの会話をしているか分かった。確かにマナー違反というか人前でする会話じゃないんじゃなかろうかコレ。眉を顰めて様子を窺っていると、話がどんどんおかしな方向へと走り始めた。
「……東山君の嗜好、といった方面から考えれば、関係ない話じゃないよ。……ふっ、所詮は持たざる者。その程度の貧弱な戦力でこの人を満足させる事ができると思っているの?」
「ううっ……ひ、東山さんの嗜好が大を良しとするのかどうかまだ分からないじゃないですか! ぺたんこ好きだったら私直撃コースですよ!? そ、それに、は、挟めませんけど……………擦れます! ろりぷに舐めないでください!」
「ぐぬっ……な、無いよりある方がいいじゃない! そうに決まってるわ! ………………た、たとえぺたんころりぷに好きだったとしても私が矯正するもんむちぷりぼんきゅぼんの素晴らしさを身をもって教えてあげるもん!」
「私ならっ! マニアックな欲求にも応えられます! ぶるまだって、スク水だって! ランドセルだって背負っちゃうですから!」
「わ、私だってメイド服に首輪でご主人様と雌奴隷とか、ナース服と診療台で恥辱の深夜病棟とか、できるんだからやっちゃうんだから!」
「こっちはお兄ちゃんと呼んでも違和感ありませんよーだ! じゃれついても甘えてもOKな立場を確保する事だって夢じゃないんです!」
「こっちは甘えさせてあげるもん! 肉質豊かな膝枕だってしてあげられるんだから! いつまでも妹キャラの時代じゃないよーだ!」
「うーーーーーーーー!!」
「むーーーーーーーー!!」
ぶちまけるだけぶちまけて、真っ赤な顔で再び睨み合う。
……なんつー低レベルな戦いだ。さっきの緊迫感はどこへ行った。漂うダメエアーに辟易した心持ちとなって、僕は肩を落とす。
まああれだ、深刻になりすぎてそれこそ刃傷沙汰になるよかマシだけどさ、自分達で言ってて悲しくならないか? 後で口走った事の一つ一つを思い出して悶絶するんじゃなかろうか彼女ら。
周囲の人間の間にも、緊迫感に代わってなんだか珍妙な空気が漂い始めている。多分明日にはものすごい噂になっている事だろう。恐らくはテルが酷い性癖を持っていたとかいう方向性で。気の毒だが僕にはそれを止められそうにない。恨むなら…………自分のフラグ立て能力でも恨んでくれい。そう思いつつ、そっと十字を切る。意味はないけれど。
哀れな子羊の明日を憂う僕……の肩を、誰かがとんとんと叩く。なんだと振り返れば、カウンター越しに身を乗り出している南田の姿。
「ん? どしたの?」
「お前さんに、客だってよ。外で待ってるって」
親指で出入り口の方を差す南田。こんな時に誰だろうと僕は首を捻る。
心当たりはない…………よな? 訝しがりながら僕は席を立った。未だ不毛な睨み合いを続けている(心情的に)彼方のテーブルを尻目に出入り口へと向かう。
果たして廊下で僕を待ち構えていたのは――
「正直スマンかった!」
顔を合わせた途端、マッハの速度で土下座をかます上級生女子の姿だった。




