その三・窮鼠猫を噛む 前編
「西の字、西の字! おいどうしたってんだ!?」
真っ暗になった視界が、南田の声で晴れてくる。
気付いたら僕は廊下に両手両膝をついてがっくりと項垂れていたようだ。
なんでここまできて犬猫話で繋がるか。どこまでいっても僕は連中から逃れられないと言うのか!? 絶望感が心を覆い尽くす。
そんな感じで僕はヘコんでいた。勿論なんで僕がヘコんでいるのか分からない(と言うか気にしてない)秋沼さんは、生化連合の言葉に動揺する事なく小馬鹿にしくさった態度で応対していた。
「猫派に犬派だと? くだらん。そんな連中がどうしたと言うんだ」
その言葉にいきり立つ生化連合の方々。
「名前だけを聞いていれば間抜けに思えるかも知れないがな。ヤツらは生易しい存在ではない!」
「その通り。長きに渡り歴史の闇に潜み暗躍を続け、なおかつ表の世界にほとんど姿を現す事のなかった恐るべき組織だ。歴史の中で重要な変換点には、彼らの影が必ずあった」
「たかだか犬猫ごときのために、ヤツらは世界を牛耳り制御しようとしている。……あの畜生どものためだけにだ!」
「まったく、あんな生き物どものどこが良いというのだ。にゃーワン五月蠅いわ、噛むは引っ掻くわ、散歩に連れて行かないといつまでもごねるわ、良い所でリセットボタンを押すわ……」
段々と話がおかしな方向へと向かい始めた。実はこいつら、単に犬猫が嫌いなだけなんじゃなかろうか。それで誘拐事件まで起こすとはどんだけ迷惑な馬鹿だ。よそでやってくれよそで。
まだ力が入らない身体を無理矢理引き起こし、僕はのろのろと南田へと顔を向ける。なにが言いたいのか彼も分かってくれたようで、疲れた表情で頷いてくれた。
「…………かえろっか」
「…………そだな」
「…………そうしましょ」
…………………………ん?
想定していない声に僕と南田は一瞬顔を見合わせ、続けて声が掛かってきた方向を揃って見やる。
そこには、教室内で立場を無くしていたはずの冬池嬢の姿があった。
一瞬の間――
『うひょわあ!?』
そして奇声を上げつつ後ずさる僕ら。
なに!? 今この人どっから湧いて出たの!? 慌てて出入り口の方を見てみたけど、相変わらず秋沼さんと生化連合がエキサイトした会話を繰り広げており、とてもじゃないがその間を通って外に出られるようには見えない。一体どうやって廊下に出てきたんだろう。アレか、プリンセステンコーか。
おののく僕らに対し、冬池嬢は困ったような顔で自身の後ろを指す。
「後ろの扉……開きっぱなしだったから」
………………なるほど、教室という物は大概前後双方に出入り口がある。それをそっくりそのまま使用しているここの部室にもそれは当てはまっていたという事か。あまりにもしょうもないオチに頭痛を覚える僕だった。
どんよりと空気が重くなる中、それを打ち払わんとするように殊更明るい調子で冬池嬢は一生懸命フォローしようと言葉を紡いだ。
「あ、あの、感謝してるのよ? 貴方達がきてくれたおかげで彼らの気が逸れたんだし、そういう事に気付く余裕ができたんだから。……その、ありがとう」
わたわたと言ってからぺこりと頭を下げる。うわ、この人いい人だ。全身からこう、そういう感じのオーラが発散されまくっている。
そりゃ人気があるのも分かるなあ。自分の家柄や能力、容姿などを鼻にもかけず、さらに性格も丸いともなれば好感を抱く人間は多いだろう。非の打ち所がないって言うのはこういうのを言うんじゃないだろうか。
僕らは何と無しに気恥ずかしくなって、「いやたいした事してないし」とか「付き添っただけだから気にすんな」とかごにょごにょ返答らしき物をしてそっぽを向いた。ノーマル状態の春沢さんといいこの人といい、どうにもいい人オーラを纏った女の子の相手は調子が狂う。ひょっとして自覚はないけどこういうタイプが僕の好みだったりするのだろうか。むう、恋愛経験値が低いから判断付かないなあ。
よそへ行きかけた思考を棚に上げ、僕は誤魔化すかのように咳払いをし話題を変える事にした。
「あ〜ともかく、僕は西之谷 夕樹。かり……夏川さんから聞いていると思うけれど、東山 暢照のツレ」
そう自己紹介をした途端、冬池嬢は人のよさげな笑顔のままぴしりと凍り付いた。そして硬直が解けたかと思いきやどんよりと暗いオーラを纏い、俯き加減でこの世の終わりのごとき表情となる。
いやなんでよ。そう思っていたら、なんだか小声でぶつぶつ言い出した。
「折角きて頂いてなんですけれど、今更私なんかと会っても東山君の迷惑じゃないかなあ。……”あんな可愛らしい彼女が、二人も側に居るんだし”」
…………………………あんだと!?
ちょっと待て、すごおく待て。テルに彼女? しかも二人!? そんな馬鹿な。
いくら僕でもヤツのプライベートの全てを把握しているわけじゃあないが、これだけは断言できる。天地神明にかけて今現在ヤツに彼女などという物は存在しないっ!! もし違えているというのならばメイド服着て特殊な喫茶店でご奉仕してやってもいい。それくらいの確信はある。
絶対に何かの誤解に違いないと思いながら、僕は冬池嬢に聞いてみた。
「あのさ、そのヤツの彼女って……どこで見たの?」
なぜそんなことを聞くと言いたげな視線をこちらに向けながら、冬池嬢が返した答えはというと。
「告白した時。……東山君が貧血かなんかで倒れたら、即座に介抱しようとした女の子が二人居たの。ジャージ着込んだツインテールの子と、"ショートカットの子"。私、咄嗟に動けなかったのに……」
激しく待てやオイ。
あの、とっても心当たりがあるんですがその"ショートカットの女の子"とやらに。再び痛み出したこめかみ辺りを揉みほぐしながら、力無く口を開く僕。
「ふ〜ん、そうなんだ。…………所でさあ、僕の顔どっかで見た事ない?」
どんよりとした表情のまま、僕の顔をまじまじと覗き込む冬池嬢。そのまま暫く除いていた彼女の表情が段々と訝しげな物になり、ついで驚いたように目が見開かれ、そして仕舞いにはわなわなと震えだした。
「え、ちょ……ちょっと………………え、え? え〜〜〜!?」
驚愕の声を上げながら僕を指さす。ふん、やっと気が付いたか。
……と思ってたら。
「なんで男装してるの!?」
すっとんきょうな声でほざきやがりましたよこの人。今度はこちらががくりと落ち込みました。
あーくそ、他人事だと思って大爆笑してやがんな南田。遠慮なく体を折って笑い声を上げているヤツを横目で睨んでから、誤解を解こうと冬池嬢へと向き直る。
彼女は赤い顔をして首をふるふる振りながら、なんか言葉を垂れ流していた。
「そんな……東山君が倒錯した趣味の持ち主だったなんて……見たところ胸もおしりもちっちゃいし確かに男装が似合うんだけど……そう言えばもう一人はもっとちっちゃかった……倒錯趣味でちっちゃい子スキー!? うう〜、私平均並み以上だよう……」
妄想とは言え酷い人格攻撃だ。テルに対しても僕に対しても。おかげさまで頭痛を過ぎて胃にきりきりとした鈍痛すら感じられるようになった。それをなんとか堪えつつ、ツッコミを入れてみる。
「あのね、こちとら正真正銘の男だよ、お・と・こ! 勝手に妄想して状況悪化しないでくれないかな」
果たして冬池嬢は、妄想を止めて僕を見直した……と思いきや、頭抱えて仰け反りながら、さらに激しく喚きだしやがった。
「いやああああああ! ちっちゃい子スキーにかてて加えてお稚児趣味!? 生えてないよ、生えてないよ私! 染色体からはどうにもできないよおおおおお!!!」
「超絶に待てやごるあああああああ!!!」
なにその全力疾走な妄想は! 思わず絶叫しちゃうよ!? こら南田崩れ落ちて痙攣起こしながら笑うな少しはフォローしやがれ!
ああもうなんでこんな事になったんだろう。激しく疑問に思いながら、僕は冬池嬢を宥め誤解を解く事に死力を尽くす羽目となった。
――ややあって。
「そういうわけで! ヤツも僕もどノーマル! ついでに一緒にいた子は同い年! ご理解頂けましたでしょうか!?」
「は、はい ……そりゃもう十二分に」
ぜーはーぜーはーと肩で息をしている僕の剣幕に対し、廊下で正座している冬池さんは叱られた子供のような顔で答える。
彼女の頭には、たんこぶ。正直手を上げるのは気が進まなかったが、一発入れなきゃ正気に戻る様子がなかったのであえてシバかせてもらった。まったく世話の焼ける。
まあしかし苦労した甲斐あって、どうやら誤解も解けたようだ。ついでに彼女が告白の後姿を消してフォローもなにもしなかった理由も分かった。
要するに彼女、僕と春沢さんの事をテルのお手つきだと思いこんでしまったわけだ。咄嗟に倒れたテルの介抱に走った僕らを見て、ああ自分の入る余地などないと悟ったのだという。だから思わずその場から逃げ出し告白した事など忘れてしまおうと、アレは気の迷いだったのだと思いこもうとしたのだけれど、一度胸に宿った思いはそう簡単には消えてくれない。諦めきれず、さりとて再び顔を合わせ僕達の間(彼女主観)に割り込む勇気も生まれず、悶々と思い悩んでいた。……という事らしい。
冷静な人かと思っていたら、以外に思いこみの激しい人間だったんだなあこの人。いや、恋をしたら視野が狭くなるのかも知れない。した事ないんで分からないけれど。
それにしてもだ、前から気にはなっていたんだが……なんでこの人テルに惚れ込んじゃったわけよ? 本人に会うまでは何かの間違いである可能性を捨てきれなかったのだけど、どうにもマジな話のようだ。この際だ、そのへんの事情も聞いてみる事にする。
すると返ってきたのは意外な答えだった。
「……一目惚れ……かな?」
あの見た目ヤクザのどこに!? 目を丸くする僕らを前にして、冬池さんは真っ赤な顔で俯き、両の人差し指をちょんちょんと合わせながら恥ずかしげに語る。
「半月くらい前かな……ほら、園芸同好会の人って時々校内の花壇とか庭園とかの手入れ、手伝ってるじゃない。たまたまそれを見掛けたんだけど、作業が終わった後で手入れした木を見上げてる東山君がいてね、その横顔が、なんて言うか……満足そうで、誇らしげで……とても格好良く見えて…………その顔がなんか、頭の中にこびり付いて離れなくて………………こんなにどきどきして落ち着かないの初めてだったし、きっとこれがその、好きになっちゃったって事かな〜、なんて…………………………」
あ〜、なるほどね。納得できないでもない。グラサンとむっつりした表情がデフォルトなんで気付きにくいけれど、実の所テルの顔の造形はそう悪いわけじゃない。だから普段と違う柔らかい表情をしただけで、随分と印象が変わって見えるのだ。まあ付き合い長い僕でも滅多に見た事ないレアなモンだけど、それが故に一度見たら深く印象に残る事は間違いないだろう。
……しかしフラグ一発で落とすってどうよ正直。いやテルは良いヤツなんだ。口数の少なさと反応の鈍ささえ気にならなければおすすめの物件と言って良い。だけどね? 漫画じゃあるまいし口説きまくってるわけでもないのに極上の女の子から一方的に慕われるってのは納得いかない。冬池さんが(そして多分春沢さんも)かなり思いこみの激しい性格だったからという理由があるにしても絶対おかしい、何かが間違っていると思いたくなる。
これはひょっとして、嫉妬というヤツなのかな。テルに関してそういう感情を抱くとは正直驚きだ。ただ、そう言う感情はもっとこう、陰湿的でじめりとした物のような気がしていたのだけれど……ひたすらに迷惑だとか困ったもんだとかいう感情しか沸き上がってこないのはなぜだろう?
「そこん所どう思うよ色恋沙汰に詳しそうな南田さん」
「どこん所の話だよ西の字。言っておくけんど俺ちゃん女の子の扱い苦手だぜ?」
ちっ、ノリの悪いヤツめ。やれやれと言いたげな南田の様子に舌打ちする。
理不尽だって分かってるよ単なる八つ当たりだ。
さて、それはそれとしていい加減この場に残っているのもあほらしい。さっさと河岸を変えてしまおうかと気持ちを切り替え――
ようとしたのは僅かに遅かった。
「ええい結局貴様もあの畜生どもマニアの味方という事か! 所詮は愚昧なる者、我等とは相容れぬ!」
「ふっ……高尚な趣味が理解できぬとは、下賤極まりない。……表に出ろ、貴様らの思い上がり打ち砕いてくれよう」
いつの間にか追い詰められた悪の組織と追い詰めた孤高のヒーローといった様相を見せていた生科連合と秋沼さんの対話だが、どうも喧々囂々の挙げ句決裂してしまったようで次なる段階――大立ち回りへと移行してしまいそうな状況へと達していた。
やべ、このままだと巻き込まれる。遅ればせながら現状に気付いた僕は、こちら側の二人を促してこの場を去ろうとする。その寸前で、やはり現状に気付いた冬池さんが青い顔になって泡を食ったように慌てて言う。
「ちょ、ちょっとヤバいよりんちゃん。運動神経切れまくってる癖に喧嘩なんかしちゃだめだよう」
そうだった。すっかり忘れてたけれど、こないだケルベロスとかいう変態どもに囲まれてた時あの人役に立たなかったどころか腰抜かしてたじゃないか。なんであんなに根拠なく自信満々なんだ?
ちくしょう、気付いちまったからには放っておいて逃げたりしたら寝覚めが悪い。僕は南田に小声で「タイミング計って逃げるよ。冬池さんよろしく」と言い放ち、いつでも秋沼さんの襟首ひっつかんで逃げ出せるよう身構えた。
しかし心の中でカウントしていざという瞬間に、人の気を知ってか知らずか秋沼さんは僅かばかり振り向いて、ふっと格好良く決めたつもりだろう不敵な液を浮かべこうほざきやがった。
「檸檬、この秋沼 林檎、君のためならば死ねる。……第一この程度の輩、どうという事はない」
「死んじゃダメだってば!?」
ああああああ、ついツッコんじゃうような台詞をなんでぶちかましますかこの場面で! 機先を制されて逃げるタイミングを逃しましたよ!? 空気読んで、お願いだから空気読んで!
僕らが躊躇した隙に、案の定いきり立った生科連合の面々はわらわらと廊下に湧き出てくる。そしてリーダー格の一人(多分生物部の部長)がこちらをびしりと指さし、声たかだかに吠えたてた。
「おのれおのれ、停学覚悟で科学部同志に電波妨害装置を制作してもらい発動させ、混乱のうちに犬猫狂いどもが手中に収めんとしていた才女冬池殿を横から掠め取り、ヤツらの機先を制してイニシアチブを取ろうとする我等の計画を邪魔をした挙げ句失礼千万極まりない発言の数々、返す返すも許し難い! 穏便に済ませるつもりだったが最早問答無用、我等が切り札にて血祭りに上げてくれる!」
異様に説明くさい台詞の後ばちんと指が鳴らされると同時に、彼の背後で廊下が左右に開き、なにかがせり上がってくる。
ウチの学校じゃ床になにか仕込むのが流行りなのか!? ……とか言ってる場合じゃない。戦慄する僕ら(約1名を除く)の目の前に全貌を表したそれは――
………………えー、なんと表現すれば良いんだろう。
有り体に言うと、団子? でっかい団子? そうとしか表現できない人の背丈を超えるどでかい胴体らしきものに、これまたまん丸い球体が斜め上にちょこんと乗っかっている。
つぶらだけど、どこに焦点が合っているか分からない目玉のようなものと横一直線のただの棒線にしか見えない切れ込み――口らしき器官があるところを見ると多分頭部なのだろう。それ以外は身体の各部からうにょうにょと触手らしきものがまばらに伸びているだけという、見事なまでの怪生物であった。
それを背後に控えた生化連合の面々は誇らしげに胸を張っている。先に吠えたリーダー格なんか、もう得意の絶頂で頼みもしないのに解説なんか始めやがった。
「見たか! これぞ対犬猫戦闘用究極無敵愛玩動物【マルモルマルモ】! 犬猫ごとき寄せ付けない戦闘能力と愛くるしい外見、そしておはようから夜のお供まで役に立つ有能さを兼ね備えた次世代の人類にとって真に友となりうる存在だ!」
どこからツッコんだらいいのか分からねえ。逃亡するのも忘れて唖然とする僕らの目の前で、益々調子づくリーダー格。
「どうだ驚いたか! この芸術的なまでの丸さ、愛くるしい瞳、かわいげのある触手! この素晴らしき生命の前では従来の愛玩動物など霞も同然――」
彼の台詞は最後まで続かなかった。
なぜならば背後の怪生物がのっそり動いたかと思うと、大きく口を開いて彼の頭を後ろからばくりとくわえ込んだからだ。
「ぶ、部長ーーーー!?」
「生物部のーーーー!!」
予想外のアクシデントにパニックになり、慌ててリーダー格――生物部部長を救出しようとする生化連合の面々だが、怪生物は周囲の状況を一顧だにせずマイペースに部長の頭をまぐまぐやっていた……と思いきや、突如不味かったとでも言いたげにぺいっと吐き出す。
ぐしゃあと糸の切れた操り人形のように廊下に倒れ伏す生物部部長。生化連合の面々は慌てふためいて彼を介抱しようと集う。その最中、怪生物の眼がぐりりんと動く。
目が合った。
焦点の定まっていないはずのヤツの目。だが確かにそれは僕の方へと向けられた。
ぞくりと背中を走る悪寒。次の瞬間、ヤツは「もけええええ!」という奇怪な雄叫びを上げて触手を伸ばし生化連合の面々を纏めて吹っ飛ばした。そしてぐっと身体を縮めて――
勢いを付けこちらに向かって転がりだす! その寸前に僕は動いた。
「総員転進っ!!」
叫ぶと同時に秋沼さんの首根っこひっ掴み、脇目も振らずに全力で逃げ出す。掴まれた当人とかが何やら叫んでいるようだが知った事じゃない。ぼーっと突っ立ってたらアレの餌食だ。それは御免被るっての。
ああもう躊躇しないでとっとと逃げ出しときゃよかったああああああ!




