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その五・大山鳴動して鼠一匹 前編

 




二高の体育館はかなり大きい。

スポーツに力を入れている校風だからなのだろう、そこらの公立体育館とは比べ物にならない設備が整っている。

そんなご近所でも評判の体育館の中では今、全校生徒が臨時の観客席を埋め尽くし、今や遅しと目をきらきらさせながらイベントの始まりを待っていた。

 

学園物と言えばトーナメントである。今現在、体育館の天井近くに設置されている時計の上に腕を組んで立っているマスク・ド・ダンディはそう断言した。

個人的には色々と言いたい事もあったし、あの家庭科室にいた全員がなにか言いたそうな顔をしていたのだけれど、うねる筋肉と内申書をちらつかされれば誰も文句を言えない。結局はマスク・ド・ダンディに逆らえぬまま、生徒会と風紀委員以下全員が馬鹿馬鹿しいイベントを企画、開催する事となってしまった。

 

そのイベントの名は、【第一回東山 暢照争奪完全無差別格闘トーナメント】。

 

テルの所有権をかけ、希望者達が覇を競い合う戦いの場である。

 

………………頭が痛くなってきた人手を挙げて。はーい。

もう持病と化してきた頭痛と胃痛を覚えて、僕はこれまた癖になった一連の行動――溜息を吐いて肩を落すという仕草を行う。や、単にそう言うイベントが行われるだけならまったくもって構わない。僕の関係ないところで存分にやってくれって感じだ。ではなにが問題なのかというと――

 

"なぜか僕も参加者として登録されている"という事だ。

 

どういうわけだか誰か説明して欲しい。確かに僕はテルとつるんでいるが、別にヤツを所有したいと思った事はないし、ましてやこんなあほなイベントに参加したいなんて欠片も思ってないっての。

今回の事の始めは、そもそも猫派と犬派双方がテルを己の勢力に加えんと画策し(猫派の場合は勝手に自分達の同類と思いこんでいたわけだが)ついでにテルへ告白した冬池をも手中に収めんとしていたのが発端だった。(犬派は交際の邪魔をしようとしていたんじゃないのかって? 麗射先輩に聞いたところ、僕らを排除し自分達の手で二人の仲を取り持つことにより恩を売るのが目的だったらしい。あほか)

しかし双方共に思惑を外され、さらには春沢さんの乱入、偶発的な二高犬派と猫派幹部連の対立などで、微妙な拮抗は崩れかけたらしい。実の所先の騒動でマスク・ド・ダンディの乱入がなければ、犬派と猫派の本格的な武力衝突が開始されても不思議じゃなかったんだそうだ。嘘くさい話だが。

ともかく武力のぶつかり合いを押さえ、なおかつ事態の打開を計るためにもどうにかして”ガス抜き”を行う必要がある。トーナメントという名目でそれぞれ代表者を競い合わせれば目に見える形で白黒つけられるし、さらにはテルの処遇もおのずと決まるだろう。一石二鳥だというのがマスク・ド・ダンディの言い分だった。

 

けどね、この話の中のどこにも僕が関わる理由がないんですがどーよ?


「それはあれだよ、麗射先輩が犬派を拳で黙らせて参加を無理矢理ボイコットさせたおかげで、トーナメントに穴が空いたからじゃない?」

「いやあたしとしてはこうすれば企画そのものが成り立たなくなって中止にせざるを得なくなると思ったんだけど…………………………重ね重ねホントにごめん」

 

僕と同じように半ば強引に巻き込まれ僕のセコンドとなってしまったかりんが呆れたように言い、同じく僕に付いた麗射先輩が土下座を敢行せんばかりの勢いで頭を下げる。

うん、先輩の考えはあまり間違っていないと思う。メインイベントとも言える犬派と猫派の激突が行われないのであれば、この企画自体意味が失われる。そう考えても不思議じゃない。が、覆面の紳士はなにをトチ狂ったか、犬派の代表の代理として事もあろうに僕に白羽の矢を立てて下さりやがったのだ。

 

彼曰く、「友の窮地に自らの命をかけてこそ真のダンディ。この場に置いてその資格があるのは君以外存在しない」とかなんとか。ぶっちゃけ無理矢理にでもトーナメント開いて騒ぎたいだけだろう正直にお言い。………………とか直に言えたら苦労はしないよなあ。

不本意極まりないとはまさにこの事。だがマスク・ド・ダンディを筆頭とした変人な面々がんな事気にするはずもなく、あれよあれよというまにこのざまだ。…………誰か代わってくんないかなあ。


「う、そ、そんな子犬のような幼気な瞳で物欲しげに見上げられても代わってなんかやんないよ!? あ、アタシだって見せ物になるのは御免なんだから」

「うあ、話には聞いていたけどクルわねこれは…………だ、だめよ淡夢路、お持ち帰りしたいなんて考えちゃいけないわ」

 

…………ちっ、幼気な瞳攻撃は効かなかったか。腹黒とか言うなよこっちだって必死なんだ、この際なんでもいいからこの立場から逃れられるのなら手段は選ばない。媚びるぞへつらうぞ体は売らないけど。

さて次はどうしようかやっぱり土下座かとか考えていたら、少しだけ顔を赤らめたままのかりんが、人差し指を立てて言う。


「あのさ、別にボイコットしたり代理の代理立てたりしなくても、対戦開始直後に速攻でギブアップしたらいいじゃない」

 

…………………………おお! 目から鱗落ちたよそりゃいいや。別にわざわざ戦わなくったっていいじゃないか確かに。多分ブーイングの嵐だろうけど知ったこっちゃない、参加しただけでも有り難いと思えよ、だ。

僕は小躍りしたくなるのを押さえ、感謝の意を込めにっこり笑いながらかりんに言った。


「頭いいなナイスアイディアだよかりん。おかげで助かりそうだありがとう」

 

そうしたらかりんはかあっと真っ赤になって、狼狽え始める。

え? そんなに衝撃的な事言った僕? きょとんとしていたら、かりんは呻くようにこう宣った。


「アンタ…………その笑顔ちょっと反則。あと可愛く小首傾げんな」

 

麗射先輩も、隣でうんうん頷いている。


「絶対勝負所間違ってるわ。…………いっその事そっち方面の勝負に切り替えたらどうかしら?」

「ナイスです先輩。こうちょ……じゃなかった、マスク・ド・ダンディに上申してきましょうか」

 

なんだなんだ? 女性二人がなんか話をヘンな方向に持っていこうとしていますよ?

お願いだからやめて下さい。なんかイヤな予感しかしないから。

















さて、今回のイベント。トーナメントとは言っても実質上参加者は四人しかいない。

まず不本意ながら犬派代表代理に収まってしまった僕。その対抗馬として猫派の代表。そして…………冬池と春沢さん。トーナメントの必要性とか意味とかないような気がするがそれを言って聞いてくれるような主催者じゃないのは前述したとおりだ。一応飛び入り参加も可能だという事になっているけれど、わざわざ当事者になりたいって言う変わり者なんかそうそういるはずもない。


ルールは簡単。どつきあって最終的に立っていたヤツの勝ち。最早男女の区別とかそんな気遣いは一切なかった。先日の冬池と春沢さんの様相を知ればそんな物など必要ないと誰もが納得するだろう。

…………今考えたら、あの二人のどちらかに当たっていたら僕の命なかったんじゃなかろうか。幸いにして一回戦は猫派の代表と言う事になっているので助かったのだけど。

そう言えば猫派の代表って誰だ? 誰が出てきても大差ないから今の今まで気にも留めていなかった。この場合九江洲あたりか、それとも会長本人が直々に出てくるか。連中に対して敗北を表明するのは少々業腹だが、背に腹は代えられない。見せてやる僕の土下座っぷり。

負ける気満々で控え室を出て、体育館中央の特設リングへと向かう。僕が姿を見せた途端に観客たる生徒達は一斉に歓声を上げ、期待の込められた視線を向けたり声援を送ったりしている。

うん、応援してくれるのは有り難いけれど、期待裏切るから僕。そう完全に開き直って堂々と歩いていると、体育館のステージに設営されている放送席からどでかい声で吠えるように放送を入れる者がいる。


「おおっと、ここで犬派代表代理人西之谷 夕樹の入場だぁ!」

 

ノリノリの放送部員だった。マイク片手にテーブルに片足付いて半ば身を乗り出しつつ紅潮した顔で吠えている。もの凄く楽しそうだ。

いやまあ良いんですけどね、何故だかこっちが気恥ずかしくなってしまうねこういうの。胸を張って歩いていたのが心持ち身を縮めるような感じになってしまう。僕の様子なんざ知ったこっちゃねえとばかりに放送は続くのだが、これ以上恥ずかしい事言われたくないなぁ。色々と前科あるし。


「かつて千石市立五穀中で東山 暢照と共に数々の伝説を築いた天下無双の美少年! その技は神速にて苛烈。スレッジビルガーの二つ名は伊達ではありません!」

 

うわーうわーうわーやっぱしかめっさ恥ずかしーーーー!! うううう、多分今顔真っ赤だよう僕。その上周りのきゃーきゃーいう声が激しくなっていくもんだから、もうまっすぐ顔を上げていられない。つい俯き加減になって足早にリングへと向かってしまう。

 

しかし真の恥辱プレイはここからだった。


「そしてなによりも、前期校内アンケートで【お姉様と呼ばせたい男の子】【女装の似合いそうな人】【恋人にしたい”女の子”】などで一位を総なめにした今年注目のプリチィボーイでもあります!」

 

ござーっと音を立てて、僕は上がりかけていたリングの中にスライディングするような形で倒れ込む。

 

待て、色々と待て。確かになんかそういうアンケートがあったような気がするけど憶えがあるけど結果は知らなかったけど! 今関係ないじゃんそれ! 僕は即座に起きあがってツッコミを入れようとしたのだが――


「アンケート自由回答欄における意見では、【おねえちゃんと呼んで欲しい】【半ズボン&膝小僧に絆創膏】【飼いたい】【首輪にメイド服、これ最強】【男でも私は一向に構わん。むしろそれがいい】などなど絶大な人気を窺わせる言葉が次々と……おおっと余りの人気に感動したのでしょうか、西之谷 夕樹五体倒置したまま身を震わせております! いやあ羨ましい限りですねどうでしょうか解説の天野先生」

「どう見ても己に対する酷評を目の当たりにしてショックを受けているようにしか見えんのだが……」

 

世界なんて滅んでしまえ。かなり本気でそう思いました。

 

そーか良く分かったこの学校あほしか存在していないんだな? そうなんだな? おーい夕樹大丈夫かーとかいうかりんの声も半ば耳に入らない状態で、僕は厭世観と脱力感に支配された体をのろのろとリングの床から引き剥がす。

異様なまでに盛り上がっているいる観客達。ステージの上の放送席には好き勝手絶頂に捲し立てる放送部員と、なぜだか解説者の席に収まっているどうでもいいやという顔をした天野先生。そして、粗品と書かれたバカでっかいのし袋――を模した拘束具に捕らわれているテルの姿。

途方に暮れれている(相変わらず微妙すぎて分かりにくいが)様子のテルだけど、残念ながら同情する事はできない。多分今は僕の方が立場悪いから。

つーかさ、よく考えてみたら原因テルじゃんか。そう気付いたらなんかムカついてきたぞ。……よし、事が終わったら後でしばこう。密かにそう決意していると、観客席が再び湧いた。

 

対戦相手が現れたか。そう判断した途端思考がシリアスな物に切り替わる。(半ば現実逃避だという事実には気付かなかったふりをして欲しい)九江洲だったらまともな手段では僕の相手にならないと分かっているはず、やつらは心底あほだが対策を立てるくらいはしてくるだろう。会長ならばどれくらいの実力を持つか分からないので要注意だろう。あほさ加減はともかく油断のならない人物である事は間違いないのだから、こっちが速攻土下座とか考えていても反則的な先制攻撃とか仕掛けてきかねない。

 

この時僕は完全に失念していた。九江洲でも会長でもない第三の可能性――”彼女ら以外の人間”が出場してくる可能性を。


「おおっと、ここで猫派代表の登場だあ! 西之谷 夕樹に勝るとも劣らない名声を持つ、運動系部活最強の一年生……」

 

放送部員の声が響く中、悠々とリングに上がってくるのは――


「天下無双の天才剣士、北畑 星十郎だあああああ!」

 

胴着と袴を纏い偉そうにふふんと鼻を鳴らす良く見知った大バカ野郎だった。

 

…………忘れてたよこの猫狂いが猫派と関係ないわけがないじゃないか。脱力感に逆らえず、僕は再びリングの上で倒れてしまう。


「夕樹! 夕樹ってば! ちょっと大丈夫なのアンタ!」

「……うんちょっと世の中の無情を噛み締めてた。かなり本気で嫌になってきたよ僕」

 

もし策略だとしたら、かなりの効果があったと言わざるを得ない。端から見れば友人同士戦うことに躊躇を覚えるように思われるし、そうでなくても実際闘志を削ぐ事間違いなしの人選だった。この仕込みは多分会長か、やはりただ者じゃない。

負ける気じゃなかったら 致命的な精神的ダメージだった。

もうすっかり全てを投げ出す気になっていた僕。しかしその算段は木っ端微塵に打ち砕かれる事となる。

 

始まりは、またしても放送席から飛んでくる戯れ言であった。


「本来親友同士である二人による本来有り得ないドリームマッチ、正に夢の祭典! 女子生徒の間で密かに行われたカップリングコンテストで総合二位のこの組み合わせに黄色い悲鳴を上げる乙女も少なくありません! 西之谷×北畑なのか北畑×西之谷なのかは一時期壮絶な論議を醸し出していましたが、やはり西之谷の誘い受けか北畑による鬼畜陵辱調教ではないかという結論に落ち着いております! ちなみに一位は二位以下をぶっちぎって西之谷×東山のカップリングで東山拘束西之谷足コキ小悪魔風味が鉄板だという結果となっておりました!」

 

どんがらがっしゃん。

 

コケた。もんどりうってコケた。

 

僕、そんな目で見られてたのね。倒れ伏しながらるるると涙がこぼれる。

ついにかりんからも声がかからなくなった。ああ、あきれ返っているんだろうなあと泣きながら様子を窺ってみれば――

 

こら、なにをそっぽ向いて脂汗を滝のように流している。麗射先輩、口笛がわざとらしいです。

おのれ裏切り者どもめ味方はいないのか。絶望に沈む僕にさらなる追い打ちがかかる。

 

かけたのは、状況が良く分かっていないらしい格好つけてる馬鹿太者。


「ふっ……立てい西之谷! どうやら俺様たちの立ち会い、存分に期待されているようじゃないか。ここでいきり立ってみせるのが漢ってモンだろう! さあ、いきり立て! 立って俺様に熱い迸りを叩き付けて見せろ!!」

 

きゃ〜っ!! とひときわ大きく黄色い声が響く。多分北畑は何も考えていない。思い付いた事を適当に言っているだけだ。悪気は欠片もないってのは容易に想像が付く。……けどよりにもよって、なんという邪推しやすいような台詞を口にしてくれますか。そう長くもない人生の中で、これほど恥を掻いた事はないぞ?

 

なんで僕がこんな目に遭わなきゃならないんだ? 段々と黒いモノが僕の心を覆い尽くしていく。誰のせいだ? 誰が悪い? 僕の容姿か? アンケートを企画したヤツか? この学校の芸風か? こういう風潮を放置しておく世の中か? 

 

羞恥心が何かに置き換わっていく。それは沸々と沸騰する湯のごとく熱さを増す。

 

それは怒り。自分自身を含めた全てに対する指向性の欠けた怒り。

 

どこにぶつければいい? なにで晴せばいい? 檻に閉じ込められた獣のように、熱を持った思考が出口を求めて徘徊する。永遠にも等しい刹那の間、答えはわりとあっさり出た。

 

いるじゃないか、ぶつけられる相手が。この憂さを晴すために用意された哀れな獲物が。メノマエニイルジャナイカ。

 

気付けばゆらりと身を起こしていた。あれ? どうしたのかな? なんか周りが急に静かになったよ? おかしいね今の今まで人を肴に盛り上がっていたのにね。

妙におかしくなってくすくすと笑いを零す。どこかでひぃっと小さな悲鳴が上がった。ん? なにか怖いモノでも出たのかな? 笑いながら小首を傾げる僕に、なぜかトラウマを呼び起こされたような恐怖に引きつった顔で北畑が問い掛けてくる。


「あ、あの〜、西之谷サン? ひょっとして、怒ってらっしゃいます?」

 

震える声での問いに、僕は満面の笑顔を浮かべ簡潔に一言だけをもって答えて見せた。

 

すなわち、「うん♪」と。

 

びきり。空気が凍った。会場が静まりかえる中、声を上げる人間は僅か。


「に、西之谷 夕樹の戦闘力が、急激に上がっております! 8万……8万5千……9万を超えて、まだ伸びる!?」

「あ〜、こりゃ死んだな北畑」

 

震えながらもプロ根性で実況を続ける放送部員と本気で投げやりな天野先生。そして――


「ふむ、穏やかな心を持ちながら、激しい怒りによって目覚めたか……これもまたダンディの一形態、見事な覚醒ぶりである」

 

相変わらず壁時計の上でとんちんかんな事を言いながらうんうん頷くマスク・ド・ダンディ。この三人だけである。

 

まあ、そんな事はどうでもよろしい。ずしんと足音を響かせて一歩踏み出しながら、僕はゴングが鳴るのを待つ。ひゅいいいいい……とタービン音のごとく響くのは耳鳴りだろうか、視界も赤く染まりだしているのは目が充血を始めているのかも知れない。体は異常なまでに興奮しているけれど、感覚は澄み渡りいつでもガチンコやれるよう準備は整っている。

さあ早くゴングを鳴らせ。僕の中の獣を解き放させろ。さあ、さあ! さあさあさあさあさあさあさあさあさあ!!

 

夕樹? おーいとか駄目ねありゃ聞いてないとかいう声が後ろから聞こえてくるような気がしたけど、最早僕には目の前の獲物しか見えていない。

くっくっくっくっく、震えているね。寒いのかい? いたぶる気満々な僕の言葉にイヤイヤと捨てられそうな子犬のごとく怯える北畑。ああ楽しい。……とまあこのように調子に乗っていたわけなんだけど、そのおかげで”重要な事”を忘れているのに、僕は気付いていなかった。

 

ゴングが、鳴る。その瞬間僕の頭から細々とした考えとか一切合切が吹っ飛び――

 

ただ一匹の獣と化して、北畑に向かって一直線に襲い掛かった。

















「……圧倒的というのも馬鹿馬鹿しいくらい、一方的な試合でしたねえ」

「生身で空中コンボとか、初めて見たぞ俺ァ」

 

あーーーーーーー、すっきりした。

 

北畑を原形を留めないくらいに殴り散らして、晴れ晴れした気分になった僕は意気揚々とリングを下りた。

放送席の方でなんか言っているようだったけれど、最早一切気にならない。鼻歌なんぞを奏でながら、なにか言いたげなかりんと先輩を引き連れて控えの方へと向かう。

と、その途中、人の気配が薄れたところに――

 

凄く暗いオーラを纏い顔を伏せた秋沼が、でっかいニッパとペンチ持って佇んでいた。

 

正直退いた。浮かれた気分が一気に吹っ飛んだ。一体何事だよおい!?

 

ビビくる僕らの目の前で、きりきりと音を立てて秋沼が面を上げる。ちょ、な、なんで目の色がブラックホールの底みたいな真っ黒になってんの!? この話ホラーじゃなかったよね!?

しゅかはあと蒸気のごとき息が秋沼の口から漏れる。そのまま彼女はゆっくりと僕へと向かって一歩を踏み出した。


「タンマタンマタンマタンマ! なにいきなりどこぞの殺人鬼みたいな様相で現れるわけ!? 説明を、せつめいをぷりーず――」

「うるさい黙れ死ね」

「交渉の余地なし!?」

 

言葉が通じそうにない。なんで僕の知り合いの女性って暴走すると手に負えなくなるんだよ揃いも揃って! 「引きちぎる……ちょん切る……」などととっても嫌な感じの台詞を呟きながら迫る秋沼を前に僕は天を呪うが、当然そんなことで彼女は止まってはくれない。

と、怯える僕を庇うかのように、秋沼の前に立ち塞がる人影が一つ。その人物に向かって秋沼は狂気の籠もった声で叫ぶように訴える。


「かりんどいてそいつ殺せない!」

「殺しちゃ駄目だろう殺しちゃ!」

 

渾身のツッコミで秋沼を押し留めようとするかりん。壁となり立ち塞がる彼女に対し、秋沼は猛然と食って掛かる。


「なぜだかりん! このままではこの男、檸檬に対して不埒を働く事になるぞ!? 檸檬が、ボクの檸檬が、衆人環視の真ん前で嬲られいたぶられ恥辱の限りを……ああ、ああ!」

「どこまで飛躍してんだ妄想! ……それにどっちかってーと夕樹の方がなぶり殺しになりそうな気がするんだけど」

 

………………あ。


「しまったああああああああああ!?」

 

かりんに言われて今気付いた! 勝っちゃダメぢゃん僕!!

自分のあほさ加減に失望して両手両膝を着きがっくりと項垂れる。そんな僕に「あ、やっと気付いたんだ」と麗射先輩が声を掛けた。


「まあ、あの場合仕方がないの……かな? キレちゃう気持ちも分からないではないし」

「アンケートに何やら書いた人が言わんでください」

 

四つんばいになった体制から見上げるようにして睨み付けると、はてなんの事かしらとか言いながら先輩は白々しく視線を外す。丸分かりだっての。……それはそれとして棄権するしかないよなあこれは。そう考えている間にも秋沼は勝手にヒートアップし、かりんは必死でそれを押し留めている。


「こいつに、こいつにやらせるくらいならボクが成り代わって恥辱の限りをーー!!」

「そういう事をする場所じゃねええええ!!」

 

秋沼の主張は微妙に方向性が変わってきている。本音がだだ漏れだ。まあ、命の危険は去った、かな? 一気に空気が間抜けになったのを感じて、こっそり安堵の息を吐きながら立ち上がった……途端。

 

どんっという轟音が会場の方から響いて、地震のように周囲が揺れた。

 

何事だ!? 確か会場では春沢さんと冬池の戦いが始まろうとしている頃だけど、テロでも起こったのか!? 僕らは騒ぎを中断して顔を見合わせ、慌てて状況を確認しに会場へととって返した。

 

そこで見た物は――






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