epilogue
痛みに目を覚ませば、そこは灰色の天井だった。尻をさすりながら立ち上がる。ようやく目と耳が慣れ始め、今日は晴天であることと耳障りな音が自分の名を呼ぶ声だと言うことを知った。
そうだ、ライブをしていたんだっけ。それで照明が落ちてきたんだ。
照明はと言えば、自分の足元にめり込んでいた。俺の運も捨てたもんじゃないな、と思う。
「少し暗くなっちまったが、俺のことが見えるかお前ら!」
至るところで歓声が上がる。
「よし、いい子だbaby。これが最後の一曲になる。聞いてくれ」
そういえばギターがない。意味がわからない。照明に潰されたのだろうか。唯一の相棒だったのに。仕方がない。アカペラだ。
マネージャーやら警備員やらが心配して合図を送ってきたりもしたが、止めない。
だって届けるんだ。なにかを届けるんだ。
□□□
目を覚ますと、どうやら楽屋で眠ってしまったらしい。慌てて起きて時計を確認する。もうライブの時間だ。
「うっわ、どうしよ! 私、寝坊とかしないたちなのに……」
不意に、時計の横にある鏡に見いった。そこには冴えない女の顔が写っている。いつもと変わらない自分の顔だ。
「あれ……私、泣いてた?」
濃い涙の跡を拭き消し、燈は扉を開けた。
「あ、忘れるとこだった」
燈の背丈では少し大きめのギターを取りに戻り、全力で疾走する。
それでも何かを忘れているような気がした。もっと大事な何かを。
□□□
マネージャーなんかにしこたま叱られて、雪生はふて腐れつつタクシーに乗った。今日はもう帰れと言う。自分はただ歌いきっただけであって、なにがそんなにマネージャーの逆鱗に触れたのか。
ふう、とため息を吐き、不意に雪生は運転手に止めてくれと言った。
「え、でも……」
「いいんだ。最近は健康志向だから」
金を払って降りると、そこは懐かしい匂いがする公園だった。雪生は欠伸まじりにベンチに座る。
平和でいいなぁ、ここは。せっかくこんなに凄いロックンローラーがくつろいでいるというのに、興味もなくそれぞれの時を過ごしている。面目丸潰れだ。しかし、雪生はここが好きだった。来るとなぜだか可笑しな気分になる。
しばらく子供たちを見つめていると、中年の男性に連れられた女の子が横切った。ひどく嫌がっている。きっと、もっと遊んでいたいのだろう。父親だと想われる男性は厳しい顔で女の子を引きずっていた。
「やめてよおじさん!」
耳を疑う。父親ではないのか? もしそうだとしたら、これは可笑しいぞ。雪生は観察の体勢に入る。その途端、男性は女の子を抱き上げて走った。
あ、と声をあげる。他に気にしている人間はいないようだ。自分しかいないのだ、と雪生も走った。
やっとの思いでその男性の肩を叩く。
「その子……はあ、はあ、えっと……ひ、久しぶりだね花子ちゃん」
とっさに言ってしまったが、花子ちゃんはないだろう自分、と突っ込む。次の瞬間、自分の腹の、ちょうど真ん中あたりが赤く染まっていくのを雪生は唖然として見ていた。驚きしかないまま、ゆっくりと倒れる。
「あ、れ……?」
血を吐く。おかしい。前にもこんなことがあったような気がして。
走り去る足音、雪生を覗きこむ女の子の涙、少し遅れてヒステリックな悲鳴。
ヒーローになりたかった。ずっと。だからミュージシャンになった。何かを救いたかった。何かを救いたいと思っていることを誰かに伝えたかった。
□□□
燈はマイクを握りしめ、深呼吸をしてから口を開く。
「今日は、みんな来てくれてありがとう。初めての人もいますか?私は成谷燈です。見た通り顔もよくないしスタイルもよくないけど、歌が好きです」
客席はしんとしている。それでよかった。何かを言っておかないといけないような気がした。
「私は小さいころから、歌が好きでした。歌うことも、歌っている人を見ることも。あのぅ、みなさん、ミュージシャンとヒーローの違いってなんだと思いますか?」
ポカンとなっている人々を見つめ、燈は微笑んだ。
「違いますよね。わかってるんです。それでも私たちは……」
私たち? 燈は小さく首をかしげる。私の他に誰がいるというのだろう。
「大好きな歌で、誰かを救いたいから」
それをヒーローと呼んでくれてもいいじゃないか。馬鹿なことだって危ないことだってやってやるんだから、ちょっとくらいヒーロー気取ったっていいじゃないか。
なんとなくドキドキして恥ずかしくなって、誰かの格好つけたような笑顔が浮かんだ。
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刺さった包丁を指でなぞりながら、雪生は瞬きをした。
まさか死ぬんじゃないだろうなぁ自分、と焦る気持ちと、なるほどここで死ぬのか自分、と納得する気持ちがあった。割合でいうとちょうどフィフティフィフティくらいで、今日は空が綺麗だなぁと関係ないことを思ったりもした。
近くにへたりこんだ少女が涙を落とす。世界っていうのは不公平だ。そう嘆かざるを得ないような泣き顔だった。それは誰かさんの泣き顔と重なって。ああ、思い出した。確かに思い出したんだ。
「あ、かりさん……?」
少女の表情に変化があった。驚愕と恐怖。雪生は後悔した。怖がらせてしまったらしい。
怖がらないで、と心のなかで呟きながら、少女の頬に触れる。それも逆効果だったかもしれない。
まったく、自分は彼女の望みをきちんとわかったためしがない。女心なんてわからなくて、間違ってばかりだ。いや、これは自分のせいばかりではないように思える。彼女といえばずっと怒ってばかりだ。感情表現がほぼ怒りしかない女性に男がなにをすべきだというのか。彼女の怒った顔を思い浮かべ、雪生は思わず笑ってしまった。
「さあ、歌って」
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ギターの音を確認してから、燈はまた口を開く。
「これから、私が一番好きな歌をうたおうと思います。この歌は、どこか懐かしくて、気づいたらそこにあって、なんていうか……」
私はこの歌に、恋をしているんだと思います。
「聞いてください。“Please sing for me.”!!」
そう言って、燈は照れ隠しに思いきりギターを鳴らし始めた。軽やかなメロディ、懐かしさと温かさになぜだか泣きたくなる。
どこからか誰かの声が聞こえたような気がした。さあ、歌ってと。歌うよ。あなたのために歌うよ。
先程までしんとしていた客席は割れんばかりの歓声に包まれて。燈は大きく右手を天に突き上げた。
ここまで読んでくださった皆さま、本当にありがとうございました。




