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Last song.


 ドアノブがゆっくりと捻られ、燈はとっさに声を潜めた。扉が開き、雪生がするりと部屋に入ってくる。


「田坂さん、遅いですよ。始まっちゃいますからね」


 野外ライブをしたいと雪生が言ったのはついこの前のことだった。手配は大変だったが、雪生がどうしてもと言うので燈も頑張ったのだ。それなのに雪生は朝から変だ。

 むう、と唸って雪生を盗み見ると、雪生も燈を見つめていて驚いた。


「どうしたんですか、そんな恐い顔して」

「……うん」


 座ったらどうですか、と燈が言うと、雪生はその場で腰をおろしてギターを構えた。そのままギターを爪弾き始め、燈は呆気にとられる。

 それは、どこか懐かしいようなメロディで、なぜだか燈は泣きたくなった。


『Please sing for me.

 I sing a last song.Lasting a song.

 上手いことは一つも言えないけど

 だから僕は歌をうたおう

 眠りに誘うような風が止んだから

 僕は目を覚ましてみるよ

 微かな風 風鈴を

 揺らすこともなく止んだんだ

 いつかのこと 僕たちは

 揺れることもなく走ったんだ』


 説明を求めたかった。でも、求めたくなかった。本当は知っていたから。彼が何を考えているのか。それくらい、わかると言いたかった。


『Please sing for me.

 I sing a last song.Lasting a song.

 時っていうのは案外残酷で

 風化されゆく僕は

 それでも光を見つけたんだよ

 変わらないものかな

 ギターの音色 歌声が

 たしかに誰かに届けるもの

 きっとみんな 本当は

 届けたい想いなんて変わるはずがない』


『Please sing for me.

 I sing a last song.Lasting a song.

 You will sing a song.Lasting a song.

 Until now I didn't see why I live,

 realize at last.

 I liked you the whole time.

 I'm really glad I met you.

 ……I hope she don't Understand english.』


 馬鹿にしてるんですか、と燈が言うと、雪生は一瞬ビクッとして無視した。


『世界が終わっても ずっと

 なんて夢見がちなことは

 言ったことがない これからも

 言うことはないだろうけど

 君になら 別に

 言ってもよかったと思うんだ

 もう、言えないけど

 これだけは 言っておこう

 陳腐で使い古しててこっぱずかしい

 それでもこれだけは

 覚えておいてほしいから』


 君に会えてよかった。



 もう歌ではなかった。雪生は何度も言う。



 君に会えてよかった。本当によかった。



 ギターを弾く指も止まっていて、燈は魔法が解けたような心持ちのまま雪生を見つめた。



 きっと俺は、君に会いたかった。君に会えてよかった。



 もう、嫌だよ。燈は嗚咽を漏らす。それなのに、雪生は燈の頭を撫でながら、本当によかったんだとささやく。とっさにその手を掴んで抱き締めた。


「どうして行っちゃうんですか? 死んじゃうんですよ?」


 雪生は少し困ったように笑いながら首をかしげた。


「だってまだ、一曲終わってないんです。ライブの途中でこっちに来ちゃったから」


 ああきっと、この人を引き留めるのは私には出来ない。だって、この人の一曲を待っているファンが呼んでいるから。この人はその一曲のためなら命を捨てられるのだから。否、その一曲のために生きているのだから。


「さっきの歌、燈さんにあげます」

「え? ちょっと、歌詞を書いてくださいよ」

「ダメです」


 えー、と膨れる燈に、雪生は照れ臭そうな顔をした。


「誰かのために曲を書いたのは初めてだったから、恥ずかしい出来になってしまいました。勝手に直してやってください」


 それは、歌えということだろうか。燈は目を丸くして雪生を見た。いや、待てよ。誰かのために曲を書いたのは初めてだったから──? 嘘つけ、と言いそうになり、慌てて口をつぐむ。あながち、嘘ではないのかもしれない。結構、純粋(ピュア)な人だし。雪生の赤くなった耳を見て少し笑ってしまう。雪生は照れ隠しにか、構えていたギターを燈に渡し、これもと早口で言った。


 雪生は静かに歩きだし、ドアノブを捻った。


「じゃあ燈さん、行ってきますね」

「どこに?」


 反射的に尋ねた燈に、雪生は呆れたように笑って手招きをした。


「行ってきますね」

「……行ってきますは、帰ってくることが前提の言葉ですよ」


 近づいていった燈の額に、雪生は無言で口付けを落とした。とっさに目を閉じて続きを待っていると、いつもの軟弱そうな声が聞こえた。歌うときには別人のものに変わる声である。


「もっと早く会いたかったな。……二十年くらい前に」


 瞳を開けると、どこか清々しげに微笑んでいる雪生がいた。

 え、もう終わり? なにこの不完全燃焼感! なんて思っていると、雪生が悪戯っぽい顔になった。


「ライブの前に唇を塞ぐキスはしないって、俺のジンクス」


 はあ? と言いかける。そんなジンクス聞いたことないし。もう、なににおいても私の負けだな、って感じ。キスしたいことも見透かされてて、きっと今こんなことを考えてることもこの人は知ってる。燈は顔を真っ赤にした。


「じゃあ、行ってきますね、燈さん」


 雪生はそう言って、軽いドアを開けた。


 静かにドアが閉められたとき、行ってらっしゃいと呟いてみた。

「……カッコつけミュージシャンめ」


 燈はゆっくりとドアに手のひらをあてた。無機質な冷たさに、なんだかくらくらした。

 頼むから絶対に英語があっているか確認したりしないでくださいね。野暮ってもんですよ。

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