Is this a slump?
白い紙を破り捨てて、雪生は頭を抱える。ギターを弾いてみてもなぜだか上手くいかない。
曲が、できない。
音が流れ出てこない。使いたいフレーズも浮かんでこない。情景も想像できない。
つまり……
「完全なる、スランプ……?」
スランプは初めてではない。何度もあった。それでも、押し出すように歌詞やメロディを繋げたりして、なんとか作ってきた。皮肉なことに、そんな曲のほうが受けたりもした。
しかし今回はどうだろう。まったくもって出てこない。出てきそうだという予感もない。
困った。そして困ったとき、雪生が行ける場所は、あそこしかなかった。
スランプですか、と真面目そうな男の人が真面目そうな顔で言った。
「そうなんです。スランプなんです」
雪生も真面目に返すと、隣の朗らかな少年が吹き出す。
「ていうか田坂さんさ、もう退院したんだからこんなとこ来なくていいのに! 僕だったら絶対来ないよ、こんなとこ」
雪生が退院してから一週間が経つ。親切そうな男性も、そろそろ退院できるらしい。他の人たちのことはわからない。
「しかし田坂くん、それは理由があるのかい。理由のないものなら、私たちにはどうすることもできないが」
にこにこしたおじさんが頭をかきながら言う。
「……なんでしょう。たぶん、力みがあるんだと思います。この曲は最高のものにしなければ、と」
雪生以外の三人が顔を見合わせ、困ったような顔をした。
「それは……田坂くん、私は思うんだけど……それは、最後の曲にしようとしているからじゃないかなぁ。間違っていたら申し訳ないけれど」
おじさんは珍しく笑顔を崩して、歯切れ悪く言った。雪生はハッとするが、顔には出さずにかぶりを振る。
「そんなことありませんよ」
帰るおつもりですか、と親切そうな男性が言う。心配そうなその顔に、雪生の心は揺れた。
「思うんだけどさ」
いつもは朗らかな少年が、真面目な顔で腕を組んでいる。
「思うんだけど、田坂さんがやろうとしてることってさ、『手術をすれば助かるのに、しないで死ぬのを待つ』っていうのと同じなんじゃないかな。だって、助かる道があるのに助からないほうを選ぶんでしょ?田坂さん、死んじゃうんでしょ?」
少年は瞬きをして、それからじっと雪生を見つめた。雪生は少し考えて、それから肩をすくめながら笑う。
「それはちょっと違うかな。死ぬのを待つなんて俺には出来そうもないし。『火に飛び込まなければ死なないのに、意味もなく火に飛び込んでしまう』のほうが近い」
やれやれ、と自分でも思う。
「俺は思うんだけど……人間、生きるか死ぬかじゃない。『何を遺せるか』だと思うんだ。そのために時間が必要なら生きることを選べばいいし……」
「田坂さんは戻ることで、何を遺せると思うの?」
「それを、知りにいくんだ」
それは、客の歓声かもしれない。曲一つかもしれない。本当に小さなものかもしれない。それでも、雪生はそれが知りたかった。
と同時に、雪生は気づいた。自分がどれほどこの世界が好きなのかを。そしてそれはきっと、彼女と出会って初めて生まれた感情だった。
雪生の思いを見透かしたかのように少年が呟く。
「燈ちゃん、悲しむよ」
雪生は静かに目を閉じ、小さく頷いた。
やっとわかった。
雪生はギターを抱え、静かに爪弾く。悲しいメロディなんてごめんだ。どんなときでも飄々としていて、自分らしさを主張する。世界の終末に、人間讃歌を歌う。そういうロックンローラーに、雪生はなりたかった。
久しく忘れていた。絶望のなかで希望を歌うという、青臭い自分勝手な使命を。
ここに来て、思い出した。そして知った。
愛だの恋だの騒ぐ連中はただの馬鹿だと思っていたけれど、愛だの恋だのを知らない人間ほど、不幸なやつはいない。振り返れば、そんな不幸な自分がいる。
でも、お前は知ってたもんな。正しくあろうとする気持ちが、一番正しいってこと。
だから、頼むぞ俺。最高の曲を。
「ねえ、こんなにちょくちょく来て、ミュージシャンって暇なの?」
少年に失礼なことを言われつつ、雪生は頭をかいた。
「曲ができたんです」
恐る恐る雪生が言うと、みんな複雑そうな顔をした。
「できたんだね」
「そうなんですね……」
おじさんも親切さん(雪生命名)も、浮かない顔で呟く。
「弾いてみてもいいですか?」
後ろに隠していたギターを出すと、親切さんが慌てて止めた。
「いや、僕たちが先に聞くのは悪いですよ」
雪生がきょとんとすると、おじさんが笑う。
「それは、私たちにあてた曲じゃないよね?」
赤面する雪生を、少年が小突いた。まったく、子供だと思っていたらこういうことはよくわかるらしい。
「……ありがとうございました」
雪生は静かに頭を下げる。もう、帰らなくては。また一つ、答えをもらったような気がした。
「帰るの?」
少年が慌てたように言う。
「……ああ。もう、会うことはないと思う。本当に、ありがとうございました」
しばらく考えていたが、意を決したように少年は口を開いた。
「僕さ、手術受けようと思うんだ。まだなんにも遺せてないからさ」
悪戯っぽくそう言った少年の目には、確かに覚悟の色が見えた。少年になにがあったのか、どんな状況なのか、雪生は知らない。それでも、自分達は戦友なのだという不思議な高陽感を感じていた。
「みなさん、健闘を祈ります」
そちらこそ。
田坂くんも頑張るんだよ。
僕も田坂さんの健闘を祈ってる。
ほぼ同時に発せられた戦友たちの言葉は、確かに雪生の耳に心地よく響いた。
楽屋の扉を開く前に、雪生は耳を澄ませた。いつものように、あの透き通るような歌声が聞こえてくる。いつからだろう、雪生は知っていた。自分は、彼女をここに連れてくるためにこの時代に来たのだと。
ドア越しに聞こえるハミングが、どうしようもなくくすぐったい気持ちにさせて。もうこれを聞くのも最後なんだな、と雪生はぼんやり思った。
ドアノブをひねると、いつまでも続くように思えていた歌声が、止んだ。
人類みな戦友。




