I wanna do.
仁王立ちのナースが険しい顔で言った。
「病室で歌うのはやめてくださいと何度も……!」
雪生はいたたまれなくなり、抱えていたギターをなでた。ナースは優しいものだと思っていたが、どうやら強い人種らしい。いや、優しいことは優しいのだが。
「でもねえ、田坂くんの歌はいいよお?」
にこにことしたおじさんが口を挟む。他の人たちも寄ってきて雪生の肩を持った。ありがとう、と雪生は照れ笑いを浮かべる。
「いい歌でもなんでも、病室では駄目なの!」
相部屋になってから非常に厳しい。どうしたもんかな、と思っていると扉が開いた。
「お邪魔しまーす。田坂さん、傷口開いてないですかー?」
目が合った瞬間に不吉なことを言うのは、成谷燈その人である。
「今、怒られてたんです」
「なにしたんですか」
「歌ってたら」
それはそれは、と燈が眉をひそめる。すみませんねとナースに頭を下げたりもした。
それを見てから、雪生は寝転がってあくびを一つする。
「ねえ燈さん、仕事は? 全部キャンセルしたんですか?」
「しましたよ」
「それって、これからのやつも入ってます?」
「まあ……入ってます、けど」
嫌な予感がしたらしい。燈は顔をしかめた。
「それで、生放送とか、ないですよね?」
「生中継の野外ライブなら……」
「じゃあ、それにしよう」
燈はため息を吐く。
「明後日ですよ?」
雪生はだからなに、という顔をしてみせる。燈は深く深くため息を吐いた。
「あれから一ヶ月も経ってない」
「だからじゃないですか」
なにを言っているのか、と雪生は肩をすくめる。
「俺は、驚かせてやりたいんですよ。なにが起こっても余裕ありげに討論してるようなやつらに、見せてやるんです。あんな馬鹿いるのかって、呆然とさせてやるんですよ」
燈の瞳が揺れるのがわかった。
「そんなこと、私は許せません。他の誰が助長しても、私だけは許せません」
雪生は燈をじっと見た。
「違うはずだ。他の誰がやめろと言っても、君だけはやれと言うはずなんだ」
なに言ってるんですかと燈が不服そうに言う。
「だって燈さんは、俺の音楽に惚れてるから」
燈は少しだけ頬を赤くし、この自信家と呟いた。
こほん、という咳払いに振り向けば、険しい顔のナースがいた。
「盛り上がってるところ悪いですけど、外出は許せませんよ」
深夜の病院。雪生は辺りを見渡してドアを開けた。
「行くんですか?」
びくりと体を強張らせ、雪生はゆっくりと振り向く。親切そうな男の人がこちらを見ていた。車にぶつけられて腕を折ったらしい。
「仕事が、あるもので」
言いながら雪生は、困ったなと頭をかく。バラされたら出ていけない。
そんな雪生の思いとは裏腹に、病室のほとんどの病人、怪我人が起きてきた。
「仕事って、歌の?」
「ええ、まあ」
じゃあさ、と朗らかな少年が笑う。
「僕、田坂さんのベッドに寝てるよ」
雪生は驚いて少年を見る。
「そしたら君のベッドには誰もいなくなる」
「構わないよ。みんなだって手伝ってくれる」
少年が悪戯っぽく言うと、みんなコクコクうなづいた。
「ちょっとの時間くらい、稼ぎます」
その時、カツカツという足音。雪生はとっさに扉の横に張り付く。少年も慌てて雪生のベッドに入った。
「そのお仕事、いつ放送ですか」
親切そうな男の人が早口で聞く。雪生は静かに答えた。
その次の瞬間、扉が開く。
「あらみんな、起きてるの? 駄目ですよ、ちゃんと寝ないと」
穏やかなナースの声。雪生は恐る恐るナースの後ろを横切り病室の外に出た。
「あれ、境くんは? トイレかしら」
そんな声を背中で聞きながら、雪生は足早に歩いた。
燈はひどく呆れた顔をした。
「本当に病院抜け出してくる人がいますか」
いるんだよここに、と真顔で言えば、燈は深いため息を吐いた。
「それで、仕事のキャンセル取り消しましたか」
「取り消せるわけないでしょう」
雪生はええ、と思わず声を上げる。それを見た燈は少しだけ笑った。
「取り消せないなら、飛び込むしかないです」
燈の言葉に、雪生は目を丸くする。
「燈さんは、もうちょっと常識人かと思ってました」
「常識人がどうして時代錯誤の人間を拾うんですか」
時代錯誤とはまた傷つくことを言ってくれる。
雪生はさて、と呟いて立ち上がる。
「夕飯、作りましょうか」
案の定、雪生がいない間の夕飯はカップラーメンだったらしい。燈はばつが悪そうに目をそらす。
「燈さん」
「はい」
「ただいま」
「……はい」
はい、おかえりなさい。
燈の笑顔は希少価値があっていいな、と雪生は思った。
この小説の進まなさは、もはや才能。




