Cat blue.
しばらくは何事もなく過ごしていた。
もちろんネット上やそうでなくても世間では、『田坂雪生の特番生放送にいきなり出てきた田坂雪生にそっくりの男は一体誰なんだ!?』という論争が巻き起こってはいたが、少なくとも燈や雪生のもとまでは届いていなかった。
それは、雪生が『佐藤夢鳴』として出演したニュース番組が放映されてからのことである。
誰が最初に言い出したのか、『あの田坂雪生の特番生放送にいきなり出てきた男と、ニュース番組に出演していた男が同じ服装だ』というものから始まり、『そのニュース番組、特番生放送と同じ収録日らしいぞ』という情報を誰かが掴み、『あの男だ!!』と、“佐藤夢鳴”の名は一気に広まった。
そして今、燈は電話の対応に追われていた。うちのテレビに出ろだの田坂雪生を馬鹿にするなだの死ねだの、気が狂いそうだ。
「ですから、もちろんテレビ出演はさせていただきたいんですよ、こちらとしても。一曲歌わせていただけるんならね」
どんなにテレビに出ろと言っていても、一曲歌わせてくれと言うと途端に難色を示す。歌手なのだから当たり前だろうと言っても、苦笑いされるばかりである。
要するに向こうは、歌手として出演依頼をしているわけではないのだ。
燈は深くため息を吐く。そんな燈を気の毒そうに見ていた雪生が声をかけてきた。
「変わりましょうか」
役目を、だろうか。それなら雪生は間違っている。
雪生の役目は歌うこと。燈にその役目を変わることはどうしたってできない。だから、燈の役目を変わってもらうことなど絶対にさせない。
「あなたは歌っていればいいんですよ」
燈がそう言うと、雪生は叱られた子供のように肩を落とした。仕方ないなぁと燈は苦笑して、ご飯にしましょうかと提案した。雪生は子犬のように顔を輝かせ、今準備しますと立ち上がった。
忙しい人である。
雪生が作ったご飯を食べながら、燈は考えていた。そんな燈の思いを汲んだように、雪生が呟く。
「俺はいいですよ」
「なにがですか」
「燈さんがいいと思うなら、俺はそれでいいですよ」
「……無責任男め」
雪生はしれっとして箸を動かしている。それなら、と燈は言う。
「テレビに出させますよ」
「そうですか」
そうですか、じゃないだろ。
まったくこの男、実は感情がないんじゃないか。『達観』というには寒々しい、どこか他人事な返事だ。
「テレビに出たら、きっとボロクソ言われて存在を全否定されるんですよ」
「それでも」
それでも主張しないまま潰されるよりは、幾分ましでしょう?
雪生はさらりと言う。
燈は理解した。この人は他人事に思っているわけではない。ましてや諦めて達観しているわけでもない。
この人は、『誇り』と『覚悟』でできているんだ。
「わかりました」
一曲歌わせてくれそうな番組を見つけなくては。なにがあっても、この人を歌わせなくては。
それが、燈の役目なのだから。
「田坂さん、約束してほしいんですけど」
「なんでしょう?」
「一人で外出しないでくださいね」
燈が真面目に言うと、雪生はぷっ、と吹き出した。
「そんなボロクソ言われるって言っても実際殴られるわけじゃないんだから」
「殴られるかもしれないでしょ」
「大体、俺に好意的な人間しか俺の顔を知りませんよ」
燈は驚いた。
「いやいや。ほとんどの国民があなたの歌を知っているし、これからテレビに出るんなら顔も知りますよ。名前くらいなら今もみんな知ってると思うし」
今度は雪生が目を丸くする。
「俺の名前を? 自分で言うのもなんだけど確かに俺は名の知れたミュージシャンだったかもしれない。でも、知らない人は知らなかったし、なんていうか……そんなアイドルみたいな」
最後のほうは少し苦笑混じりだ。これは認識を改めてもらわなくてはならない。酷なのかもしれないけど。
「田坂さんあなたは、死んだことによって“伝説”になったミュージシャンなんです。その人気は、生きているときの比じゃないと……」
雪生は初め目を見開いた。それから微妙に顔を歪ませ、ポツリと一言。
「そんなの、本当のミュージシャンじゃない」
いじけてしまっただろうか。雪生は少しだけふくれ面をして、それから頷いた。
「出ません」
よかった、と胸をなでおろし、燈は携帯電話を取り出した。交渉に取りかからなくては。雪生は燈の皿を片付けている。
「ええ、空いてます。歌わせていただけるんですね? わかりました。どうぞ、よろしくお願いします」
次の水曜。
そう告げると、了解、とどこか格好つけたように雪生は笑った。それがどこか眩しくて、燈は言葉を失う。
「どうしました、燈さん」
「……カッコつけミュージシャン」
ミュージシャンが格好つけちゃいけないんなら一体誰が格好つけるのか、と雪生は憤慨した。
スーツを着こなした、真面目そうなMCの質問に、雪生はひどく真摯に答えていた。燈は例に違わずハラハラしながらそれを見守る。
「では、お名前を」
「田坂雪生です」
「ほお……あの伝説のミュージシャンと同姓同名なんですね」
「そりゃあそうですよ。同じ人間なんですから」
MCが一瞬眉をひそめた。
「同じ人間、というと?」
「だから、俺は20年前からこの時代に来てしまったんですよ」
失笑がもれる。燈はそれをにらみつけた。もちろん、自分だってこの前まで信じていなかったことなど棚にあげてもう存在しないように扱っている。
「いやぁ、しかし……」
「信じていただかなくても結構です。どちらにしても俺の音楽は変わりませんから」
そう言う雪生の顔は凛としていて、MCはしばらく言葉を失っていた。その代わりにクールを装ったようなコメンテーターが口を開いた。
「いくらファンだって言っても、整形までして本人を名乗るなんて恥ずかしいでしょう?」
苦笑混じりの言葉に、燈は怒りで頭に血が上った。しかし当の雪生は少し悪戯っぽく笑っている。
「整形手術をしてまで似せるほど、いい男ですか、俺は」
コメンテーターは一瞬、不審そうに雪生を見、それから呆れたように眉を八の字にした。
「ふざけているんじゃないんですよ」
「じゃあなんと言えばいいんですか。俺は田坂雪生だ、って言っているのに『整形までして』なんてふざけているのはそちらでしょう」
コメンテーターも、なんと言っていいかわからなくなったように黙った。そんなことより歌わせてくれませんかと、雪生は爽やかに笑う。
『きっと僕らは わかってほしいと叫び続けて』
あの人は、馬鹿にしきってるんだろうか。
燈は冷や冷やしながら、笑って歌う雪生を見つめていた。
飄々と、周りのなににも影響を受けていないようにも見える雪生の姿は、やはり馬鹿にしきっているようにも見えて。それなのにこんなにも、人をときめかせる。
『だから僕は歌うし だから僕は笑うし それのなにが悪い』
その場はただただ静まり返った。そりゃあ、ゲストに歌わせておいてわいわいしているわけがないのだが、この静けさは雪生の歌が作り出したものであるように思えた。
『わからないならそれでいいし
なんせ僕の歌は僕しか歌えないし
それでも本当は
わかってほしいだろう?
わかってほしいんだよ』
不意に目を向けると、MCの男性が泣いているように見えた。
『僕は僕なんだし 君は君なんだし それのなにが悪い
わかっているんだろう?
わかっているんだよ 本当はね』
曲が終わった瞬間、コメンテーターが飛び上がった。
「田坂雪生の真似じゃないですか! パクりって言うんですよ、こんなの」
雪生がギターを握りしめてコメンテーターをにらみつけた。
「俺の歌を否定するな」
「そ、そんなのは表現の束縛だとか……」
コメンテーターは恐る恐るというように反論する。しかし雪生はきっぱりと言った。
「俺のことを否定するのはいい。でも、そのついでに俺の歌を否定するな」
それからどこか少年のようにはにかんだ。
「俺の歌は、どうでした?」
しばらくの沈黙ののちに、拍手が響いた。それはまばらなものだったが、雪生は照れくさそうに頭をかいた。MCが口を開く。
「わたしは田坂雪生のファンでした。ファンだからこそ、あなたのようなのは許せないんです。でも、あなたの歌が、偽物とはどうしても思えない。あなたが、田坂雪生であればいいなと思いました」
だから俺は田坂雪生なんだって、と雪生は少し苦笑いした。
「憧れのロックンローラーが十も年下なんて、なんだか照れくさいですけどね」
MCは、どこか泣き笑いのような表情を浮かべた。
なんかいい感じになったけれども、まだまだでっせ。




