引き金
足元に滴り落ちる雫を眺めていると、さっきまで熱くなっていた頭が嘘のように冷めてくる。
『タツロー、お前ってホント……』
不意打ちだった。この場でなんでそんな事を? タツローは荒ぶる気持ちを抑えることが出来ず、気がつけばユウキの後頭部めがけてその右手にある引き金を引いていた。
今にも降り出しそうなどんよりと曇った梅雨空が、タツローの瞳を濁らせる。祈るような気持ちで空を見上げても、そこに救いの神は現れない。そう――、自分はタブーを冒してしまったのだ。
時計に目をやると、日没までもう少しというところ。
――このまま逃げてしまおうか。
愚かな考えが一瞬だけ頭をよぎったのもつかの間、それが無意味なことだと首を振る。一体どこへ逃げるというのか。逃げ場なんてどこにも無いのに。
取るべき行動が定まらないままでいると、砂埃舞う乾いた戦場からこちらへ向かってくる人影が見える。味方なのか敵なのか、この距離からはわからない。だが、どちらにしても同じだ。自分は味方を撃ってしまったのだ。裏切り者に味方などもういるはずもない。
タツローは咄嗟に人影に向かって銃口を構え、狙いを定める――。
「待って!」
聞き覚えのある声に、タツローの体は一瞬凍りつく。
――ミカだ。
タツローの味方で……そして、今もっとも会いたくない人だった。
「と、止まれぇ!」
地鳴りのような叫び声にミカの足が止まる。息を切らせて悲しそうな表情のままミカはタツローの目をじっと見つめている。裏切り者、犯罪者、そう言わんばかりの瞳にタツローは耐えられなかった。天使のような綺麗な顔をしたミカに、そんな蔑んだ目をされるという事に耐えられなかった。
「うわぁぁあ!」
照準を合わせていたミカの胸部に向かって引き金を引くと、きゃあというミカの悲鳴が辺りに鳴り響き、跳ね返った飛沫に一瞬、タツローの心臓が大きく脈打つ。
――やってしまった。ユウキに続いてミカまでも。
撃たれたミカが、腹部を手で抑えながらなんで? どうして撃つの? という顔をしていると、向こうから走ってくる複数の人影が見えた。たぶんミカの声に気づいた者たちだろう。
――もう、終わりだ。
タツローは覚悟を決め、持っていた銃を地面へと放り投げる。パシャンと、澱んだ水たまりが揺れた。
「おい、ミカ! 大丈夫か?」
味方の一人がミカに声をかける。ソウタだ。ソウタの問いかけに頭を垂れてお腹を手で覆い隠すようにして、ミカは小さくコクリと頷く。
「タツロー! おまえなぁ」
「もう、終わりだ。終わり」
タツローの言葉に「なんだよ、終わりかよ」と言ってつまらなそうに地面を蹴ると、ソウタは戦場に向かって大声で叫ぶ。
「もう終わりだって! ……こっちが優勢だったのになー。突然味方打ちやがって」
ソウタの言葉に反応したかのように、ぽつりぽつりと、雨の雫が校庭の土を湿らせる。
「ほらな、降ってくるのが分かったんだよ。だからもう終わり」
もっともらしいタツローの言葉に、戦場からやってきたユウキが、
「だからって後ろから撃つなよなー。結構冷たいんだぞ」と言って、まだ少し残っている水鉄砲をタツローに向けて発射する。
「わ、ちょっとバカやめろ!」
「ミカもやってやれって! ほら、タツローにやられたんだろ? それ」
意地悪そうに言うユウキの表情には、仕返ししてやれというのとは別の意味が込められているように見えた。
「タツロー、エロだなお前! ミカが白い服着ているからってそんなところ狙うかよ?」
「違うよバカ! 雨降ってくるのが分かったから……どうせ濡れたら同じだろ!」
恥ずかしそうに下を向くミカを見て、少しだけ罪悪感が湧く。
「お、お前がいけないんだからな! 止まれって言ったのに……」
だんだんと強くなってくる雨足に、気がつけば敵陣にいた友達は既にもう走って帰ってしまっている。
「うわ、やっべ! 俺らも早く帰ろうぜ!」
言うが早いか、ソウタは頭を手で抑えながら家の方向へと走りだす。
「タツローはちゃんとミカ送ってけよ。家、近くなんだろ」
「わかってるって!」
自分が撃った水鉄砲のせいなのか、雨のせいなのか分からないまでに濡れた頭を手でまもりながら、手をあげて走り去るユウキを見送るタツローとミカ。さっきまで砂埃をあげていた校庭の中、いつのまにか二人きりになっていた。
「俺らも帰るか」
「……うん」
恥ずかしそうにはしているものの、怒ってはいなさそうなミカの声色に少し安堵するタツロー。
「その……悪かったな、さっきは、撃って」
「いいよ」
「これ、使えよ」
ポケットに入っていたハンドタオルを、ミカの頭に乗せてやる。この大ぶりじゃほとんど意味は無いかもしれないけど、タツローにとってのせめてもの罪償いだった。
『タツロー、お前ってホント、ミカの事が好きだよな』
ユウキのやつ……突然あんなこと言いやがって……はっきりそう言われたら、意識してしまうじゃねぇか。
ミカといると楽しい、嬉しい、ドキドキする――他の友だちとはなんとなく違うと思っていたのは確かだった。でも、こうもはっきり『好き』だなんて、ユウキに言われるまで気づかなかった。
「タツローも、ほら、濡れちゃうよ」
「あ、ああ……ありがと」
ミカは自分のハンカチを取り出すと、タツローの頭に乗せた。
――いや、わざと気付こうとしなかったのかもしれない。
気が付くと失ってしまう。友達というこの関係が音を立てて崩れてしまう。昨日まで一緒に遊んだ仲間が、突然仲間じゃなくなってしまう……そんな気がしていた。だからわざと、この気持に気づかないフリをしていたのかもしれない。本当はとっくに気づいていたのかもしれない。
「ほら、走るぞ! 風邪引いちまう!」
――だがもう、戻れないのだ。
ユウキの言葉が引き金になって、無理やりにでも気付かされたこの気持ち。後戻りなんて出来ない。無かったことになんてしてはいけない。
土砂降りの雨の中、タツローは必死に走った。
繋いだ手は、転んでしまわないようお互い強く握りしめて。