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とりあえず小野寺の部屋に向うことにした、おれ。それにしても、頭痛がひどい。

 自由が丘から中目黒まで出て、そこから日比谷線と常磐線を乗り継ぎ松戸へ向かった。

 小野寺裕一はおれのひとつうえだが一浪しており、学習院の三年に在籍している。ことしは休学届を出しており、ライター稼業の見習に没頭するつもりだったらしい。

 小野寺は横須賀の出身だったが、両親とは仲がよくないらしく、わざわざ地元から離れた松戸に部屋を借りて独り住まいをしていた。正確には、小野寺が住んでいるのは松戸のひとつさきの駅である北松戸だ。

 北松戸の改札から左に出て、松戸競輪場を通り過ぎたところに、小野寺のアパートはあった。築一〇年は越える1Kもしくは1DKの物件であろうことが外観から容易に想像がつく。

 アパートの周囲をぐるりと一周して人通りがないことを確認してから、おれは小野寺の借りている一〇三号室の扉のまえに立った。郵便受けに不在通知が入っているのが見える。

 ジーンズからピッキング用の器具をとりだし、作業を迅速に行った。五秒とかからず鍵を解くことに成功した。ブランクがあるとはいえ、思ったよりは身体が覚えてくれているようだ。

 おれは手袋を装着して小野寺の部屋に入ると、まずはスペア・キイの在り処を探った。何事も万が一に備えることが肝心だ。1Kの部屋における捜索はあまりにも簡単で、小さなクローゼットのなかの小棚で鍵を発見した。部屋のなかほどにあるテーブルのうえからセロハンテープをとるといったん表に出た。入り口横にある水道の元栓の蓋を開けてセロテープを貼りつけ、すぐに剥がしてからなかに戻った。

 部屋にはラップトップとモバイルPCが一台ずつあるが、この状況で起動させるは得策でないだろう。アナログなものから情報を得ることが重要だ。

 一五分ほど部屋のなかをあさったが、価値ある情報に遭遇することはなかった。仕事で必要だったのであろう雑誌や新聞の山、それらのスクラップ・ノート。脱ぎっぱなしの服が散らばっている。部屋の鍵といっしょに発見した預金通帳の残高は二〇万ほどで、二週間まえに小額の引き出しがあった。あまりにも露骨すぎて眩暈がした。

 常人ならばなにも感じないのだろうが、おれにはわかる。

 これは小野寺が巧妙になにかを隠そうとしているのだ。絶対に他人に知られてはならないなにかを。

 怪しい品がまったくないということが、納得いかない。

 小野寺はパクスでも精力的に動いていたメンバーのひとりなのだ。おそらくは死ぬ直前までルポライターを隠れ蓑になにかを画策していただろう。そうだ。タイ国家警察の真の目的についても、スラムの若者の鎮圧などではなく、小野寺やそこに居合わせたかもしれない彼の仲間などの掃討であったという可能性は否めないというわけだ。

 あまりにもヒントが少ないことに若干の苛立ちを覚え、おれは小さな冷蔵庫の扉を開けてみた。チルドケースに根菜がいくつか詰めこまれているだけで、それ以外は水とヴィダー・イン・ゼリーが入っているだけの冷蔵庫だった。電源を落としていないことから、小野寺は短期間で帰国するつもりだったのかもしれない。

 部屋の裏は市営の駐車場になっていた。平日のいまは疎らだが、GⅠ開催のときとなれば満車になるのだろう。

 俺は再びベッドのそばに立つと、狭い部屋のなかをもう一度見回した。わざわざ松戸まで出向いてきたというのに、なにも得ることなく退散するというのか。無駄は文化の母というが、徒労は避けるに越したことがない。

 さきほどまでは気づかなかったが、本棚の端に写真がいくつか無造作に重ねられて置いてあった。おれはそれらを手にとり、一枚一枚確認する。おれの見知らぬ仲間たちと山でキャンプをしているときの写真、ビール片手に海ではしゃいでる写真。一番したのはポラロイドで、どこかの飲み屋での誕生日かなにかの仲間内パーティといった感じの写真だった。

「小野寺」

 思わず声を漏らした。

「おまえはいったい、なにをしようとしてたんだ?」

 馬鹿なやつらはこういった写真の類を貴重な手掛かりのひとつと認識するだろう。だがおれたちパクスの人間はちがう。目に見えるものがすべてではない。大事なものほど目に見えぬのだ。バラさんから何度も聞かされてきた。ときに、目に映るものが邪魔をして、盲目的になった輩は知らぬ間に迷宮へと迷いこむ。これはノイズだ。写真の人物たちは俺の求めている答えとはなんら接点がないと断言してもよい。おれは写真をもとの位置に返すと、粗末なキッチンを脱けて小野寺の部屋を出た。

 じっとりとした風が頬を撫でた。

 おれはもときた道を引き返しながらタバコを銜え、ジッポを擦った。大儀そうに紫煙を吐きだし、これからのことを考えた。

 とにかく頭が痛い。

 トリプタン薬がきれていることを思いだした。

 頭痛外来のある日本橋の病院に電話して、薬を出してもらえないかと訊いた。電話に出た受付の女が四時ごろにこいと言うので、日本橋に寄るまでのあいだ、上野で時間を潰すことにした。

 コーヒーを飲んでからパチ屋に入った。二時間かけて、三万の負債と疲労感を得た。スロット筐体の放つフラッシュはおれの目の奥をえぐるようだった。頭が痛い。帰り際に筐体を殴りつけると、フロアにいた店員どもが慌てておれの傍に集まってきやがった。おれはやつらを押し退けて店を出ると、御徒町中央通りの雑踏に紛れたのだった。

 日本橋の病院でトリプタンを処方してもらい、帰路についた。

 日比谷線に乗り、座席に腰かけると静かに目を閉じた。

 阿片窟のようなパチ屋でのことが脳裡に浮かんだ。小さく舌打ちする。衝動的に軽率な行動に出てしまった自分が赦せなかった。常にリスク計算をしなければならないというのに、他人の注目を浴びる要素を多分に含んだ行動をとってしまった。平和ボケしているのはおれだ。棟木は視野の狭い男だったが、小野寺は絶えず戦略的思考を持つよう心がけていたように思う。そんな小野寺までもが殺されてしまったのだ。

 おれはふと、一年まえの「粛清」事件を思い起こしてした。

 粛清はまだ終わっていないのだ。バラさんを殺したやつは、パクスの人間すべてを抹殺しようとしているのかもしれない。あるいは、熱心なパクスのメンバーの誰かがバラさんを殺したやつを見つけるために、疑わしい人間を順に消しているのかもしれない。

 どちらにせよ、おれにはやり残していることが多くある。まだ死ぬわけにはいかない。しばらくは神経を研ぎ澄ませて生活する必要があるだろう。それこそが生きているということにほかならない。

 なるほど、リストカット症候群の患者と同じ発想というわけだ。

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