16
目を覚ましたおれを、中国と韓国のマフィアたちが囲んでいた。そこにはムサシの姿も見えた。なにがどうなっているのか、まったくもって意味がわからない。殺されるのか、おれは?
何者かに頬をはたかれて目を覚ました。
ねばついた大気が顔のまわりにまとわりついている。汗の臭いだろうか。なんだか少しガス臭い気もする。
おれがいるのは、オリエンタルな曲調のアンビエントが小さな音量で流れている、薄暗い空間だった。クラブのダンスフロアの一角にあるテーブルエリアのようだ。
質の悪い生地の椅子に座らされていた。うしろ手に縛られ、椅子の背からくっついて離れない。
周囲には見慣れぬ者たちがふたてに別れて向き合うように座っていた。アジア人だが、けっして日本人ではない。臭いでわかる。
意識がはっきりしてくるにつれ、右脚の脛がずきずきと痛みだした。そうだ。おれはうしろから銃で撃たれたのだ。それから中国人どもに拉致されて――
「朝霧さん……」
おれの名前を呼んだのは、弱々しい声だった。
おれは素早く声の主に振り向く。
「てめぇ……ムサシ……!」
おれの横に、殴られて顔を腫らしたムサシが大きな紙袋を抱えた状態で椅子に腰かけていた。
ムサシは力なく笑った。
「朝霧さんまで巻きこんでしまって、申し訳ないっす……」
申し訳ないだと? ふざけるな。おれはわけもわからず撃たれて、さらにこんな危機的状況に放りこまれたのだ。仮にこれがムサシのせいであるならば、こいつのケツの穴に金属バットをねじこんでやる。絶対に許さない。
ふたてに別れたアジア人グループの一方のひとりが、静かに口をひらいた。堅苦しいヨーロッパ英語だった。
「おまえは中国側の協力者か?」
男は真っ直ぐにおれを見据えている。
ちょっと待て。おれに訊いているのか? 意味がわからない。
おれはすぐさま英語で返してやる。
「勘違いも甚だしいぞ。なんの確証もなくこんな目に遭わせやがって、ただで済むと思うなよ」
「すべてを白状すれば殺さずに帰してやらんこともない」
「ふざけやがって……! さてはてめぇ、韓国人か? どういうことだよ、おい! おれをここに連れてきたのは中国人だろうが!」
勢い余って椅子ごと立ち上がろうとすると、うしろに立っていたアジア人に脇腹を殴られた。息が詰まる。
韓国人の向かいに座る老齢の男が、中国語で仲間の男に話しかけている。
話しかけられている男の顔を見て、おれは息をのんだ。
そうだ。あのスキンヘッドの中年男は代官山で道を教えた中国人だ。
「おまえ……あのときの……」
おれが声を震わせて言うと、スキンヘッドの男は柔らかい笑みを浮かべた。
「あのときは助かりました」
たどたどしい発音の日本語だった。
「あなたには、世話になりました。乱暴、したくなかったけれど、方法なかったね」
「なにが目的でこんなことを……」
「詳しいこと、彼、話してくれます」
スキンヘッドはムサシのほうに顎をしゃくった。
「おい、ムサシ」
おれはムサシを睨みつけた。
「おれは脚を銃弾で撃ちぬかれ、頭をぶん殴られ、それからこんなところに連れてこられた。おれが納得できる説明をしろとは言わない。状況がわかる説明をしてくれや」
ムサシは叱られた子供のように大きな身体を萎縮させながら、声を絞りだした。
「朝霧さんはなんにも悪くないんすよ……。全部、おれたちのせいなんです」
「そんなことはわかっている」
「おれたち、こないだ、立川にある風俗店に金を盗みに入ったんですよ」
立川の風俗店? 中国マフィアが韓国マフィアの金を奪った事件という、アレか?
「仲間のやつが、あそこはやばい商売もやってるから表沙汰にはできない現金があるんだって、そう言ってたんで、おれたち、いろいろ計画立てて盗みに入ったんです」
「それが、おまえが何度も言っていた『祭り』ってやつか……?」
「そうっすね……。朝霧さんならそういうやばいのに慣れてるって思ってたから、是非、力を借りたくて、何度も誘ってたんですけど」
ムサシは百貨店の紙袋を重そうに掲げて見せた。
「これ、おれの取り分だった一億円。で、残りは仲間が持ってて、全部で三億ほどあったんす」
馬鹿だ。この男は真性の馬鹿だ。
ここでスキンヘッドの男が口を挟んできた。
「わたしとこの盗人、それからあなた」
スキンヘッドはおれを見る。
「わたしたち、代官山でいっしょにいました。立川での事件の、少しまえの日です」
「それがどうしたというんだ?」
「大問題です。コリアンが三億を盗んだ人間を探しあてました。その人物を見て考えました。盗人は、わたしたち中国の仲間ではないかと」
「なんだと? それで、おれもてめえら中国の一味だと疑われてるってのかよ?」
「はい」
スキンヘッドは困ったような表情をつくって見せた。
「わたしは誤解だとコリアンに何度も言うのですが、わたしを監視していたコリアンは、納得してくれないのです。わたしやあなたが秘密の会話をしているのを確かに見たのだと言って」
「ふざけるんじゃねえぞ……!」
おれは奥歯を噛みしめた。
中国マフィアが仕掛けたと思われていた立川の強盗事件は、ムサシとその仲間による単なる「祭り」だったというわけだ。
ところがいま、おれにまであらぬ疑いがかけられている。韓国側はおれたちが中国とつるんでいると思いこんでいやがるようだ。
「それじゃあ、ムサシの仲間が殺されたってのも、中国か韓国の仕業ってことか……」
「盗人の仲間のひとりは、コリアンが始末したそうです」
そういうことか。
とりあえず、おれとムサシがこのマフィアどもとは一切の関係がないということは揺るぎない事実なのであり、あとはどのようにそれを韓国側に証明するかだ。
それよりも、まずはムサシに盗んだ金を返させなければならない。
「ムサシ、ぼけっとしてんじゃねえよ」
おれは苛立った声を出した。
「とにかくその金を韓国に返してやれ。あとは土下座でもなんでもして謝って、解放してもらうんだな」
「そうっすね……」
ムサシは韓国人たちの顔色を窺っている。
しかし話はそう簡単ではないようだ。
スキンヘッドは立ち上がるとおれの傍に寄り、ふざけているようにおれの頭をぽんぽんと叩いた。
「いまさら口で謝られても、コリアンも許しません、と思います。なにせ、過剰なまでの日本警察の目がわたしたちに向けられてしまったのですから。それに、なによりも、わたしたち中国の潔白を証明する意味でも、あなたたちを殺して見せるのが必要と思います」
スキンヘッドが喋った内容を、通訳係と思しき中国人が早口の英語で韓国側に伝える。
それを聞いた韓国マフィアの男はゆっくりと頷いた。それから男はおれの目を見てはっきりとした口調で言った。
「こうなってしまっては、おまえたちと中国のつながりだけが問題なのではなく、おまえたちそのものがヤクザの手先である可能性も否めない。われわれの邪魔をするために送りこまれたと考えても不自然なことではないだろう。どちらにせよ、おまえたちには死んでもらうのがよさそうだ」
糸目をいっそう細めて口元を歪ませた。
おれは悟った。こいつらは本気でおれとムサシを殺す気なのだ。こいつらは笑いながら人を殺したその手で朝食を食べることができるような人種だ。とにかく邪魔な人間は片っ端から消していく。泣いて命乞いしたところで鼻で笑われるのがオチだ。
韓国側から中国側に対して、おれたちをどのように始末するか、相談を持ちかけた。両者は不気味な笑い声をたてている。英語の会話だが、声が小さくて、なにを話しているのか聞こえない。
おれは縛られた両手に力をこめてみたが、それはやはり無駄な足掻きだった。
となりでうなだれて座るムサシを横目で見やる。おまえは縛られていないんだろ? 両手両脚が自由な身分なのだから、少しは行動を起こしたらどうだ! これだから緊急事態に備えて訓練をしていないやつは使い物にならない。くそっ!
おれが乱暴に椅子を揺すっていたそのとき、フロアの奥からすさまじい爆発音が轟いた。足元から振動が伝わってくる。
マフィアたちは一斉に立ち上がり、臨戦態勢をとる。
「な、な、なんだァ?」
ムサシも慌てて周囲を見回す。
なにが起こっているのか、おれにはわからなかった。
どこからともなく悲鳴が聞こえた。
フロアの奥の部屋からだ。
同時に、奥の部屋に通じる金属製の扉が開け放たれ、料理人のような格好をした男たちが血相を変えて走り出てくる。その背後には巨大な炎が揺れていて、まるでドラゴンのように一気に噴き上がると、フロアのなかにまで首を伸ばしてきた。
可燃性ガスがフロアに充満していた。
爆風の衝撃に頬が震えた。
「爆発か? どこの仕業だ!」
「全員、さっさとずらかるぞ!」
韓国マフィア口々にが叫んでいる。
中国側もフロアから外に向かって駆けだしていく。
あっという間にフロア中に炎がゆきわたり、それは天井に達した。
「ムサシ!」
おれは脂汗が目に染みるのをこらえながら、ムサシを呼びつける。
「おれの縄をほどけ! さっさとしろ!」
ムサシは腰をかがめておれの傍にやってくるが、煙や煤にまかれて、なかなか縄をほどけないでいる。
フロアには観葉植物やソファがあって、それらのせいで炎は加速度的に勢力を増していく。
思った以上に肺が苦しい。おれの目の淵には、きっと涙が溜まっていることだろう。
おれは嗚咽をこらえながら、少しでも周囲の状況を把握しようと努めた。
周りに人影は見えない。すでに視界は最悪だ。
「ムサシ……! 早く、しろ……!」
ムサシはどこだ! 脚にも縄がかけられているせいで身動きがとれないッ!
「ムサシ!」
何度も叫ぶうち、どす黒い煙に包まれたおれは次第に意識を失っていく。
一日のうちに二度も意識を失う人間は、そう多くはいないだろう。
むしろ、こんどこそ死んだと思った。
ブラックアウトの直前、ほんとにくだらない人生だったなと、後悔の念が猛スピードでおれの内側から湧きあがってくるのを感じた。
あーあ、なんのために生きてきたんだよ、おれは。




