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中華街にほど近い横浜市中区を訪れたおれは、わけもわからぬまま中国人に襲われ、そのまま拉致されてしまった。
ことしの関東は例年よりもかなり早く梅雨入りした。しかしだからといって梅雨明けが早まるということではないらしく、なおも不快なシーズンがつづいている。
午前中は大粒の雨が降っていたため、部屋でプレステをして時間を潰した。
いつになく頭痛は和らいでいた。二週間分処方してもらったトリプタン薬はそろそろなくなりそうだったが、頭痛外来に急ぐ必要はないだろう。
ゲームに飽きて、午後のワイドショーをぼんやりと眺めていたが、窓の外が明るくなってきたため、久々に外出することに決めた。
滝山さんや先輩からの連絡はとくにない。もうしばらくは派手に動くのを避けて様子を見ていたほうがよさそうだ。小野寺や棟木の調査は行わないでおこう。
しかし無目的な散策は得てしてパチ屋に到達してしまうため、いちおうの目的地を設定してから出かけたい。
誰かを誘おうかとも考えたが、適当な人物が思い浮かばなかった。
ふと、夜の三崎口で味わった潮の香りを思いだした。
海風にあたりにいくのも悪くはないな。
おれは部屋を跳びだし、東横線で横浜まで行くと、そこからブルーラインに乗って関内を目指した。
細長い関内駅の周辺は、水滴に濡れた新緑が眩しかった。
メインストリートに並ぶ多くの店舗のランチタイムは過ぎていたため、伊勢佐木長者町にある地元の中華料理屋で遅めの昼食をとった。
それから山下公園に向けてゆっくりと歩きだした。
街並みのむこう右前方に、横浜スタジアムの天辺が見え隠れしている。
気持ちのよい午後だった。
スタバのテラスになっているところで右に曲がり、なるべく人通りの煩わしくない道を選んで進んだ。
他人の姿が途絶えたところでタバコを抜きだし、口に銜えて火を点けようとした。少し風が強く、両手でタバコを覆うようにして点火を試みた。両手を口元に寄せていたおれは無防備な状態になっていた。
これは実戦から遠ざかっていることによる弊害の表れだった。
おれの真横に白いバンが停まり、その扉がひらかれると、なかの男たちはおれの身体を鷲掴みにした。
文字どおり、一瞬の出来事だった。
おれの口からタバコが落ち、ジッポは金属音をたてて地面に転がった。
完全に不意をつかれたかたちになったが、おれは身体を急激に捻ると、かろうじて男たちの腕から逃れた。
バンのなかの男たちと目が合う。
アジア系の男たちだ。
やつらはすぐさまバンから跳びだしてきた。
わけのわからない怒声がおれを取り巻く。中国語だ。こいつら、中国人だ!
おれを囲むようにして立つのは三人。
けっして大きな体躯ではないが、その目は鋭く、実戦慣れしていることを物語っている。
目のまえの口髭を生やした男が、尻からナイフを抜きだした。
チャイ人め……見境なく刃物を抜きやがるッ!
ナイフを持った男は勢いよくおれに突進してきた。
両脇に立つふたりの男はおれの身体を抑えようと手を伸ばす。
おれは瞬時にかがむと、腕を伸ばしてきた男の脚を払った。男の体勢が崩れることで、わずかにできた空間に身を入れるようにして立ち上がり、そのままナイフの男の顎を拳で砕いた。
男は情けない声をあげると同時に、ナイフを手から落とした。
おれはすぐさま踵を返すと、大通りに向かって駆けだした。とにかく逃げるが勝ちだ。いくらなんでも状況がわからなさすぎる。なぜおれが中国人に襲われなければならないのだ?
木々のむこうに市庁舎が見えている。往来のあるところまで戻れば、少しは安全だろう。
そう思った刹那、右の脛をハンマーで殴られたような激痛が走りぬけた。
おれの意思とは関係なしに、身体はぐにゃりと傾いた。
受け身をとることも忘れて、側頭部をアスファルトに打ちつけてしまった。
視界に自分の右脚が映りこむ。脛のあたりから鮮血が噴きだしており、ジーンズを真っ赤に染めている。
そこまで確認したところで、頭に覆いを被せられてしまった。
「離しやがれ、チャイ人ども……!」
街のど真ん中にもかかわらず、やつら、銃を使いやがったのだ。
「ここはてめえらの国じゃあねえんだよ……!」
硬質のなにかがおれの頭を殴りつけた。
おれの意識は、ここでいったん途切れたのだった。




