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おれは先輩から中国と韓国のマフィアたちの話を聞かされる。おれが知りたいのはそんなことではない。パクスについて訊きたかったのだ。

 数日が過ぎた。

 電車を乗り継ぎ立川にやってきたのは、ちょうど昼時だった。思った以上に往来が激しい。むっとする人いきれに吐き気をもよおした。

 パクスの信頼できるメンツで、まだ連絡をとっていない人物がひとりいる。

 中高時代の先輩である清水さんだ。

 先輩は大学卒業後、警視庁に入り、現在は警察学校での訓練期間中だった。たまたまこの日は休みだというので、先輩と立川で落ち合うことにしたのだ。

 先輩の両親は地元の長野で教員をやっているはずで、彼ももともとは教師になると言っていた。だが実際にはタレント科のある学校やアイドルが通っていた女子高などの採用試験ばかり受けて、ことごとく滑った。それが四年の夏過ぎだった。

「警察官って秋採用やってるんだってよ」

 いつか先輩の部屋を訪ねたとき、青島刑事のビデオを観ながら先輩はそう呟いた。

「おれさ、あんまり教師になるつもりはなかったんだよ。青島みたいのがいいよな」

 先輩はラ・ラ・ラ・ラ……と気分よさそうに口ずさんだ。

 先輩は明大の商学部で交通論を専攻していたらしいが、つまりそれは端から教師などになるつもりはなく、警察官になることを念頭に置いていたと考えるのが自然であろう。

 先輩からの電話が鳴った。

 通話ボタンを押すと割れるような騒音が漏れてきた。

「朝霧、すまん。南口にあるパチ屋でうってる。バッティングセンターがある建物の一階だ。ARTが終わらねえ」

「了解です。そっちに向かいます」

 おれは駅舎を抜けて、南口の歩道橋を降りた。周囲には麻雀屋やピンサロが建ち並んでいる。場外馬券場を過ぎたさきに、先輩のいうパチ屋があった。

 平日の昼間だというのに、パチ屋の店内は混んでいた。

 先輩は鬼武者のスロットをうっていた。

 おれはそのうしろに立ってスロット筐体の画面を覗きこんだ。

「まだ一話なのに一〇〇〇ゲーム超えじゃないですか。上乗せし過ぎでしょ」

「ああ、まったくだ。奇数設定だし、ピンのまぐれ噴きをくらっちまったようだ。朝一のビッグのラッシュ当選からずっとコレだよ」

 先輩はむかしからヒキが強い。

 先輩は腕時計に目をやると、飽きたな、と呟く。

「朝霧、おまえ、うつ?」

「いや、いいですよ。べつにスロうちに立川まできたんじゃないんですから」

「だな」

 先輩は筐体に貯まっていたクレジットを落とすと、プラスチックのドル箱ふたつにメダルをさらさらと詰めて、ジェットカウンターに運んだ。

 先輩が立ったあとの席に、スウェットを着た茶髪の男が血相を変えてタバコの箱を投げ入れた。あの鬼武者はまだ金を吐いている最中なのだからスウェットが必死なのも当然だろう。

 換金を済ませてから雑多な立川の通りに出て、適当に入ることのできる店を探した。

「朝霧、おまえ立川詳しいんだろ? どこか一服できる店知らないか?」

「詳しくはないですけど……そうですね、北口のほうにいきましょうよ。あっちのほうが落ち着いた場所がありますって」

「よし、そうしよう」

 駅の北側にあるシネコンの向かいに、夜はバーになるという小さな店があった。昼はランチメニューを置いているらしい。

 先輩とおれは雑居ビルのエレベーターで四階に向かい、店の奥の席に着いた。

 セットメニューを頼んでから、ふたりともタバコに火を点けた。

 テーブル席には窓がないため、外は見えない。

「わざわざ立川くんだりまできてもらって悪いな」

 先輩は満足げな表情をして言った。

 おれは、とんでもない、と首を振りながら、指先でタバコをとんとんと叩く。

「急に連絡したのはこっちのほうです。気を遣わないでください」

「おまえから話したいことがあると言われてから数日間、実に落ち着かなかったぜ。どうせロクな話じゃないんだろ?」

「まあ、そんなところです」

 おれは力なくため息をついた。

「実はパクスのことで話が――」

「滝山さんから聞いたよ。小野寺や棟木のことで嗅ぎまわってるんだって?」

「やっぱり先輩の耳にも入ってましたか」

「当然だ」

 先輩は紫煙をくゆらせて笑った。

「おれがなにか知っていると期待しているかもしれないが、残念ながらおまえに対して言えることは、滝山さんと同じことしかない」

 先輩も小野寺や棟木の死はただの事故だと言うのだろうか。

 喉の奥に苦いものがこみあげてくる気がした。

 先輩はむかしからの仲だ。おれに嘘をつくとは考えにくい。

 おれは燃え尽きたタバコのフィルターを灰皿にこすりつけると、次の一本を銜えた。

「何者かが再び『粛清』を開始したと、そう考えるのはおかしいですかね?」

「そのことは忘れろ」

 先輩は険しい顔をする。

「柏原の失踪については、もう過ぎた話だ。果たしてパクスのメンバーがかかわっているのかどうかも定かじゃあない。あらぬ疑いだけで極端な行動を起こすのは危険だと思わないか?」

 それに、と先輩は呆れたような口調で続けた。

「警察だっていまはそれどころじゃないんだよ」

 それとは小野寺や棟木の死のことを指すだろうか? それともバラさんの失踪のことを指すのだろうか?

「いま、中国と韓国のマフィアどもが異常なほどピリついていやがる」

「よくある話じゃないですか」

「映画じゃないんだぞ。リアルな話だ。中央線沿線をはじめ、千葉や横浜にだって火種がくすぶっている。一触即発ってやつだ」

 話が盛りあがってきたところで、不味そうなランチのプレートがふたつ、運ばれてきた。

 おれは黙ったままコンソメスープを啜る。

 先輩はナイフとフォークを手にとると、それから眉をひそめた。

「ここだけの話だが、朝霧、おまえ、新型の合成麻薬がこの日本で大量に捌かれてるってのは、知ってるだろ?」

「ええ。先日、滝山さんから聞きました。そのとき、先輩もこの話を知っていると、滝山さんは言ってましたよ」

「福建省と上海のマフィアが睨み合っているあいだに、関西圏を中心に日本国内で勢力を伸ばしてきたのが韓国のやつらだ。こんどの新型合成麻薬の販路を握っているのも韓国だったらしい」

 国際シンジケートの話については、おれはあまり詳しくはない。この場で事の真偽を判断することはできないため、情報のインプットに徹するのがセオリーだ。

「しかし中国側も黙っちゃいない。とくに福建のほうのグループだ」

「けれど、そんなことくらいで派手にぶつかり合うなんて、ありえないじゃないですか。いくらなんでもそこまで馬鹿じゃないでしょう」

「おいおい、朝霧。おまえ、ニュース見てないのか?」

「ニュース? なにがです?」

 先輩はナイフのさきをおれのほうに向けてきた。

「三日まえ、ここ立川で強盗事件が発生した」

「ああ、それなら知ってますって。風俗店だかなにかの事務所に強盗が押し入って、店の売上金である数百万を奪って逃走したという」

「そうだ」

 先輩は少し安心したように、小さく何度も頷いた。

「だが、あの報道の内容はまったくのデタラメだ」

「と、言うと?」

「被害に遭った店は、ほんとうは韓国マフィアの事務所のひとつだった。さらに、実際に奪われた金額は合成麻薬の売上金で三億以上だ」

「三億?」

 訝しげな声で繰り返してしまった。それこそむしろ映画みたいな話じゃないか。

「ちょっと待ってくださいよ、先輩。それ、どこ情報です? メディアはどこもただの風俗店強盗だと報じていたじゃないですか。誰かの作り話ってことはないんですか?」

「うちの大学の就職先で二番目に多いところはどこだか知ってるか?」

「明大の……ですか? 知りませんよ」

「警視庁だよ」

 先輩はフォークでライスをすくいながら鋭い眼差しでおれを射た。

「特別捜査官にもOBが多くいて、特殊な情報網ができあがっているんだ。だからほぼまちがいのない情報だ」

「で、その三億強盗事件がどうして中韓の均衡を揺るがせるようなことに?」

「おまえ、鈍くなったんじゃないのか?」

 先輩はにやりと口元を歪めた。

「韓国側の店を襲ったのは中国マフィアだと推測されるからだ」

「推測? 証拠はあるんですか?」

「あまり具体的なところまでは、おれも聞いちゃいねえ。だが少なくとも、韓国側が中国に対して報復行為をもくろんでいるってことだけは確かみたいだ」

 異様に喉が渇く。

 おれはグラスの水を飲んだ。鉄臭い味がした。

 話の最後に先輩は、緊張状態の渦中に巻きこまれるんじゃないぞ、とおれに注意を促した。

 ランチを終えると、先輩は宿舎に戻ると言った。府中にあるらしい。

「もう一度念押しするが、小野寺や棟木のことは深く考えるな。いいな?」

 おれは静かに頷くよりほかはなかった。

 駅で先輩を見送ると、おれは南口に繰りだした。

 遊べそうなパチ屋はないか改めて見てまわるが、どこもゴミだった。

 呼びこみが邪魔な街中をぐるぐると巡り、先輩が鬼武者をうっていたパチ屋のまえにたどりついて足を止めた。建物を見上げる。三階はバッティングセンターで、二階には大型のゲーセンが入っている。

 以前、ここに訪れたことがある。オンライン麻雀ゲームをプレイするためだった。全国ランキングに入るようになると、それはもう維持するだけでも相当な苦労が必要になるわけで、おれは半ば強迫観念めいたものを感じながら各地のゲーセンに足を運んでいた。立川にあるこのゲーセンは麻雀ゲームの設置台数がとくに多かったため、おれ以外にも全国ランカーの称号を持つプレイヤーが何人もやってきていた。彼らは皆、朝から深夜一時の閉店までずっとプレイしているようだった。いい歳したオヤジどもが一〇〇円玉を積みあげて、必死になってタッチパネルを小刻みに押していた。その光景はあまりにも病的だった。

 おれはそのときになってようやく悟ったのだった。ゲーセンなんてのはあまりにも無益な時間の過ごし方だと。

 その日のうちにおれは麻雀ゲームのデータが入ったカードを破り捨てた。

 しかしそんな無益な生き方こそがおれにはちょうどよかったのかもしれない。

 社会的で生産的な生き様は寿命を縮める。生命活動を維持するために生きるのか、欲望ために疾走するのか、そろそろおれたちも真剣に考えるべきときだと思うのだが、先輩や滝山さんはどう考えているのだろう?

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