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突然、知ることになった小野寺の死。かつて、パクスの一員であったおれのなかのなにかが動きだす。
マイケルがこの世を去ってから二年が経つ。彼が亡くなってからというもの、大事なピースの欠けてしまった世界の崩落はいよいよ勢いを増しているようだ。
鈍い頭痛に目が覚めた。
時計は早朝の五時を指している。
梅雨のせいだろうか。頻繁な頭痛による煩わしさに、どこか鈍感になってきている自分がいる。
ゆらりと身体を起こし、薄明かりのなか、キッチンへと向かった。水をかぶかぶと飲む。幾分か頭痛が和らいだ気がした。
それからリビングのソファにうずもれ、テレビを点けた。サッカーの欧州リーグを特集した番組がやっていた。ピッチ上を左右に走りまわる選手たちをしばらく眺めていたが、さして面白味もない内容に飽きがきてチャンネルを変えた。次いで名前も知らないニュースキャスターが立ち現れ、しかしやつがなにを喋っているのか頭に入ってこない。
「圭ちゃん、わたしたちのマイケルが死んじゃったよ」
二年まえ、惰眠を貪っていたおれを叩き起こしたメールは、妹からのものだった。
妹は大のマイケル好きで、むかし、おれが実家から離れる際に、捨てるのもなんだからとマイケルのベスト盤をいつくか妹に譲ってやった。そのときの妹の顔といったらそれまで見たことのないほどに幸せそうだったのを憶えている。
妹のメールを見てからメディアの流す様々な情報を確認し、おれはようやくマイケルの死を理解した。久々の虚無感を抱いた。
育ってきた環境ゆえ、幼いころからほとんど洋楽しか聴かなかった。BBCから流れてくるのはデビッド・ボウイやクイーンであり、おれの母親は彼らのビデオクリップを延々と観ていたと記憶する。
中学生のころには日本に戻ってきていたが、やはり聴く音楽に変わりはなく、夜な夜な輸入盤に溺れるのが常だった。
クラスメイトがミスチルだとかジュディマリだとかのCDを貸してくれたが、おれはそれらを申し訳程度に聞き流すばかりで、最低限の感想が言える程度にも及んでいなかったかもしれない。
数ある洋楽のなかでも圧倒的な凄味を持っていたのがマイケルだった。
なけなしの小遣いをはたいて購入したマイケルのベスト盤は二枚組みで、ジャケットには黄金に輝くマイケルの像が描かれていた。当時のおれの部屋といえば、当然プロモーション・ビデオを十分に鑑賞できるような環境であるはずもなく、それでもその欲求を満たすべく、おれはひたすらCDを聴きまくった。マイケルこそキング・オブ・ポップに相応しい男だと心酔していた。
二〇〇〇年以降、世界のメディアはマイケルの奇行をおもしろおかしく報じるようになる。ベルリンのホテルで生後わずかな息子をベランダから宙吊りにして見せただとか、ネバーランドで児童に対する性的虐待をはたらいただとか、真実も嘘も一緒くたにして報道した。いまになりマイケルに対する誤解はようやくなくなったと信じているが、結局彼は欲深き者どもの被害者だったのかもしれない。
なにかの事件報道における会見で、鼻骨の補強手術直後のマイケルが消え入るような声で「アイム・ノット・ギルティ」と呟いていた姿を忘れない。
罪深きは世界のほうだったのだ。
真実はどうなのだろうか?
事物の正誤を判断するのは非常に困難な作業であり、また、いまのおれは中庸を理解するには不十分な状態にあるといえる。
おれは覚醒しきっていない思考のまま、マイケルのことや二年まえの自分はなにをしていたのだろうかということ、それから妹の郁美は大学生活を問題なく謳歌できているだろうかとか、どうせ早起きしてしまったのだしパチ屋の開店から並んでみるかとか、そんなとりとめのないことを考えていた。
前髪をかきあげて大きく欠伸をしたとき、女性キャスターの声が油断していたおれの意識を強烈に揺さ振った。
おれはテレビに向かって反射的に身を乗りだしていた。
タイのバンコクで若者グループと国家警察が衝突し、若者グループに多数の死傷者が出たという事件のニュースだった。昨日発生したというこの事件そのものはおれを驚かせるような内容のものではなかった。スラムの低下層が混乱に乗じて鬱憤晴らしをしただけなのであり、また、それを力によって無慈悲にねじ伏せたタイの国家警察が国際世論から非難を浴びるであろうことは予想できる範疇の話だからだ。
問題はこの事件の巻き添えをくった邦人がいたということだ。遺体の所持品等から、亡くなった邦人は「オノデラユウイチ」という名の学生であることが判明したのだという。
オノデラユウイチだと?
おれはテレビを凝視して、耳に聞こえた名前にまちがいないことを確認した。字幕では「オノデラユウイチ」の横に括弧書きで二二歳であることが表示されている。
同い歳の同姓同名が複数いたとしても不思議なことではなく、ニュースで死亡が伝えられているオノデラがおれの知っている小野寺である保証はどこにもない。
それでもおれのなかには確たるものがあった。まちがいない。小野寺裕一だ。やつにちがいない。
先週から気掛かりであったことが、ニューロンがその樹状突起を伸ばすかのように、いよいよつながりつつある。
一週間まえのことだ。深夜の甲州街道でカーチェイスがくり広げられ、逃走車が大破。乗っていた三人が死亡した。そのなかのひとりが棟木隆俊だった。ほかの同乗者はおれの知らない名前だった。
どうやら追っていたのは猪口会系の組員らしい。警察の調べでは、組員たちは棟木たち三人に対してなんらかの報復を行うつもりで追っていたとなっている。棟木たちはしかるべき事情によりヤクザ者に手を出したのだ。そこまでは予想がつく。しかしいったいどんな事情がそうさせたのだ?
ぬるま湯に浸かったような日々を送っているおれには皆目見当もつかなかったが、小野寺の名前まで出てきたとなれば、これらの事故・事件が偶発的に続いたとは考えにくい。
パクスの活動はバラさんの失踪をもって一年まえより事実上凍結しているはずだ。
いつの間にかテレビ画面には日本列島が映しだされ、天気予報が流れている。きょうもぐずついた空模様になるらしい。朝から湿度が高い。少なからず頭痛にも影響するだろう。
おれはテレビを消すと、テーブルのうえに置いてあったタバコをとり、火を点けた。
棟木の件に関してはすでに一週間が経っており、単独で調査を行う余地はない。
しかし小野寺の件に関しては幸運にもまだ報道された当日だ。これもなにかの縁だろう。
縁について思いを巡らせたところで、不意に母親からのハガキを思いだした。
母親は近ごろ真言密教にハマっているのだと楽しそうに綴っており、親父が定年を迎えたら、一度はお遍路さんに行ってみたいと締めくくっていた。二〇年まえはデビッド・ボウイに熱をあげていたのが、いまは胡麻焚きだ。
月日の流れは人を変える。それはきっと、おれたちパクスの面々にも言えることなのかもしれない。




