4 予感と、それから(2)
「私は、クラウディア王国大神官、ダニエル・ウィル・グラウハンドと申します。この度は王宮までの御足労、感謝申し上げます」
「マカ・ハンリー・メリウェルです。こちらは、私の護衛でジンと申します。先日、こちらの王宮で守衛の任につかせていただきました」
「存じています。聞くところによると剣の腕がよいとかで、宮中護衛隊長が喜んでおりました。
…と、世間話はここまでにしておきましょうか」
急に、ダニエルの目つきが変わった。先ほどより一層眉間の皺が深まり、一気に仕事モードにチェンジしたようだ。
マカも、その雰囲気にあわせ、ピシッと背筋をのばし、緊張を高めた。いよいよだ。
「さっそくで悪いのですが、仕事の件に話を移させてもらいます。こちらにいらっしゃったということは、仕事を引き受けてくださると考えてもよろしいでしょうか」
「…内容によりますが。今のところ、引き受ける方向で考えてはいます」
「ありがとうございます。その、内容なのですが…」
そう言うと、ダニエルは口を濁した。何だか場の雰囲気も変わったようだ。ピリピリしていた空気が、どことなく、不安や焦燥が混じったような、そんな感じに。
すると、彼は唐突に立ち上がり、「実際に見た方が早いでしょう」と言ってスタスタと部屋から出て行ってしまった。
ジンにアイコンタクトを送ると、無言で付いていきましょう、と頷いた。そんな彼も、いつもより不安そうな面持ちだ。自分のお嬢様が王宮で仕事につく不安のためか、それとも、これから起こるなんらかのことを知っているためか。それが何かを思案する時間はあまりに短く、追い立てられるようにして大神官の後を追った。
一行が到着したのは、王宮の奥、焦げ茶色の質素な扉の前だった。扉の大きさも周りより一回り小さく、どこか普通の家を思わせる安心感を感じる。
ダニエルはドアの2mほど手前の赤いテープの上で立ち止まり、苦い表情のままこちらを振り返った。
「こちらは、第二王子、セイヴェルト・イリス・ハルスブルク様の自室にございます。」
「セイヴェルト殿下の自室!?でも、殿下は今異国に遊学なさっているはずでは…」
つい、2、3年前のことである。もともと王位継承権は第一王子とほぼ決まっていたため、第二王子が異国へ行くなど、人々は気にも留めなかった。マカも、近所のおばさんに世間話ついでに聞いただけだ。
その王子の自室の前に、何故。
「その理由は、今、ご覧に入れましょう。…皆の者、用意。」
ダニエルが右手を上げると同時に、ガシャン、という音と共に武装した兵十数人がドアの周りに群がった。
「え、ちょ、何!?」
「マカ様、お下がりください」
ジンに手をとられ、ずるずると武装兵の後ろに下がる。…なんと壮観な光景だろう。一生に一度、拝めるか拝めないかに違いない。
ぽかんとしたまま、その異様な光景を遠巻きに眺める。と、唐突にダニエルは右手を前に突き出した。
「…出撃」
「「「うぉぉぉおおおお!!!!!」」」
雄叫びと共に、兵たちは一斉にドアへ武器を繰り出した。これでは、ドアが壊れるのも時間の問題…というか城内でなんてことを、と訝しげに見ていると、更に不思議なことがおこった。
「あぐっ」「ぐぇ」「うぁあ」
武装した兵が奇妙な悲鳴をあげ、ほぼ全員がドアを目前にして崩れ落ちた。倒れた兵の向こうから、何やら黄色の煙が漂ってくる。
くんくんと匂いをかぐと、慣れ親しんだ香りがツーンと鼻を刺激した。
「あら、この匂いは…」
「マスタードですね。この時期とれる鶏肉につけてバターと一緒に焼くと美味です」
「「「「ぎゃぁぁぁぁあああ」」」」
呑気に解説を始めるジンの目の前で、その臭気と、どうやら液体そのものをダイレクトにくらったらしい兵たちは目と鼻を押さえ、迫りくる刺激に悶え床をごろごろと転がった。
ドアを見ると、いつの間に現れたのか鎮座する巨大スプレー缶。先からはにゅるにゅると黄色い見慣れたものが噴出され、紐でつながっているところをみると、どうやら人がドアに近づくと自動的に発動する仕組みだったらしい。あの赤いテープはこれ以上近づくな、という警戒だったのか。…無駄な好奇心がはたらかなくてよかった、と内心マカは息をついた。
しかし、侵入者撃退のからくりはこれだけではなかったらしい。
「…赤い、くすだま?」
お祝いの席で見かける球形のものが天井から突如として現れた。すると、自動的にその紐が引かれた。
「「「ぬぉぉぉおおおお」」」
中に入っていたものは、縁起のよいものではなかったらしい。
「…新種のスパイスでしょうか。この手のものは見たことがありませんね。是非とも使ってみたい…」
パチパチと、花火のように爆ぜるスパイスに、またもや赤い煙が漂う。なんと二段攻めだったようだ。先ほどまで悶えていた兵士たちの中には、もろにくらって気絶している人もいた。
「ひ、ひるむなぁああ!」
特攻隊長らしき人が負けじと立ち上がり、ドアに向かうものの、次から次へと現れる仕組みの前にがっつり武装した兵たちはものの数十分で鎮圧された。
しかし、不思議なことに、ドアの向こう側からは何も聞こえない。これだけ騒げば、部屋の主も何か反応を見せるだろうと思ったのだが、物音ひとつ、コトリともいわない。
やはり、殿下は御不在なのだろうか。
あたりにただようスパイスの香りと、それに混ざってキコキコと音を立てる機会音にマカは眉をしかめた。
「…一旦ひくぞ」
これ以上は無駄と判断したダニエルは、手を下げて負傷兵たちを医務室へ送った。
ため息とともに、こちらを振り返って、げっそりとした顔で私達に告げる。
「おわかりいただけたでしょうか」
無茶を言うな無茶を!
マカとジンは一斉に心の中で大神官にツッコミを入れた。