31 紫と薔薇
その後、セイヴェルトは幾人もの貴族たちに囲まれることとなったが、さほど問題はないようだった。いつ身につけたのかと首を傾げたくなるほどの余所行き笑顔を貼り付け、にこやかに挨拶を交わし、多少の嘘を混ぜ込んで難なく会話をやり過ごしていた。たまにチクリと嫌みを飛ばされば、数倍にして返すことで貴族たちは多少震えあがっているようだったが。
さすが殿下。無駄に目立つ容姿してないわね。
マカはふむふむと頷き、ゆったりした動作でワイングラスを傾けた。
マカは舞踏会前に宣言した通り、見事に壁の花と化していた。勧められた酒はやんわり断ったので、グラス内で波打つ薄桃色の液体はアルコールゼロのジュースだ。それをたまに口に運びつつ、目の前で血管がぶち切れそうなセイヴェルトを眺める。
煌びやかな人の輪の中心で、黒々としたオーラが見えるようだった。たまにコチラに向けて殺気らしきものが飛ばされてくるが、無作法にもマカは壁に軽くよりかかって無視を決め込んでいた。さっき無理やり連れまわしてくれた罰だ。
にやにや笑いを押しとどめていると、フワリと、薔薇のキツイ香りがした。
「……貴方、ダーテ様の傍にいた女性ですわね?」
ゆっくり振り返ると、見慣れた麗しき貴人の、群れ。そこではたと気づく。目立たないようにと隅へ隅へ移動していたのが仇となったようだ。賑やかな舞踏会の中心から外れ、死角となるホールの角にマカは数人の女性に囲まれていた。
マカは背中に垂れる汗を気にしないように、普段通りの声を出そうと努めた。口から発せられた声はいささか震えていたが、幸運にも、相手方には気づかれなかったらしい。
「どなたでしょう?」
「私はコンボワール子爵の娘、アルティアですわ」
紫色の目に痛いドレスを着た女性は、会釈もせずに扇を揺らした。聞かれるまでは名乗るまでもないだろう、そう思ってマカは敢えて名乗りかえさなかった。ふうと息をつき、ゆっくり目線を合わせる。
「貴女方のおっしゃる“ダーテ様”という方が、クラウディア王国第二王子、セイヴェルト・ベイル・クラウディア様だというのでしたら、その方を御存知ですとおっしゃるべきですかね」
「…まぁ小生意気な娘ですこと。どうせ出自もよろしくないのでしょう?無名の独身貴族が意地汚い踊り子に産ませた卑しい娘、ってとこが妥当かしら」
冷静な口調のマカに苛立ったのだろう。アルティアはずいと一歩踏み出し、マカを見下ろしながらクスクスと笑った。
マカはチラリと女性たちの後ろ側を見やる。セイヴェルトはまだこちらに気づいていない。マカの視線に気づいた女性たちが薄く笑っているところを見ると、彼をかこんでいる人々もまた策の一つらしい。馬鹿の一つ覚えのようなありきたりな展開。煌びやかな貴族社会にはつきものだ。まさかそれが我が身にふりかかるとは思いもしなかったが。
「何か、御用でしょうか?貴方達の“ダーテ様”に近づくな、とでもおっしゃりたいのですか」
「おや、空っぽのようにみえてその頭、藁ぐらいは詰まっているようね。その通り、貴方、ダーテ様の前から消えなさい」
大げさに驚き、アルティアはふんぞり返る。セイヴェルトの前で見せた慎ましさはまるでない。その様子に、マカは思わずため息をもらした。
「消えろとおっしゃられても私も仕事ですので、そのようなことは約束できかねますわ」
「仕事ですって?よくもそんな妄言を!貴方も私たちと同じなのでしょう?違うのは卑しい本心を胸の内にしっかり隠し、賢いダーテ様でさえ欺くところかしら」
「本心ですか?私は貴方に一度も嘘をついた覚えはありませんが」
マカが眉をひそめると、アルティアは艶やかに微笑んだ。
「そう、本心。―――ダーテ様は、次期クラウディア王国国王候補とも言われている。それを知った貴方は、彼に近づこうとしたのでしょう?次期王妃の座を狙い、溢れる富と権力を手にするためにね」
「何のお話ですか。第一王子はレオナルド様、そして王位継承権第一位もレオナルド様ではないのですか?」
「白々しい態度もいい加減にしてほしいわ。レオナルド様に反発する勢力が出ていることは貴方も御存知でしょう?そして遊学から帰ってきたダーテ様を支持する勢力が出ていることも」
耳を疑うような出来事の連続で、脳みそがパンクしそうだった。グルグル、明かされた事実が頭をうずまく。つまり、レオを国王候補と認めない人がいるのか。セイヴェルトを王にしたい、だと?彼よりもよっぽどレオの方が王に向いているのは明らかだろう。第一、セイヴェルトを王にしたところで、国がより繁栄するとは思えない。むしろ廃る。
アルティアはパチン、と扇を閉じた。
「レオナルド様は真面目なお方…故にあまり国全体を見通せる力に乏しい。平和などと仮初めの幸せを語るほどに。それを見抜いた私の父は、ダーテ様を支持することにしたのです。赤く気高い、魔術に満ちた彼をね―――」
そこで、マカは気づいた。アルティアも、取り巻きの女性たちも、セイヴェルト自身を好いているのではない。彼を、道具としか見ていない。アルティアの父は出世のために、アルティア自身は富と権力のために、そして彼らはきっと――――。
吐き気がした。グラスを持つ手が震える。無論、怒りで。
『一人だって、俺と目を合わせようとしなかった。恐い、と一言で俺の存在価値を決めつけられたんだ。』
あの時、ひどく哀しげだった。
『この力があれば何だってできる。もちろん、天下をとることだって。何しろ国の創始者のもっていた力だ。これがあれば…』
あの言葉をもって、彼はマカを脅そうとした。恐怖でマカを支配しようとした。赤い瞳に揺らぐのは、怒りと、恨みと、悲しみと。そして人間への不信感。
マカと出会う以前に何があったのか。それをセイヴェルトに直接聞いたことはなかった。ただ、母親にさえ見放され、取り巻く貴族たちは自分を利用しようとしたのだ、と彼は言った。その利用の意味を履き違えていたのだと、今更ながら気づく。
先ほどのセイヴェルトとコンボワール子爵の会話が思い出される。子爵はセイヴェルトに戦争がどうとか言っていたはずだ。そして、あの例え話。
彼らはきっと、セイヴェルトを強大な力をもった戦争の道具、しかも自国の最大の武器だと思っている。
おかしいな、アルティアさん名前出ないはずだったんだけど…
いつの間にやら普通に出てきてました。さすが貴族令嬢。