3 予感と、それから(1)
実はすぐにでも用意はできたのだが、先方の準備がありますでしょう、とジンにやんわり押しとどめられ、マカは荷物とともに自室に押し込められた。
そして翌朝。元気いっぱいなマカのテンションに比例して、生気のないジンは守衛の服を着てマカに連れ添っていた。
マカをいつでもサポートできるように、をいつでも念頭においているジンは、今回もこの仕事にあわせ、王宮で自分の出来そうな仕事を見つけてきた。お嬢様の性格を考えれば、書簡の内容を告げた後の行動は簡単に予想できる。めんどくさーとぶーたれ、報酬の額を告げると目を輝かせ、時間を忘れて荷物をまとめるに違いない。現にそうなったのだが、書簡を受け取った後、すぐに守衛の任をもらったジンはなんだか憂鬱な気分だった。
この少女は、恐らく、いや、確実に何も考えていない。どうせ王宮で皿洗いでもするのだろうと、呑気に構えているに違いない。今までやってきた賃仕事の内容を考えればそれが妥当だろう。
呑気に鼻歌を歌うマカの横で、ジンはひっそり懐の高級な紙切れの存在を確かめた。
お嬢様は、外の世界をほとんど知らない。
いくらマリアーヌの実質家長で、子供たちの親代わりとはいっても、まだ16の少女だ。貴族の娘ならば、そのくらいの年になると社交界デビューを果たし、煌びやかな世界へ飛び込む頃だ。しかし、マカはその真反対の境遇におかれていた。
貴族とは名ばかりの庶民暮らし。
壁の塗装が剥がれてきては憂い、風で屋根に穴があいてしまえば、すまなそうにジンに修理を頼む。その姿が痛ましくて、ジンはいつも苦笑してマカの頼みを承諾していた。彼女はいつもマリアーヌや、そこにいる子供たち、ジンのことだけを一心に働いてきた。これが私の幸せなのよ、とマカは笑うがジンはやはり、年頃の少女と同じようにのびのびと楽にしてほしいと思うのだ。
今度の仕事は、普段町で承るものとは違う。書簡はわざわざ王宮の書記官が直々にメリウェル家に届けてきたのだ。内容もわずかながらその書記官から聞きだしたのだが、それもあまり良いものではなかった。
お嬢様に心配をかけないよう、と配慮したつもりだったが、やはりすべて話し、止めるべきだったか。
「ジン、早く行きましょう。きっと王宮の方々は待ちくたびれてるわ」
「え、あぁ、はい」
ボーっとしていたジンは、前を行くマカに咎められ、慌てて歩く速度を速めた。それを見て、マカがおかしそうに笑う。それと同時に、小麦色の三つ編みが両肩の上で揺れた。
道中にこれまで遠目にしか見たことがない王宮を思い浮かべはしゃぐマカを横目にみながら、ジンは心の中で祈った。
どうか。この小さな少女に、これから先幸せな運命が待っているように。
X X X
「…ジン、わたしたち、場違いじゃないしら」
「こういうときは、あまり気にせず、どかっと構えておくのが一番なのです。お得意でしょう?」
「お得意でしょうって…」
そりゃまぁ、得意かどうかといわれれば、得意なほうなのだが。マカはきょとんとするジンの横で、何だかうやむやな気持ちのまま、ふかふかのソファに身をうずめた。
王宮の門をくぐると、そこは別世界だった。剛健な外装に反して内装は煌びやかで、まぁ庶民と王族はここまで違うのかと感嘆したものだ。
門番さんに裏門からひっそり人目を忍ぶように入城を許可されると、隣でジンがアイコンタクトを送ってきた。わけは後から話します、と。
正面から堂々と門をくぐれると思っていただけに、マカは息をぐっと飲み込んだ。王宮の事情というものだろうか。よく分からないが、もしかしてすぐに飛び出してきたのは早計だっただろうか、と今更ながら考えた。
そして、長い廊下を歩き、通されたのは小さな客室だった。恐らく、商人との小さな商談を行う程度の小部屋であろう。メリウェル家の書斎の2倍はゆうに広かったが。
そんなこんなで、マカ達はだんまりな護衛(監視?)さんと共に、部屋で待機を命じられているのであった。
「こちらからお呼びしたのに、待たせてしまって申し訳ありません。メリウェル家長子、マカ様でいらっしゃいますね」
しばらくすると、白衣を纏った一人の男性がやってきた。いや、白衣というのは正しくない。曰く、白は洗練された色、それに色を加えるなどうんたらかんたら、と神官がいつも身にまとっている、栄誉ある神官服である。田舎貴族のマカでも知っているくらい、クラウディア王国の民なら常識の事柄だ。
ローブのようなそれは、私には着れないだろう。きっと汚す。いつも茶色いシミがおともすることになると思う。
その男性は、30代前半、若く見積もれば、20代後半といったとこか。金茶の髪は自然に流してローブの中に消えていて、翡翠の目はジンとは違った鋭さがあった。一言で言うならば、笑えばイケメン。しかし、しわのあとがくっきり見える眉間を見れば、笑うなんてこと冗談じゃないと怒られそうである。
男がゆっくりと室内に歩を進めるのを確認すると、マカは焦った口調で隣のジンにこそこそと告げた。
「ジン、どうやら私の目はおかしくなってしまったみたい。あの神官様の服に、赤い模様が入っているように見えるわ」
「見間違いではございません。あれは、王宮神官に代々伝わる、炎の意志ですね」
「何を呑気な!神官の服に模様があるのは位が高いことを示してるだなんて、うちの子供たちでもしってるわ!そうじゃない、炎の意志っていったら…」
神官の中でも最高位、大神官の象徴じゃないの!!
マカは続く言葉を飲み込んで、目の前の威圧的な男を見つめた。
そういえば、さっき私のことを様付けで呼んでなかったかこの男。
それはつまり、下働きとしての仕事ではなく、貴族のマカ、として、仕事を頼むということ。決して、貴族の娘に皿洗いや洗濯をさせはしない。万が一そのような場合でも、大神官自ら出向くなんて、そんなことあるわけがない。
男はゆっくりと礼をとり、そのまま目前のソファに座ってはじめて、口を開いた。