16 早起きは三文の徳
どんがらがっしゃーーんごろごろバキッドコッボテッ
早朝。陽がようやく顔を出し、基本早起きの王宮仕えの人たちは聞きなれない衝撃の音に眉をひそめた。そして、音が聞こえた方向が第二王子の私室のある方向だと分かると、皆一様にため息をつく。また、王子が何か実験をしているのだろう。昼から活動を始める貴族や大臣たちは知る由もなかったが、特に朝、奇妙な音が聞こえるのは下働きの人たちは慣れっこだった。
しかし、その後聞こえてくる少女の怒鳴り声に目を見開く。彼は引きこもりで、数年も誰とも会っていないと聞いたが…?
いい話しのネタになりそうだとわくわくと胸が高鳴る人々は、直後聞こえてきた上司の怒声に肩をすくめた。思考回路はそこで中断され、短気な上司はのろのろと動く人々を叱咤する。
城内に、ひとり、新たな人物が増えたことを知るのは、もう少し後のこと。
X X X
時間は少しさかのぼり、太陽はまだ顔を出さないうす暗い朝。
王子に奇襲をかけたその翌日、マカはひんやりした城内をぺたぺたと小気味よい音をたてて歩いていた。もちろん、向かうは仕事場――第二王子の私室である。昨日彼を捕獲した際、彼から部屋の鍵をぶんどっ…拝借したので、今回からは窓から侵入しなくても大丈夫だ。更にマカが入ったことで諦めたのか、警備も手薄にし、兵士を一人配置するだけにしたらしい。一日でそんな立派に成長して…と涙もちょちょぎれそうになるが、一般の王族(よく知らないけど)にとっちゃ普通のことである。
昨日は夜も遅いということでダニエルさんが一つ小さな空き部屋を貸してくれ、そこで一晩過ごした。暖房のきいた暖かい部屋とふかふかのベッド、それは疲れ切ったマカに安眠をもたらしてくれた。なにしろ、大量のおにぎりを作り、窓から部屋に侵入し、大の男を捕獲し、魔術をちらつかせて脅され…なーんて人生の一大事ランキング上位入り可能な出来事を一晩でいくつも体験したのだ。しかしそこはマリアーヌで子供たちの世話をきわめているマカである。朝市に出向いたり子供を起こしたり朝の支度にいそしんだりと、朝は大忙しだ。今日も惰眠を貪ることなく、いつものようにスッキリと目覚めた。
そんなわけで、一人人気のない城内を早朝の散歩よろしく楽しんでいた。マカが泊まった部屋から第二王子の私室までは歩いて数分だが、その間には綺麗な庭園や骨董品があり、石柱までもが美術品のようで見るだけで楽しい。美術価値は全くもってさっぱりでも、なんとなくすごいことだけは感じられる。途中、菜園を見つけたときは驚いた。…後でチェックしておこう。作物を育てる良い方法など教えてもらえるかもしれない。
「ありゃ。…アルヴェン?」
目的地に辿り着くと、マカは見知った姿に驚いた。明るい髪にたくましい体、にこにこと人懐こそうな笑顔はまさしくアルヴェンである。
マカに気づくと、アルヴェンはわざとらしく敬礼し、ピシッと背中を伸ばした。
「この度、第二王子の護衛の任につかせていただきました、アルヴェン・ハーディングでございます。長い付き合いになりますので何卒よろしくお願い致します。
…お嬢、早いねぇ」
早くも砕けた口調に戻る。ヘラヘラと笑いながらこういうのは性にあわねーんだよなぁという。彼らしい言葉だ。
どうやら、その警備兵とは彼に決まったらしい。事情を知る人でよかった、と安堵した。これで全くの他人だったら気まずさが拭えない。
「もちろんよ。なんといっても仕事初日ですからね!張り切ってるよぉぉおお」
「おぉ、頼もしい。…でもなぁ、肝心の本人がなぁ……」
「何、まだ寝てるとか?料理人も起きてない時間なんだから、別に怒ったりしないわよ」
「いや、そうじゃなくて…」
アルヴェンは気まずそうに口を濁す。まぁ入ってみれば分かる、と扉を開けられ、その様子を不思議に思いながら室内に入る―――と、彼が口を濁した訳がやっと分かった。
「殿下……?」
「…なんだ、もう昼なのか」
散らかった部屋をぐしゃぐしゃと進みながら、マカの冷たい声とは対照的に、呑気なセイヴェルト殿下の声が机のあたりから聞こえる。
机のあたり、と曖昧なのはその大きな机の上に倒れんばかりの本が積み重なっているからである。ランプ一つということもあり、彼の姿は光にぼんやりと照らされた影で判断するしかほかない。ぐらぐらと揺れる本の山を指一本で支えているところをみると、どうやら魔術を使っているらしかった。そんな微妙なところで有効活用…と眉を寄せるのはあとにして。
ずんずんと王子の影まで近づくと、彼は読んでいた分厚い本から顔を上げ、マカを見上げ…そしてようやく、彼女の顔に浮かぶ微笑みに気づいた。
「……どうした」
「簡潔に、十文字以内で答えなさい。昨日、私が退出されてから後、殿下は何をされていましたか?」
「……ここで、本を、読んでいました」
「いつまで?」
セイヴェルトは途端に口をぱくんと閉じる。マカのこめかみに青筋がぴきっと浮かび、フードの下に隠れる額にげんこつをぐりぐりと当てた。マカ流、言うことをきかない子供に対してのお仕置き方法。
「早く答えないとぉ、この綺麗な額が陥没しちゃうぞぉ~~~?」
「いいいい今までずっとだ!!!痛い!へこむへこむ!!」
やっぱりか、と予想通りの答えにため息が出る。その間にもお仕置きの手は止めず、心なしかセイヴェルトの目には涙が浮かんだ。
数分してやっとげんこつから解放されると、セイヴェルトはキッとフードの下からマカを睨んだ。昨日は効果があったものの、一度体験したものである。更に今は怒りが加わっているとあって、それは無駄な悪あがきにしかならなかった。