15 恐れと王子
「綺麗」
声は、思いのほか、薄暗い闇の中に響いた。
「………………は?」
「ですから、綺麗で、素敵ですと申し上げたんです」
二度も言わせるな、と不満げに見上げると、王子はその麗しい顔を奇妙に歪めた。
普通の仕草も素敵に見える不思議。その素敵ぱーそなりてぃの一欠片でも私に譲ってくれはしないだろうか。そう思い、肩の上で揺れるありふれた小麦色の自分の髪に触れた。
せっかく人が褒めたのに。そう言ってマカが呆れていると、その答えに不服だったのか、質問した当人はぶっすーと膨れ顔だった。
「…恐いとか、おびえるとか、そういうものはないのか」
「あいにくその感情はこの世界のお金に対してしか持ち合わせておりません」
きっぱりした口調でいうと、赤い瞳を丸々させる。
マカは落ち着きをとりもどすため、お茶を一口含んだ。
「お金っていうのは恐いんですよー?私の家は貴族といえど貧乏なんです。このままじゃ孤児院の存続さえ難しいほどでしてね。お金に描かれた肖像を何度恨んだことか」
描かれた肖像はこの国の建国に携わったお偉いさん方らしい。ならば民にもっとお情けをーと思っても、彼らはもう世にいない過去の人。破れないぎりぎりの力でくしゃりと握りつぶすのが精いっぱいだ。
いまだむっつりと考え込んでいる王子を見て、マカは自分の考えを改めた。じめじめヒッキーを取り消すといったが、それナシにしよう。見た目は鮮やかでも、中身はじめじめだ。
「そりゃぁ驚いたかと言われれば驚きましたよ。魔術なんて初めて見たし、赤い色を纏った人なんて生まれてこのかた見たことがありませんでしたからね。正直、童話の中だけだと思ってました。でも、同じ人間でしょう?」
その言葉に、セイヴェルトはハッとしたようだった。
孤児院の中には貴族の親に捨てられた子供だっている。もとより貧民で、親子ともども飢え死にしそうになったところを捨てられた子供だっている。どんな生まれだって、マカにとっては皆可愛い子供たちで、家族だ。差別するなんてとんでもない。無邪気な笑顔を見せられると、何の因果もなく幸せな気分になる。
「セイヴェルト殿下だっておっしゃったじゃありませんか。当たり前の世界に生きる私たちは、全部同じだって。髪が赤くてなんですか。怯えて、泣き叫べば、それで満足ですか?セイヴェルト殿下は、生まれたらイケメンで素敵頭脳持ちでさらに特典として魔術がついてきただけじゃないですか」
「…今まで出会ったものは、そんな反応しなかった。俺をこの世に産み落とした、母親だって」
自嘲気味に笑う王子は、ひどく悲しげで。
訝しげに見つめるマカに、セイヴェルトはしっかり目を合わせた。
「こんな風に人と向き合ってお茶を飲んだのはいつぶりか。一人だって、俺と目を合わせようとしなかった。恐い、と一言で俺の存在価値を決めつけられたんだ。それならば、フードを被って、部屋にこもったって同じだろう?一石二鳥で俺をうまく利用しよとする貴族たちからも逃げられたしな」
それは、なんて、
ぽう、と何のきざしもなく王子の手に光が灯った。暖かいその光はランプのちんけな光とは違い、部屋全体を照らし、マカと王子の存在を誇張した。
「この力があれば何だってできる。もちろん、天下をとることだって。何しろ国の創始者のもっていた力だ。これがあれば…」
ずいと手を近づけられ、マカはのけぞった。ソファから立ち上がり、無表情に近づいてくる王子に初めて恐怖を感じる。にぎりしめた拳に、汗がにじんだ。
負けるな、と叱咤しても徐々に感じる力の存在に、どんどん恐怖が膨らむ。
そこで、悟る。おにぎりを渡して心をつかんだかと思う甘い考えは間違っていたのだと。
奴は少しだって、私に心を許してなかったんだと。
「人一人だって簡単に消せるんだ…」
それは、なんて、悲しい声。
セイヴェルトがニヤリと笑ったあと、カシュッとくすぶった音をたてて光が消えた。
光が消えて数秒の後、ストン、と体に感覚が戻った。
同時に、怒りと、力に屈しそうになった悔しさが心を占める。汗を握りしめた拳をゆっくり開く。軽く握ったり開いたりして、力が入ることを確認する。
泣きそうになる自分を叱咤し、気合を入れるためにドンッと机を叩いた。空になったカップが机を転がるのを横目に、マカはセイヴェルトをしっかりと見据えた。
「…消したいならば、消していただいて構いません!どうせ非力な少女一人、消してしまっても構わないなんてバカなことをお考えなんでしょう。はぁ、殿下みたいな根の深いお馬鹿さんが生徒かと思うと、私は遠く哀しい未来に涙がちょちょぎれますわぁ」
「――なっ!?」
「どうします、消しますか?消したって何も変わらないだなんて、賢い貴方のことだからとっくに御存じかと思っておりましたが」
にっこり笑う。有無を言わせないその笑みに、王子は阿保みたいに口を開け、そのままよろよろとソファに身を縮めた。
ふっ、と体から力が抜けた。威勢のいいことをペラペラまくしたてといて何だが、心はガッツリ恐怖で覆われていた。殺される、と一瞬思ったのも事実だ。
さっきまで調子よく人を脅していたセイヴェルトは、マカの思わぬ抵抗に大きなダメージを受けているようだった。頭を抱え、フードを握りしめている。…よく見ると、体全体が小さく揺れていた。
「殿下、もしや、笑ってますね…?」
「…別に」
下からのぞきこむと、体を震わせていたセイヴェルトはシュッと顔を元に戻し、元の軽蔑の色を灯した真っ赤な瞳になった。
まるで反省していない。むすりと真一文字に結んだ口を見て、マカは呆れた。
だが、さっきまで殺すか殺されるかの殺伐とした雰囲気は確かに消えていた。
「…ねぇ殿下。この世は不思議だと思いませんか。平凡で何のとりえもない一庶民の私と、何もかも与えられた殿下。何の運命のいたずらなんでしょう。まぁできれば一生こじれて出会わないでほしかったと思う気持ちもありますがね」
「…お前は歯に衣を着せるということを知らないのか」
「それでも、出会ったんです。そこには因果があり、何かしらの責任が課せられる。分かりますか?」
「む……」
マカの静かな声が、寝静まった王宮にゆっくりと消えていく。
ううんと考えこむ気難しい生徒を見て、マカは微笑んだ。そう、まずは考えることから。行動はそのあとでいいんだと、魔術をむやみやたらに使う殿下に教え込まなければ。
「私の責任は、殿下を陽の下に戻すこと。殿下の責任は、周りの人々を理解し、受け入れることです」
「理解ならしている。みんな俺を、」
「いいえ。理解してません。少なくとも、あなたは数人を誤解している。それだけ、ヒントを与えましょう。すべて教えたら教育にならないでしょう?」
私は彼を綺麗で不思議な人だとしか思わないし、彼と考え方の似ているジンは同族嫌悪するかもしれない。アルヴェンはおもしろがるだろうし、ダニエルさんは言わずもがな。王子と話が出来たというと、意味不明な嫉妬を向けてくるかも。
綺麗な顔に呆れが浮かぶ。本当に俺を教えるつもりか、と唸るように言った。それにしっかり頷いて答えると、口の端が少し吊りあがる。笑った、つもりなのか。
「お前は、変な教師だな。俺が保証する」
「変な生徒とならベストコンビじゃないですか。嬉しい限りでしょう?」
「…開き直るな」
何はともかく、引きこもり王子は教師を少し見直してくれたらしい。これで対人関係修復へ彼は一歩踏み出した。