13 捕獲完了
「では、私は後から参ります。…くれぐれも、お気をつけて」
「任せて!」
窓の下から、笑顔でジンに手を振り、マカはひょいと室内に飛び降りた。降り立った後、きちんと靴を脱ぎ、ふんわりした絨毯の感触を足の裏に感じる。一歩踏み出すとすぐにカサリと本か書類か、紙類の存在を見つけた。…窓下まで浸食してる。やっぱりきちゃないなこの部屋。
「…さーてと。王子王子、っと」
ざっと見たところ、やはり窓もカーテンも閉め切られ、壁には本棚がビッシリと埋まっているので部屋は薄暗い。加えて部屋の内部は身分相応に広いとあって、部屋の主を人目で見つけるには難しかった。
―――…カサカサッ
「そこかぁッッ」
「にぎゃっ」
紙の擦れ会う音に、マカはキラリと目を光らせる。そして動物並の速さで駆け寄り、身を震わせるその生き物を捕まえた。潰れた猫のような声がマカの体の下から発せられる。そんなもの見たことも聞いたこともないけど、とりあえず捕獲完了だ!
王子はマカに腕をつかまれたままバタバタと暴れていたが、マリアーヌで鍛えられたマカの子供拘束術には勝てなかった。しばらくするときゅう、と力が抜け、うす暗い部屋にしーんとした空気が戻ってくる。
「ホーホホホ!これでは手も足もでまい、セイヴェルト殿下よ!!」
「…ここまで敬意のこもってない名前の呼ばれ方は初めてだ」
苦々しげに、王子が唸る。その様子にマカははて、と首を捻った。この前の反抗する暇も与えない嫌みとは違い、少しふてたような言い方である。超ド級の嫌みが返ってくるかと思った。
はぁへぇほぉーと一人面白がっていると、下から「そろそろどけろ」と唸り声が発せられ、そこで初めて自分が王子の上に乗っかったままだということに気づいた。
「あ、すみませぇーん」
「………」
一つも悪びれない様子で一応頭を下げておくと、殿下はぎりっと歯を食いしばる。よっぽどさっき捕まったのが悔しかったのだろう。けけけ、ざまみろ。
ちなみに、マカが先ほどまでと態度を180度変えているのは、こちらも王子に嫌みを言われて悔しかったからだ。本音を言うと、こんな厭味ったらしいじめじめ引きこもり野郎に敬意を払うのが胸糞悪いからなのだが、そんなこと、本人に面と向かって言えるはずもない。
解放された殿下はパタパタと埃を払い、フードをしっかり下まで引き延ばしてからこちらを振り向いた。
「……それは、何だ」
予期しない突撃に、嫌みや怒声が浴びせられるかと思えば、お荷物検査だった。別に隠すわけでもないので、捕獲劇の拍子に投げ出された包みを掴み、固結びを解いて王子に手渡す。
「おにぎりです。愛情こめてつくったから食べてくださいねー」
「…何で」
「何でって何でですか」
ニッコリと有無を言わせない笑みを返せば、反論されるかと思っていなかったのか、王子は黙り込んでしまった。
「……ど、」
「毒の心配はありません。なんなら毒見しましょうか?というかそれは作ってくれた人に対する嫌みですかねぇセイヴェルト殿下?仮にも王子とあろうものが、料理を作ってくれた人にまで嫌みを垂れ流すわけありませんよねぇ?」
「…………いただく」
濃紺のローブの下からボソボソと声が聞こえると、マカは内心ガッツポーズをした。
目には目を。歯には歯を。嫌みには嫌みを。
そしてお友達になるためにはまず胃袋から捕まえましょう。これ、テストに出るから覚えておくように。
X X X
「食べ終わったら?」
「……ごちそーさまでした」
半ば強制的に、殿下は手を合わせる。
それにしても、よく食べるものだ。風呂敷包みいっぱいにあったおにぎりと付属のお味噌汁(ポット入り)はペロリといとも簡単に平らげられた。一人分の量じゃなかったんだけどなー。王宮の厨房からご飯と塩とその他材料をもらっていた、つまりただなので、余ったら持って帰ろうと画策していたマカの思惑はあっさりくずされた。
「初めて、食べた。おにぎり?というのか」
「そうですよー。庶民の間では朝ごはんの主役ですね。忙しい主婦にぴったり!」
まだ食べ足りないのか、よほど珍しくおいしかったのか、王子はまだしげしげと空っぽになったポットと包みを見つめていた。
それに少し満足を感じ、汚い部屋から発掘した急須で持参した茶葉を使ってお茶を入れる。貴族は大概紅茶やワインを好むものだが、こういった庶民料理を食した後は緑茶が一番、というのがマカの持論である。
コポポポ…とお茶を注ぐ音に、しばしゆったりとした空気が流れる。これまた発掘したカップを王子と、ちゃっかり自分の前に置いてマカは促しながらニッコリ笑った。
「それでは、本題に」
「…どうして、俺が腹をすかしていると?」
質問を質問で返すなんて失礼だぞ王子この野郎。
言葉を遮られたマカは、引きつる口元を押さえ、渋々質問に答える。
「汚い、と申したでしょう。部屋に入って開口一番。まぁ現在進行形で汚いんですけどね」
「…本当に遠慮がないな」
呆れた王子の言葉は無視。
「私が部屋に入って一番に見るのは、クズ箱、つまりゴミ箱です。人目みただけでその人の性格や生活習慣が丸分かりなのですよ。殿下は見た瞬間、片付けが苦手で、そして何かにはまったら抜け出せない、しかも食事や睡眠をとるのも忘れると分かったんです」
「………」
「それに、久しぶりの来訪者に喜ぶどころか嫌み全開。そのときはカチーンときて頭真っ白でしたが、後々思い返すと、それは“いらだち”だったのでは、と思い当ったんです。ホラ、ご飯を食べないでずっといると、イライラするでしょう?」
「……俺は子供じゃないぞ」
苦しい言い訳のようにセイヴェルトは反論するが、その歯に何かがつまったような言い方に、マカは自分の言葉に確信を感じ、言葉を続けた。
「子供でも、大人でも、一緒です。庶民も、貴族も、王族も。男も、女も、皆一緒なんですよ」
にっこりとほほ笑むと、ハッとしたように王子のローブが揺れたのが分かった。
マカの言葉は、口調こそ違うものの、さっき自分が嫌みとしてマカに浴びせたのと同じだっただからだ。
「そう、貴方の言う“当然の世界”に生きる私はお金欲しさにここへやって来て、貴方に出会ったんです。王子の言うとおりですよ。私は卑しくて、そこらの貴族と何も変わらない。
―――だけど、」
マリアーヌの子供たちを思い出す。夜遅くなっても帰ってこない自分達を心配しているだろうか。ゆっくり眠れているだろうか。
過去に普通の子供以上に過酷な現状をつきつけられた彼らは、人並み以上に幸せになってもらいたい。――否、なってもらわなければいけないのだ。一人の幸福の采配は神様が決定済みでも、それを捻じ曲げてでも。
自分には、その使命があるのだと、信じているから。
「幸せになってもらいたいと、願うからこそなんです」
一度は人生を諦めかけた子供たちと同様に、暗い目をした貴方にも。
言い訳染みてて、すみません。と頭を下げるマカを、セイヴェルトはローブの下でどのように思ったのだろう。