第17话「目覚め」
——『蒼穹のステラリウム』、フィリアーネ・ローゼンクランツ断罪エンド。
画面の中で、プラチナブロンドの悪役令嬢が跪いていた。
『フィリアーネ・ローゼンクランツ。あなたの罪状を読み上げます——』
千紗は万年床の布団に寝転がりながら、スマホの画面を見つめていた。
「はいはい、知ってる知ってる。婚約破棄、爵位剥奪、国外追放。テンプレの断罪エンドね」
枕元には『悪役令嬢は今日も華麗に暗躍する』の最新刊が転がっている。その隣には『転生したら最強魔王の娘でした』と『聖女の私が悪役令嬢に転生!?』。
——悪役令嬢もの、読みすぎだな、わたし。
美咲に「千紗ちゃん、また悪役令嬢もの読んでるの? 何が面白いの?」って聞かれたことがある。答えられなかった。だって面白いんだもん。理由なんてない。
画面の中で、断罪が続いている。
『——以上の罪により、ローゼンクランツ公爵令嬢フィリアーネを、王国から永久追放とする』
リーリエが泣いている。セヴェリン王子が冷たい目でフィリアーネを見下ろしている。ディートリヒは——いない。彼は断罪の直前にフィリアーネを庇おうとして、返り討ちにあって重傷を負ったのだ。
『……ふん。こんな国、こちらから願い下げよ』
画面の中のフィリアーネが、最後の台詞を吐いた。
負け惜しみ。でも、プライドだけは折れていない。それが悪役令嬢の矜持。
千紗はスマホを枕元に放り投げた。
「さて、次は——」
——次は?
何をするんだっけ。
千紗は天井を見上げた。見慣れた六畳一間の天井。蛍光灯のカバーに虫の死骸が溜まっている。掃除しなきゃ、と半年前から思っている。
——あれ。
——なんか、変だ。
——わたし、何か忘れてる。
——何を忘れてる?
——ロー……ローゼン……
その瞬間——
天井が歪んだ。
壁が溶けた。
万年床が渦を巻いて消えていく。漫画もスマホも蛍光灯も、全てが回転しながら闇に吸い込まれていく。
——待って。
——待って待って。
——わたし、もうここにはいないはずでしょ。
——だって、わたしは——
轟!!
頭の中で雷が落ちた。
痛い。
痛い痛い痛い痛い——!
「——っ!!」
◇◇◇
フィリアーネは目を覚ました。
最初に感じたのは、頭痛だった。
こめかみが脈打つように痛む。前世の偏頭痛なんて比べ物にならない。脳みそを直接万力で挟まれているような感覚。
「うっ……」
呻きながら、額を押さえた。
指先が——何かに触れた。
冷たい。硬い。
額の中央に、小さな突起がある。
「……は?」
フィリアーネは飛び起きた。
両手で額を探る。確かにある。小指の先ほどの大きさの、硬い突起。触ると冷たくて、まるで——
——角?
頭に角が生えている?
「嘘でしょ……」
フィリアーネは周囲を見回した。
見覚えのある場所だった。森のシェルター。針葉樹の屋根。落ち葉のベッド。焚き火の残り香。
——いつの間に戻ってきた?
——最後の記憶は——洞窟。クリス。取引。選択肢。
——何を選んだんだっけ。
記憶が曖昧だ。靄がかかったように、思い出せない。
だが——額の角は現実だ。
「これが……取引の代償?」
触ってみる。小さい。髪で隠せるサイズだ。だが確実に——何かが、生えている。
——クリスは何をしたの。
——わたしは何を差し出したの。
思い出せない。思い出そうとすると、頭痛がひどくなる。
「……とりあえず、鏡」
沢に行かなければ。自分の顔を確認しなければ。
◇◇◇
シェルターから出ようとした時——声がした。
「フィリアーネ!」
リーラが駆け寄ってきた。
長い耳が心配そうに伏せている。碧色の瞳が潤んでいる。
「目が覚めた……! よかった……!」
「リーラ……? あなた、なんで——」
「なんでって……!」
リーラの声が震えた。
「あなた、三日も眠ってたのよ……!?」
「三日!?」
フィリアーネの顔から血の気が引いた。
「三日って——今日は何日!?」
「八月三十一日! 明日から秋季学期が——」
「明日!?」
◇◇◇
フィリアーネは頭を抱えた。
——三日間、意識を失っていた。
——明日から学期開始。
——奨学金の試験。準備。勉強。何もできていない。
——そして額には角が生えている。
「ちょっと、フィリアーネ! 大丈夫なの!?」
リーラがフィリアーネの顔を覗き込んだ。
「顔色が悪いわ……それに、額に何か——」
「触らないで!」
フィリアーネは反射的にリーラの手を払った。
リーラが目を丸くした。長い耳がぴくりと動く。
「……ごめんなさい。驚かせて」
「いいけど……何があったの? あなた、急に倒れて——」
「倒れた?」
「そうよ。わたしたち、森で訓練してて……それで……」
リーラの言葉が止まった。
碧色の瞳が、宙を彷徨う。
「あれ……? 訓練……してたっけ……?」
「……リーラ?」
「おかしいわね……わたしたち、何をしてたんだっけ……森で……それから……」
リーラは首を傾げた。長い耳がぴくぴく動いている。困惑している時の癖だ。
「思い出せない……なんで思い出せないの……?」
——クリスの言った通りだ。
フィリアーネは内心でため息をついた。
リーラの記憶は消されている。洞窟のこと、クリスのこと、紅竜のこと——全部。
「大丈夫よ、リーラ。わたくしたち、訓練で疲れて眠ってしまっただけ」
「そう……なの?」
「ええ。三日も眠るほど、お互い疲れていたのね」
嘘だ。真っ赤な嘘だ。
だがリーラに真実を話すわけにはいかない。悪魔の僕と取引したなど——知られたら、何が起こるか分からない。
「でも……三日も?」
「特訓のしすぎよ。反省しているわ」
リーラは納得していない顔をしていた。だが——それ以上は追及してこなかった。
「……まあ、あなたが無事ならいいわ」
長い耳が、少しだけ持ち上がった。
「本当に……心配したんだから」
◇◇◇
フィリアーネは沢に向かった。
水面に顔を映す。
プラチナブロンドの短い髪。氷青の瞳。公爵令嬢の整った顔立ち。
そして——額の中央に。
小さな角。
黒くて、硬くて、冷たい。長さは小指の先ほど。髪を下ろせば隠れるが、風が吹けば見えてしまうかもしれない。
「……何これ」
触ってみる。痛くはない。むしろ——自分の体の一部のように、自然に馴染んでいる。
——クリスとの取引で、何を得たの。
——そして、何を失ったの。
記憶が戻らない。断片的な映像だけが浮かぶ。
『筋書き』について聞いた。
『外から来た者』について問われた。
何かを——選んだ。
そして——何かを、もらった。
この角が、その証。
右手の甲を見た。リーラとの契約の翠緑色の紋様の隣に——新しい紋様が刻まれていた。
黒と紫が混じった、歪な螺旋。
悪魔の僕との契約の証。
「……これが、代償」
フィリアーネは額の角を髪で覆い隠した。
——とりあえず、隠せる。
——誰にも気づかれないようにしなければ。
——公爵令嬢が角を生やしているなど、知られたら終わりだ。
脳内にシステムの通知が浮かんだ。
【契約完了を確認しました】
【悪魔の僕クリスとの取引——成立】
【取得能力:「原初の記憶」——必要な時に、必要な知識が解放されます】
【代償:「悪魔の角」——隠蔽推奨。発覚時、キャラ格に重大な影響】
【現在キャラ格:325】
【注意:角の成長は契約の進行度に比例します】
——角が成長する?
——これ以上大きくなるの?
フィリアーネは額を押さえた。
——まずい。非常にまずい。
◇◇◇
シェルターに戻ると、リーラがまだいた。
枝の上ではなく、地面に座って、何かを弄っている。
「リーラ? まだいたの?」
「……これ」
リーラが差し出したのは——小さな袋だった。
「何?」
「食料。三日も寝てたんだから、お腹空いてるでしょう。木の実と、干し魚と、薬草茶」
フィリアーネは目を見開いた。
「……あなたが採ってきたの?」
「違うわよ。たまたま見つけたの。偶然」
長い耳の先端が赤い。
嘘だ。絶対に嘘だ。三日間、ずっと看病していたに違いない。
「……ありがとう、リーラ」
「べ、別に……礼を言われることじゃ——」
「本当に、ありがとう」
リーラの耳が真っ赤になった。
「う、うるさいわね……早く食べなさいよ……明日から学校でしょう……」
フィリアーネは袋を受け取り、中身を確認した。木の実。干し魚。薬草の葉。
——三日間、何も食べていなかった。
空腹が、今になって襲ってきた。
木の実を口に放り込む。干し魚を齧る。美味い。涙が出るほど美味い。
「……がっついてる」
「うるさいわね。三日も寝てたんだから」
「わたしの台詞を取らないで」
リーラが笑った。
フィリアーネも笑った。
——明日から秋季学期。
——奨学金の試験。悪役令嬢の仮面。森でのサバイバル。
——そして、額には悪魔の角。
問題は山積みだ。
だが——今は、この木の実が美味い。
それだけで、十分だった。
◇◇◇
翌朝。
フィリアーネは沢で身支度を整えた。
髪を丁寧に整え、額の角を完全に隠す。念入りに確認する。風が吹いても見えないように、髪を固定する。
制服に【浄化】をかける。皺を伸ばす。完璧な公爵令嬢の姿を作り上げる。
水面に映る自分を見た。
——大丈夫。角は見えない。
——いつも通りの、氷の薔薇だ。
「……行くわよ」
森を出て、学園に向かう。
正門前の薔薇園のベンチに着くと——リゼットが待っていた。
「フィリアーネ様!」
リゼットが駆け寄ってきた。目が赤い。泣いていたのだろう。
「おはよう、リゼット」
「おはようございます……! あの、三日間もお姿が見えなくて……わたくし、心配で……」
「大丈夫よ。少し体調を崩していただけ」
「本当に……? お顔の色が少し——」
「大丈夫」
フィリアーネは微笑んだ。完璧な悪役令嬢の微笑み。
「紅茶を頂戴」
「は、はい! ただいま!」
リゼットが慌てて紅茶を注いだ。
温かいカップを受け取る。一口飲む。
——美味しい。
「……さて」
フィリアーネは薔薇園を見渡した。
秋の朝。生徒たちが正門を潜っていく。新学期の喧騒。
——奨学金の試験まで、あと二週間。
——その間に、順位を八位から五位以内に上げなければならない。
——そして、額の角を誰にも見られないようにしなければならない。
——さらに、クリスとの取引の内容を思い出さなければならない。
やることが多すぎる。
だが——悪役令嬢は、弱音を吐かない。
フィリアーネは紅茶のカップを優雅に口元に運んだ。
「……さあ、秋季学期の始まりよ」
脳内にシステムの通知が浮かんだ。
【秋季学期開始】
【新規イベントフラグ:多数検知】
【注意:角の成長率——現在1%】
【警告:成長率が100%に達すると、隠蔽が不可能になります】
フィリアーネは——紅茶を吹き出しそうになった。
——成長率?
——100%になったら隠せなくなる?
——聞いてない。そんなの聞いてない。
額の角が、微かに脈動した気がした。
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(第17話・了)
次回、第18話「秋季学期」
——悪役令嬢の新たな戦いが始まる。
——奨学金か、退学か。
——そして、成長を続ける悪魔の角。
——フィリアーネは、全てを隠し通せるのか。




