第96話 フィリップ殿下、正体を表す
「一体、どなたかしらっ?」
フィリップ殿下が、カツラとメガネと襟を投げ捨てて初めて登校した日、学園は声なき阿鼻叫喚に包まれた。
殿下は、立っているだけで視線を集めるのである。
サラサラの金色の髪。サファイヤの目。男らしい体躯。でも、それだけではない、何とも表現できない少し飢えたようなオーラ。それはハンナだけが感じ取れるものなのかしら?
しかし、以前と同様、護衛騎士団に取り囲まれていたにも関わらず、誰一人、その美貌の持ち主がフィリップ王子だとわからなかったのである。
女子生徒全員が、目の色を変えていたところを見ると、イケメンだと言う点までは、完全に識別できたらしい。だが、そのうち、気が付いた一人の女子生徒がつぶやいた。
「あれって、もしかして、フィリップ殿下?」
「あっ。そうだわ。だって、護衛騎士様が一緒なのですもの……」
「中身、あんなだったの?」
ようやく気が付いたものの、なにもかも全部、手遅れだった。
「ハンナ嬢」
そのイケメンは、校門の前で待ち構えていた。
そして登校してきたハンナを見つけると、口角をわずかに上げ、ハンナの方へ一歩踏み出した。
「一緒に教室まで行こう」
「ギャー」
なんだか小さな悲鳴が上がった。
しかし殿下はそちらを振り向こうとせず、ハンナを見たサファイアの目がより一層深い青に輝いただけだった。
ハンナは、おずおずと手を預けた。
「知らなかった! 悔しいぃー」
「あの女、策略家だわ!」
なにやら聞こえる音声に、ハンナは背中が寒くなった。
「大丈夫。僕があなたを守るから」
何か察知したのか、殿下がハンナの背中に手を回した。でも、これ、もしかして逆効果なんじゃ?
ハンナがアレクサンドラ殿下のご学友になって、フィリップ殿下を落としたのだとみんなが思っているらしい。
「違うわよ。策略で婚約まで持ち込んだのは、ハンナじゃないわ。フィリップ殿下でしょ」
食堂でマチルダがそう言うと、リリアンも真顔で続けた。
それぞれの婚約者と、それからフィリップ殿下までハンナの横にくっついて座っている。そして、なぜか、殿下はテーブルの下でハンナの手を握っている。ううう。
「アレクサンドラ殿下のご学友にハンナを指名させて、自然と知り合いになったのよね」
「その上、ジョージ様を自分のご学友に指定して、つけあがらせて、ハンナの婚約を白紙に持ち込んだのよ」
「しかも、ハンナがOKする前から、ハミルトン伯爵家を取り込むだなんて。なんにせよ手が早すぎるわ」
「すばらしい計画的犯行だね。さすが殿下」
マチルダの婚約者のパーシバルが感心した。
ハンナはぐったりした。犯人の名前だけは合っているが、いろいろと間違っている。特に時系列が違う。
でも、もう、どうでもいいかな。
「ねえ、ハンナ。僕と一緒に植物研究をしてくれるんだよね」
だが、この一言に目が醒めた。うん。フィリップ殿下はブレない。変装するなど変人っぽくみえるけど、ジョージと違って社交界で華やかにもてはやされたり、偉そうに振る舞うことに興味はない。彼が興味を持っているのは、領地を豊かにすることだ。
ハンナはフィリップ殿下を見つめた。
周りがどう思うと、どうでもいいかな。すごいイケメンだろうと変人だろうと、殿下はずっとハンナだけを見つめていた。そして周りの騒音から守り抜いた。
「ハミルトン嬢と婚約ですって? どうやったのかしら、ハミルトン嬢」
「中身がこんなイケメンだってわかっていれば。今からでも遅くないと思うわ」
意外と人の声は通るものらしい。校門の時と同じ反応だ。
でも、ハンナだけは知っている。この王子様は自分がイケメンだってことを自覚こそしているけど、気にしていない。彼女たちが思うような人じゃない。
今は、まともな身なりをしているけど、カツラとメガネの方が気楽だったとこぼしている。
「本当は誰にも注目されない方がいいな。静かに、植物を育てたい」
「お手伝いしますわ」
ハンナは急に微笑んだ。
殿下の夢は、ハンナには理解できる。一緒にやってみたいと思う。
豊かな穀倉地帯は、多くの農民を幸せにできると思うのだ。
「ハンナ……うっ。かわいい」
しまった。つい、テーブルの下で、殿下の手をキュッと握ってしまったわ。
「あ……」
後ろから護衛騎士団が駆けつけ、あわてて殿下の鼻血を押えてくれた。よかった。ドレスが汚れるところだった。
あんまり学園内で交流を深めるのは危険かも。
殿下は、「まだ、今日は何もしていないのに!」とか言っていたが、護衛騎士団の手により鼻血流血事件勃発の為、殿下との交流は強制終了となってしまった。
残されたハンナは、生徒全員の注目の的になってしまった。
みんな、ものすごく何か聞きたそうだ。生徒の視線を避けまくりながら無事帰宅して、ハンナは「あーあ」と言った。こうなったら、自宅しか安息の地はないかもしれない。
屋敷には誰か来客が来ているようだった。父にビジネス客が来るのはしょっちゅうだ。
ハンナには関係ないので、自室へ入ることにした。
「……ですから、学園内で出来るだけ目立つように愛を語りたいのです。ゴチャゴチャ言われたくありませんのでね。出来るだけ、本気度を理解してもらいたいのです」
どこか聞き覚えのある声がする。ハンナはぎくりとした。
父の声が、何かごにょごにょ言っている。
「……あー、金玉商会というのが僕の商会の名前なんですけど、黒字です。金の鑑定と超高級メロンの育成です」
もう、声の主の判定はついた。あとは見つからないようにするだけだ。
「……それはぜひお願いいたします。出来るだけ早く、決着をつけて、ハンナ嬢と一緒に田舎に行きたいです。自由に暮らすために」
ハンナが足を止めた。廊下を見渡して、誰もいないことを確認すると、こっそり書斎の扉に近づいて中の声に耳を傾けた。
「ハンナ嬢が注目を集めるのが嫌いなことは僕も知っています。ハンナ嬢は優秀だけど、アレクサンドラと違って王家の生まれではないので、噂に強権で対抗できなかった」
「殿下が近付いたからですね」
父の言い方には微妙に非難が込められていた。
「僕が婚約者なら、守れます」
「まあ、殿下が婚約者でなければ、守られる必要はなかったでしょうけど」
「ハハハ。でも、あきらめるわけにはいかなかったので」
父が黙った。
「王都で熱愛ぶりをアピールして、出来るだけ華やかに結婚式をあげたいと思います。大事な花嫁だと、全国民に理解していらわなくては」
「ハンナはあまり派手なことは望まない方なのだが……」
その通り。お父様、頑張って。
「公爵領では、ハンナ嬢は自由にできます。僕は、領地改革に励みたいのですよ。今の収穫量の倍をまず目指しています。これによって王国で面積、収益ともにヒルダ嬢の公爵領を抜いて国内一になります」
「あなたが農学者だとは知らなかったのだが……」
父の声は困惑していた。
「そのために留学しました」
殿下は落ち着いて答えた。
「それで金の鑑定方法の方は、ハミルトン家にお譲りし、代わりに収益の十二%をちょうだいしたい。これで、私の方はメロンの栽培に専念できる」
「そのメロンの栽培というのが表看板になるわけですか?」
父はなんとなく心細げに言った。
「メロン以外もやりますので。これからはタマタマ商会に名前を変えようかと考えています。玉も大事ですが、苗床も大事ですから」
それだけはやめてええ……とタマタマ商会の夫人と紹介される場面を想像したハンナは心の中で絶叫した。




