第94話 顔だけいい男
「婚約者ですって?」
ジョージもヒルダ嬢も目を丸くした。
しかし、次の瞬間、二人は爆笑した。
「まあ!」
「面白い! 相手がいなくて、田舎の猿芝居の三文役者でも着飾らせて連れてきたのか。顔だけいい男を」
迎合して笑い転げる者まで出てきた。
「確かに! 顔だけは本当に美しい殿方ですわ!」
「ハミルトン伯爵令嬢にそんな趣味があるとは存じませんでしたわ!」
ジョージがフィリップ殿下のことを三文役者と決めつけたため、幾人かの貴婦人たちは逆に興味を感じたらしい。
つまり、お金さえ出せば侍らせることができると解釈したらしい。違うってば。
「私に振られて、意趣返しか? みじめなものだな、ハンナ嬢!」
さすがのハンナも、これにはムカついた。ジョージのことなんか、全く好きではなかった。なんなら軽蔑していた。
だが、これはものすごく面倒くさいので、特に答えることはしなかった。ヒルダ嬢が嬉しそうに笑っているのを見ると余計腹が立ったが。なんなの、このバカ女。
黙っていると、それを肯定と捉えたのか、ジョージはさらに調子に乗った。
「顔だけいい男をわざわざ連れて見せに来るとは! しかも婚約者を名乗らせるだなんて、ハミルトン伯爵は承知しているのか?」
ハンナはさすがに心配になってきた。ジョージの暴走は、どうなるのだろうか。もうそろそろ誰か止めに入った方がよいのでは。これ以上傷口が広がらないうちに。
「キャンベル殿」
氷のように冷たい声が響いた。
「私のことを三文役者と呼んだようだが」
周り中がシンと静まり返った。
何人かは、なんだとコイツといった反応だったが、公爵家の知り合いは軽率な若者だけではなかった。
仮にフィリップ殿下の顔を知らなかったとしても、口ぶり、発音、態度、どことなく軽く現れる威圧感は、その場にいた高位貴族たちの背筋を凍らせた。
ずっとかしずかれてきた者の態度であり、話し方、言葉の選び方は、宮廷に出入りする者だけが感じ取ることができる一種独特のくせがあった。
例えば田舎の侯爵家で育ったジョージにはわからない。だが、ヒルダ嬢は反応した。
「え?」
彼女は口の中でつぶやいた。
「それから招待状の件だが、私宛の招待状を公爵家から受け取ったので、ハミルトン嬢は私が一緒にお連れした。婚約者なのだから当然だ」
ざわりと周囲が反応した。
フィリップ殿下の語り口は、刃物のように冷たくて鋭い。
「このたびは婚約が決まって、おめでとう。君にはふさわしい相手だ、ジョージ」
ここで、殿下はクスッと笑った。ものすごく感じが悪かった。
「私も伴侶が決まってね。お見知りおきいただこうかと思って一緒に来ていただいたのだ。アレクサンドラの結婚予定の発表の折に、同時に正式に公表されるが、このような会があれば顔を出しておこうと思ったのだが、ずいぶんな歓迎をありがとう。それから、キャンベル殿」
フィリップ殿下はジョージのまぬけ面に向き直った。
「私の未来の妻に対する言動、覚えておこう。公爵家はよい婿を選んだものだな」
彼が合図すると、目立たないように控えていた二人の付き人、カーク卿とヘルマンが現れた。
「馬車の用意を。公爵夫妻にお暇を告げる必要はないだろう。私に気が付いていなかったようだからな」
言葉を失った人々の間を、フィリップ殿下とハンナは通り過ぎていった。
馬車はすでに車回しにつけられていた。そして、何人かの人たちは馬車の紋章を目にすることになった。
それはもう力いっぱいヤバい。
馬車の扉には、王家の紋章が輝いていた。
馬車は、ごく普通に止まっていた。
だが、強力なパワーを発しているような気がした。特に扉の辺りから。
殿下はわざとゆっくりと歩いて行ったように思う。
馬車を見せつけるために?
ハンナはまな板の上の鯉というか、もうどうにでもなれ、な気分だった。
だから、王家に嫁ぐなんて嫌だったのよ。
フィリップ殿下の言動からほの見える王家の権威と特殊性。
多分、フィリップ殿下は、わざわざ王宮っぽい喋り方をしたと思う。普段と全然違う。
軽く威圧感のある話し方は、王妃様と話していると感じる時がある。
この人は、それもこれもみんな知っていて、わざとやってる。
宮廷は最上位に位置する社交場だ。公爵家の園遊会に参加しているような人たちの中には、宮廷に出入りしている人も大勢いる。
偉そうに振る舞うジョージが、そんなことも知らないのかと見下される可能性は大きい。
ハンナ自身は、アレクサンドラ殿下の関係で、王宮にはたびたび出入りしている。
王宮には、王家の人々と近しいことを誇り、出入りできることを特権とみなして媚びへつらったり、他人に自慢している貴族がいる。彼らを見ると、自分とは価値観が違うなと思う。
ハンナはいつでも自分は地位も何もななく、ただ成り行きで出入りしているだけという態度を崩さなかった。
そのせいで、軽く扱われていたが、腹も立たなかった。
だけど、もし本当にフィリップ殿下と結婚したら……ハンナも、そう言った人たちのターゲットになるかも知れない。
ジョージは、その典型的な例だ。権威主義といえばいいのだろうか。
「あ、しまった。ゆっくりし過ぎた」
フィリップ王子殿下が、何かを見つけたらしい。歩調を速めた。
「公爵夫妻に見つかったらしい」
「見つかってはいけないのですか?」
そんなにマズいことだったかしら?
「違うよ。謝られたくないんだ」
フィリップ殿下は、ニヤリと笑った。
「責任は取ってもらうよ。さあ、急いで帰ろう」
ハンナは馬車に詰め込まれ、ドアが締まった途端に馬車は走り出した。
馬車の窓からこっそりのぞくと、太った中年の夫婦が大慌てでこちらに向かってくる途中だった。
「全然間に合わないよ」
フィリップ殿下はクスッと笑った。




