第76話 マチルダ嬢の悩み
『エリザ嬢とジョゼフィン嬢のお二人には、私から今回のパーティにフィリップ殿下がお越しになられるとお伝えしておきます』
いやに熱心だな。
「お招きしたいわけではないのですが。何よりも畏れ多い……」
『申し訳ございません。この機会に、フィリップ殿下とエリック様が別人だとお知らせしないと、ハンナ様がお気の毒で』
「どういう関係があるのですか?」
全然、意味が解らない。
『エリザ嬢とジョゼフィン嬢は、フィリップ殿下がエリック様だと信じておられます。イケメンの王子ともなれば、食いつき度もマシマシですが、実は幼馴染なだけの貧乏男爵家の放浪三男とわかれば、興味を無くすでしょうし、フィリップ殿下がハンナ嬢に関心を寄せても攻撃なさらないと思います』
微妙。ハンナは変態には興味がないと思う。判断に困る。
『エリザ嬢とジョゼフィン嬢は、攻撃力がハンパない隣国の有力者のご令嬢です』
マチルダ嬢はコクコクとうなずいた。宰相の娘と公爵家令嬢であることは知っている。
『この件にご協力いただければ、王家はマチルダ嬢及びカーン男爵家には感謝いたします』
あの地味で真面目なハンナを、変態王子の餌食にするのはかわいそうすぎる。それでなくても、ジョージとヒルダ嬢に食い物にされている。
「でも……」
マチルダが断ろうとした時、かすかな物音が彼女の耳を捉えた。
一応、年若い独身令嬢と騎士様を二人だけにしておくわけにはいかないので、客間の扉はうっすら開いていた。
何かあったら、鎧兜がギシギシガッチャンと鳴りそうなので、扉を開けていなくても音声でいろいろわかるので不要なのだが、念のためというか、そう言う慣例になっている。
そのため、扉の外には侍女と、この家の持ち主、カーン家の執事と当主が詰めかけていた。
扉が薄く、しかし徐々に開いていく。
そして、護衛騎士様から見えない、マチルダ嬢には見えるギリギリのところで扉の開きは終わり、マチルダ目指してカーン家のご当主が、見たこともないサインを送ってきた。
何かしら? あれ。
伝わらないとみるや否や、カーン家のご当主が激しく首を上下に振る。ご当主は、小男だが立派なひげを蓄えていて、その髭が激しく上下になびいた。
要するに、OKしろと言いたいのかな?
「わかりましたわ」
護衛騎士のお願いはともかく、会場オーナーのお願いは無視できない。
あの顎髭の上下運動は、王子の訪問は大歓迎という意味なのだろうか。
満足そうにギッチョンギッチョンと護衛騎士様は去って行った。
「おお、よくやった! マチルダ! 我が姪よ!」
伯父ではないんだけどな。カーン男爵が弾むように小走りでやってきた。
「でも、おじさま。絶対に箝口令が敷かれますよ」
マチルダは言った。
「箝口令とは?」
「つまり、王子殿下の来訪など、他人に話してはならないのではないでしょうか?」
カーン男爵の肉付きのいい顔付きがみるみるしおれた。王子殿下の来訪など自慢したくて仕方ないネタだったのだ。
「私は友人のハンナ嬢が、アレクサンドラ殿下のご学友になった関係で王家のお話をよく耳にしますが……」
こういった言葉にカーン男爵は弱い。もう、むやみやたらに弱い。カーン男爵夫人も、めちゃくちゃに弱い。
月間王室という雑誌が世の中にはあるのだが、彼ら夫婦は熱心な読者である。家業は王家なんかとは無縁の靴下製造業者で、数代前が大儲けした関係で男爵位を買い、男爵を名乗ってはいるが、ご同様の偽男爵とは交流があっても、本物の貴族とは縁がない。
マチルダが首尾よく学園に入ったことで、自分たちの息子や娘もあわよくばと野心が増えたようだ。
「拝謁もかなわないのに、学園に入れば、王子殿下王女殿下に、こうも簡単に、お目に書かれるとは!」
基本的にいろいろと間違っている。
そもそも同年代に王家の子女が入学しなければ、顔を見ることさえない。
伯爵令嬢のダリア嬢もバイオレット嬢も、同じ学園に通っているが、通りすがりに出会うことは出来ても、話をすることはできない。それでハンナ嬢に文句を言っていたが、ハンナ嬢は別に賄賂を使ったわけでもなんでもない。
トンプソン先生に見いだされ、パール公爵夫人のお眼鏡にかない、アレクサンドラ殿下に気に入られたと言うだけだ。まあ、それが大変なのだけど。
「それにあこがれていらっしゃる貴族社会ですけど、中はそれなりに大変なようですよ」
やんわりと言ってみた。詳しい訳ではない。しかし、ジョージの婚約白紙といい、別に平穏という訳でもなさそうだ。
護衛騎士は帰り際に、ハンナ嬢にはくれぐれも内密にと、釘を刺して帰った。
『無関係な方々はもちろん、ハンナ嬢にも黙っておいて欲しい。殿下のご希望だ。サプライズなのだ』
帰りしな、護衛騎士は準備していた紙を全部持ち帰った。
『席が四つ増えるだけだ。いいね?』
仕方なかった。マチルダはうなずくしかなかった。




